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La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux

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「56期やぐっつぁん呼ばわり問題」のまとめ

 「武闘」さんの更新を読んで、蒙を開かれたことから始まった小さな論議の記録をまとめました。最後に、書き下ろし部分があります。
 テーマは異なりますが、文章の流れを損なわないために「中澤裕子の遺伝子」という表現について書いた部分も、そのまま収録してあります。

2004/07/31(土) 『中澤裕子の遺伝子』という表現を巡って

 武闘(7さん)の28日の更新を読み、それに導かれるように、cloverさんの日記(07-26-2004)を読んだ時点で、こんこん写真集発売決定の浮かれ気分や、「強がり」を聞く萌え萌え気分はすべて吹き飛んだ。

 以下、その重要問題について覚え書きを。

 二つのサイトに共通するキーワードは『中澤裕子の遺伝子』という言葉だが、問題としている事柄はそれぞれ異なる。
 順を追って、見ていきたい。

*       *        *

 (なお、cloverさんは、その日記をあまり公にはしたくないとのことであるから、サイト名やURLを書いたり、リンクを貼ったりはしない。しかし、記述の内容自体は極めて重要な主題に関わることであり、読み流すことは到底不可能なので、あえて触れさせていただく。どうかご容赦願いたい)

*       *        *

 まず、cloverさんの日記から。
 (ただし、引用は避け、内容の紹介に留める。但し、下線部分は、日記の表現に基づいている)

 cloverさんは、ハロー!プロジェクト 2004 summer in 大阪城ホールを観た感想を書かれている。
 ライブを見て、cloverさんが感じたことは「感じたという事実」そのものであり、それについて論評することは出来ない。
 そのライブを観ていない自分には、その妥当性を判断することは、権利上不可能なことである。
 だから、cloverさんが、「高橋愛をはじめとし5期、6期の面々、藤本美貴を除く、の不甲斐なさを感じた」と書き、「4期メンバー最強説を強く実感させられ」と書き、「後継となろうメンバーたちのあまりの弱々しさと酷さにモーニング娘。の終わりを強烈に印象付けられた。」としても、それが、事実cloverさんが感じたことである以上、何も言うことはできない。
 感じた、という「事実」は否定しようがない。

 しかし、次の記述はどうか。
 「歌い出しは加護、そして辻へとフレーズは繋がれて行く、続く吉澤ひとみに石川梨華、ステージには中澤裕子の遺伝子を受け継いだ最後の光たちが最高の輝きを放つ瞬間があった。わたしは強く実感した、モーニング娘。であるものとないものを分かつは、中澤裕子の遺伝子を受け継いだか否かであると。
 そして、
 「わたしは最後の幸福を実感した、モーニング娘。の多幸感の象徴は彼女たちであったのだ。
 そして、
 「わたしは長らくの間モーニング娘。のようなものは見ていてもモーニング娘。を見てはいなかったのかもしれない。中澤裕子の遺伝子がこれほどまでに偉大なものだとは思わなかった。

 この記述に現われる「中澤裕子の遺伝子」という表現。
 4期は受け継いでおり、5期以降は受け継いでいないと措定されている「中澤裕子の遺伝子」。

 この「中澤裕子の遺伝子」という表現は当然一つの隠喩である。
 この隠喩は何を表しているか。

 A・中澤裕子がモーニング娘。に在籍した当時、共に、モーニング娘。としての時間を共有したか否か、直接の指導・薫陶を受けたか否か、という事実そのもの。

 B・中澤裕子の思想心情、価値観、モーニング娘。への愛、モーニング娘。である(になる)にあたっての覚悟や、その姿勢などを受け継ぐこと。

 Aは既に変更しようのない、暦史的事実そのものであり、確かに、4期以前は中澤裕子と「モーニング娘。の時間」を共有しており、5期以降は共有していない。
 それは、たんなる事実にすぎない。
 しかし、その事実を「中澤裕子の遺伝子」という隠喩で表現した途端、そこに危険なイデオロギーが纏わりつく。
 「直接の指導・薫陶を受けたか否か」という問題。
 そこで「中澤裕子の偉大さ」という価値が強調され、それが、「4期メンバー最強説」と、5期以降は「モーニング娘。のようなもの」つまり、モーニング娘。そのものではない、という評価へとつながっていく。
 ゆえに、5期以降(藤本除く:何故なら藤本は実質的には4期相当だから)のあまりの弱々しさと酷さにモーニング娘。の終わりを印象づけられることになる。

 つまりここには、中澤裕子の偉大さを強調すればするほど、現状(=5期以降)を否定することへとつながっていく論理の流れがある。
 中澤裕子ファンであると同時に紺野あさ美ファンである私にとっては、到底この論理の道筋は肯定しうるものではない。
 それを認めることは出来ない。
 認めたくない。

 (いやしくも5期推しを自任する人間にとって、この論理に対する有効な反論を表明することは、避けては通れない責務、5期推しとしての死活に関わる問題であると考える)

 では、Bの意味についてはどうだろうか。
 中澤裕子の思想心情、価値観、モーニング娘。への愛、モーニング娘。である(になる)にあたっての覚悟や、その姿勢などを受け継ぐこと。それは、直接にモーニング娘。としての時間を共有していなくとも引き継ぐことが可能であると考えられる。
 今はそれが見えないとしても、未来には期待できる。
 中澤裕子自身はモーニング娘。を離れた立場上、5期以降のメンバーに対して積極的に教育的な振舞いをすることは避けている。
 彼女は、自分は今後のモーニング娘。については見守ることしかできない、悩みがあったら話を聞いてあげるくらいしか出来ない、と語っていた。
 彼女は、決して、自分の立場を越えた行為には及ばない慎み深さを備えている。
 彼女が越権行為、「余計なお世話」を避ける気持ちは、ほとんど過剰なほどだ。
 ゆえに、中澤裕子の側から5期以降の現状について苦言を呈したり、あるいは課題を指摘したりという、積極的なアプローチは期待できない。
 しかし、5期以降の側が、自覚的に先達から学ぶことは、今からでも十分に可能であると思う。
 その必要性に気づくことさえできたら。
 彼女たちは、きっと先達の仕事に臨む姿から、自分たちに必要なもの、足りないものを学び取ってくれると信じている。

 cloverさんは、5期以降は、「中澤裕子の遺伝子」を引き継がなかった、とほぼ過去形で語っていると言って差し支えないと思う。
 それは、Aについては事実としか言いようがないが、Bに関しては、「本当に引き継がなかったのか」あるいは「今後引き継ぎうるのではないか」と問い直すことが、必要だと考える。

*       *        *

 武闘(7さん)の2004.7.28の更新より。

 7さんは、同じ「中澤裕子の遺伝子」という表現を巡って何を語っているか。(以下引用はすべて「武闘」から)

 ちなみにこれは、

cloverさんのはてなを読んでみて、ふと思うことがありました。
(直接関係のない “連想” なのでリンクは貼りません。 ご迷惑)

と、最初に断られている。
(長文引用をご寛恕くだされたく)

自分は旧い人間なので、例えば 5期6期のメンバーが、
矢口真里のことを 「やぐっつぁん」 と呼ぶことがどうしても異様に見えてならないのです。

もちろん、それは先輩後輩の垣根を越えて打ち解けるための方途ではあるかもしれませんが、
なら、4期が先輩と打ち解けなかっただろうかと考えると、そうではなく、
むしろ 「〜さん」 と先輩のメンバーを呼びながらも、
心は家族のように近づいていた (いる) ように見えます。

そこに至るまでには 抵抗も反発も、冷たい反目さえもがあって、
そいういう時期を乗り越えたからこそ、
「友達の集まり」 ではなく 「家族」 と、
彼女たち自身が表現してきたところの “絆” が生まれたように思えるのです。

そういう時間の積み重ねを思うと、5期6期の 「やぐっつぁん」 呼ばわりは、
仲良しになるための単なる近道でしかないように思えるのです。

安倍なつみのメモリアルDVDを見ながら、その内容自体とはほとんど脈絡もなく、
そういう普通のこと (物事の筋道) を教えてきた人間というのは、
やはり中澤裕子だったのかなぁと思ってしまいました。
今も中澤裕子がリーダーとしてモーニング娘。にいたら、
多分若いメンバーに矢口のことを 「やぐっつぁん」 とは呼ばせていなかった気がします。

同年齢の辻や加護を愛称で呼ぶのと、矢口真里を「やぐっつぁん」 と呼ぶことは、
根本的に異なることだと感じています。
いつのことだったか、加護亜依が 「矢口さんは矢口さんなんですよ」 と言って、
決して愛称で呼ばなかった話がラジオ?で出ていましたが、
それは単純に矢口真里が辻加護のお目付け役としてずっと二人を怒ってきたからだけではなく、
矢口真里の背中を見続け、モーニング娘。の先達が通り過ぎてきた歴史をも、
そこに見透かしているからではないでしょうか。

ステージとステージ裏の間にある見えない境界線。
それを 「越えてはならない」 と自覚し、感情を飲み込む覚悟。
それが、中澤裕子の遺伝子。

別れても残る強い絆。
ラストライブだからと、無理をおして東京から鹿児島まで見届けにくる温かい絆。
それが、中澤裕子の遺伝子。


確か、このように呼びたいという希望は 6期から出たように記憶していますが、
5期がそれにのるとは思ってもいなかったので、
高新二人ゴトでは、何よりもそれが一番ショックでした。
敬語をまったく知らなかった辻加護と同じように、6期が言うのはまだいいのです。

後藤真希が中澤裕子を裕ちゃんと呼び、吉澤ひとみが飯田圭織をカオリンと呼ぶ。
ある程度の時間を経て、互いに距離感を縮めたところで、自然にそう呼ぶのは構いません。
この場合がそれにあてはまるとは思えないので、異様に感じてしまいました。

 ここでも、56期の「ある問題」が、「中澤裕子の遺伝子」という表現に絡めて指摘されている。

 しかし、この指摘は具体的なある「言葉遣い」に関わるものであり、総論的ではない。

 そして、この「言葉遣い」の問題に関しては、私自身、モヤモヤとしたものを感じていた。
 それを、明快に指摘され、蒙を開かれた思いがする。

 そして、この言葉遣い問題に関しては、一つ付け加えたいことがある。
 それは、「〜つぁん」付けで呼ばわることは、単なる愛称やあだ名とは意味が異なるのではないか、という点にある。

 この「〜つぁん」は、ゴトウのト、ナツミのツ、ヤグチのチ、など、後に続く音がタ行の場合にのみ使われうる呼び名ではあるものの、それ以上に、機能として、同格の者に対する呼びかけとして使用される、という強い傾向を指摘できると思う。その最たるものが「職場の同僚」という関係。

 だから、ごっつぁん、なっつぁん、やぐっつぁん、と呼ぶことは、ごっちん、ごっちゃん、なっち、なちゅみ、まりっぺ、やぐち等と愛称で呼ぶこととは意味が違うと考えられる。

 例えば、中澤裕子がモーニング娘。時代には、「なっつぁん」「ごっつぁん」と呼ぶことがあったと思う。そう呼ぶ時は、人生の先輩後輩としてではなく、リーダーとメンバーの関係としてでもなく、あくまで同じ仕事をする仲間として相手を同格の存在と認める場面であったのではないだろうか。
 モーニング娘。を離れた現在、中澤裕子がそれらの呼び方を使用することは、ほぼないと言っていいのではないか。
 離れたところから呼びかけるときは、「安倍さん」であり、愛情を表明するときは「なっち」「ごっちゃん」であり。
 だから、「同僚=同格の存在」として認めたことのない5期については、「紺野さん」「小川さん」と敬語で語りかけるのが、中澤裕子の後輩に対する接し方である。
 そこに、自分の立場を弁える、という大人の常識があるのは当然であり、だからこそ、7さんの、そういう普通のこと (物事の筋道) を教えてきた人間というのは、やはり中澤裕子だったのかなぁと思ってしまいました。という言葉には強い共感を覚えるし、今も中澤裕子がリーダーとしてモーニング娘。にいたら、多分若いメンバーに矢口のことを 「やぐっつぁん」 とは呼ばせていなかった気がします。も、おそらくその通りであろうと思われる。
 かつて、辻希美に対して「あんた誰にクチきいてんの?」と愛ある叱責をしたように。

 「やぐっつぁん」呼ばわりに話を戻そう。
 先日のハロモニの企画の中で、田中、紺野両名が「やぐっつぁん」と呼ぶ場面が(も)あった。

 しかし、やはり、どうみても、56期と矢口真里は同格ではあり得ないのだし、それゆえ、この呼び方には拭い切れない不自然さがある。(失礼とも言う)

 とはいえ、彼女たちは決して、矢口真里を大先輩として尊敬していないわけではないと思う。ただ単に、言葉の使い方や、その意味が分かっていないのだと思いたい。子供だから間違うこともある、と。

 そう信じたい。
 そうでないとすれば、その問題の根はあまりに深すぎる。

 注:自分のサイトはこんこん(ないし56期メンバー)自身が読んでいるとの自覚をもってサイト運営にあたっている皆さん(そうあなたのこと)は、是非このことについて触れ、彼女(ら)の注意を喚起していただきたいと切に願います。

 p.s.
 矢口さんにおかれましては、決して後輩を甘やかすことなく、是非、教育的に振る舞って頂きたいと思います。
 あのころの裕ちゃんのように。
 いや、これ以上矢口さんに苦労をかけるのもどうかとも思うのですが。
 でも、それが、後輩のためであり、モーニング娘。のためだと思うのです。

*       *        *

本論は以上です。

ちなみに。

7さんは、安倍なつみ卒業メモリアルDVDについては、次のように書かれています。

とにかくも、安倍なつみの素直な思いと、
中澤裕子の偉大さを 改めて噛み締めることのできるDVDでした。

そして、つんく♂のモーニング娘。に対する熱い思いも、
一瞬ですが、つんく♂本人の口から語られていました。


安倍なつみヲタ、中澤裕子ヲタ、吉澤ひとみヲタ必携。

……中澤裕子ヲタ必携とのことですので、これは、どうにかして入手しなければ、と思います。

2004/08/03(火) 「中澤裕子の遺伝子」補足 ・ 「やぐっつぁん呼ばわり」問題2

 えっと。
 色々と誤読もされているようなので、要点を整理します。
 (おいらの文章、そんなに分かりづらかったですか? ごめんなさい)

 cloverさんの日記に批判的に触れつつ、おいらが書いたことは、4期が最高で、5期以下はダメという感想を根拠付けるために「中澤裕子の遺伝子」という危険な比喩を使って論を補強するのは、おいらは認めませんよ。ってことです。
 だって、おいらは5期が最高だと思っているワケですから(裕ちゃんは除いて)(あ、もちろん矢口さんも、あ、それに、あ…)。

 おいらは、純文学やクラシック音楽など、そもそも売上げとか、世間一般の認知度とは縁のない世界をこよなく愛する人間ですし、その中でも特に、金井美恵子やシェーンベルクといった、一般受けするとは到底言えない人たちをこよなく愛している訳です。
 ですから、おいらが、好き、とか、最高、とか言う場合、世間にどれだけ認知されているか、とか、人気があるか、とかは関係がないんです。
 自分にとって意味がある、感動させられる、そういう要素があれば、たとえ他には誰一人評価する人がいなくても、おいらは自信をもって「いい」と言いますから。
 たしかに、中澤裕子卒業前後の10人体制とか9人体制の頃ってのは、勢いもあったし、社会的認知度も高かったし、社会現象とすら言われていたし、すごかったのは事実です。でも、おいらの評価とか愛はそれとは一切関係がないので、おいらは、5期が最高って自信をもって言えます。
(極論すれば、100万部売れる週刊ジャンプやPLAYBOYと、年に何部売れるか分からないプルースト『失われた時を求めて』とどっちが価値があるのか、ってことですよ。売上げや認知度なんて、価値とは関係ないんですよ)

さ。
誤解が解けたところで。
(解けたんですかね? 反感を買っただけ?)

*       *        *

こっちがよっぽど肝腎な、「やぐっつぁん呼ばわり」問題。

「武闘」さんからの引用を再掲。

確か、このように呼びたいという希望は 6期から出たように記憶していますが、

その後、ある読者の方からいただいたメールによると、田中あたりがそう呼びたいと提案し、矢口自身が了承し、で、他の56期メンバーがそれに乗っかった、という流れらしいです(未確認。情報乞う)。

で、矢口自身が了承しているのならいいのでは、という意見もあるのですが、おいらはそうは全然思えません。
事実関係については想像する他ないですが、おいらには、矢口さんは了承せざるを得なかったのでは、と思えます。

後輩が、何とか親しくなりたいと思う気持ちから、「やぐっつぁんと呼びたい」と提案してきた。
そこで、矢口さんが内心どう感じたかは分かりませんが、疑問に思いながらもダメとは言えなかった、のではないでしょうか。
「ダメ」とか「親しき仲にも礼儀ありでしょ」とか「何様?」とか言ったら、偉そうだと思われちゃいますから。
メンバー同士の和、和気あいあいとした雰囲気を大事にしたい彼女。
まとめ役として、ムードメーカーとして、軋轢を生みたくないし、それに、自分が「鬱陶しい先輩」と思われるのを嫌った彼女は、きっと、「自分さえちょっと我慢すれば」と思ったのでは。
そして、了承することで、礼儀を教え、世間の常識を教えることを放棄し、メンバーの和を取った、ということではないでしょうか。

中澤さんが娘にいたころ。確かにバックステージでは上下関係は厳しかったと思う。先輩に対する敬意。後輩に対する優しさ。その空気すべてが当時のモーニング娘を作っていたと思います。

でも矢口さんは違う方法を採りました。彼女は、誰かを厳しく叱ったり問題点を直接ずばり指摘するやり方よりも、本人が問題点に気づくことができるようにさりげなく優しくアドバイスするというやり方を好むんです。

明確な上下関係がありながらも、その間には確実に豊かな愛情が満ち溢れている、ある意味「家族」のようなスタイルのモーニング娘を作ろうとした中澤さん。そして一方、誰も悲しい思いやつらい思いをしなくてもすむ、和気藹々としてハッピーでうるさくってバカっぽくって、たとえばお休みの日にもだれかれ気兼ねなく遊んだり笑いあったりできるようなスタイルのモーニング娘を作ろうとしている矢口さん。
yiye's vanity world 「7がつ31にち。■ 中澤裕子の遺伝子 矢口真里の遺伝子 21:19」より(yiyeさん)

そう。裕ちゃんなら、後輩から仮にそういう提案があったとしても、「あんた誰にクチきいてるん?」と釘を刺して、礼儀や、常識を教えたことでしょう。その結果、自分が嫌われたり恐れられたりしてもそれが自分の役目なのだと考えながら。それこそが「中澤裕子の遺伝子」だと、言ったのが武闘の7さんでした。

今も中澤裕子がリーダーとしてモーニング娘。にいたら、
多分若いメンバーに矢口のことを 「やぐっつぁん」 とは呼ばせていなかった気がします。

(中略)
ステージとステージ裏の間にある見えない境界線。
それを 「越えてはならない」 と自覚し、感情を飲み込む覚悟。
それが、中澤裕子の遺伝子。

モーニング娘。の初期の頃「モーニング娘。は礼儀正しい」という評判がTV番組のスタッフなどの中にあったと聞きます。
それはとても大切なことです。
メンバーの和も、もちろん大切です。
先輩風を吹かせたくない、という矢口さんの気持ちも分かります。
しかし、後輩たちはそれに甘えてはいけないと思います。
どんなにフレンドリーであっても、身長が四捨五入で1メートルしかなくても、矢口真里はやはり大先輩なのですから。
親しき仲にも礼儀あり。
そして、「まりっぺ」とか、「おやびん」とか愛称で呼ぶならともかく、「やぐっつぁん」と同格扱いすることは、やはり失礼だと、おいらは思います。

最後に、yiyeさんの日記にコメントとして書いたことを再掲して終りたいと思います。

# 痛井ッ亭。 『 責任responsabiliteの原義は応答可能性。この、yiyeさんの《応答》に、yiyeさんの責任ある態度を見る思いがしました。
 矢口さんはたしかに、自分がモーニングに入ったときの経験、上の人に気を使う日々、ピリピリムードを繰り返したくない、それを下の子たちに味あわせたくない、と語っていますね。(『おいら』p60)
 ですから、中澤さんの理想と、矢口さんの理想とする形態は違うのだ、というyiyeさんの説明には賛成です。
 が、56期の「やぐっつぁん呼ばわり」が、その理想が実現された結果かというと、それは疑問が残る点です。(この点は、少し時間をかけて考えたいと思います)
 矢口さん自身、未だ、中澤さんがモーニングとしての経歴を開始した年齢にも至っていないわけで、彼女自身これから成長もするでしょうし、来春以降は、リーダーとして色々悩み、試行錯誤することもあるのだろうと思います。
 でも、矢口さん率いる明日のモーニングについては、期待一杯で楽観視しております。きっと大丈夫です。  言及ありがとうございました。 』

2004/08/06(金) 「やぐっつぁん呼ばわり」問題3

 この本来、自分が書こうとはまったく思っていなかったテーマのおかげで、更新量作業量消費体力等など急増中です。
 しかし、責務を果たす必要があります。
 本当は、せくしー裕ちゃんと可愛いこんこんに萌え萌えしていたいのですが、事情がそれを許してくれず。

肯定派の意見について

 いくつかの「56期やぐっつぁん呼ばわり」を肯定する意見が寄せられました。

 それらを一々紹介しませんが、肯定する論拠としては「矢口さんが認めているから許される」「加入して時間がたったから許される」「矢口さんに引けを取らないパフォーマンスを見せているから許される」「親しみの表現ならいいのでは?」などが挙げられていました。

 しかし、残念なことに、わたしが問題点としてあげていた、「っつぁん」という呼び方は単なるあだ名ではなく、同格の者を呼ばわる表現として日本語の体系の中で機能しているという指摘に関する明確な反論は見られませんでした。それがなければ、議論は発展のしようもなく、ただ言いたいことを言って終わってしまいます。もともと議論などするつもりもないのかもしれませんが。

 問題は、それだけではないのです。
 たしかに、本人たちの間では、「やぐっつぁん」と呼ぶことが了承されているにしても、その言葉遣いが事情を知らない世間の人にどう受け止められるかということを考えなければなりません。
 大先輩を捕まえて、「〜っつぁん」と呼ぶ若いメンバーたちは、世間一般の人から、失礼、礼儀知らず、言葉遣いを知らない、と捉えられて当然。
 「モーニング娘。って、そんな礼儀も知らない子の集まりなのか。」
 さらには、「アイドルに常識を求めるほうがおかしいよね、やっぱりアイドルなんて非常識なバカの集まりだよね」と思われかねないのです。

 心のお父さんとしては、娘がTVを通じて全国に醜態を晒すのは恥ずかしくて直視できません。
 きっと、紺野さんのお父さんだって同じことを感じると、おいらは思いますよ。

 2期と56期との間に壁があっても当然だし、それを双方が気に病んでいる、ということもあったのでしょう。
 しかし、きちんとした信頼関係、お互いを尊重する気持ちがあれば、自然な呼び方がいずれは定着するでしょうし、それが仮に「矢口さん」であっても、全然おかしくないし、別によそよそしいとも思いません。

 そんな中ねえ、加護ちゃんとか辻ちゃんにも「やぐっつぁんって呼んでいいよ」って言ったら、加護ちゃんがね、「矢口さんは矢口さんなんですよ!」って、もう胸を張って言われちゃったんですよね。なんかねえ、「なんかイメージ的にねー、『矢口さん』なんですよー。それは最後まで変えられないです」って言われた時にちょっとなんかジーンとしちゃってねー、キューンとしちゃってねー、ああ、きっとなんかこうミニモニ。の中でのあのイメージからきっと離れられないんだろうな、なんて思ってるんですけどね。
あなたがいるから矢口真里2004/4/4放送分から

 矢口さんとあいぼんの関係はよそよそしいですか?

 わざわざ「あだ名で呼びたい」と提案(それ自体不自然な提案)して、「やぐっつぁん」なんて身の丈にあわない呼び方を使いはじめるのは、それ自体よそよそしさの現われ、壁の顕在化であると私には思われます。
 そして、なれなれしい呼び方をすることが、壁を解消し、信頼関係を密にするための近道になりうるとも思えないのです。

愛wikiさんの反応について

 さて、この話題について、はっちまんさんの愛wikiでも取りあげていただけました。

 愛wikiさんに取り上げられますと、自動的にヲチスレ住人の目にも止まるので(笑)、ここは一つ、頑張ってイタくて香ばしいことの一つでも書いてやらなきゃなあ、という気持ちがふつふつと湧いてきます。何かが激しく間違っていますかそうですか。

 はっちまんさんの論は、基本的にあの礼儀正しい5期がそういう失礼な振舞いをするわけがないという確信、というか愛から出発していて、その様がある意味感動的です。

 で、はっちまんさんは、矢口さんの側からそう呼ぶように指示があったのでは、との推論を繰り広げています。
 そう指示をした矢口さんの目的はというと、簡単に要約すると、一人だけおばちゃんあつかいされたくない。若い衆の中に溶け込んでいたい、ということだろうと思われます。
 矢口さんの中にそういう(戦力外通告的な)不安があるのかどうか、おいらにはわかりません。
 しかし、おいらが思うに、そう不安がる必要はまったくないと思われます。
 何故なら、今なお、矢口さんが本気を出して前に出たら、それに太刀打ち出来る人など誰一人としていないから。
 ただ、彼女は実力に相応しい立ち位置を与えられてこなかっただけ。
 頭の回転が早く、誰よりも気が利く彼女は、その経歴のスタートから、メンバー同士の潤滑油、ムードメーカーとしての働きを期待されたし、それに応えることを優先して、自分が前に出ることはずっと後回しにしてきた。
 そして現在では、若手を前に出す、という集団としての戦略を理解するからこそ、率先して後ろに下がり、調整役に回っているだけだから。
 そういう実力をもち、かつメンバーへの理解もある矢口さんを尊敬/尊重しないメンバーなど誰もいないと思うから。

 それに「あな真里」での本人の発言を聴く限りでは、提案はあくまで56期側からなされたようです。
 あー、割と必死で探して聴きましたよ、今回。某ろださんに感謝。

 もう一つ、はっちまんさんが指摘されていること。
 それは、藤本さんが「よっちゃんさん」という呼び方をしている、という話題。
 これは、藤本さんの立場、年齢的にも経歴的にも4期相当でありながら(かつ紅白出場を果たしたソロ歌手でありながら)、集団の中での位置付けは6期メンバーである、という自分の立場を正確に反映した正しい言葉遣いだと思います。「よっちゃん」と親しみを込めて愛称で呼びたい、だけど、集団の中では後輩なんだからきちんと「さん付け」するのが筋、だから「よっちゃんさん」。この呼び方は不自然でもなんでもないと思います。
 そして、ミキティがそう呼ぶことが、「やぐっつぁん」という名称の使用を許す矢口、それを使う56期、双方へのアテンションになっている、という指摘はまったく素晴らしいと思いました。でも、ミキティ自身、その困った事態に巻き込まれて「やぐっつぁん」という呼び方をしているようですけれど……(ハロモニで確認してみなくては!)←確認したところ、ミキティはちゃんと「矢口さん」と呼んでいました。ミキティ、濡れ衣着せてゴメン。'04/08/07訂正追記

あな真里の当該部分書き起こしと、考察

 掲示板でご紹介いただいた、ニュースソース・あな真里4月4日放送分。
 責任上、自分の耳で確かめました。
 すると、やはり大事なことが分かりました。
 以下、書き起こしを紹介し、それについてコメントを。

  (注:太字は語気強め下線部分は笑いながら喋っています。)

 その問題部分は、ミカの海外留学に伴う、ミニモニ。活動休止、を伝える話の中で出てきました。このコンテクストが極めて重要です

 問題部分の前段での話題を、簡単に箇条書きすると、
 ・ミカが海外に留学するという話。
 ・ミニモニ。は永久欠番になってしまう。
 ・リーダーという立場で辻希美ちゃん加護亜依ちゃんをたくさん怒ってきた。
 ・辻ちゃん加護ちゃんもすごく成長してくれたし、今でも頼りにしてくれている。
 ・ミニモニ。があってよかったと思う。

 ……という話があり、その話を受けて、以下の問題部分になります。以下、書き起こし。

 ま、最近なんですけども、最近はですねえ、5期メンバーと6期メンバーがですねえ、なんかすごく、あの、矢口さんっていう名字から、「あだ名で呼びたい」みたいな意見が出たんですよ。
 で、なんか、「あ、じゃあ、ごっつぁんがやぐっつぁんって呼んでくれてるから、やぐっつぁんだったら呼びやすいんじゃない?」って言ってあげたら、も、田中はすぐ実践、みたいな。あの子すごいですよー。で、「田中」って言うと怒るんですよ。で田中は「あたしのことれいなって呼んで下さい」って言ってて、で今「れいなれいな」って言って、あの、ちょっと馴らしていってるんですけどぉ。まああの、れいなは「やぐっつぁん」ってすぐに呼んでくれたっていうか。でね、高橋とかも徐々に呼んでくれているように、なっているんですけども。
 そんな中ねえ、加護ちゃんとか辻ちゃんにも「やぐっつぁんって呼んでいいよ」って言ったら、加護ちゃんがね、「矢口さんは矢口さんなんですよ!」って、もう胸を張って言われちゃったんですよね。なんかねえ、「なんかイメージ的にねー、『矢口さん』なんですよー。それは最後まで変えられないです」って言われた時にちょっとなんかジーンとしちゃってねー、キューンとしちゃってねー、ああ、きっとなんかこうミニモニ。の中でのあのイメージからきっと離れられないんだろうな、なんて思ってるんですけどね。
 までもほんとに、加護ちゃんから「やぐっつぁん」って呼ばれても、こ、ピンとこないんだろうな、なんて思ってるんですけどね、実は。

 でも、寂しくなるなあ、もうすぐですもんね、二人の卒業も。お姉さん困った、今からほんとに、切なすぎるんですよ。…(中略)…妹が地方に行ってしまうみたいな、ほんとそんな気持ちなんですよ。もうね、どうしていいか分かんない。しかも、一気に二人卒業かよ、みたいな。今から構えているみたいな感じなんですが。
あなたがいるから矢口真里2004/4/4放送分から

 この部分全体を通して聴くならば、これは、明らかにミニモニ。の活動を通じて築きあげた辻ちゃん加護ちゃんとの信頼関係、絆の話です。
 「56期やぐっつぁん呼ばわり問題」は、その絆を強調するために、あえて対照的な事例として紹介されているとすら言えるでしょう。
 話のポイントはあくまで、加護ちゃんが「矢口さん」という呼び方にこだわるのをみてジーンとした、という部分にあります。
 あんなに天真爛漫だった、子供そのものだった加護ちゃんが、今、言葉遣いや先輩に対する礼節にこだわりを見せるほどに成長した。その姿に、矢口さんは「お姉さん」として感動を禁じ得ないのでしょう。
 そこを聴く人が聴けば、中澤裕子と時間を共有することによって受け継いだ中澤裕子の遺伝子を加護亜依は持っている、ということになるのでしょう。(私自身は「中澤裕子の遺伝子」という比喩を積極的に使おうとは思わないのですが。)

 翻って、56期の問題を見てみましょう。
 56期から提案があったから、「……やぐっつぁんだったら呼びやすいんじゃない?」って言ってあげた矢口さん。
 田中れいなについて、あの子すごいですよーと評していますが、これは決して褒め言葉ではないでしょう。
 (ex.「すごい恰好だね」というとき褒めている場合のほうが少ないでしょう。すごいバカとか、すごい失礼とか、普通に言いますしね)
 矢口さんは褒める時は、はっきりそれと分かるような、それこそ感動的な褒め方をしますからね。「すごい」という言葉のニュアンスは相当微妙です。
 それに、田中を「れいな」と呼ぶことは、矢口さんにとっては意識して馴らさなければいけないくらい不自然さを伴う呼び方だ、と思われます。

 そして、この音源だけを聴く限り、56期から「やぐっつぁん」と呼ばれて、矢口さんが喜んでいる、という風にはまったく思えません。
 逆に、「矢口さん」にこだわる加護ちゃんに感動しているのですから。

 までもほんとに、加護ちゃんから「やぐっつぁん」って呼ばれても、こ、ピンとこないんだろうな、なんて思ってるんですけどね、実は。

 加護ちゃんに呼ばれても、ピンとこない。ましてや56期においておや。と、おいらには読めます。

ふたたび、おいらの意見

 矢口体制のモーニング娘。が和気あいあいとした集団でありたいと願う理想と、正しい言葉遣いを遵守する、礼節を弁えるということとは別段矛盾することなく両立しうると思います。
 「やぐっつぁん」という不自然な呼び方を採用しなくても、和気あいあいとした関係になるのは十分に可能でしょう。

 アイドルは人気商売です。
 世間から礼儀知らず集団と思われることはマイナスでしかない。
 矢口自身が了承したから、では済まされない問題がそこにはあると思われてなりません。

 やはり、もし、今、裕ちゃんがリーダーなら、やはりこの状況を見て一喝していると思われます。56期も、そして、矢口さんも。
 「親しくするのとなれなれしくするのは違うんやで」って。

 現リーダー飯田圭織は、何故、そう指摘する汚れ役を買って出ないのか。
 問題はない、と楽観視している?
 そもそも問題だということに気づいていない?
 それとも、それを言ってメンバーを動かすだけの指導力が足りないから?

 そこが、社会人を経験してからこの世界に入った中澤裕子の強さと、学校からまっすぐ芸能界に入った飯田圭織(そして矢口真里)の相対的な弱さとの差異かもしれない、とふと思うのです。

7さんが吉澤ひとみを思う気持ち。04/08/11

 上記の一連の文章は7さんの短い文章を読んだことから生まれました。
 私の読み方が誤読であったにせよ何にせよ、それがきっかけとなって生まれた文章であることは事実です。
 そして、高橋+新垣の二人ゴトを見て「やぐっつぁん」という呼び方にショックを受けたという7さんは、実は、自らの最愛の推しメンであろう吉澤ひとみへの批判=苦言として、その文章を書いたのでした。後に「武闘BBS」の中でそう語ってくれました。

 再び、7さんのいくつかの表現に戻って、彼の思いをたどり直してみます。
 ふたたびの引用をお許し下さい(決して虎の威を借りようという訳ではないのです)。

実際 この愛称呼ばわりの件だって、今さら元に戻るようなものでもないし、
あとは吉澤ひとみの覚悟次第だと思います。 どこまで嫌われ者になれるのか。
後輩から頼りにされている石川梨華もいなくなるし、あとはヨッスしかいないんですが、
そこのところをわかっているのでしょうか。 わかっていると信じたい。
「武闘」2004.7.28
吉澤ひとみは中間管理職研修中。
寂しがりやから頼れる先輩に変身します。  と思います。  と祈ります。
「武闘」2004.8.3
自分自身、この問題には結論が出ているのです。
あの話は実は吉澤ひとみ批判ですから。
「武闘BBS」投稿者:7 2004年08月07日(土)00時29分25秒

 56期が礼儀に外れた言葉遣いをしている状況に対し、矢口本人が立場上、直接に後輩たちを叱責できないならば、その役目を吉澤ひとみが引き受けるべき、と7さんは彼女に期待していたのではないでしょうか。だからこその吉澤ひとみ批判だと思うのです(私の誤読でなければ)。

 これこそ、推しメンを思う真の気持ちだと私は思いました。
 現状に甘んじることなく、その先を見据えること。
 彼女たちの成長を期待し、信じること。
 Growing up Girls!
 成長せよ、少女たち!
 それが「よろしくセンパイ」の副題でした。
 Growing up Girls!



謝辞

 サイト上で反応して下さった管理人の皆さん、メールやBBSで真摯なご意見をお寄せ下さった読者の皆さんに心から感謝します。
 この文章に、物事を動かすような影響力などあろうわけもないですし、56期が使用しはじめてしまった呼称が元に戻ることもないのでしょう。
 だからといって、これらの文章が徒労だったとは思いません。
 議論を交わすことで何かが見えることも、僅かでもあったのではないかと思うからです。
 あとは56期の面々が、「やぐっつぁん」という呼称に相応しい真の信頼関係を矢口さんとの間に築き上げ、そう呼ぶことで誰からも疑問を抱かれないような実力を見せつけてくれる日が一日も早く来ることを願うばかりです。



('04/08/11取りまとめ)
('04/08/11初出部分含む)