La deconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux

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加護亜依ドキュメント2007


格言 《他山の石、以って玉を攻くべし》
意味:他の山から出た普通の石でも、この山から出る宝石を磨くことが出来る。転じて、他人の過ちを、自らの教訓として活かすこと。
類語:《人の振り見て我が振り直せ》

2007.02.25『FRIDAY』3月9日号に加護亜依ぼんの近況が
2007.03.24芸能臨時ニュース 加護亜依芸能界追放へ
2007.03.27加護亜依 一部報道記事について
2007.03.28(水)no.2倫理的責務としてのTK氏批判
2007.04.19(木)no.2 「SOMA」のオーナー石本靖幸氏を限定的に擁護し、併せて一部のヲタを批判する

2007.02.25
『FRIDAY』3月9日号に加護亜依ぼんの近況が

 巻頭近くで5頁を使った大特集。
 これは、『FRIDAY』(講談社)から、加護亜依とUFAへの、罪ほろぼしなのか。
 同誌2006.2.24のスクープ記事が引き金となって、一年近い謹慎生活を送ることになった、あいぼん。
 その事件は、このサイト休止中の出来事だったので、ここで取り上げたことはなかった。
 一般市民なら18歳で煙草を吸ったところで問題視するにはあたらない。些細な違法性があるにすぎない。やしきたかじんが某番組で「俺よりぎょうさん所得税収めてる加護ちゃんがタバコ吸っても全然問題ない」というようなことを言っていた。極論ではあるが、僕も本心ではまったく同感。
 ただ、加護亜依は一般人じゃなかった。
 全国のファンに夢を与えるアイドルという特権的な存在だった。しかも日本を代表するトップアイドル。
 その社会的責任があった。
 そして、同じ事務所(若い女性タレントを多数抱えて、清廉なイメージを何よりも重視するUFA)で仕事をする同僚に対する、職業上の責任もあっただろう。
 だから、事務所が取った謹慎処分は、事務所に所属するタレントと、誰よりも加護亜依本人を守るために、必要かつ適切な処置であった。
 では、逆に『FRIDAY』が盗撮した写真を掲載したことには違法性はないのか。
 一般に、芸能人のプライバシーは暴露されてもいいというような認識がマスコミには見られる。
 しかし、芸能人は有名ではあっても、政治家や財界人といった公人ではない。彼らのプライバシーを侵すことに公益性などほとんどないと言うべきだ。
 彼らが、それに対して黙っているのは、芸能人が人気商売であり、マスコミと敵対することは得策ではないと判断するからに過ぎない。
 (あるいは、芸能界と芸能マスコミが持ちつ持たれつの関係であり、お互いに依存することで成り立っているからだ)
 『FRIDAY』は雑誌の売り上げのために、スクープ記事を載せた。
 その結果、雑誌が得た利益や情報のリークに関わった人間が得たであろう小遣い銭の額と、加護亜依とUFAが失った利益、そして加護亜依の失われた一年とを比較するなら、まるで比較にならない程、均衡を失している。
 事務所が厳正な処置を取ったことで、記事がもたらした影響の大きさに、まず雑誌自身が怯んだのではないだろうか。
 法的にはともかく、「世間」の「仁義」(ちょっとヤクザ風な表現だが)としては、『FRIDAY』はUFAに対して大きな借りを作った、莫大な負債を抱えた、と感じたのではないだろうか。
 そして、今回の記事。
 加護亜依の近況を、路上で撮影した写真と、UFAの事務所で撮影したポートレイトで紹介し(ケータイサイトではカラー写真も配信し)、かなり長いインタビューで、加護亜依本人の声を伝えている。
 記事の論調は、ほとんど提灯記事とも言うべき加護亜依への賛辞、「よいしょ」で満たされている。長い謹慎生活(友達にも会わず、恐くて外に出られず、TVも見ず、8kgも痩せるような生活だ)の引き金を引いたのが自らであることを、あっさり忘れてしまったかのようなその文章で、果たして、『FRIDAY』は、負債を返済できただろうか。
 背負った重荷を降ろすことはできただろうか。
 到底出来はしない。
 しかし、今後は加護亜依の復帰へ向けて精一杯応援していきます、という気持ちだけは感じ取ることが出来る。

 おそらく、あいぼんの復帰が現実的な問題として検討されているからこその、今回の記事なのだろう。
 (僕も、復帰を確信したからこそ、こんな文章を綴っているのだし)
 しかし、あいぼんは、かつてのような、ファンに夢を与える太陽のような輝きを取り戻せるだろうか……ぜひとも取り戻してほしいと願う。
 以前のようなお子様キャラはもう無理だろう。もうそんな歳でもない。
 それでも彼女は帰ってくる。大人になって。
 彼女の向うっ気の強さは、松浦亜弥や藤本美貴に匹敵する強さがある。こんなことでへこたれる人間ではない。
 そして、あいぼんには堂々と元気よく帰ってきてほしい。
 しょげかえったあいぼんなど見たくもない。
 個人的な希望を言わせて貰えば、TVに復帰する時は、シガレットチョコレートを口に咥えて登場するぐらいの勢いで←無理だろ! ふざけてると思われちゃうよ!
 しかし、その話題に触れることを傷口をかばうように避け続けるようなことはせず、堂々と反省して、タバコのことを訊かれたら、「はい。18歳のときにやめました」と、笑って答えられるような強さで帰ってきてほしい。
 そして、無事復帰を果たしたら。
 今度は、足元をすくわれないように。
 強い光を浴びる存在の後ろには、暗い大きな影が出来ることを忘れずに。
 これは、本心からの忠告。というより、お願い。
 そして、この同じお願いを、僕の愛しい推しメンにも、届けたい。

 どうかどうか、足元をすくわれないように!
 つきあう人間を、慎重に選んで!
 僕の目の前から、突然消えてしまわないで!

 そう心から願って、祈るような気持ちで、このウザい文章を書きました。

 あいぼんが、まだ、ミニモニ。だったころ、彼女の可愛らしさに釘づけの時期があった。何度ミニモニ。のPVを見直しても、どうしても加護亜依に目が引き寄せられてしまうような。「わたしの心臓は……」と歌う彼女を見たいがために、何度もミュージカルのDVDを見る日々があった。
 彼女は、可愛らしいけれど、今風の顔だちではなくて、むしろ古風な、正統派の美人になる人だと思っていた。
 若い頃の岩下志麻さんや、八千草薫さんのような、可愛らしさをたたえた、正統派美人女優に、いつかなるんじゃないかと。
 「元モーニング娘。」とか「元ミニモニ。」といった看板に頼ることなく、ひとりの女優としてスクリーンを輝かせることができる存在になる日がいつか来る、と。
 今でも、そう信じています。

2007.03.24
芸能臨時ニュース 加護亜依芸能界追放へ

 芸能臨時ニュース 加護亜依芸能界追放へ

2007/03/24(土) 19:54
モーニング娘。の元メンバーで、辻希美とユニットW(ダブルユー)を組んでいた加護亜依が、所属事務所から解雇される可能性が高まった。
来週月曜日発売の「週刊現代」で、喫煙写真と男と一泊旅行した事実が報じられることが分かったからだ。

2007.03.27
加護亜依 一部報道記事について

 加護亜依 一部報道記事について

加護亜依 一部報道記事について

 弊社所属 加護亜依について報じた3月26日(月)発売週刊誌の記事について、加護本人から報告を受け、残念ながら事実であることを確認しました。

 1年前の喫煙問題の時は、まだ将来のある17歳という年齢も考慮し、実家での謹慎という処分を課しました。1年間の反省過程をみて話し合いの場を設け、再起に向けて一から準備を始めるため、今年の1月23日に上京してから、東京の事務所で社会勉強と事務の手伝いをさせていました。約二ヶ月間きちんとした勤務ぶりでしたが、今回に関しては二度目ということもあり、復帰については断念することにしました。また、未成年であるため御家族と相談の上了承を頂き、契約についても解除することとなりました。

 このような事態になってしまった事については深く反省し、管理責任を痛感しています。

 今後、尚一層の責任感を持ち、特に未成年のタレントに対しては指導の再徹底を行っていきます。

平成19年3月26日
株式会社アップフロントエージェンシー
代表取締役 川口勇吉

2007.03.28(水)no.2
■倫理的責務としてのTK氏批判

 もう二度と、読むこともないだろうと思っていた。
 加護ちゃんの一件で、つい読んでしまい、そうして、やはり後悔した。
 やはり誰かが、TK氏をきっちり批判してあげないといけないという、倫理的な責務にも似た感情を、ひしひしと覚える文章だったから。
 以下、引用は、
「モー神通信」TK氏 2007.3.28から。

モー神は加護ちゃんの復帰と共に再開する予定だった。

 つまり、サイトを休止して、加護ちゃんとともに謹慎。そして、再起とともに復活。という計画を立てていたわけですね。
 そういうのは極めてナルシスティックな演出だとは思いますが、個人の自由なのでいいです。問題なし。

サンタモニカはそのための前フリだったんだけど

 そして、そういうナルシスティックな演出のための「前フリ」として、別名のサイトに変わったことにしていた(最初から「モー神」の再開を念頭に置きつつ)。
 つまり、本心から吉川さん推しのサイトとして生まれ変わる気はなかった、ということなのでしょう。たんなる再開のための「前フリ」だったと言うのですから。
 そんなナルシスティックな演出に利用された吉川さんは、いい面の皮ではないでしょうか。

 しかし、その点もまた、たいした重要問題ではない。
 問題点は、次の部分。

世間の誰もが、分別のつく年齢として加護ちゃんの責任を問い、彼女を責めるだろう。それでも、私は、こちら側の人間として、こんな大人ばかりでゴメン。こんな世界でゴメンと、加護ちゃんに謝りたい。加護ちゃんがいるのにふさわしい世界にしたいんだけど、そんな世界を信じたこともあったんだけど、こんなに無力で、本当にゴメン。

 ここに言われている「加護ちゃんがいるのにふさわしい世界」という考え方が最大の問題だと考える。
 この表現には、この現実世界は、薄汚れた大人の世界であり、「加護ちゃんにふさわしくない」という前提がある。
 では、「加護ちゃんがいるのにふさわしい世界」とは、一体いかなる世界なのか?

親元から加護ちゃんを責任をもって預かったはずの大人、加護ちゃんの仕事をちゃんとプロデュースできなかった大人、加護ちゃんの満たされない心につけ入った大人、お金のために加護ちゃんの私生活をつけ回した大人

 おそらく、そういう大人のいない世界こそ、加護ちゃんにふさわしい、ということなのであろう。
 そして、そのような世界は実在しない。
 むろん、理想論としては、そのような世界が実現することは素晴らしいことかもしれない。
 しかし、それはユートピアであり、それを望むのは一種の「ピーターパンシンドローム」(子供でいたい症候群)に過ぎない。

 今の加護亜依に必要なことは何か?
 それは「加護ちゃんがいるのにふさわしい世界」が実在しないことを加護ちゃんとともに嘆いたり、それが実在しないことを、大人の責任だと感じて謝ってもらったりすることではない。
 年端も行かない頃から芸能界という特殊な世界でスポイルされ、甘やかされてきた加護亜依を、これ以上甘やかし続けることではないのだ。

 彼女に必要なことは、薄汚れた現実を直視し、そのリアルな現実社会の中で、生き延びるための認識・知識・技術・態度を身につけること。
 そのような周囲の教育的姿勢こそが、今も尚、必要なのだ。
 光り輝く存在のまわりには、夜の蛾のようなちょっとアレ系の存在が寄り集まってくるということ。強いスポットライトを浴びた者の背後には、大きな深い闇が生じるということ。それを自覚すること。
 そして、その闇を恐れる感覚を養い、寄ってくる人間のうち、誰が信頼できるのか、誰が自分のことを親身になって考えてくれる存在なのかを見極める能力を身につけること。現実に襲い掛かる危険を、遠ざける技術を習得すること。
 それこそが、加護亜依に必要なことだったし、今もなお必要なことなのだ。そう私は思う。

 ことが、加護亜依のことだけに関わるなら、あえて、このような批判を書く必要もなかった。
 しかし、大手のサイトの影響力を考えたとき、その、まるで「加護ちゃんがいるのにふさわしい世界」が実在しないことこそ責められるべき、とでもいうような姿勢、現実的な危険を回避する力を持たない子供が、子供でありつづけることを許容するような反教育的思想が、巡り巡って、他のメンバー達や私の最愛の推しメンにまで悪影響を及ぼさないとも限らない。
 そうなっては、困る。
 加護ちゃんの今後は不透明だが、その不幸を、我が推しメンにまで共有してほしくはない。推しメンには、危険を避けるための認識・知識・技術・態度を、一刻も早く身につけてほしい。
 そういう思いから、あえて批判をさせていただいた。

 この批判は不毛であろうし、当のTK氏に、私の思いが伝わることもないだろう。
 過去の経緯からは、悲しいかな、そう予想される。
 別に、返答を求めようとも思わない。

 ただ、この思いを、現モーニング娘。のメンバーに、せめて、我が推しメンにだけは、分かってほしい。
 亀井絵里さんには、「亀ちゃんがいるのにふさわしい世界」の実現を、のんびり待っている余裕など一日もないということを、どうか分かってほしい。

 今後のモーニング娘。から、突然キャリアを中断するメンバーが一人も出ませんように。そのことだけを切に願って。

2007.04.19(木)no.2
「SOMA」のオーナー石本靖幸氏を限定的に擁護し、併せて一部のヲタを批判する

 「SOMA」のオーナー石本靖幸氏との温泉一泊デートが、講談社『週間現代』で報じられた。記事の中には、加護亜依が再び喫煙している場面も目撃された、ということも記載されている。
 これがきっかけになり、加護亜依は、UFAとの契約を解除するに至った。
 これは、事実上の、芸能活動からの撤退を意味するだろう。プロデューサーつんくも、「芸能界復帰は無理としても、大きな意味で彼女のこれからを応援していきたい」とのコメントを出していた。復帰は無理としても、というつんく♂さんの発言は、事務所との契約解除以上に、私には重たく響く。  

 加護亜依の今回の行動は、これから「アイドル」として芸能界に復帰する準備を、所属事務所のバックアップの元で進めていた身として、あまりにも軽率であり、喫煙の違法性自体は軽微であるとはいえ、ファンとして到底擁護できるものではない。そのことは誰もが分かっている。

 そして同時に、その「喫煙一泊デート」のお相手となった、「SOMA」のオーナー石本靖幸氏に対しても、激しい非難と憎悪の声が、ファン界隈から聞こえてくる。
 私自身も、彼の行為を、積極的に肯定しようと言うわけではない。むしろ個人的には、その行動には嫌悪感を感じる。

 しかし、彼だけを悪者扱いするのは公平ではないように思われる。
 そこで、彼をその点に限定して擁護し、併せて一部ヲタに反省を促すのが、本論の目的・趣旨である。

 彼が、ファンからここまで批判される理由は、大きく2つだと考える。
 第一は、未成年者である加護亜依が横で喫煙しているのに、それを止めなかったことに対する責任の追及。
 しかし、「未成年者喫煙禁止法」の規定では、未成年者の喫煙を止める法的義務を負うのは、「親権ヲ行フ者」(法3条1項)または、「親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者」(法3条2項)に限定されている。つまり、当該未成年者に対する保護監督責任を負う者に限られる。実際には「親」または「未成年後見人」がそれに当たろう。最大限拡張解釈すれば、所属事務所UFAもまた、未成年タレントを指導する「監督責任者」として法的責任を問われうる(法3条2項)。
 しかし、事実上の交際関係があるに過ぎない石本氏には、そのような法的責任は認められないはずだ。
 もっとも、大人としての道義的責任はある、と言えよう。しかし、その道義的責任は、世の中の、自分の子供の喫煙を放置している親たちに比べれば、遥かに軽度なものだと言える。また、道義的責任とは、自ら自覚する以外になく、他人が強制できる性質のものでもないだろう。

 彼が批判される第二の理由、そして実は、もっと本質的な理由は、彼が、アイドルと交際し、二人きりで温泉旅行し、それによって事実上、加護亜依のアイドルとしての将来を奪ったこと、であるだろう。
 これは、法的にはなんら問題を構成しない、自由恋愛の範疇の行動である。
 しかし事実問題としては、未成年のアイドルに、中年の彼氏がいることが発覚するのは命取りだ。
 それが彼に対するファンからの批判の理由だ。
 加護亜依からアイドルとしての将来を奪ったことに、ファンの怒りが向けられる。

 しかし、この第2の点については、彼を批判できないヲタが大勢存在するはずだ。
 あわよくばアイドルとリアルに知合い、付き合いたいと思って接近するヲタたちだ。
 彼らを「本人接触願望系ヲタ」呼ぼう。
 「本人接触願望系ヲタ」は、「本人から個人として認識され、つながりを持つことを目標とするヲタ」と定義できよう。

 「本人接触願望系ヲタ」は、ほぼ二種類に大別できる。
 1、あくまでも公的に許された範囲で接触を図る節度あるヲタ。これを「本人接触願望系ヲタ穏健派」と呼ぼう。穏健派は、握手会、ファンクラブイベント、新曲発表会などで、接触、会話を楽しみ、手紙やプレゼントを渡す。ラジオへ投稿することで、存在を知ってもらう。その活動の対象はあくまでも、「アイドルの公的な活動」に限定されている。

 2、それと対照的なのが、アイドルのプライベート(私的領域)にどこまでも食い込もうとするヲタ。「本人接触願望系ヲタ過激派」と呼ぼう。
 典型的な行動が「出待ち」である。
 地方公演終了後の電車を待ち伏せ、一緒に乗り込み、移動中も集団で付いて回る。ほとんど準ストーカー行為と評価しうる。そのことを誇らしげにブログに記述するヲタも大勢いる。
 あるいは、番組のロケ地情報を入手し、ロケ現場で待ち構えるヲタ。
 アイドルの近親者や学校の教師などに接近し、コネクションを確立して、そこから本人への接触を図る行為。そのことを誇らしげにmixiなどで仄めかし、自慢するヲタもいるようだ。
 これらは、アイドルのプライベートへの侵入行為である。
 わたしは、アイドルも職業であり、オンタイムとオフタイムがあると考える。そしてオフタイムにおけるプライバシーは一私人として、当然に保護されるべきであると考える。
 しかし、これらの、ヲタによるプライバシー侵害行為は、ある意味で、彼女らのオフタイムにまで「アイドル」であることを強要するものであり、プライベートな時間を奪うものである。
 これを、ファンとしての適切な距離感を欠いた行為であると考えるか、違法でないから構わないと考えるか、そこに、ファンとしての倫理が、懸かっている。
 「どれほどアイドルのプライベートに食い込んでも、アイドル本人が拒否していないなら問題はない」と考えるヲタ(本人接触願望系ヲタ過激派)は、その性質上、なんら石本氏と変らない。
 彼らに、石本氏を批判する資格も、権利も、微塵もないと言うべきだろう。(あるいは、恐ろしいことに、彼らは、「石本氏、よくそこまでやったな、うらやましい」と考えているのかもしれない!)

 そのような、「本人接触願望系ヲタ過激派」のグループに、石本氏は位置付けられるだろう。
 自らの財力や、芸能界とのコネを利用して、アイドルに接近し、交際にまで至ったヲタ。
 彼は、ある意味では「成功した(金星を獲得した)ヲタ」、一人の突出したアイドルヲタクとして位置付けうる、ということを確認しよう。
 石本氏と、あまた存在する「本人接触願望系ヲタ過激派」との違いは、単に、「実際にアイドルと付き合えたか、あるいはそこに至れなかったか」という結果の差があるにすぎない。

 モーニング娘。現メンバーの中にも、ヲタと直接的交流を持っていると雑誌でスクープされたメンバーがいる。
 その問題のヲタたちは、おそらく「本人は喜んでいる、嫌がっていない、自分は拒否されていない」と考えていることだろう。
 しかし、「アイドル」が「アイドル」である以上、ファンに対してあからさまな拒絶の意思表示をすることは難しい。人気商売であるがゆえに。誰それに冷たくされた、などと噂が立てばイメージが低下する。そういうアイドルというあり方自体に内在する弱みに、彼らは付け込んでいるのだという側面は否定できないだろう。

 話題を転じてみる。これは、ネット上で広く知られた噂であり、その起源は、おそらく「本人接触願望系ヲタ」が、その見聞したアイドルの発言をネットに流したことである。
 それは、亀井絵里の発言とされる『こっちから来たりして』である。移動の電車に乗り込んできたヲタを指して、本人が言ったと噂されている言葉である。
 移動中というプライベートな時間にまで、ヲタが無遠慮に侵入してくることに対する、明らかな拒絶的感情が、この発言からは読み取れる。
 ヘタレな亀が、そのような不躾なヲタにどれほど脅えたか、想像にあまりある。(うわ、あの人たち乗り込んで来たよ。困った人たちだよー。うわ、こっちから来たりして。いやだ、気持ち悪いよー(涙))
 これは、アイドルが、そのような、適切な距離感を欠いた無遠慮なヲタ、倫理性を欠いたヲタにホトホト迷惑している、ということの証左でもあろう。

 (この点への注:この時、実際に乗り込んできたファンが、たまたま偶然乗り合わせたにすぎないとしても、亀井絵里を批判することは断じて許されない。仮に、それが亀井絵里の勘違いだったとしても、その錯誤は、「乗り込んできたファン=どこまでもまといついてくる迷惑なファン」と短絡的に判断してしまうほどに、日頃から迷惑行為に悩まされ続けている、という事実の存在を示す証拠に他ならないからだ)

 話を戻そう。

 石本氏の行動自体は、加護亜依の将来を親身に考えているとは到底思えないという意味で、決して褒められたものではない。
 しかしながら、彼を批判する前に、自分の非倫理的な、行きすぎた振舞いをこそ反省すべきヲタが、モーニング娘。たちの周囲に、無数にいるはずだ。

 今現在、石本氏は、東京を離れ、マスコミの目を避け、目立たないように暮らしている(らしい)。おそらくは、狂信的加護亜依信者からの報復的行動や、マスコミによる、スキャンダルを求めるハイエナ的な取材攻勢を恐れての、避難行動であろうと推察される。
 それが事実だとしても、それは彼自身が、アイドルヲタクとして行きすぎた行動に及んだことの当然の結果とも言え、わたしとしては同情するつもりはない。
 だが、公平に考えて、すでに彼は、十分すぎるほどの事実上の社会的制裁(不利益)を受けている、とだけは言っておくべきであるように思われる。

 亀井絵里さんのための追記: 彼女は、現在では、かなりアイドルという境遇にも慣れて、現場や移動中に接近を試みるヲタを見かけても、(表面上は)余裕で手を振ったりしているらしい(あくまでも噂の域を出ない情報だが)。
 しかし、そのような一見フレンドリーな対応が、ヲタの勘違いを助長し、さらなる不規則行動を招き寄せること、そして、結果的に自分の首を絞める危険があることだけは、ぜひとも自覚してほしいと切に願う。

(2007.4.27とりまとめ)