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La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007

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藤本美貴ドキュメント2007
《ミキ受難曲》





De profundis clamavi ad te Domine
Domine exaudi vocem meam.




 2007年6月1日、不本意な形でモーニング娘。を去った藤本美貴のために綴った文章の数々。藤本美貴のモーニング娘。「脱退」を巡って、考え続けたこと。書き続けたこと。それらをまとめておく。
 徹底的に、かつ断固として、「モーニング娘。藤本美貴」を擁護するために。
 そして、2007年6月1日を永久に記憶にとどめるために。

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2007.05.25(金)■藤本美貴様『FRIDAY』に御出演、の巻
2007.05.26(土)■ミキサマミキサマオシオキキボンヌ
2007.05.27(日)■藤本美貴に惚れ直し
2007.05.27(日)■藤本美貴さんに今捧げる歌
2007.06.01(金)■藤本美貴、モーニング娘。を「脱退」
2007.06.01(金)■『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ
2007.06.02(土)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘T
2007.06.03(日)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘U
2007.06.04(月)■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘V 《モーニング娘。の死んだ日》
2007.06.05(火)■ミキ受難曲 Mikius-Passion (抜粋)
2007.06.06(水)■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟
2007.06.07(木)■サイト名変更(マイナーチェンジ) ■about大幅に修正
2007.06.07(木)■救いの2つの言葉、藤本美貴@GAM大阪公演06.02、高橋愛@ヤンタン06.02
2007.06.21(木)■藤本美貴をあきらめない
2007.06.22(金)■藤本美貴の「ドキ☆みきnight」2007.06.18より
2007.06.22(金)■2人のツンデレ女
2007.06.24(日)■アイドルファンにとって「愛」とは何か・フラグメント(素描)
2007.07.06(金)■「アイドル」を創る者の危機感と抵抗
2007.08.12(日)■藤本美貴を干す
2007.10.02(火)■藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》
2007.10.04(木)■「女の子の全身全霊の決意」とは何か 〜つんく♂発言を再読する〜
2007.10.15(月)■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (前半)
2007.10.16(火)■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (後半)
2007.10.22(月)■オーガさんとの共闘:藤本美貴の「子供性」を擁護する
2007.10.27(土)■アンジェラスさんとの共闘:娘。の歴史上もっとも悔しい出来事
2007.10.28(日)■中澤裕子の抵抗:「モーニング娘。をアイドルと思ったことはない」という嘘
2007.11.09(金)■つんく♂さんの抵抗:擁護としての創作〜「女に幸あれ」「みかん」に込めた思い〜
2007.11.22(木)■道重さゆみの抵抗、亀井絵里の抵抗(ぽけぽけぷぅな)
2007.11.23(金)■モーニング娘。の立たされた絶対的矛盾状況
2007.12.12(水)■だいちょさんの熱い魂
2008.01.01(火)■迎春待帝
2008.01.25(金)■REMEMBER FUJIMOTO MIKI! 2008.1.10、CBC『今夜もうさちゃんピース』、2008.1.14、CBC『Guts10☆ガッタス!!』
2008.02.14(木)■藤本美貴再ソロデビューっ!!
2008.02.15(金)■反古になった誕生日メッセージ
2008.02.26(火)■藤本美貴ちゃんへの23歳のバースディメッセージ
2008.03.24(月)■■『ミキ受難曲』最終更新 「反古となった断片集」

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2007.05.25(金)
■藤本美貴様『FRIDAY』に御出演、の巻

 昨日、最初に「モ娘(狼)」で、「藤本美貴」と「フライデー」という2つの単語を同時に見た時は、軽く「え?」と思っただけで、べつにショックとか、裏切られた、とか、信じられない、という思いはなかった。なかったけれども、だんだんと効いてきますね。ボディーブローのように。
 アイドルも人の子。22歳の女の子が恋愛しないほうが不自然。だから、それはいいのだけれど、凹む理由は、男の趣味が納得できないということ。それと、出来れば、フライデーとかブブカとかにお世話にならないように、パパラッチの餌食にならないように、クレバーに、慎重に、行動してほしかったな、と言うこと。
 電撃結婚、妊娠まで行っちゃうと、堂々と開き直って公表するしかないし、周りとしても祝福するしかないと思うけれど、「通い愛」程度だと、逆にぶちぶちと文句を言いたくもなってくる。
 ひとつ思うのは、藤本さんはモーニング娘。加入前から色々とネガティブな噂が雑誌に出てしまうタイプの人だったので、ファンは打たれ強い、こんな程度ではへこたれないだろうということ。鍛えなくてすめばそれに越したことはない部分を鍛えて来た感はある。なので、僕個人としては、美貴様の2推しの地位はいささかも揺るがない。

从VvV从<ちっ。なんだよ、2推しかよ。
ノノ*^ー^)<2推しゆえの余裕発言ですよ?

 だが、問題は、辻ちゃんのことも同じだけれど、ハロプロのタレントにお金(CM出演料など)を払うスポンサー企業のご機嫌を損ねる、ということ。事務所が仕事を取りづらくなれば結局タレント自身の活動に響いてくる。それと、年少の後輩タレントに対する、事務所的には迷惑千万な悪影響。特に、美貴様は辻ちゃんと違って、現モーニング娘。リーダーというハロプロのマザーシップ、屋台骨を支える重要な役どころを担っている人だということ。
 なので、僕個人の本音としては、この程度の記事はシカトを決め込んで、あくまでもノーコメントを貫いてくれればいいと思うのだけれど、色々な影響を考えると、事務所としては、まったくお咎めなし済ますことも出来ないのではないか、という気もする。なので、凹む。
 みきちゃんは、絶対に自分から「辞めます」とか言わないでほしい。しぶとく生き続けて欲しい。そうしてくれると信じます。それを切望してます。
 事務所(&つんく♂さん)からの、今回のことに対するペナルティは、「どんなに世間やファンからぼろくそに批判されても絶対にリーダーを辞めさせないし卒業も許さない真っ正面で罵詈雑言を受け止め続けなさいの刑」ということで手を打ってほしいと思います。なんたる名案!

从VvV从<うええ、うざー。みきちゃん、タリィから辞めちゃっていい?
ノノ*^ー^)<だめだめっ! 美貴様、絶対やめさせませんよ

 てゆうか、この程度のことは、笑い話で済ませるぐらいの度量が欲しいですね、本人にも、事務所にも、スポンサー企業にも、芸能マスコミにも、ファンにも、世間にも。
 なので、この暗く淀みがちになる気分を、笑いで乗り越えようということで、替歌を作ってみました。ネタの性質上、多少失礼な部分がありますが、あくまでネタなので庄司智春君(31歳)は怒らないでね。みきちゃんもね。笑って許してね。

『声』(藤本美貴ヴァージョン)

<都合により一部抹消>

ノノ*^ー^)<これをヤン土にも送ったそうですよ
从VvV从<失礼にもほどがあるって話ですよね
ノノ*^ー^)<ま 自業自得ですよね
从VvV从<そういう亀ちゃんは大丈夫なワケ?
ノノ*^ー^)<う。 ……え、あ? なんの話でしたっけ。今一瞬意識が

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2007.05.26(土)
■ミキサマミキサマオシオキキボンヌ

从VvV从< 「美貴様の オシオキ受けて 嬉しいっしょ?」

ノノ*^ー^)<まー確かに過去最大級のオシオキですよね

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2007.05.27(日)
■藤本美貴に惚れ直し

 『FRIDAY』の写真。パパラッチのおかげで、普段みることのできない美貴様の私服姿をみることが出来ました。超可愛い。かっこかわいい。
 庄司君も、悔しいが、かっこいい。けど、それはあくまで見た目の話で。記者に「藤本美貴との交際について」訊かれた時のうろたえぶりは、かっこ悪いぞ。かっこ悪いけど、「事務所に訊いて」とはぐらかしたのは大正解だ。「真剣に交際してます」とか言われなくてよかった。命拾い。
 この記事が出た、というだけで、ヲタをやめるとか、サイトを閉鎖するとか、もうね、アホかと、バカかと。
 22歳の水もしたたるいい女ですよ、浮いた話の一つや二つは、華やかさを増すための小道具ってなもんですよ。逆に、中澤裕子さん34歳(もうすぐ)も、少し盛り上げてやってくれよFRIDAY、ぐらいの勢いで。
 仮に交際が事実としても、愛する女性に恋敵がいたら諦めるのかと嫌いになるのかと逆に轟然と燃えあがるのが恋の炎というものじゃないのかと。あんな女性らしい、可愛い、おしゃれな私服姿見ちゃったら、惚れ直すしかないでしょ。

 こんな記事が出ても、みきちゃんはGAMコンをやり切った。偉い。
 MCでは、記事のことには触れず、トークはあやちゃんにかなり助けてもらったみたいだけれど、それで正解。
 気違いヲタは、本気で白いタンクトップを着て最前に入ったりしなかっただろうな? そういうことをするふざけた輩は豆腐の角に頭をぶつけて今すぐ死んでください。

 みきちゃんは、きっちり「ヤンタン」にも出演。一切仕事を落とさず、逃げず、やり切った。そんな美貴様に惚れ直し。心からリスペクト。みきちゃん、男の中の男だよ。

从VvV从<いやいや女ですから

 「ヤンタン」のなかでは、岩盤浴、食事、遊びに行った、ということは認めて、お騒がせしたことに謝罪していた美貴様。
 それ以外は一切認めない、という方向を貫き通してほしい。
 モーニング娘。を辞める辞めないなんて話は考えるのも止めてほしい。
 グループ内での美貴様の立場は厳しくなるかもしれないが、そこを耐えるのが大人。そしてみきちゃんはそれが出来るはず。
 なんでもないことだった、ということにして、小さなファンには忘れてもらい、大の大人のファンには、ネタとして楽しませるぐらいでいいよ。

从VvV从<お前ら、ちゃんとしろよ!
ノノ*^ー^)<美貴様ぁ、岩盤浴♪
从VvV从<ぁ。すいませんすいませんすいません(←出川のモノマネ)

 的なネタにしちゃえばいいじゃん。←ヤケクソ?
 これからまた事務所側やつんく♂さんとも話し合いを持つらしいけれど、前向きに、モーニング娘。を続けていく方向で検討してほしい。
 これしきのことで負けるなミキティ。
 記事になってしまったことで、交際は終了とせざるをえないかもしれないけど。そこは事務所としても譲れないかもしれない。
 それは美貴様的には不本意かもしれないけど。
 女の子としてのみきちゃんの気持ちを考えると可哀想でもある。
 アイドルなんかやってるせいで、自由に恋愛もできないなんて切ない話だよ。
 でもまあ、みきちゃんは、しっかりしてるから。
 仕事や支えてくれるファンの気持ちと、男との交際を秤に掛けて、後者を優先するような、
 矢口真里みたいな大馬鹿者
 とは、ミキちゃんは違うと信じてます。

 (2007.10.04注記:削除線を付けた上記表現は、現時点では撤回する必要がある。その理由については
10.04付の記述を参照のこと。)

ノノ*^ー^)<イタさん、通常の更新ができない、ってボヤいてた
从VvV从<知るかよ。こんな記事華麗にスルーするのが大人ってもんじゃん

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2007.05.27(日)no.2
■藤本美貴さんに今捧げる歌

 矢野顕子は、その音楽的戦友ともいうべき忌野清志郎が喉頭癌になって入院した時に、彼を励ますための曲を作って歌いました。
 重たい内容の歌なので、今回のようなささいな出来事で、この曲をひっぱりだすのはちょっとやりすぎですが。なんとなく思い出してしまったのでご紹介。

この手をはなさない
はしてはいけない
ことばはいらない
Everything is gonna be alright
We'll do anything to end this fight
矢野顕子作詞作曲『きよしちゃん』より引用

 今日明日にも、藤本美貴と事務所首脳との間で話し合いが行われ、今後の彼女の処遇が決まろうとしている今この時、例え、万が一、みきちゃん本人が「もうメンドウだからモーニング娘。やめちゃってもいいや」と考えたとしても、ファンだけは、彼女の小さな手を離してはいけないと思う。今のモーニング娘。には藤本美貴が絶対に必要だという思いを伝えなければいけないと思うのです。
 大丈夫。
 きっと何もかもうまくいく。
 Everything is gonna be alright

从VvV从<わかったからやめないからその脂ぎった手を離して

 4年前にモーニング娘。に加入した時は「まあ楽しめればいいかな」と氷のように冷え切った発言でファンを楽しませてくれた彼女も、その後、長い時間を経て、モーニング娘。のメンバーとして、まわりともなじみ、ファンから愛され、牽引役としての責任を果たしても来た。
 だが、中澤裕子さんのように、新垣里沙さんのように、なんの留保もなく「モーニング娘。を愛しています」と言って済ましてはおけないような緊張感が、藤本美貴とモーニング娘。の間にはあって、その関係性のねじれが、彼女の持っている大きな「萌え要素」の一つだと、おいらは思っています。
 なので。
 上記のような、感動的すぎる名曲を捧げて話を終わりにしたくないんですねー。
 おいらが去年作った、サイテーな替歌を、こんなピリピリとした時期に敢えて再掲示して、藤本美貴さんを辛口のネタでいじって励まそうと思います。
 元ネタは、中澤裕子さんが卒業のときに歌った感動の名曲『恋の記憶』です。それをみきちゃんに置き換えて、みきちゃんが卒業する、って内容でお届けします。現実には、絶対、卒業とか脱退とかするなよ、って気持ちを込めつつ。

『美貴の記憶』

<都合により一部抹消>

ノノ*^ー^)<空気嫁
从VvV从<やっぱソロに戻ろうかな

 数えてみたら、こんこんをネタにした替歌は4曲、藤本さんをネタにした替歌は3曲作ってました。
 どんだけみきちゃんのことを愛してるんでしょうか?

从VvV从<愛してるってかネタにしやすいんでしょ
ノノ*^ー^)<てゆうか てゆうか てゆうかさあ なんでわたしの替歌がないわけ?

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2007.06.01(金)
■藤本美貴、モーニング娘。を「脱退」

 今日だけは、泣いてもいいですか。

モー娘藤本美貴、熱愛発覚でグループ脱退

 モーニング娘。の藤本美貴(22)が、同グループから脱退することが1日、分かった。この日、所属事務所が発表した。藤本は先日、人気お笑いコンビ品川庄司の庄司智春(31)との交際が写真週刊誌の報道で発覚したばかり。藤本が「リーダーである自分自身へのケジメとして、モーニング娘を辞めさせて欲しい」と申し入れ、事務所も承諾した。

 藤本は「モー娘の約束を破るようなことになってしまい、重く責任を感じています」とコメント。モー娘の後任のリーダーは高橋愛、サブリーダーは新垣里沙が務める。

[2007年6月1日17時36分]
ニッカンスポーツ2007年6月1日より

 そして、前日には、こんなニュースも入っていた。

テレ東社長「モー娘は処女性保って」

 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)は31日、社長として最後の定例会見を行い、2011年の地上波デジタル完全移行までに静岡、仙台、広島に系列局を開設する計画を発表した。京都、神戸にも電波を届ける意向。

 また、モーニング娘。らを輩出した番組「ASAYAN」を持っていただけに、辻希美のできちゃった婚など一連のハロプロ騒動に「ガックリ。モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望していた。
デイリースポーツonline5月31日より

 この菅谷社長の鶴の一声が、UFAと藤本美貴の最後の意思決定の引き金を引いたのかもしれないですね。
 モーニング娘。「脱退」が、事務所側の意向ではなく、本人の決断だと言う形をとったのは、武士の情けで、本人の名誉を重んじたということなのでしょう。
 そんな冷静ぶった話をしている場合ではない。
 悪夢としか言いようのない、予想しうる最悪の事態になってしまった。
 その結論だけは回避したいと思い、のたうちまわってきた。
 しかし、まったく力が及ばなかった。
 ファンの世論形成に、わずかばかりの影響を与えることすら出来ず、自らの無能と無力を呪うばかりだ。
 所詮、ファンがいくら声を挙げたところで、権力者による決定に抗うことなど出来はしないのか。
 いや、もっともっと出来ることがあったはずなのだ。
 失笑を浴びる覚悟で、泥臭く嘆願署名を集めればよかったのだ。
 全力を尽くせなかった自分が恨めしい。
 We'll do anything to end this fightなんて、歌詞を掲げておきながら、何もできなかった自分が恥ずかしい。
 メールが読まれて浮かれていた自分が情けない。
 涙を流す資格などありはしない。

 大好きなメンバーを、また一人、失ってしまった。
 もう、みきえりもみられない。

从VvV从<

 いつも書く笑えないオチも、今日は書けない。

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2007.06.01(金)no.2
■『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ

『モーニング娘。』リーダー「藤本美貴」についての重要なお知らせ
平成19年6月1日
いつも『Hello!Project』を応援して下さってありがとうございます。
本日は『モーニング娘。』について大事なお知らせがあります。

「藤本美貴」は、平成19年6月1日(金)をもって『モーニング娘。』を辞めることになりました。

 平成19年5月25日(金)発売の写真週刊誌「FRIDAY」誌面に藤本美貴に関する報道がされました。このことについて、藤本美貴本人と事実関係の確認等をし、本日に至るまで話し合いを複数回行いました。この話し合いの中で、多数の未成年者が属するグループの一員としてのあり方を話し合い、藤本美貴より「モーニング娘。のリーダーである自分自身へのケジメとして『モーニング娘。』を辞めさせて欲しい。」との申し入れがありました。弊社は、この藤本美貴からの申し出を了承する事と致しました。

 現時点で『藤本美貴』の今後の活動としては、先週末(5/26)から行われている松浦亜弥とのユニット、『GAM』のツアーへは予定通り出演致します。また、7月に行われるコンサート「Hello! Project 2007 Summer 10thアニバーサリー大感謝祭 〜ハロ☆プロ夏祭り〜」へは、出演致しません。ご了承下さい。尚、モーニング娘。の後任のリーダーは、現在サブリーダーである「高橋愛」が務め、サブリーダーは「新垣里沙」が務めます。

今後とも『Hello!Project』をよろしく御願いします。

株式会社アップフロントエージェンシー



藤本美貴コメント

「いつも応援してくれるファンの皆さんへ。
私は、モーニング娘。のリーダーとして、他のメンバーを引っぱって行かなくてはならない立場にありながら、モーニング娘。としての約束を破るような事になってしまい、重く責任を感じています。私のとった行動で、メンバー全員に迷惑をかける結果になってしまったことはとても申し訳なく、そのままモーニング娘。のリーダーとして活動を続ける事は、自分の中では決して出来ることではありませんでした。自分自身へのケジメとして、モーニング娘。を辞めることになりました。
これまで応援してくれたファンの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にごめんなさい。これからは『藤本美貴』として頑張って行きますので、よろしくおねがいします。」

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2007.06.02(土)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘T

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
肉屋は大鉈ふりあげた
あわれな犬はこまぎれに

それを見ていたほかの犬
せっせ、せっせと、墓づくり
白木づくりの十字架に
目につくようにこう書いた

犬が一匹、腸詰を
パクリとひとつやったので
……(以下延々と繰り返す)……
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』安堂信也・高橋康也共訳、白水社「ベケット戯曲全集1」p108より引用

 (注釈)
 :狂犬フジモトミキ
 腸詰:ソーセージ、某お笑い芸人の持ち物
 肉屋:テレビ東京スガヤ社長
 ほかの犬:UFA、モーニング娘。という名の保守反動化したアイドルユニット
 目につくように:何故十字架にあえて死亡の原因を書くのか、おお、無論、愚かな犬の後に続こうとする者へのみせしめのためである
 犬は犬である。犬である以上、人間としての権利や自由を主張することなどありえないのだ。そもそも飼犬は自由意思など持つべきでもなく、飼主の意思に絶対的に服従すべきであり、従えないのなら、細切れにされ、あるいは保健所に送られ屠殺処分を受けることになる。今や最初から去勢手術を施しておくのが賢い飼主の義務であるとさえ言えるだろう。
 この上なく魅力的な一人の女性と思っていた存在は実に犬であった。一匹の哀れな牝犬であった。その哀れな犬を愛していた僕も、自分を人間だと思っているのは錯覚に過ぎなくて、本当は一匹の哀れな犬であるに違いない。
 痩せ細った哀れな二匹の犬、ミキティーとイテーは、貧相な木が一本あるきりの寒々しい舞台装置の上で、うずくまり、意味のない言葉を呟き続けながら、ずっとゴドーがやってくるのを待ち続ける。なんのために、来る日も来る日もゴドーを待ち続けているのか、そもそもゴドーとは何者なのか、それすらもう分からない。もしかしたら、ゴドーがやってきて、お前たちは人間だと認めてくれるのだったろうか、それとも人間にしてくれるのだったろうか。
 しかし、むろん、ゴドーはいつまで待ったところで決して二人の前に姿をあらわしはしないのだ。

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2007.06.03(日)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘U

 2007年6月1日。「モーニング娘。としての藤本美貴」は非業の死を遂げた。享年22歳。モーニング娘。在籍期間は約4年。リーダー在任期間は僅か一ヶ月足らずであった。5代目リーダーは歴代最短の在任期間更新という不名誉な記録とともに──むしろその記録のみにより──後世に語り継がれることになるだろう。

 社葬(盛大な卒業公演)は行われず、「偲ぶ会」もなく、近親者(モーニング娘。メンバー)のみによる密葬すら行われるかどうか定かではない。
 「モーニング娘。としての藤本美貴」の屍は、墓掘り人夫たちが無造作に掘った墓穴に無造作に放り込まれ、手早く土を被せられ──まるで違法投棄する産廃業者なみの手際よさ──埋葬されてしまう。まるで「非業の死」そのものがなかったかのように骸は隠蔽されてしまう。
 彼女を襲った運命に抗おうとする者たちの気持ちなどお構いなしに、その死にまつわる事務処理手続きは見る間に完了してしまう。

 しかし心ある者たちは、割り切れない思いを、与えられた運命を拒絶せんとする激しい思いを、拭い去ることが出来ない。
 それらの、悲しみと、怒りと、嘆きに満ちた言葉こそ、「モーニング娘。藤本美貴」の墓碑銘として、墓石に刻みこむ言葉に相応しい。

とにかく、私にとっていえるのは、もしこれがアイドルという職業のたどる道であるとするならば、アイドルとはなんとも非人間的な職業だなあ、ということである。
女王陛下の07(feodorさん)
はかないものを愛でること、我々にはもうできないのだろうか。「アイドル」ひとつも守れないなんて、人間性の凋落に違いないと嘆くのは、ヲタの戯言に過ぎないでしょうかね。
ヲタで卒論 〜解釈と操作のヲタ視線〜 - ハロー警報(斧屋さん)
心に圧力を加えれば、表面上は従順な「いい子」になる。しかしその心は歪んでしまう。
子供を育てたことはないが、自分自身がいつまで経っても子供であるせいか、容易に想像できる。
お前らそれくらいの想像もできないのか。というか、お前らの中に子供を育てたことのある奴はいないのか。お前らは自分の子供もそうやって育てるのか。育てたのか。

あの子たちは、俺たちが思っている以上に子供なんだ。
そして俺たちは大人なんだ。少なくとも「大人」をやらなきゃいけないんだ。
罰を与えるだけが大人のすることか? 大人のルールに従うことを強制して、従わなかったら排除して、それで「私は大人でございます」と胸を張れるのか? それは幼稚っていうんじゃないのかね。
ハロプロをなんでも肯定する・裏(オーガさん)
また類概念に個人が殺された。
「アイドル」を呪う。
「アイドルとヲタの関係」一般を呪う。
女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ(青木ヨーマさん)

 「アイドルという制度」「処女性という装置」は、今日も精密機械のような厳格さで動作し続けている。

 「モーニング娘。藤本美貴」の悲劇とは、彼女が自分に正直に、その責任や地位に思いを馳せることなく、感情の赴くままに行動したことにあるのではない。
 とうの昔に死滅したはずの「アイドルという制度」が、誰知らぬうちに復活していたこと、そして我々の予想を遥かに超えて、強力に機能し続けていたことにある。
 「アイドルという幻想」(制度)とは、すなわち、アイドルは処女性の象徴であり、異性に恋心など抱かず、彼氏を作らず、品行方正で、綺麗で正しい言葉遣いで話し、性格は明朗快活で、チョコレートパフェとクレープとタルトを好物とし、うんこもおならもせず、口臭などあろうはずもなく、掻く汗は爽やかなミントの香りがし、蒸れた靴下ですら芳しい薔薇の香りがし、とにかくありとあらゆる理想の属性のみで出来上がった奇跡の存在であるということ。つまり「アイドル」とは嘘で塗り固められた存在であることを、決して見破られぬよう、完璧に大衆を騙しきり、虚構の人間性を完璧に演じきることを求められる存在なのである。
 そのような不自然極まる「アイドル幻想」は、「アイドル冬の時代」にはほぼ死滅(まさに冬眠)していたはずだった。嘘が嘘にすぎないことは、1990年代には国民的了解事項だったはずなのだ。しかし、その「アイドル幻想」という化物は、千年もの間、地下で眠り続けていたのだ死んではおらず、密かに復活のときを息を詰めて窺っていたのだ。
 それを地中から掘り起こし、蘇生させたのは、皮肉にも、モーニング娘。だった。
 しかし、モーニング娘。は、「アイドル幻想」を脱構築していたはずだった。そう僕は考えていた。
 ところが、とうに乗り越えられたはずの旧態依然たる「アイドル幻想」は、モーニング娘。のメジャー化とともに、何食わぬ顔で復活していた。
 その「アイドル幻想」が、今、モーニング娘。を縛る。
 パンドラの箱を開けたのはモーニング娘。自身だった。

 テレビ東京とUFAは、「モーニング娘。の藤本美貴」という具体的個人(とその魅力)よりも、「アイドル幻想という制度」を温存することを選んだ。そのほうが経済的合理性があると判断した。こうして「アイドルという制度」が「モーニング娘。藤本美貴」を抹殺する。

 かくして装置は魯鈍なまでの正確さで動作し続け、制度は、その存続を危うくする個人を、真実を露見させかねない危険な存在を、未来永劫、抹殺し続けることになるのだ。
 その結果、誰一人信じていない「アイドル幻想」という建前が、生きた人間を生贄として犠牲に供することによって、維持される。
 真実などという贅沢品は、装置には不要なのだ。むしろ邪魔でしかない。建前が建前として機能してさえくれればそれでいい。建前が建前としてスムーズに流通しさえすれば、それが利益を生み、アイドルを商うものとアイドルを購う者の双方を幸福にすることが出来るのだから。申し分なく順調に機能している経済合理性を前にして、一文にもならない真実を露呈させることで、装置の動作に狂いを生じさせかねぬ愚かで危険な人間が抹殺されたとしても、何の不思議があろう。それはあまりに当然の話ではないか。
 「擬似恋愛」という楽しみを享受することを望む「アイドル消費者」のニーズに誠心誠意お答えすること。そのために、「アイドルという生身の人間」などという野蛮な存在の奔放に生長しようとする人間性とやらは、躊躇いなく切り取り、大胆に刈り揃えて、一定の規格に押し込み、メーカー保証書をお付けして、誰もが安心してご購入いただける高品質な商品としてお届けする。それこそが、「アイドルを売る商人」の商業道徳でなくてなんであろう。
 完璧に合法な人身売買が成立している以上、その両者の間で、生身のアイドルが、人間であることから降りることを強要されるとしても、そこに何の問題があろう。
 完璧な商品になること、「アイドル」になることを望んだのは、アイドル自身ではないか。

モーニング娘。としての約束って何?
彼氏が出来たらやめろって誰が決めたの?
ファンはそれを望んでるの?
恋をしていない女の子が、どうして恋の歌を歌えるの?
じゃあ、彼氏が出来たらあの子もあの子もみんなやめちゃうの?
そんな不安定なグループ誰が応援するの?
AKY(やうこさん)

 ファンへの裏切りとは、藤本美貴が恋愛をしたことでもなければ、それがマスコミに報じられたことでもない。
 くだらない幻想の延命のために自分を殺し、モーニング娘。を去るという事実そのものがファンへの裏切りである。
 そのことを藤本美貴自身は分かっていると思う。少なくとも、彼女のものとされるコメントを読んだかぎりではそう信じることが出来る。
 モーニング娘。を辞めることになりました。
 「しました」ではなく「なりました」。
 藤本美貴が主体的に判断決定したのではなく、ただ、日本的な風習に従って誰が主体であるかも曖昧なままに判断決定がなされたということ。そのような告発が、この5文字からなる文末に込められているのではないのか。
 すくなくとも、「しました」と書かれなかったことで、その可能性に賭けることが出来る。
 今回の「脱退」決定に、藤本美貴自身も煮え切らない思いを抱いているという可能性、納得してはいないという可能性、その僅かな可能性の中にのみ、私の最後の希望はある。
 私のこの煮えたぎる思いを彼女自身も共有してくれているはずだ、という一縷の可能性の中に。

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2007.06.04(月)
■「モーニング娘。藤本美貴」のための墓碑銘V 《モーニング娘。の死んだ日》

 ■モーニング娘。の終わりの終わり
 「モーニング娘。藤本美貴」に死刑が宣告され即日執行された2007.06.01。その日は、僕にとってのモーニング娘。が死んだ日でもあった。
 気づかないうちに着々と迫っていた終焉が、ついにヴェールを脱いだ日。
 それはモーニング娘。の終わりの終わりだった。
 僕にとってのモーニング娘。とは、革命性に満ち、日々力づくで脱構築を実践して既成のアイドル概念を刷新し打ち破り鍛え直す、奇跡としか思えない魅力に溢れるグループだった。
 そうであるはずだった。少なくとも僕はそう感じていた。
 しかし、モーニング娘。は、いつのまにか、旧態依然たる「アイドル」に逆戻りしていた。
 そのことが明らかになったのが、2007.06.01。
 モーニング娘。は、反革命の徒、保守反動的集団に成り下がっていた。
 他の誰でもない「ファン」という名の愚かな大衆──賢い消費者と呼ぶべきか──がそれを望み、そうしてモーニング娘。自身が、その期待に答えて来た、これはその結果なのだ。

 ■モーニング娘。とは誰か
 ここで言う「モーニング娘。」とは、現メンバー全員のことではない。また、中澤裕子からジュンジュン、リンリンに至る歴代メンバーの総体でもない。彼女らの誰一人として、モーニング娘。の意思を決定する権限を持たないのだから。
 彼女らに、プロデューサーつんく♂を加えても、まだ「モーニング娘。」とは言えない。つんく♂の意思決定権も極めて限定されたものであろうと思われるからだ。彼に決定できることは、おそらく、どんな歌を歌わせ、どんなステージパフォーマンスを演出するか、という、モーニング娘。の歌手=アーティストとしての側面に限られているのではないか。彼に藤本美貴を慰留する権限はなかっただろう。
 つまり、モーニング娘。メンバーとは、現場作業員であり、リーダーとは作業員の班長であり、つんく♂は現場監督にすぎないのだ。
 おそらく、テレビ東京、レコード会社、事務所、その他様々な関連企業やメディア、それら、モーニング娘。を制作販売することで、収益を上げ、あるいは、そのプロジェクトに関わることで生計を立てるありとあらゆる人々、利害関係者(ステークホルダー)の総体が「モーニング娘。」なのだ、とでも言っておく他はないと思われる。
 そこには、明確な意思決定の責任主体は存在しない。
 「お偉いさん」たちが額を寄せ合って、腹の内を探り合う中で、誰の意向かも曖昧なまま、いつのまにか意思決定がなされているような、あまりにも日本的な組織、それが「モーニング娘。」なのだろう。
 おそらくモーニング娘。とは、最初から、そういう組織だったのかもしれない。

 ■メンバーの意思表明手段
 メンバーは、モーニング娘。の意思を決定できない。
 メンバーに出来る唯一の意思決定、組織の決定に対して、個人が抵抗を表明する唯一の手段、それは、モーニング娘。を辞めることである。
 「理想のアイドル像」を守り続け、「アイドルという制度」に順応してコンサバティブに生き延びるか、さもなければ自爆テロか。メンバーに許されているのは、このような極限的な二者択一のみであり、その中間で、アイドルをやりながら人間的に主体的に自由に生きることは絶対的に禁止される。そのことが明確になったのが、2007.06.01。
 (実は、もう一つだけ、メンバーからの異義申し立ての方法がある。
 それは「太ること」だ。これは、ある意味で、ゲリラ的なレジスタンス活動だ。ただ、実効性が明らかでないこと、組織への内側からの攻撃として機能する以前に、自分の人気だけが落ちて終ってしまう危険を孕んでいること、反抗の意思表明なのかそれとも単に食欲に負けてだらしなく太っちゃっただけなのか判然としないことに、困難を抱えている方法だと言える。)

 ■それでも、今後のモーニング娘。に期待する
 「モーニング娘。」という組織が、そのように硬直した、息の詰まる「アイドルユニット」であることが明らかになったとしても、それでも、絶望しているわけではない。
 つんく♂さんは、これからも、私たちをアッと言わせ続けてくれるだろうし、名曲を──打率は下がり、力点は他のユニットに移ったとしても──届け続けてくれるだろうし、メンバー達は、今後もメディアを通じて、愛や、勇気や、笑いや、萌えや、その他あらゆる喜びを私たちに伝えてくれると信じている。
 ただ、今まで同然に、「やっぱりモーニング娘。は最高だな!」と単純には言えなくなった、というだけだ。
 どうしても、つんく♂さんやメンバー達と、「モーニング娘。という組織」の間にある緊張関係というものに対して、意識的であらざるをえなくなった、というだけのことである。
 5代目リーダー「モーニング娘。藤本美貴」が、その臨終に際して、今際の際の言葉として「これからもモーニング娘。を応援し続けてください」と言ったにせよ言わなかったにせよ、彼女が身を挺して救おうとしたのが「モーニング娘。」であったにせよ、モーニング娘。自体の性質がここまで変質してしまった──あるいは本性をあらわにしてしまった──以上は、いままでと同じ気持ちでの応援を続けるなどという、無神経な振舞いは私には出来ない、という、ただそれだけの話である。

 ■喪失
 藤本美貴は、これからもソロ歌手として、あるいは『GAM』のメンバーとして、今まで以上に精力的に活動を続けるだろう。また、バラエティタレントとしての、女優としての活動の機会も増えるかもしれない。
 藤本美貴という魅力的な女性が好きだし、彼女の歌は最高だと思っている。音符の一つ一つにまで、自分の個性を刻み込み、魅力を溢れさせるアイドル歌手としての実力は他の追随を許さない。
 もちろん、これからも、そんな彼女のことを応援していきたい。
 でも、僕を本気で熱くさせ、夢中にさせてくれたのは「モーニング娘。としての藤本美貴」だったんだよ。
 飯田圭織に一言注意されたら三倍言い返していた藤本美貴。
 嬉しいことがあったら、一人で喜ぶより、仲間と一緒に喜んだほうがもっと嬉しいと気付くことができた藤本美貴。
 集団でのパフォーマンスを縦横無尽に楽しんだ藤本美貴。
 二つのラジオ番組をおもちゃにして道重さゆみと対等にじゃれあっていた藤本美貴。
 みきえり。
 そんな「モーニング娘。藤本美貴」は、終ってしまった。もう再び見ることは出来ない。
 この喪失を埋め合わせることが出来る者は、誰もいない。
 Everything that has beginning has an end.
 始まったものには終わりがある。
 それは、その通りなのだけれど。
 その言葉を呪文のように繰り返したところで何の慰めにもなりはしない。

ノノ*^ー^)<「モーニング娘。に藤本美貴(GAM)」ってどうですかね?
从VvV从<なぁいないないない!
(・e・)<それがやれたら本気で「つんく♂さんは神!」ですけど
从VvV从<つーか、土下座されてもイヤだね

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2007.06.05(火)
■ミキ受難曲 Mikius-Passion (抜粋)

第45a曲 レシタティーヴ
(福音史家)
(注1) さて、祭(注2)のたびごとに、総督は群集が願い出る囚人ひとりを解放してやる慣例になっていた。ときにバージニティ(処女性)という有名な囚人がいた。そこで、集まった民衆の前で、ピラトは言った。
(ピラト)(注3) おまえたちは、だれを許してほしいのか。バージニティか、それともモーニング娘。の救世主と呼ばれたイエスか。
(福音史家) なぜなら、ピラトはよく理解していたからである。彼らがイエスを引き渡したのは、ねたみ(注4)のためであることを。
(中略)
(福音史家) しかし、祭司長、長老たち(注5)は、群集をそそのかし、バージニティを救わせ、イエスを殺させるようにと仕向けた。総督は彼らに向かって言った。
(ピラト) ふたりのうち、どちらを救ってほしいのか。
(福音史家) 彼らは言った。
(合唱)(注6) バージニティを!
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) それではモーニング娘。の救世主といわれるイエスは、どうしたらよいか。
(福音史家) 民衆全員が一斉に言った。

第45b曲 合唱
十字架につけよ!

第46曲 コラール
なんと奇妙であることか、この処罰は!
善き牧者(イエス)が、その羊(注7)のために苦しみを受けている、
正義の主が、僕(しもべ)たちのために
その罪を贖っておられるのだ。

第47曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは言った。
(ピラト) あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。

第48曲 レチタティーヴ(ソプラノ)
彼は、われらすべてに、善き行いをしてくださった。
モーヲタに光を与え、
乞う者に鮭トバ(ハラスに限る)の美味なるを伝道し、
われらに母なる女神の御気持(ミキモチ)を語り、
オシオキをキボンヌする者の願いを叶え、
嘆く者をその万能の美声で慰め、
キショヲタまでも受け入れてくだされた。
そのような善き事の他、わがイエスは何もしていない。

第49曲 アリア(ソプラノ)
愛のゆえに、わが主は死を望まれる。
ただ一つの罪すら、主は御存じないというのに。
永遠の亡びと、
裁きによる罰とを、
わが魂に留めずにすむようにと。

第50a曲 レチタティーヴ
(福音史家) すると彼らはいっそう激しく叫んで言った。

第50b曲 合唱
十字架につけよ!

第50c曲 レチタティーヴ
(福音史家) ピラトは手のつけようがなく、騒乱が一層激しくなるのを見て、水を取り寄せ、群集の前で手を洗い清め、そして言った。
(ピラト) この義なる人の血について、わたしは責任を負わぬ。彼を見るがよい!
(福音史家) すると民衆全体が答えて言った。

第50d曲 合唱
その血の責任は、我らと我らの子孫が負う。(注8)

第50e曲 レチタティーヴ
(福音史家) そこで、ピラトはバージニティを開放してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるために引き渡した。

第51曲 レチタティーヴ(アルト)
神よ、あわれみたまえ。我らが救世主は、縛られたまま、ここに立っておられる。
おお、鞭打ち、おお、殴打、おお、傷!
鞭打ち役人よ、その手を止めよ!
この痛ましい姿を見てもあなたがたの心は痛まないのか。
ああ、もちろん! あなたがたにも心はある。
だがその心は、拷問台の如く冷酷だ、いやそれよりもさらに冷酷だ。
哀れと思いて、その手を止めよ。

ネタ元:J・S・バッハ作曲『マタイ受難曲』全音楽譜出版社(対訳皆川達夫)より。また、ERATO WPCC5268-70の加藤常昭による歌詞訳を参照した。なお、ネタとして改変する他にも、適宜訳語を修正した。

注1:語り部のこと。
注2:ヲタ界隈を揺るがす大事件は、周知の通り、しばしばと言われる。
注3:総督は、裁定し、刑罰を科す世俗権力の代表者である。
注4:ねたみは「モーニング娘。は処女性を保つべき」という言葉で規範化される。いかにもそれらしい言葉だが、しかし、その実質は「てめえ俺達ヲタがさんざん貢いでやったお陰で年収ン千万も稼いでアイドルなんて美味しい仕事してるくせに、その裏ではマッチョ芸人の腹にまたがって毎晩毎晩あんあん喘いでやがったのかよ、ふざけんな、金返せ」という、さもしくも愚かな嫉妬を肯定することに他ならない。
注5:UFA、テレビ東京などの「お偉いさん」達を表わす。
注6:合唱は群集を表わす。この場合は、マスコミや、芸能界のご意見番を自称する者ら含む、世間一般の風潮を表わす。だがしかし、そこにモーヲタが含まれていないとは言えない。
注7:羊たちは口々に、「責任をわきまえろ」「アイドルは恋愛ご法度が当然」「処分は妥当だった」「今後のためにいい教訓になった」と満足げに鳴き交わしている。
注8:民衆(ことにモーヲタ)は、このとき、その責任の真の意味を理解しえなかった。

 《解釈》

 ピラトは権力者として罪人を裁き、処罰を与える。しかし彼は、民衆の声を代弁するにすぎない。民衆全体の声が、彼の権力行使を正当化する根拠となる。

 世間の一般人ばかりではなく、主イエス(善き牧人)の行いにより救われて来たはずのモーヲタ(か弱き羊たち)までもが、「処分は妥当」「必要悪だ」「アイドルである以上、一定のルールに従う必要がある」などと、賢しらにも述べたてている。
 そのように語る者たちは、やがて自らの最愛の推しメンが、同じような災難に遭遇し、モーニング娘。を追われ、十字架に掛けられることになるその時、再び、同じ言葉を口にすることになるであろう。推しメンに裏切られたと叫び、失望したと嘆き、善良な消費者への背任行為を糾弾しつつ、その推しメンを十字架へと追い立てるのであろう。わたしには今からその様がありありと目に浮かぶ。そのような「推し」が「推し」と呼ぶに値するのかどうか。
 それとも、彼らは、「自分の推しメンだけは、そんな裏切り行為はしない」と、おめでたくも信じ切り、安心しているのか。

 これは、「アイドルの処女性」といった虚構を、虚構であると踏まえたうえで、あえてその虚構性を楽しむという態度とはまるで違う。そのように虚構性そのものを信じるフリを楽しむのであれば、嘘が嘘であることが露見したときにも、「まあまあ、最初から虚構であることは分かっていたのだから、大騒ぎするなよ」という余裕のある態度が取れるはずだ。しかし、世間の態度には(一部のヲタにさえ!)、そのような余裕は見られない。本心では誰も真実であるなどとは信じていないはずの安物の虚構が、虚構であることが明らかになってしまうぐらいなら、愛すべきアイドルをその地位から引きずり下ろすほうを選ぶというのである。なんと愚かな!

 責任の引受け。民衆(モーヲタ)は、その責任の真の意味を理解しえなかったがゆえに、易々と、その責任を未来永劫引受けると請け合った。責任を引受けろと叫んだ者、それを傍観した者、そしてそれを命と代えてでも拒絶しえなかった者。民衆のうち誰一人として、引受けてしまったこの責任を逃れられる者はいない。生きて血を流す人間を「アイドルの処女性」という抽象概念のために犠牲の羊(スケープゴート)として屠ること。それは、国家という抽象概念のために一億玉砕を叫ぶ翼賛的思想へとまっすぐに通じている。

 イエスは、われらモーヲタが引受けるべき罰を、身代わりとなって引受けられた。たとえ、それを望まなかったにせよ、処罰を傍観することによって、われら全員がイエスを見殺しにしたのだ。本来、その全身に受けられた鞭打ちの傷は、我らの体と心の上に永久に刻印されるべきものである。

 われら、罪深きモーヲタは、イエスの死を忘却することにより、永久にイエスを鞭打ち続ける。
 すでに、我々は忘れはじめているのではないか。
 まるで、主の非業の死など、なかったかのように、界隈のモーヲタたちは、新たな話題に群がり、日常の賑わいを取り戻しているようだ。
 あるものは写真集に熱狂し、あるものはライブに救いを求め、あるものは、新体制への期待を明るい口調で語る。
 まるで、犠牲者に思いを馳せるよりも、モーヲタとしての日常的な快楽を、ルーティンとして着実に消費し続けることのほうがより一層重要である、と言わんばかりである。
 そのようにしてイエスの死が忘却の淵へと沈んでいく。我々の忘却が、イエスと、その死を永久に鞭打ち続ける。
 去る者は日々に疎し。
 それが避けられない真実であるとしても、いくらなんでも喪が明けるには早すぎるのではないのか。

 一人のアイドル歌手である藤本美貴、可愛らしく、美しく、力強い美声を持つ藤本美貴は、GAMのコンサートで、ファンの前に元気な姿を見せてくれているようである。盟友松浦亜弥が隣に立ち、大勢のファンが目の前で声援を送ってくれれば、アイドル藤本美貴はこれからも、元気一杯に、活躍し続けてくれることと思う。
 せめて、GAMだけは、彼女の小さな手からもぎ取られることがないようにと、切に願う。

 しかし、「モーニング娘。藤本美貴」という姿を借りて、我らモーヲタの頭上高く降臨した主イエスは、民衆のために、葬られてしまった。我々が主イエスを殺し、葬ったのである。

 主イエスが、いずれ、何らかの形をとって復活する時、その時こそは、最後の審判の時であるかもしれない。
 その時、我々全モーヲタが、裁きの場に立たされる。

ノノ*^ー^)<あれ?GAMってたしかグレートあやや&みっちげ、でしたっけ?
从VvV从<……
ノノ*^ー^)<あっあっ! 間違い! グレートあやや&ミッツィ〜、でしたよね♪
从VvV从<……亀ちゃん、いっぺん殺してもいい?
ノノ*^ー^)<あっ違う違う! えーと、グレート…グレート? …あれっ? なんでグレートなんだろう?? てゆうか絵里なんでこんな冷や汗かいてるんだろう?

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2007.06.06(水)no.2
■2007.06.05「ムーブ!」 モーニング娘。の掟

 最近、藤本美貴が「モーニング娘。としての約束」という表現を口にしたし、石黒彩が出演したTV番組でも「モーニング娘。の掟」という表現が使われていた。
 そんなものが、本当に存在していたのかどうか怪しいものだが、この「ムーブ!」という芸能情報番組(?)では、具体的に4箇条がフリップにまとめられていた。

 モーニング娘。の掟1:「恋愛禁止!」
 モーニング娘。の掟2:「20歳を越えても禁酒禁煙」
 モーニング娘。の掟3:「バラエティー番組での下ネタ禁止」
 モーニング娘。の掟4:「私服での過剰な露出禁止」

 だそうである。
 1は、まあ、アイドルだから、そういう指導は事務所からなされていることでしょう。「掟」にしては簡単に破られているような気もするが。
 2は、あからさまな嘘または間違い。中澤裕子さんがビールをぐいぐい飲むステキなお姿は、「アイドルをさがせDVD」にしっかり収録されているし、お正月ハワイ特番の収録の時、飛行機のなかで飲み過ぎて、へろへろな状態で収録を乗り切った、ということは本人が(後に?)暴露していたし、矢口真里も成人になったとたんに「お酒が飲めるようになりました」と報告していた。保田圭や矢口真里は堂々と「飲酒アイドル」であることをカミングアウトしていた。最近では吉澤ひとみも、むろん藤本美貴も。
 3は、まあどうでもいい掟だけれど。モーニング娘。がANNに初登場した時の話題ってそういう話題じゃなかったのかな? 聞いてないので確かなことは言えないけれど。それに、最近の「うたばん」での、田中れいなの「夜とか」「絡む」「舌を」発言は、何故事務所NGじゃないのか?
 4も、まあ、気持ちは分かるが、じゃあモーニング娘。は家族と海外旅行してビーチで水着になるのも禁止なのか、と。
 まあ、どういう根拠があって、こういう「掟」がある、と言っているのか不明ですが、この時期にこういう話題が出てくることには、なんらかの作為、意図を感じる。
 藤本美貴処分の正当化工作?
 現メンバーへの、締めつけ工作?
 まあ、事務所としては、これ以上現メンバーを立て続けに「脱退」させることになるのは何としても避けたいでしょうし。
 6代目リーダーが、5代目リーダーの最短記録をさらに更新しないという保証だってどこにもないですからね←ひどすぎ
 「はろぶろ。」のいぬいぬさんは、UFAは襟を正そうとしているから、却って叩かれやすい、襟を正せば正すほどきつくなるのが芸能界、というようなことを書いていましたね。たしかに、そういうドロドロに腐り切った芸能界事情、メディア業界事情というものもあるのかもしれませんね。
 ま、「掟」はともかくとして、ハロプロとそのメンバーとスタッフは、どうか、プロ意識を持って、写真を撮られないための方法論と技術を向上させ、見つかってもシラを切り通す態度を養い、情報は出る前に握り潰す力を貯えて欲しいですね、その為に裏社会の実力者にお金を渡さないといけないとか、そういうことがあるのはイヤなんですけど……って、こういうことを書くのがイヤだったから上記(↑)の記事を、自戒のために書いたのだった。全然守れてないし。
 (僕の気持ちを、平たく言えば、僕自身が、聖人君子でもなんでもない弱い人間なので、ハロプロメンバーにそれを要求することは出来ないし、するつもりもない、ってことなんですけども。
 でも、アイドルはアイドルであるがゆえに「子供たちの夢を壊すな」という錦の御旗の元、それを要求されてしまうんですよね。最初から無理があるんじゃないの、それは?
 そのような不自然な理想的存在が実在するかのように大人全体が嘘をつき通そうとすれば、嘘が嘘であることが分かった時に子供が人間不信に陥る可能性はより高まると、僕は思いますけどね。
 僕は、純粋な心をもった子供なんてそもそも信じないし、早く魂を穢して薄汚れた大人になるほうが健全だと思っているし、それが教育の正しいあり方だと思うので(さすがにひどいと書いてても思うぞ)、大人の汚い面、嘘の面も早いうちから見せて免疫を付けさせるべきだと思います。ただし、それはあくまで褒められたことではないよ、と、いけないことはいけないこととして、恥じらいをもってコソコソやりなさいよ、って感じでしょうか。無論、違法行為、犯罪はダメですけどね)

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2007.06.07(木)
■サイト名変更(マイナーチェンジ)
■about大幅に修正

ノノ*^ー^)<で、殿下! まさかアレを?
从VvV从<今変えずに、いつ変えるのだ?

 と言う訳で、サイト名を、マイナーチェンジ。
 2007年6月1日に、藤本美貴さんがモーニング娘。を「脱退」することになったことを未来永劫記憶するために、サイト名を、
 La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007
 に変更しました。「après le 1er juin 2007」は「2007年6月1日以後」という意味です。
 さらに、タイトル欄に、アドルノの有名な言葉を引用。
 "...nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch..." --- Theodor W. Adorno
 日本語に訳すと「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」となります。
 青木ヨーマさんのブログタイトルと、思いっきりカブってますけどもね、僕としては、この語句を、2007年6月1日という日付とともに記憶しておきたいのです。

 タイトル変更は、目立たない程度ですが、気持ち的には相当な変化があります。以前から書き継いできた文章の続きを、一体どうやって書き続けたらいいのか、いまだに見当がつかない。

 さらに、この機会に、
about 説明も大幅に書き直し。

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2007.06.07(木)no.2
■救いの2つの言葉、藤本美貴@GAM大阪公演06.02、高橋愛@ヤンタン06.02

 新旧二人のリーダーの言葉が、わたしにとって救いとなる可能性を持っている。
 まずは、モーニング娘。「脱退」を発表した翌日(06.02)に行われた、GAMコンサート大阪公演での藤本美貴のコメント。
 藤本美貴「藤本美貴です!」(ファンの声援)
 藤本美貴「えー、新聞や、」(ファンどよめく)
 藤本美貴「ホームページなどで発表されて、もうご存じの方もいらっしゃると思いますが、わたくし、藤本美貴、モーニング娘。を辞めることになりました。」(ファン「ええええ?」悲痛な声が混じる)
 藤本美貴「えー、これまで、ほんとに、すごくすごく、応援してくださっていたファンの皆さんには、ほんとに申し訳ないなと思っています。ほんとにごめんなさい」(声援と拍手)
 藤本美貴「これからは、藤本美貴として頑張っていきます」(大きな声援)
 藤本美貴「そして、今日は、GAMコンサートということで」(感極まったのか、ここで、声が裏返り、泣くのを堪えているようでもある)
 藤本美貴「張り切っていきたいと思います、よろしくお願いします!」(大歓声)
 松浦亜弥「まあ若干声裏返ってますけども、二人仲良くGAMとして頑張っていきますので、どうぞ皆様よろしくお願いします!」
 藤本美貴「お願いします!」
 藤本美貴は、公式サイトのコメントでも、ラジオでの発言でも、コンサートのMCでも、一貫して、辞めることになりましたと表現している。そこに、「しました」ではない、ということへの、強いこだわりが感じられる。その違いを曖昧にはしたくない、との意思を感じる。
 藤本美貴は、ファンに対して何を謝っているのか。フライデーされたことをか、深夜に遊び歩くという未成年者のいるグループのリーダーとして不適切な行動をしたことか、それとも、結果的にモーニング娘。を辞めることになってしまったことをか。
 それについて藤本美貴は何も語らない。
 語らない、という行動に、プロとしての意地があるのかもしれない。
 また、語らない、という態度の中に、立場上決して口に出しては言えない事務所への思い、「アイドルというシステム」に対する憤りの感情が込められているように思える。少なくとも、そう思う余地を藤本美貴は残してくれた。それが、わたしにとっての救いである。

 次に、同日放送のMBSヤングタウン土曜日における、新リーダー就任直後の高橋愛の言葉。
 藤本美貴の「脱退」が決まったことについて、明石家さんまに、お前が会社にかけあって、会長やめてください、とか、僕たちが守りますから(藤本美貴を)というようなやりとりはなかったのか、と訊かれて、消え入るような小さな声で、「……はい」(ありませんでした)と答えた高橋愛。モーニング娘。のメンバーという立場から、そういうことが到底言えないだろうことは当然。
 こういう形でリーダーに就任するのも気持ち悪い感じやな、と訊かれても、「うーん……」と曖昧に言葉を濁す。当然、こんな形でリーダーになるのはイヤだとも言えないし、ましてや「しめしめです、棚からぼた餅で」などと言う訳もない。
 そこで、明石家さんまから、副リーダーのままでどうや、リーダーの座は空席にして、と提案。「リーダーは藤本が必ず帰って来ますから」と言ったらかっこいいで、と問いかけられて、高橋愛は、はっきりと、かっこいいですねと答えた。
 藤本美貴のリーダーの座を空けて、彼女の復帰を待てたら、かっこいい。そのような形で、藤本美貴が見舞われた不運への態度を表明できたら、かっこいい。つまり、出来うることならそうしたいのだが、しかし、「アイドルであるモーニング娘。」としては、それを口にすることは出来ない、という気持ちの現れではないだろうか。
 少なくとも、高橋愛には、藤本美貴が取ってしまった行動とその結果の「脱退」という問題で、藤本美貴を責めたり、否定したりする気持ちはないのだと、感じられる。藤本美貴の処遇は彼女ひとりの問題ではない、決して他人事ではない。それは自分自身にもまっすぐに返ってくる問題なのだという意識が感じられる。
 かっこいいですねという発言は、事務所への批判という程のものではない。立場上、批判など出来ようはずもない。しかし、藤本美貴の座を空けてその復帰を待つ、という話を否定しないこと、かっこいいですねと肯定することで、モーニング娘。の藤本美貴という存在をも肯定してみせること。そこに、高橋愛に可能だった、ぎりぎりの抵抗を読み取ることが可能だ。
 そう読み取った時に、この表現は、わたしにとって救いとなりうる。

 また、同ラジオのレギュラーの座から藤本美貴が降りることになったが、藤本美貴は、「一旦お休みをもらう」「いつか必ず帰ってきたい」「帰ってきます!」と力強く宣言していた。
 こんなことではへこたれないぞ、という強い気持ちを藤本美貴が持っていること、それが、もちろん、わたしにとっての最大の救いだ。

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2007.06.21(木)
■藤本美貴をあきらめない

あなたをあきらめない
あなたの小さな手を離さない
あなたを信じることが あなたの希望となるのであれば
あなたの希望が ふたたびわたしたちを照らすことを
わたしたちは信じなければならない
わたしたちは信じることができる
わたしたちは信じる

嘲笑と 失望と 軽蔑と
愛のない関心と 愛のない無関心に取り囲まれ
その翼をもぎとり地に引きずり下ろそうとする冷酷な力に
思わず膝を屈し 地に臥してしまっても
あなたは立ちあがらねばならない
あなたは立ちあがることができる
あなたは立ちあがる

モーニング娘。を奪われ ガッタスを奪われ
GAMさえも奪われてしまったとしても
その小さな顔に吹きつける砂塵混じりの逆風の強さに
思わず顔を背けてしまっても
ふたたび 毅然として 真正面を向いて
あなたは歌わなければならない
あなたは歌うことができる
あなたは歌う

あなたが人を幸せにすると同時に 自分も幸せになることは
許されないことなのか 不可能なことなのか
いや違う それは簡単なことだ
あなたを「アイドル」という概念の処刑台に磔にする
定義付けという暴力から 身を引き剥がし 逃れればいい
あなたは自由になる

「アイドル」に「処女性」が求められるというなら
そんな安っぽい称号など 熨斗をつけて丁重に叩き返せばいい
「アイドル」という狭苦しく不自由な檻を抜けだし
広大な大地を自由に駆ける野生の獣に 美しいヒョウになればいい
あなたは荒野に生きる自由と 過酷とを手に入れる その過酷に
あなたは立ち向かわねばならない
あなたは立ち向かうことができる
あなたは立ち向かう

数々の輝かしい奇跡の瞬間
あなたはモーニング娘。そのものであり
あなたこそモーニング娘。だった
あなたがアイドル失格ならば モーニング娘。も失格であっていい
しかし あなたがモーニング娘。の歴史に刻み込んだ数々の奇跡を
その功績を 歴史から抹消し
その記憶を 消去することは
誰にも許されない 誰にもできない

わたしたちは待ち続けなければならない
わたしたちは待ち続けることができる
わたしたちは待ち続ける
あなたが心から笑う日が ふたたび来ることを
腹の底から沸き起こる喜びと幸せに
大きく口を開けて
目を見開いて
鼻の穴を広げて
あなたは笑う

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2007.06.22(金)
■藤本美貴の「ドキ☆みきnight」2007.06.18より

 美貴「そうですね、わたしも、GAMライブのあと、どういう形で、歌を歌っていけるのか、お仕事が出来るのか、まだ分からないんですけども、あの、精一杯頑張っていくので、これからも応援よろしくお願いします」
 仕事の予定が分からない。
 デビュー以来初めての、空白のスケジュールが待っているのだろうか。
 だとすれば、それは、みきちゃん本人にとって恐怖かもしれない。
 もし、万が一、本当に予定が空白になったとしても、絶望など不要だ。
 絶望ほど藤本美貴に似合わないものはない。
 まだ22歳。
 中澤裕子は、まだデビューすらしていなかった。ぼんやりと将来への夢と不安を抱いていた頃。
 まだまだ、これから。
 お楽しみはこれからだ。
 『ガラスの仮面』で言えば、ようやく北島マヤが芸能界から追放されるあたり。その辛い経験を乗り越えて、北島マヤは「アイドル女優」から脱皮し、本当の舞台女優へと成長を遂げる。
 漫画と現実は違うけれど、これだけは確信している。
 藤本美貴は過去の人などではない。
 藤本美貴は、これからの人だ、と。

ノノ*^ー^)<まだまだですよ! ガラスの仮面だって、まだ完結してないしー!
从*~ー~从<何十年続いてるん、って話よね
从VvV从<それは作者が行き詰まってるだけですよね

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2007.06.22(金)no.2
■2人のツンデレ女

 さて、藤本美貴といえばハロプロ随一のツンデレ女として夙に有名である。
 ツンデレ女と聞いて、わたしが思い出すもう一人の女性が居る。
 日本文学史上屈指の名作、谷崎潤一郎の『春琴抄』の春琴こと本名鵙屋琴こそその人である。
 琴は、生まれつき容姿端麗にして高雅であったが、幼くして視力を失い盲人となる。彼女は、琴三味線を極めてその道の師匠として身を立てる。
 その彼女を恋い慕う佐助という男。
 春琴の弟子となって、何くれとなく身の回りの世話をするが、春琴は決して、佐助の思いに応えようとはしない。今で言うアッシー君メッシー君(死語?)の地位に甘んじる佐助。それでも、彼は誠心誠意春琴に尽くし、彼女を愛し続ける。
 これこそ、アイドルとファンの理想の関係なのかもしれない。
 春琴は、その驕慢な性格ゆえ周囲から恨みを買い、ある夜、何者かに、顔面に熱湯をまともに浴びせられ、その美貌を失う。それ以後、春琴は誰にもその顔を見せることはない。無論、佐助にも。
 春琴の美貌が二度とは戻らぬと悟った佐助、春琴の醜い姿を見られたくないという思いを受け止めた佐助は、己の両目を針で差して潰し、自らも盲人となる。
 そうして、春琴と佐助は、過去の美しい思い出を抱いて余生を過ごす。
 ここには確かに、崇高な愛の形が刻まれている。
 しかし、佐助の行為が正当化できるのは、二人にはもう、未来はないという事情、過去とともに生きるしかないのだ、という事情がある限りにおいてであろう。
 そこに輝く未来という可能性が、わずかでもあるのであれば、佐助はその実現を我が目でしかと見届けるために、その両目を見開いて、現実を、春琴を襲った不幸を、そして彼女がこれから乗り越えねばならない苦難を見つめ続けるべきであった。
 その可能性がない、ということ。それが、春琴と佐助の悲劇であった。
 しかし、わたしたちには、わたしたちのツンデレ女には、まだ無限の可能性がある。
 なんと幸せなことであろうか。
 わたしたちは、未来の可能性に胸を膨らませながら、藤本美貴の悲惨と、彼女がこれから辿るであろう苦難の道程を、しかと見つめ続けねばならない。

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2007.06.24(日)
■アイドルファンにとって「愛」とは何か・フラグメント(素描)

 藤本美貴を巡る騒動の過程で出てきた論題として、「アイドルの恋愛は是か非か」が議論されている。しかし、それは問題ではない。

 藤本美貴が、私生活で恋愛をしようと、ひきこもっていようと、プライバシーの範疇であり、それが自由なのは当然のことであり、問題にするに足りない。

 「アイドルの恋愛事情」がスキャンダルとなってしまうような、「アイドル−ファン関係」のあり方こそが真の主題でなければならない。

 本筋に入る前に。
 そもそも、我々が、アイドルの恋愛事情を知りうるのは、「芸能人のプライバシーは侵害しても構わない」という、芸能マスコミの恐ろしい感覚と、それに基づく人権侵害行為があるからである。我々は、芸能人が、本来保護されるべき私生活上の秘密、プライバシーを侵害されるのを漫然と座視しつつ、しかも、その反倫理的な行為の結果として知りえた情報を元にして、「やれアイドルの恋愛は職業倫理に背く」などと言い立てるのである。
 我々は、本来知らずにいるべきことをマスコミの売上至上主義的な狂った行為の結果知らされてしまう。その事実にこそ、怒りを向けるべきであるように思われる。

 アイドルの恋愛の是非は問題ではない。問題は何か。

 ファンの「愛」のあり方こそが問題とされるべきだ。
 一般に、男女間に恋愛関係が成立する前提として、「清純なイメージを維持する」すなわち「処女性」を女性に求める感性は、女性蔑視的であり、時代錯誤であって、まったく論外と言うべきだ。
 もし現実に、恋愛した女性が、たまたま非処女だったら、彼は「裏切られた」と感じるべきだろうか。
 彼は、相手が処女でないと安心できないという己の童貞的感性をこそ問題視すべきなのではないか。

 「反=対価性」としての愛。
 アイドルの「清純なイメージを維持する」という義務の履行に対して、その対価として、ファンの応援(CD、写真集等の購入、ライブ参加)がある、という考え方は恋愛とは何の関係もない。
 そのような対価的、互恵的関係は、単純な経済的取引関係に他ならない。

 見返りを求めることは愛ではない。
 愛は、一切の対価性を否定し、見返りを求めない。無償性こそが、愛の基本条件だ。裏切られても、振り向いて貰えなくても、ひたすらに愛し続ける、愚かさ、狂気に似た感情こそが愛の名に値する。

 例:『痴人の愛』『春琴抄』

 そのような絶対的無償性としての愛をアイドルに捧げるファンはどれほどいるのか。「恋愛」という名の下に、「処女性」と「応援」を等価交換する経済活動に勤しむ者が、過半数を占めるのではないのか(「過半数」は極めて控え目な表現である)。

 アイドルとファンの絶対的非対称性。
 一人のアイドルに対して万単位のファンがいる。その絶対的非対称性こそが、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である。
 この「非対称性」の規模をある程度の規模に保てない存在はそもそも「アイドル」として、経済的に成立しえない。
 いいかえれば、「アイドル」とは、本質的に、マス(大衆)メディア現象なのだということ。

 一人のアイドルに対して数十人しかファンがいない、というような、いわゆる「地下アイドル」の場合、その非対称性は相対的に小さなものとなる。「地下アイドル−地下アイドルファン関係」は、ほとんど普通の友人関係に近いことすらあるかもしれない。

 推測になるが、地下アイドルファンはメジャーなアイドルとの関係における絶対的非対称性の苦しみと、虚しさに耐え切れず、地下アイドルへと移行していくのかもしれない。
 しかし、地下アイドルといえども、地下に甘んじることなくメジャーを志向する以上は、その非対称性を拡大することを望む。
 地下アイドルファンもまた、地下アイドルを「応援」する以上、非対称性の拡大に尽力することを求められよう。非対称性を避けて地下に潜っても、そこでも非対称性の拡大に荷担し、己の意に反して自らの存在の重みを小さくしていくことを求められる矛盾を抱えた存在、それが地下アイドルファンなのではないか。

 アイドルとの「本気の恋愛」志向。
 「擬似恋愛」ではなく、「本物の恋愛」を志向するファンの存在。
 一対一の恋愛関係はあり得るか。
 あり得ると考えるのは、ほぼ現実逃避に等しい妄想ではないのか。
 それを実行に移そうとすれば、限りなくストーカー行為に近づかざるをえないのが、アイドルとファンの関係ではないのか。

 アイドルに恋人が発覚すれば、アイドルは「アイドル」ではいられないという現実──意気消沈すべき、情けない現実──がある。そうでありながら、アイドルを「自分だけの女」にしようとすることは、すなわちアイドルに廃業を迫ることと同義であろう。

 ファンが、具体的な一人の「アイドル」に対して、「アイドルを辞めて、自分だけの女性になってください」とプロポーズすることは、可能性としてはありうることだろう。しかし、それは同時に、アイドルの否定そのものでもある。

 このようにアイドルとの「一対一」の関係を過剰に夢想することもまた、「アイドル−ファン関係」の基礎的条件である絶対的非対称性に耐えられない脆弱性の現れなのではないか。愛の脆弱性。

 万人の崇拝と憧れの対象であるアイドルを自分だけが独占しようとすることの自己中心性。それはおそらく「恋愛」の名の下に正当化されるのであろう。惜しみなく愛は奪う。恋愛という大義。

 その昔の「親衛隊」や「グルーピー」と言った存在は、そのような抜け駆け行為を自らに固く禁じる倫理性を保持していた。たとえば、「3人以上集まらなければ憧れの対象に会いに行かない」などの「鉄の掟」として、それが表現されることもあった。
 そこには「アイドルはみんなのための存在」という公共意識があった。今、アイドルを自分だけの女性として独占することを夢見るファンには、そのような公共性はない。ただ、身勝手な自己中心性があるばかりだ。

 愛とは過酷な倫理的実践である。
 しかし、アイドルファンの多くにとって、「アイドル」はエンタテインメント=娯楽にすぎないだろう。アイドルを愛することで、苦しみ、悩み、神経を擦り減らしながら、その愛の過酷さに耐え続けようとするものは少数派であろうと思われる。

 ファンがアイドルに支払う幾許かの「金銭」。その「金銭」という言葉の響きは、声援や、ファンレターや、その他の行為を伴うことで、「応援」と呼ばれる美しい響きへと昇華される。それに対して、アイドルは対価として「水着グラビア」や「歌」や「ライブパフォーマンス」や「笑顔」や「清純なイメージ」や「処女性という幻想」を対価として提供する。

 多くのアイドル消費者が求めているのは、そのようなお手軽な等価交換による娯楽にすぎないであろう。
 ファンがアイドルに抱く恋愛感情は、多くの場合、その娯楽をより魅力的にするスパイスとして機能するにすぎないものであろう。
 恋愛感情が介在することで、金銭とサービスを交換することの虚しさが、糊塗され、魅力的なニュアンスが付加される。
 それが、多くの「ファン」が、「アイドル」に対して抱く「恋愛感情」の実態であろう。

 そうでないとするなら、何故、相手に恋敵がいると分かった時点で、恋から醒めたりできるのか。

 「わたしがアイドルに抱く感情は、そんな安っぽいお飾りとは、断固として違う」
 そう断言する者を、わたしは同志と呼びたい。
 振り向いて貰えなくても、見返りなど何もなくても、絶対的非対称性に耐えながら、アイドルを愛し続ける苦しさを、共有できる存在を。

 モーニング娘。達はしばしばファンに対して「皆さんの愛を感じる」と語りかける。
 モーニング娘。はファンが支払う金銭のことを「愛」と言い換えているのか。
 断じて違う、モーニング娘。は本当にわたしたちの「愛」を受け止めているのだ、と断言しよう。
 そして、わたしたちは、金銭とは交換も換算もできない「愛」を、彼女たちに捧げていると言えるのか、自問しつづけよう。
 ファンが「アイドルを愛する」という、厳しく倫理的な実践として。

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2007.07.06(金)
■「アイドル」を創る者の危機感と抵抗

 「アイドル」を売って商売にしようとする者のソロバン勘定はさておき。生身の少女たちとともに汗をかいて「アイドル」を創り出していく者たちは、もう少し彼女らの本音や、本来の姿や、その抱えている矛盾に対して共感し、悩みを共有してもいるようだ。
 ℃-ute達は舞台『寝る子は℃-ute』(2007.6.16開幕)で『わたしがオバサンになっても』を歌った。「アイドル」も生身の人間だという事実を歌う、森高千里によって産み出された抵抗の歌が、今この時、改めて呼び起こされる。
 また、両角誠ひきいるSSMが作る「歌ドキッ!」では、石川梨華が歌う(2007.7.05)。

恋をするにはするけど スキャンダルならノーサンキュー
 小泉今日子『なんてったってアイドル』(1985年、作詞:秋元康)

 一部ヲタからは「アイドルは処女性を保ってほしい」という幻想の最後の砦とも目されている彼女に、あえて、アイドルだって恋愛をするんだ、でもスキャンダルはごめんだ、という気持ちを歌わせる。
 芸術家が、金を握っている権力に対して正面切って楯突くことは難しい。
 そこで、芸術家は芸術の内容で抵抗を示す。
 スターリン体制下で、ショスタコーヴィチが、政治的言論によってではなく、音楽作品そのものによって、作品の姿を異形のものとすることによって、体制を批判したように。
 現代の作曲家たちが不愉快な騒音やノイズで作品を埋めつくすように。
 画家たちが美しく心地よい形態や色彩を画面から追放していくように。

 「アイドル」という制度や概念よりも、そこから必然的にはみ出していく生身の少女たちそのものを擁護すること。そのための抵抗。その抵抗を今しなければ、アイドル文化は再び亡んでしまう。という危機感が、その抵抗の基底にはある。
 作り手が発信する危機感を、受け止め、共有したい。

 (補遺)
 「歌ドキッ!」では、石川の前日(7.04)に、松浦亜弥が歌っている。

心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで
『愛は勝つ』(作詞:KAN)

 松浦亜弥は、GAMの片割れであり盟友であり親友である藤本美貴に向けてこれを歌ったのだ、と考えるのは、穿ちすぎであろうか。そうは思わない。この歌を、今、松浦亜弥から贈られるにもっともふさわしい人が、彼女の隣にはいるのだから。
 少なくとも、わたしは、もともと好きではなかったこの曲を、初めて、深い共感を抱きつつ聴くことができた。

从VvV从<ってか、1月に放送したヤツの再放送だけどね。
ノノ*^ー^)<ってか、再放送リクエストしたの美貴様ですもん♪
从VvV从<やーだー。恥ずかしいから、バラさないで。

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2007.08.12(日)
■藤本美貴を干す

 6月25日放送の「ドキみき」で、藤本美貴は「ガッタスで情熱を爆発させている藤本美貴」と自分のことを表現したのだった。その声はまるで、他に情熱を爆発させるものがなく、自分を持て余しているかのようだった。
 翌週7月2日の放送では、一番大好きなアーティストだというクリスティーナ・アギレラ──将来は彼女のようになりたい、彼女のような歌を歌いたい──のコンサートを6月21日に観にいったと近況を報告した。「毛穴が見えるぐらい前で」とお願いしていたら、最前列で観ることができた、と。すごい興奮した、と。ファンの人の気持ちが改めて分かった、と。グッズとかもTシャツとか買ったりした、と。楽しかった、と。しかし、彼女は、その後にこう付け加えた。「なんか…これで、…ちょっと元気に生きていけそう、って感じ(笑)」
 一番好きな歌手を、最前列で観ても「ちょっと元気に」しかなることがない藤本美貴。「(笑)どんだけー? ですけどね」この言葉は、「普段、どんだけ元気ないんだよ、自分?」としか聞こえなかった。

 そして、5月26日からスタートしていた、盟友松浦亜弥とのユニットGAMの、初の全国ツアー『GAM 1stコンサートツアー2007初夏 〜グレイト亜弥&美貴〜』は、7月3日で、全19公演を終了した。

 彼女には、ガッタスと、「ドキみき」しかなくなった。フットサルとラジオ。そこに歌はなかった。
 6月19日には、紺野あさ美のガッタスへの復帰が発表されていた。卒業メンバーのハロー!プロジェクト復帰は史上初の異例な事態。
 それだけでなく、ガッタスは同時にボーカルユニットとしてCDデビューすることも告知された(音楽ガッタス)。ゴレイロへの未練からガッタスへの復帰を望んでいた紺野あさ美は、瓢箪から駒で、歌手としても再デビューを果たすことになった。
 このユニットには是永美紀も加入した。ハロプロ加入以来、フットサル一筋でガッタスに貢献してきたことが認められ、彼女は晴れて、キラ星のようなアイドルたちと同じステージに立ち、歌い踊るという栄誉を与えられた。
 しかし、そこにも藤本美貴の名はなかった。勇猛果敢なプレーでフィールドを熱くした藤本美貴は、ガッタスの歌手デビューから外されていた。ガッタス、いやハロプロ随一の歌唱力を誇る藤本美貴なのに。

 そして、6月1日に、藤本美貴の「脱退」が正式に発表された際に、同時に告知された通り、ハロコンへの出場もなかった。
 公式サイトのコンサート日程表には、御丁寧に、こう注意書きされていた。

※藤本美貴の出演はございません

 これは単なる親切な注意書ではなく、明らかに、「われわれUFGは藤本美貴を干す」という意思表示でもある。
 ハロー!のメンバーが一堂に会するハロプロのお祭り、ハロコン。そこに、主力アーティストがさしたる理由もなく欠場するということの異例さ。藤本美貴にとっても、これはデビュー以来初の事態ではないか。

 もはや、意図的に「干している」としか考えられない事態。
 そして「干される」理由は、写真週刊誌にスクープ報道されたという事実以上に、そのことへの対応を巡って彼女が事務所と対立したことにあるのではないだろうか、と思われてくる。
 もしそうとすれば、本サイトの如く藤本美貴を擁護してきた言説は、却って藤本美貴の活動継続に対して逆効果として作用してしまった虞すらある。ただし、それは決して事務所の態度が正しいということを意味しない。正論が通用しない場が芸能界であり、芸能事務所なのだ、ということでしかない。
 今回の騒動の過程で、事務所側は取材に答えて「所属タレントの恋愛を禁じているわけではない」とし、モーニング娘。脱退の理由は「真夜中にふらふらと街に出て遊んでいたことが、未成年者を多数抱えるグループのリーダーとしてふさわしくない」ということであるとしている。苦しまぎれの言い逃れ。未成年者を多数指導する学校教師は、夜遊びしてはいけないと言っているようなものだ。藤本美貴は成人女性だ。中澤裕子を、保田圭を、キラ星の如き飲酒アイドルの歴史を、思い出してみるがよい。

 ともあれ、言葉として語られる「脱退」の理由がどのようなものであるにせよ、明らかになったことは、事務所の方針に唯々諾々と従わないタレントに対しては「干す」という事実上の報復行動によって、懲戒を加えるという事務所の姿だ。

 そして、今回のハロコン(ハロプロ夏祭り)の事務所側にとっての意義は、出演させないというあからさまな懲戒措置を通じて「反抗的で使いづらい藤本美貴などいなくても我々は十分やっていけるのだ」という態度表明をすることであった。

 そこに、のこのこと帰ってきた紺野あさ美。
 彼女は、一流大学入学という大きな手土産を持って、ハロプロに復帰し、面白おかしく騒ぎ立てる芸能マスコミによってイメージを傷つけられたハロプロに、「久々の明るいニュース」を提供し、夏のお祭りに大きな華を添え、集客力を高め、結果的には、上記の如き、UFGの意思表明に、深く加担することになってしまった。

 無論、彼女自身を非難することはできない。また、彼女の復帰を心から喜び、現場で声援を送ったファンの心情に水を差すべきでもないだろう。彼女にとっても、芸能界復帰の是非は、自分の人生を決める大事な選択であったろうし、今回の誘いをもし断れば、自身の芸能界復帰そのものが難しくなるのかもしれなかった。いずれにせよ、彼女の決断は決断として尊重しなければならない。
 しかし、紺野あさ美自身は、自らの復帰という「ハロプロにとって久々の明るいニュース」が、藤本排除という事務所の意思表明のための、一つの補助材料として、いいように利用されることについて自覚的であっただろうか。
 自覚していてもなお、復帰以外に採るべき選択肢はなかったのかもしれない。
 しかし、そのことに思い及ぶことなく、うかうかと事務所の懇願に応じてしまったのだとするなら、私は今回の復帰劇を、彼女自身のため、そして、「こんみき」の友情の歴史のために惜しむ。

 そして、追加ゲストとしてモーニング娘。OGを加えて一段と豪華さを増し、紺野あさ美が「愛を下さい」と、自らのデビュー曲を歌って再デビューを印象づけ、亀井絵里が寒いギャグをすべらせてファンを涼ませたハロコンは、7月29日、さいたまスーパーアリーナで幕を閉じた。
 そのとき、藤本美貴は、どこで何をしていたのであろうか。


 そして、藤本美貴を欠く不自然な夏祭りは、巨大な会場を埋めることができず、空席が目立ったという。
 ファンという名の大衆(世間)の残酷さを思う。
 結局、大衆は、心地よい夢の中に漂いつづけ、騙され続けていたいのだ。
 その大衆の夢を忠実に実現し、大衆を相手に商売を成立させ続けねばならないUFGにとって、藤本美貴を干すという選択は本当に正しかったのであろうか。唯一の道だったのであろうか。藤本美貴を活かす形で別の夢を紡ぎだす可能性はないのであろうか。

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2007.10.02(火)
■藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》

 CBCラジオ「ドキみきnight」が9月で終了した。美貴ちゃんのデビューから間もなくして始まり5年の永きにわたり続いてきた番組としてはあまりにあっけない幕切れだった。
 その終わり方や、最終回の内容については、後日改めて触れたい。
 ともあれ、この終了によって、地方の在宅ファンにとって藤本美貴はまったく不可視の存在になった。

 そして昨日は、ハロプロの公式サイトから、2008冬のハロプロコンサートについて告知があった。

Hello! Project 2008 Winter 欠席メンバーのお知らせ

以下のメンバーがHello! Project 2008 Winterを欠席します。
・飯田圭織 ・後藤真希 ・辻希美 ・藤本美貴

欠席理由:
・飯田圭織は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・後藤真希は、スケジュールの都合により参加できません。
・辻 希美は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・藤本美貴は、都合により参加しません。

お楽しみにしていた皆様には申し訳ありませんが、ご了承ください。
ハロー!プロジェクト
ハロー!プロジェクト公式サイトより引用

 他の欠席メンバーについては、その「都合」の内容を明記してるのに、藤本美貴は単に「都合により」。「都合」の内容は、明かすことが出来ない怪しいものだということだろうか。
 理由がはっきり示せないという時点で、「見せしめ」という捉えられ方をされてもしかたがないし、むしろ、UFAは、そう取られることを意識して敢えてこういう書き方をしているのでは、とすら思えてくる。
 この発表を受けて、掲示板をいつも訪れてくださるKAKIさんが、以下のコメントを寄せてくれた(一部を引用)。

 でもこんな懲罰的人事を受け入れて、ステージ上で誠意の無い謝罪をしたり、最初から藤本がいなかったかのように振舞った時点で、他のメンバーの魅力が無くなっちゃうよ。
 だって昨日まで肩を組んで、声を重ねて、尻を触りあって…もとい触られて、一緒に笑ったり、泣いたりしてきた仲間。
 それがこんな目に遭ってるのを、内心はどうあれ、受け入れている段階で、色褪せてしまう。
 疑ってしまう。
 今現在、ステージの上で繰り広げられている交歓の光景も嘘じゃないかって。
 事務所の命令だから、本当は好きでもないけど、抱き合ったり、キスをしたりしてるだけじゃないかって。
 そんなお人形さんが歌ったり、踊ったりしてるのを見ても、面白くない。
KAKIさん、2007.10.01

 同じ疑問は、今年の夏のハローコンサートでも感じられた。
 出場するメンバー達は、一体、どのような思いを抱えて、この藤本美貴の出場しないコンサートの舞台に立っているのか、と。
 MCで藤本美貴の件にまったく触れないで済ませることで、その存在を間接的に抹殺することの痛みを自覚しているのだろうか、と。
 これは、ハロプロメンバー間の信頼関係を疑わしめるに足る事態なのだと思う。
 ハロプロを彩る物語の一つに「ハロプロは家族」というものがある。この「ハロプロ=家族主義」にはわたしは賛同しないし、それは一種の同化圧力を伴う暴力的なイデオロギーですらあると思う。だが「ハロプロ=家族」ではなくとも、同じステージに立つ仲間としての、同僚としての、ライバルとしての、同志としての信頼関係や絆というものが、ハロプロメンバーの間にはあるはずだと思う。そのような絆までも、表面的で、簡単に見失われてしまうような脆いものだったのか、と疑わせるような、今回の藤本美貴の処遇を巡る一連の事態の推移というものがある。

 しかしわたしのなかのマヂヲタの部分は、こう叫んでいる。メンバー達もまた、悲痛な思いや怒りを内に秘めながら、藤本美貴に辛い思いをさせているものに対して、いずれ自分たちにも跳ね返ってくるであろうものにたいして、無言で戦っているのだ、と。
 無論、この思いを根拠付ける証拠は何一つない。
 メンバー達は、立場上、この話題に積極的に触れることはできないだろうし、おそらく藤本美貴の名を出すことすらしないように釘を刺されているのではないか、とも感じる。無論のこと、事務所批判など出来ようはずもない。
 UFAによる、見せしめ=恐怖政治は見事に功を奏し、メンバーたちは歌って踊れる「お人形さん」になり、羊飼いの鞭に脅える群畜的動物になり、将軍様の暴政に唯々諾々と従う奴隷と化すように見える。その光景が、あくまでも表面上のものであることを、わたしは信じたい。彼女らの内面には、反抗の気概がマグマのようにフツフツと煮えたぎっていると信じたい。

 群畜的行動の例。(ただし、これは2chへの書込み情報なので、わたしには真偽を確かめる術がない。そのようなものとして考えてください
 先日行われた「モー10トークショー」にて。中澤裕子が、モーニング娘。10年の歴史を振返る話をした。おそらくは、事務所の用意した進行台本を読んだものと思われる。
 飯田圭織卒業の後、「うちの矢口が御迷惑をお掛けしました」という話で笑いを取り。そのあと、中澤裕子は「吉澤ひとみ卒業、女に幸あれ、そして高橋愛がリーダーに」と、モーニング娘。の歴史を要約したというのだ。
 これは、事務所の用意した原稿としてもひどすぎる。
 これは、「アウシュビッツはなかった」どころか、そもそもユダヤ人などいなかったというに等しい最悪の歴史修正主義ではないのか。
 中澤裕子は、何故、こんなものを言われるがままに読んでしまったのか。(いや、中澤裕子は事務所や番組の都合に従い、どんな無理難題にも応じてきた、だからこそ、彼女の今日があるのであってみれば、彼女──そしてもちろん他のハロプロメンバーすべてに対しても──に命がけの反抗を期待することなど、出来る相談ではないのだ)
 そのあまりにむごたらしい藤本美貴の黒歴史化に対して、詰めかけたファンが疑念の呻き声をあげて、そこでようやく中澤裕子は「そこでひっかかるか、しゃあないなあ、藤本美貴がリーダーになってご迷惑をお掛けしました」と、それを笑い話にして見せたのだという。
 たしかに、笑いに紛らわす以外にその場の雰囲気を保つ方法はなかったのであろうし、中澤裕子の関西人としての反射神経がそうさせたということもあるのだろう。
 だが、この件で藤本美貴が負った傷は、笑いに紛らすには、まだまだ生々しすぎる。生乾きどころか、赤い鮮血が吹き出しているのだ、彼女の心から、我々の心から。

 そんな中、道重さゆみが、ラジオで神懸かり的な発言を。
 先週のCBC「今夜もうさちゃんピース」のなかで、「さかさまパニック」のコーナーに送られてきたネタに対して「早口言葉ですね。藤本さんのほうに送ってください」と言ったのだ。既に終了した「ドキみき」に送れ、と。
 この状況下で藤本美貴の名前を出すだけではなく、「ドキみき」が終わってなどいないかのように発言すること。思わず喝采を叫びそうになる。
 事実は、収録の段階では「ドキみき」の放送終了を知らされていなかっただけなのかもしれないのだが。
 しかし、この瞬間的な発言は事務所のチェックをすり抜けて、編集カットされることもなく、オンエアされた。
 そこに、一種のゲリラ的な反UFA活動の気概を感じ、歴史修正主義への英雄的抵抗の姿を見るのは、おそらく6期ヲタ的ミキヲタ的妄想にすぎないのだろうけれど。

 もう一つだけ、6期ヲタ的ミキヲタ的妄想を。
 亀井絵里がガキカメで四面楚歌と言い出したのは5月の終り頃で、6月23日放送分(6月中旬に収録)では、道重さゆみに四面楚歌という言葉をメールで何度も送りつけたと発言していたのだった。絵里の強力な四面楚歌推しは8月頃まで継続している。
 しかし、これは、本当に、単に覚えた四字熟語を意味もなく使っていたのか。それとも自虐的に使っていたのか。実際には、亀ちゃんはそのポケポケなキャラクターを愛されていて、四面楚歌的状況など感じたことはないだろう。
 6月中旬、その言葉が誰よりも似合う存在は、やはり藤本美貴だったとしか思えない。
 とすれば、この異様なまでの四面楚歌推しは、みきえり宣言でもあり、藤本美貴の置かれた境遇を自分の身に置き換えて発言していたのではなかったか、と思われるのである。

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2007.10.04(木)
■「女の子の全身全霊の決意」とは何か 〜つんく♂発言を再読する〜

 藤本美貴のモーニング娘。「脱退」直後、6月4日に発表された、つんく♂Pのメッセージを再読してみる。

2007年6月4日/月曜日
GAM&美勇伝のコンサートが東京で行われました。
皆様ももう報道等でご存知とは思いますが、
藤本美貴がモーニング娘。の脱退を決意し、受け入れることにしました。
リーダーとして、いろいろ感慨深い気持ちもあるようですが、女の子の全身全霊の決意。
皆様も多大なる暖かいお気持ちで応援してあげてほしいと思います。

 この発表が出た当時は、頭が混乱していたせいもあり、状況が見とおせなかったこともあって、この発言の真意は見えていなかった。
 「女の子の全身全霊の決意」とは、「リーダーを退き、モーニング娘。を辞める決意」を大袈裟に語った空疎な表現、程度に考えていた。
 今再読してみると、別の可能性に気付かざるをえない。
 「受け入れることにしました。」という表現は、主語が曖昧で、「つんく♂自身が藤本美貴の脱退を了承する」という意味にも捉えられるが、しかし、読みようによっては「藤本美貴が『脱退』を受け入れた」とも読みうる。
 少なくとも、つんく♂は主語を曖昧にするという手法を用いて、そう読まれる可能性を残したとは言えるだろう。
 「女の子の全身全霊の決意」という表現も、今思えば、ただごとではない表現だし、決して空虚な美辞麗句ではないと感じる。(優れた作詞家でもあるつんく♂が言葉を粗末に扱うわけがないのだ)
 むしろこれは「モーニング娘。を辞めることの決意」ではなく、「恋愛は悪ではない。自分は間違ったことはしていない。だから、絶対に、別れろという指示には従わないし、それで干されるならそれでもかまわない」という方向性の──頑なな──決意だったのではないか、という気がしてくるのである。
 「ケジメをつけるためにモーニング娘。を辞めて、しばらく大人しくしていて、矢口真里のように何食わぬ感じで復帰」という絵を描いていたのなら、それを「女の子の全身全霊の決意」と呼ぶのはあまりに大袈裟に過ぎよう。
 しかし、その意図が、事務所との円滑な関係も、アイドルとしてのキャリアも、未来も、何もかも放擲して、ただひたすら恋愛に生きることを選ぶ…という事だとしたら、それこそが「女の子の全身全霊の決意」という言葉として相応しいように思えるのである。
 この想像がもしあたっているとしたら──ファンとしては恐ろしいことだが──藤本美貴のアーティストとしての復帰は、非常に困難なものになるかもしれない。それが正当なことだというのではなく、事実として。
 しかし、このことについて、「モ娘(狼)」のとあるスレッドで、一人の匿名氏が、こう書いていた。「美貴ちゃんは恋愛をつらぬき通したのでエライのではないか」
 もしそうだとすれば。
 「女の子の全身全霊の決意」が、「恋愛を貫き通す決意」を意味するのならば、涙を飲んでその決意を受け入れるのが自分の取るべき態度であるようにも思える。

 従って、すべての発端となったスクープ記事の直後に書いた、以下の記述はもはや維持できない。

   でもまあ、みきちゃんは、しっかりしてるから。
 仕事や支えてくれるファンの気持ちと、男との交際を秤に掛けて、後者を優先するような、
 矢口真里みたいな大馬鹿者
 とは、ミキちゃんは違うと信じてます。

(5.27付の記述より)

 これを書いた5月27日の時点では、まさか本当に藤本美貴がモーニング娘。を「脱退」することになるとは露ほども思っていなかった。
 そこで、そのような悲しい結末を是が非でも回避してほしいという願いから、こういう書きかたをしたのだった。

 矢口真里が「脱退」した当時は、このサイトを休止中だったので、それについては、私は何も語っていなかった。とはいえ、あの時は正直言って、彼女の辞め方に違和感を拭い切れなかった。
 当時は、まるで、スクープが出たことを理由にして、リーダー職を放り出して、モーニング娘。を逃げ出したようにみえたのだった。
 しかし、矢口真里は、モーニング娘。を愛するがゆえに、モーニング娘。に傷をつけないために辞めたのだ、という解釈を一応は支持しなければならない。一応という理由は、その解釈を正当と認めることは、アイドルの恋愛を否定することそのものだからである。
 その意味では、「モーニング娘。を守るためにモーニング娘。を辞めること」もまた批判されなければならないのだ。これは、決して[反矢口][アンチ矢口]的言説ではないことを、念のため注記しておく。藤本美貴の恋愛を肯定する以上、矢口真里の恋愛も肯定するべきであり、同時に、二人が「脱退」を受け入れたことをこそ批判すべきである。二人の違いは、ただ一点、矢口真里は「脱退」をすんなりと受け入れ、藤本美貴はそれに対して抵抗した(らしい)ということにあるが、その意味は大きい。
 ともあれ、矢口真里の「脱退」も事務所との話し合いの中で決まったことであろうし、おそらく「脱退」以外に彼女に取りうる選択肢はなかったのであろうから、そのことで矢口真里本人を責めることは無論出来ないし、したいとも思わない。責められるべきは、そのようにして「アイドルの処女性」を墨守し、異形の怪物だったはずのモーニング娘。を、薄っぺらでつまらない只のアイドルとして飼い馴らそうと目論む事務所の方針、モーニング娘。独自の価値への悲しいまでの無理解であろう。

 つんく♂さんが、「女の子の全身全霊の決意」と表現した、藤本美貴の決意が、事務所の意向と真っ向から対立するものであったろうことの、一つの傍証をあげておく。
 スクープ記事発表と、UFA側の対応の時間的関係について。
 ・やぐ「脱退」とフライデー。
 2005.04.14 矢口真里モーニング娘。脱退を表明。
 2005.04.15 矢口真里、講談社の写真週刊誌「フライデー」に小栗旬との熱愛写真が載る。
 ・加護ちゃん謹慎とフライデー。
 2006.2.9 所属事務所から、加護亜依の謹慎処分が発表された。
 2006.2.10 『FRIDAY』2006.2.24号の発売日。加護亜依の喫煙現場を捉えた写真が掲載され、スキャンダルとなる。
 ・加護ちゃんの契約解除と「週刊現代」。
 2007.03.26 講談社の「週間現代」に加護亜依のスクープ記事が掲載される。
 2007.03.27 UFAが加護亜依と契約解除。
 ・そして、藤本美貴「脱退」とフライデー。
 2007.5.25(金) 藤本美貴、講談社の写真週刊誌「フライデー」にて庄司智春との熱愛を報じられる。
 2007.5.26 MBS「ヤングタウン」での藤本美貴の発言「まだ何も決まっていない」「モーニング娘。をどうするのかこれから決まる」「わたしは罰を受ける」など。
 2007.5.31 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)が31日の定例会見にて、「モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望。
 2007.06.01 藤本美貴、モーニング娘。「脱退」、リーダーを退く。
 2007.06.02 GAMの大阪公演にて藤本美貴、ファンに謝罪コメント。
 ……上記の日程関係から明らかなように、通常のUFAの危機対策の常道に従えば、藤本美貴の処遇は、5.24か5.26の時点で決まっているはず。それが、6.01と遅れたのは、やはり、話し合いが難航したからだと考えられる。
 つまり、藤本美貴は自己主張をしたのだ。唯々諾々と処分に従うのではなく。
 たとえ言い分が通らないと分かっていても、言うべきことは言う、そんな姿勢に美貴ちゃんらしさを感じる。
 藤本美貴が藤本美貴であることを諦め、そのあまりにも独自で圧倒的な個性と魅力を放棄し、只の、普通の、牙を抜かれたアイドル歌手として生き延びることよりも、たとえ芸能人でいられなくなる恐れがあるとしても尚、藤本美貴が野性的な生命力と鋭い瞳の輝きとを持つ藤本美貴であり続けられることをこそ、私たちは支持しなければならないだろう。涙ながらに。
 そして、そのような真の個性を活かすことのできない芸能界とは、アイドルとは、一体なんなのか、真摯に考え続ける必要がある。

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2007.10.15(月)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (前半)

 約5年もの間続いてきた「ドキみきnight」が9月24日で終了したとき、それが最終回であるという告知は、わずか二日前になされた。当然、最終回の収録は、この告知のなされる前に終わっていたであろう。長年聞いてきたリスナーが、メールやハガキで感謝の気持ちを伝える間もなかった。そのような機会は与えられなかった。そのことを多くのファンが惜しみ、また口惜しさに唇を噛み締めたはずだ。
 唐突な中断。番組の終了とは、打切りとは、通常そういうものなのかもしれない。しかし、これを藤本美貴の現在の境遇と重ね合わせたとき、そこにある遣り切れなさを感じるのは自然というよりむしろ不可避的なことだ。
 そこに、番組の終りを感動的に演出はさせない、という何者かの意図すら感じられなくもない。終りが予告され、終りを惜しむメールが集まれば、その「終り」は感動的な事件として、特別な出来事として記憶されてしまう。歴史に残ってしまう。
 そうさせないように、あくまでも、静寂のうちに退場させること。退場があったことすら気付かれないように。抹消の痕跡すら抹消するかのように。
 もし、上記の推測が当を得ているとすれば、ドキみき最終回は、この陰険な意図に対する、ささやかな、最後の抵抗として構成されたのではないか。そして、そのような性格を指摘できるとすれば、そのことが陰険な意図の存在を裏書すると言えるのではないか。

 「最後の抵抗」と取りうる、一番はっきりとした徴は、番組全部を「しゃべパラ特集」にしたことだった。
 ゲームやクイズの企画で時間を消費するのではなく、なるべく多くのファンの声を紹介し、美貴ちゃんの普段の生活の様子や考え方を伝えながら、ファンと心の交流を楽しみ、番組の最後を締めくくったこと。
 番組はGAMハワイツアーの報告とお礼からはじまった。メールへのコメント:「ああいうイベントとかになると、ほんとに個性の強い方が、こう間近で見れて、こちらも楽しませていただきました。ありがとうございます!」個性が強い」これは、美貴ちゃんとしては、最大限真綿で包んだ表現だと思われる。この発言の真意を推し量れば、これは相当なぶっちゃけ発言ではなかろうか。むろん、ファンを揶揄するような表現は使わないものの、ラインぎりぎりいっぱいまでぶっちゃけてくるスリルとサスペンスこそ、藤本美貴の身上。だからこそ、「逆つっこミキティ」のような、ラジオを通じたファンとの熱いコミュニケーションも成立しえた。それが美しいラジオだった。からかったり、茶化したりしあうことで、アイドルとファンが心からいちゃつきあうことが出来るラジオ。
 この点、ガキカメではどうだろうか。亀井絵里は比較的、そういう方向性を目指しているように聞こえる。ラジオネームにツッ込んだり、リスナーの投稿に対して、できるだけ強めに茶化そうとして──藤本美貴の手慣れたファンいぢりにはまだまだ到底及ばないものの──彼女なりに頑張っている。しかし新垣里沙にとってそれは最初から不可能なことなのだ。彼女は「ありがたいねぇー」という言葉に象徴されるように「お客様は神様です」という立場から、一歩も抜け出すことができない。なぜなら彼女はファンというものの恐ろしさを心底味わいつくした人間だからだ。ファンは普段は応援してくれるありがたい存在だが、同時に、いつ何時こちらに対して牙を向いてくるかもしれない恐ろしい存在だということを身に沁みて理解しているのだ。「お客様は神様です」ということは「触らぬ神に祟りなし」ということでもある。神とは、人間を守ってくれるよりも、むしろその祟りを恐れねばならない存在なのだ。
 しかし、藤本美貴は強い。彼女には恐れる気持ちがない。まさに神をも恐れぬ藤本美貴。彼女は、高い崖の上から海に飛び込むような勇気を持って、ファンの中に飛び込み、身を任せる。ファンという海は、わたしを柔らかく受け止めてくれる、包んでくれる、と確信しているのだ。おそらく、今もなお。恋人が発覚したぐらいで、わたしのファンは、わたしを見捨てたりしない、と。どこまでも自分を曝け出し、こちらに身を委ねてくることで、「本当の自分を受け入れて」と彼女は迫る。そして、ファンとアイドルとの関係のありかたについて、根源的な価値の転換を要求するのである。

 最終回の1曲目は、藤本美貴のデビュー曲『会えない長い日曜日』だった。「リクエスト来ています。名古屋市の『気弱なファン』さん。『「会えない長い日曜日」をお願いします。あの時のPVを観ました。ミキティ、プリップリのピチピチでしたよ! それが今じゃあ…』…ってどういうことでしょう? 今はー、も、プリップリではなくなりましたけれども、ま、ピチピチでもないかな(笑)、年相応! 年相応だよ。このいちゃつきぶり。ファンがアイドルに「老けたね」と言うことが、いちゃつきとして成立するほどの、気安い空気感、深い信頼関係、そんなものを藤本美貴以外の誰が作り上げられるというのだろうか。
 そして『会えない長い日曜日』が流れる。この選曲は、これから我々は会えない長い日曜日に突入するのだ、という番組冒頭での宣告に他ならないだろう。そして、その退屈で淋しくて憂鬱な日曜日がどんなに長かろうとも、日曜日のあとには、必ず月曜日が、また会える日が来るのだという宣言

 次のメールは「ハワイの臨時ハロショに藤本美貴デザインのTシャツを着て行ったら絵が可愛い、センスがいいと褒められた」という内容。「藤本さんの絵は時代を先取りしていて海外でのほうが先に評価されるかも」というファンの褒め殺し的ツッコミに対して、ミキティは、「ま、だからピカソですから(笑)あの、分かる人にしか分からない私の絵のよさっていうのが、きっとあるんじゃないのかな、と。でもね多分、ハロショの、ハワイのね、人も『あ。あれミキティデザインだ』って多分知ってる気がする(笑)あえて言ってくれたって気もしないでもないですけど」と、大人びた冷静なぶっちゃけを。そして、ハワイでミキTを着てくれていた人に、握手会などでお礼を言いつつ、「恥ずかしくないですか?」と訊いたら「あ。もう馴れました」と答えてくれた、とのエピソードを紹介。「馴れなんだなー人間(笑)って思いましたね。この先もどんどん着続けてほしいと思います」
 そのあとも、「またハワイに連れて行ってください」というメール。「ハワイ通のミキティ」というメールに対して「わたしはホテルとショッピングセンターとライブ会場ぐらいしか知らない」と、これまた身も蓋もないぶっちゃけ。
 次に、『新美少女日記イタリア編』に関するエピソードを教えてください、というメール。ミキティの最初期の仕事を回顧。本場イタリアで食べた伸び切ったソーメンのようなパスタの思い出など。
 秋になると食べたいものは? というメール。梨と、柿を食べたい。柿は中が「ドゥルドゥルなのが好きなので、ドゥルドゥルになってから食べます」と、おやじっぽい味覚を披露。鮭トバといい、レバ刺し五人前といい。
 「声のトーンが高いですね。高い声を響かせるコツを教えてください」というメール。自分では声がいいという自覚がない。「腹筋を使って歌っていただければ」と無難なアドバイス。天才的野球選手長島茂雄が自分のプレーを理論的に説明出来ないのと同じように、天才的ボーカリスト藤本美貴は、自分が上手く歌える理由を理解してもいないし、説明など出来ない、ということ。
 次に、「あだ名で呼ばれるミキティが羨ましい」というメール。自分も学生時代は「藤本」とか「美貴」とか呼ばれていた。あだ名はなかった。「欲しければ自分でつけちゃえばどうでしょう?」と、自分でミキティという愛称を提案し自力で普及させた美貴ちゃんらしいアグレッシブなアドバイス。
 そして、最終回の2曲目は『大切』。この歌詞は、今の状況において痛切に響く。

「もしもし?」
大切にしまってた
あなたの写真
決心ついたの
さよなら 淡い思い出

大切にしていました
懐かしい曲たち
ああ 寂しい時
助けてくれて
ありがとう

好きな人が 出来ました AH
この人となら
あなたとの事
忘れられそう

見た目じゃないのよ
楽しく時間が経つの
いつの間にかな
好きになってた…
もう 心配はいらない

藤本美貴「大切」1番 作詞:つんく

 この曲の内容は「新しい恋人が出来たことで、昔別れた恋人の記憶から自由になれそう」というものである。この歌詞は、「好きな人」(庄司君)が出来たから、「あなた」(ファン)との「事」(アイドルとしての活動すべて)を忘れられそう。だから、活動がなくても「もう 心配はいらない」ということを指し示すのだろうか。しかし、詞の一部の引用とは、その詞全体の意味するところを引用することでもある。この曲の最後では、「じゃぁね。/…だったら良いのにな。。」というセリフが語られる。「じゃぁね。」とファンに明るく別れを告げることが出来るだろうか。「…だったら良いのにな。。」という独白は、それが出来ない自分を意味する。これは、恋人が出来ても、昔好きだったあなたのことは忘れられない、その記憶を消すことは出来ないという曲なのだ。「わたしは今もその記憶に囚われているのだ」というメッセージを発すること、アイドルとしての活動に思いを残しているのだと伝えること、身勝手な深読み──この文章すべてがそうだとも言えるが──を続けるならば、自分から嫌気が差して仕事をボイコットしているわけではない、という事情を言外に匂わせて伝えることこそが、この曲が3曲のうちの1曲に選ばれた理由なのだと考えることも出来るだろう。

(以下、後半に続く)

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2007.10.16(火)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (後半)

 「大切」にしていた「淡い思い出」とは自分を愛してくれたファンへの想いでもあり、「大切」にしていた「懐かしい曲たち」とはモーニング娘。として歌った曲の数々に他ならない、と感じられる、2曲目の「大切」を挿み、最終回は後半へ続いていく。
 引き続きリスナーからのメール──「コーナー以外の普通のお便り」──が紹介されていく。
 GAMライブのDVDを発売当日に買いました、というメール。
 「『……とにかく歌を歌っているミキティは生き生きとしていて、どんな歌を歌っていても感情が届いてくるので、感動しっぱなしです。これからもミキティの歌を聞いて、僕自身も仕事頑張ります。ミキティはがばい最高です!』ということで、ありがとうございます。あのー、そうですね、あの、こないだもハワイで握手会をして、ま、一人一人から、握手して、言葉を貰ったんですけども、すごいあの、そのなんですか、歌がすごい好きだからこれからも歌い続けてください、っていう人が多かったりとかして、なんかもうそういうのがスゴイ力になるなーと思いながら、ありがたいなーと思いながら、こっちも、そうですね、握手しながら元気を貰いました! まあ、これからも出来る限り歌いつづけて、行きたいので、よろしくお願いします。その言葉を信じる。藤本美貴はどんな苦境に立たされても歌を諦めないのだと、藤本美貴の歌を愛しているファンの気持ちに応えてくれるのだ、と。
 もう1通、GAMのDVDを買いました、というメール。「二人目の子供の出産予定日と重なりライブに行けなかった」というファンに対し、「2ndツアーがあれば是非来てほしいな、と。ね。あのー、これからも続いていけば、その時は是非、二人目、生まれた子供も見に来てくれればと思うので、ぜひぜひ見に来てください」この言葉からは、歌を続けたい思いは強いが、GAMの今後の予定について、歌手藤本美貴の直近の予定については、何もはっきりしたことが言えないという彼女の苦悩が聞こえてくる。
 次は、世界陸上を見に行ったときに「茶目っ気を出し、藤本さんのデザインしたTシャツを着て行きました」というメール。ミキTの可愛らしさをTVを通じて世界に伝えようというファンの気持ちに、美貴ちゃんも、ちょっと苦笑気味ながら、ありがとうございます、と感謝。「そうですね、わたし、これからは、海外で、こう絵を描いてファッヒャッヒャ(笑)願望としては。そうですね、日本よりは海外のほうが私の絵を受け入れてくれる気が、ちょっとずつ。まー、さっきもお便りありましたけれども、海外進出のほうが先なんじゃないかと。そうですね(笑)これからも、なんかね、ナニぃ、メンバーとかに、すごい迷惑に、Tシャツとか作って着せてみようかと思います。」強烈な個性を発する藤本美貴の絵は日本では理解されないという意識、それは、絵ばかりの話ではないだろう、藤本美貴の個性がつまっている彼女の絵は、藤本美貴自身の個性の象徴でもある。自分自身の真の個性が認められていない、という忸怩たる思いが言葉から滲む。そして、彼女は「メンバー」と言った。モーニング娘。を「脱退」となってから3ヶ月以上経っても、彼女の中で、モーニング娘。のメンバー達は「メンバー」なのだということ。決して「モーニング娘。さん達」などという醒めた距離感は持っていないということが、言葉から伝わる。「『藤本さん、これ、いらないです!』ってシゲさんとかに言われそうだけど、シゲさんはでも意外と喜んで着てくれそうな気がするんで、あのー、これからも迷惑ながら描いていきたいと思います(笑)」ここで、道重さゆみの名前が挙がったことも決して偶然ではないだろう。2007.6.1の「脱退」以後も、たびたび「今夜もうさちゃんピース」の中で藤本美貴の名を出し、彼女を風化させまいとしてきた道重さゆみの同志愛への、これは返礼なのではないか。
 そして、ついに藤本美貴の口から、告知がなされる。「ところで、今日は、『おしゃべりパラダイス特集』をやってまいりましたが、みなさん、いつもたくさんのメールやお葉書、そしてお手紙にFAX、と色々送ってくれてありがとうございます。そんなみなさんに、ここで大切なお知らせが、あります。『藤本美貴のドキみきnight』今日で終了することになりました。ありがとうございます。」すがすがしいほどに、あっさりとした挨拶。気丈に振る舞うことこそが藤本美貴の負けん気の現れなのだろう。「地域によっては、途中番組が途切れていたところもあるのですが、実質、ハイパーナイトの前の枠から数えて、今日で、260回、5年ぐらいですね、ハイ、やってきた番組なんですけども、終るといっても自分自身まだ実感が湧かないんですけども、あのー、そうですね、デビューして2曲目ぐらいからこのラジオが始まって、ほとんどわたしの芸能生活と同じぐらいの、あの、ラジオ番組なので、すごい、なんだろ、あの、思い入れがあったりとか、あの、『浮かれネーム』ってのが、リスナーさんが『どう?』って言ってくれたりとか、『オヤスミキティ』もね、最初は『オヤスミキティ』って普通に言ってたのが、最近はもう、普通の『オヤスミキティ』がなくて、ほとんどなくて、こう、モノマネとか、やったこともないモノマネをやれって言われたりとか(笑)そういうのとかあったりとかして、あのー、すごいですねー、リスナーのみなさんとホントに一緒に作っているラジオだなっていうのをすごい感じてライブだったりとか、握手会だったりとか、どっかファンの人に会うと『オヤスミキティって言ってください!』とか、あのー、なんか、『バイバイミキティ』とかも、たまに地方の人とか言ってくれたりとか、そうあのー、オヤスミキティ…じゃなくてあのドキみき聞いてます、とか嬉しいミキモチとか、すごい言ってくれて、このラジオを通して、すごく、なんですかね、ファンの人と近くに感じたりとか。そう! あとねー、こう『浮かれネーム誰々さん誰々さん』って言ってるのを、それを握手会とかになると『誰々です』って来るとぉ、『お前かぁー!?』みたいな(笑)、とかあってぇ、そういう感動とかもあってですね、すごい、あの、ファンの人と会う楽しみがまた増えたんですけども、まー、約5年、ホントにありがとうございました。わたしの『殴りますよ』という発言にも期待してくれるリスナーさんが居、『殴りますよと言われたい』とか、なんかここでわたしのキャラクターも出来上がったような気がしますけれども。まあね、『メンタルクリニックの藤本先生』はいまだどこかへ行ったきりだし、ま『いろはがるた』…そうだよ! 結局商品化されず! ウッハッハ(笑)今隠れました、人が。(笑)そう、あとね、クイズの成績は、ご褒美19回罰ゲーム19回ということで決着がつかない感じで、なんか、いいぶんに答えてたのかな、っていう感じですけども。ほんとにですね、わたしの5年間がここでつまっているなという感じがあるので、ホントにありがとうございました。これからもですね、あのー、わたくし頑張って行きますので、えー、応援よろしくお願いします。そして、これからも、あの、このリスナーのみなさんのね、名前を覚えて、握手会とかで『マボです!』とかー、『??です!』とか、そういうのを言われたら、『あー!』って言う、すごいあの、嬉しいので、覚えておくので、ぜひ皆さん声掛けてほしいと思います!藤本美貴の口から溢れる言葉の奔流はとどまるところをしらない。ラジオを通じて築き上げたファンとの温かい信頼関係、その記憶が果てることもなく語られ続ける。もしファンからの別れを惜しむメールがこの場に届いていたら、この場面はどんなに感動的だったろうと想像する。おそらくお別れ特番を三回やっても時間が足りないほど、感動的な思い出や笑えるエピソードが番組に寄せられたことだろうと思う。藤本美貴は、リスナーの名前をこれからも忘れない、覚えておく、と言った。その思い出をこれからも『大切』にしていく、と。ドキみきを通じて出会えたファンを忘れない、と藤本美貴が言っているときに、ファンは藤本美貴を忘れられるだろうか。
 そして、ドキみき最後の曲が流れる。「ということで、最後の曲、聴いてほしいなと思います。ま、最後の曲は、ま、この曲を選ばさしていただきました。名古屋市の『にしわきさとし』さん。『リクエスト曲、ロマンティック浮かれモード。ミキティ、ロマンティック浮かれモード掛けてください。この歌をドライブに行くときに必ず掛けています。聴いていると不思議と元気が出てきて、楽しくなり、浮かれモードになり、大好きな歌です。この歌だけ繰り返し聴いて、2時間掛けて目的地に着くこともあります。』ということで。ありがとうございます。では聴いてください。藤本美貴で『ロマンティック浮かれモード』!」藤本美貴の代表作であり、紛うかたなき名曲であり、聴くと元気になる曲が流れる。それは、ラジオを通して声を届けることは出来なくなるけど、しばしのお別れだけど、元気出せよ、美貴も負けないよ、というメッセージに聞こえる。この曲の内容は、これから「史上最大の恋がはじまりそう」という、幸福感と、ワクワクドキドキに溢れたもの。この「史上最大の恋」とは、藤本美貴と庄司君の恋だろうか。その恋が藤本美貴の歌手生命を賭けたものであるなら、それは「史上最大の」という形容に恥じることはないだろう。と、同時に、その恋は「藤本美貴とファンの間にある精神的な恋」であってはいけないだろうか。恋は障害が大きいほど燃える、とも言われる。藤本美貴とそのファンとの恋愛は、このラジオの終了により、史上最大の障害に阻まれた、劇的なロマンティックラブという局面を迎えるのだ、と言えるのではないか。この二つの「恋」は両立できないものなのだろうか。なぜ、その両立は、ヒステリックに拒絶されねばならないのだろうか。
 そして、ドキみき最終回はエンディングへ突入する。『浮かれ番長』2名が紹介され、「そして、藤本美貴情報はですね、あのー、ま、これからも頑張っていくってことです。フッハッハ(笑)軽いですね。ハハッ(笑)」具体的なスケジュールは何もない、ということを、軽やかに笑い飛ばす美貴ちゃん、その声が明るければ明るいほど、痩せ我慢が胸に響いてくる。そして、来週からは、後番組として「音楽ガッタスによる新番組『Guts10ガッタス』が始まる」という告知。GATASによる、ではない、藤本美貴を排除して成立した音楽ガッタスによる新番組。「ガッツ溢れる10人組による新番組。ガッツ10…ちょっと寒い感じですけども(笑)」個人的な遺恨を響かせることも、逆に卑屈になることもなく、普段通りにぶっちゃけたツッコミキティ、そこに彼女の強さ、すがすがしい爽やかさを感じる。
 「それでは、ドキみきnight、このへんでお別れです。えーー、また、オヤスミキティ、最後、来ております。行きますよ。あっ。先に読みますね。愛知県の『気弱なファン』さん。『この前テレビで、『裸の大将』をやっていました。そこで、僕は思いました。絵が超上手い山下清のモノマネを絵が超下手なミキティがやったらどうなるのか。似てるのか、似てないのか。ミキティ、これは実験です。お願いします』」この、どう考えても、最終回などまるで想定していない、藤本美貴とリスナーのいちゃつきぶりを象徴するような投稿で、番組は締めくくられる。「ということで。やってみます。ハイ(笑)では、行きますよ。またいつか一緒にドキドキしようね。お相手は藤本美貴でした。『ぅわ、わたしは、ゃやや焼肉が、す、好きなんだなぁ。ハ鼻水が垂れたら、オお母さんに、フ拭くように、イ言われたんだな。お、オヤスミキティ。終り。』フッハッハッハッハ!! オヤスミキティー! バイバーイ!
 「鼻水を拭け」これは、ファンへの「泣くな、涙をこらえろ、鼻水を拭け」というメッセージだ。そして、最後に、高らかな、鮮やかな、笑い声を響かせて、北海道の真ん中ら辺からやってきた焼肉屋の娘、人前での平気で鼻がかめるアイドル藤本美貴のラジオは終わった。一滴の涙もこぼすことなく、声に悔しさを露すこともなく。あくまでも、サバサバと藤本美貴らしく。しかし、そのニヒリスティックなまでに乾いた笑い声の反響の中に、どれほどの遣り切れなさと悔しさが隠されているか、ファンの耳が聞き漏らすことはない。

 こうして、2007.6.1のモーニング娘。「脱退」から、じわじわと、着実に進行してきた藤本美貴の漸進的撤退は一応完了したと見てよい。それは、アイドルという概念、アイドルの処女性という虚構の価値を守ると称して行われた、一人の歌手の社会的抹殺に他ならない。それは、かのアドルフ・ヒトラーによって遂行された歴史的大虐殺、アーリア人種の血の純潔という虚構の価値を守ると称して行われた、国民たるユダヤ人の殲滅、ホロコーストと構造的にいささかも異なるものではない。
 たしかに、藤本美貴には、フットサルという活動の場だけは残されている。しかし何故、残されているのか、その意味をどう評価すべきかは、難しい問題である。もちろん、それを積極的に評価することも可能だが、しかし考えうる可能性のほとんどは、藤本美貴がガッタスに残留している理由、目的、事情、機能といった要因が、結局は、「大人の事情」という考えるだに意気消沈せざるをえない要素へと収斂していくものであろう、と言わざるをえないものである。
 アドルノは書いた。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である、と。それと、まったく同様に、藤本美貴のモーニング娘。「脱退」以後──ドキみき終了以後はさらに──「アイドル」をうかうかと賞賛することは野蛮以外のなにものでもない。一体、アイドル概念とは何なのか、その虚妄性、イデオロギー性を突き詰め、徹底して内在的に批判すること、それを通じてしか、野蛮に陥ることなく、真に肯定しうるアイドル文化を生き延びさせる道筋は存在しない。

2007.10.17(水)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 追加

 ネタにまぎらせながらも、美貴ちゃんは「鼻水が垂れて、お母さんに、拭くように言われた」と私たちに告白した。
 美貴ちゃんは、お母さんの前で、泣いたのだろうか。

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2007.10.22(月)
■オーガさんとの共闘:藤本美貴の「子供性」を擁護する

 2008新春のハロコンに藤本美貴が出演しないことについて、ハロプロ公式サイトは「藤本美貴は、都合により出演しません」と告知──それらしい都合の中身をでっちあげて体裁を繕うことすら放棄して──したのだった。その「都合」とは、いったい何か。オーガさんは、「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」──『ハロプロをなんでも肯定する・裏』で、いみじくも、それは大人の都合だと表現した。それは禅問答における一休さんのトンチを思わせる冴えた解答だ。そしてオーガさんは続ける、藤本美貴はその「大人の事情」を受け入れていないのではないか、と。
 以下に、オーガさんの感動的な文章を、尊敬をこめて引用させていただく。

恐らく、藤本美貴はツッパっている。夢を閉ざされる危険を承知で。
夢と引き換えにできるものは何だろう、と考えると、僕には一つしか思い浮かばない。

誇り。

自分自身に誇れる自分であるために、折れることをしない。そんな風に想像する。
子供じみているのかもしれない。「エッグの子たちの方がよっぽど大人だぜ」と思われているかもしれない。

(中略)

歌もトークもさることながら、僕は藤本美貴の「人間くささ」を非常に気に入っている。ということには最近気づいたわけだが、であるから、もしかしたら彼女が水面下で繰り広げているかもしれない「人としてのたたかい」を、それが存在するのなら陰ながら応援したいと思う今日この頃。

道は険しいだろう。秩序からはみ出そうとする者は、秩序の構築者にとっては脅威であろうから。
オーガさん「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」−−『ハロプロをなんでも肯定する・裏』より引用

 藤本美貴は、たしかに、聞き分けのない子供、手に負えない子供であるかもしれない。しかし、その子供性は、人間としての成長の過程で乗り越えられるべき欠如としての負の特性では断じてない。その子供性はあくまでも肯定さるべき彼女の個性、人間性の真理の発露として擁護されねばならないものだ。
 藤本美貴の子供性に対比されるべき大人性とは、この息苦しく欺瞞に満ちた世界を統制し管理する制度や権力に対し、ひたすら恭順であろうとする態度、風見鶏のように空気を読み、決して逆らわず、大樹の陰に寄り、打たれる出る杭にならず、学生気分の青臭い理想を語らず、社畜精神と奴隷根性を完全に内面化すべく己をしつけ、その結果として、この虚妄に満ちた社会のイデオロギーを容認するばかりか、それによって人間性の最後の瞬きまでも踏みにじろうとする現体制の維持強化に加担する態度に他ならない。それは自由に息づく人間性を放棄する代償として、社会の一隅に居場所を与えられるための永久に続く通過儀礼であり、その居住許可者登録証には「つまらない大人」という刻印が記されているのである。
 その唾棄すべき登録証を踏みにじり、一文の得にもならない子供性という真実を握りしめて手放さない者こそ、真の意味で芸術家と呼ばれるべき存在だ。真の芸術家において、生きること(労働)と芸術(遊び)とは別のものではなく、ともに自由な人間性の発露として一体をなす。
 藤本美貴は、女の子の全身全霊の決意で、自分の本当の気持ちという一文にもならない真実を死守することを選んだのだろう。その真実を、「処女性を維持できないアイドルはモーニング娘。にはいられない」という”アイドル神話”や「モーニング娘。としての約束」という名の事後的に捏造された偽金と換金するために手放すことを、藤本美貴は拒絶したのだろう。世界中から子供じみていると揶揄されようとも、薄汚い現実の前に膝を屈しないことこそが、藤本美貴の誇りであるだろう。
 しかしこの全面的に虚偽に覆い尽くされた世界で、真実だけを武器に戦うことは、ほとんど必然的に敗北することに他ならず、悲劇的な結末が待っていることは不可避的だとも思える。大衆の意識を操作する力を持つメディアという権力が、いまなお処女性と言う金のなる木を手放す気がない芸能事務所と固く結託し、それら金と力の源泉である胴元たちに逆らう気など更々ない賢く世渡りする芸能人やマスコミ関係者が歩調を合わせて、口々に「モーニング娘。は処女性を堅持せよ」「”アイドル”のイメージを守れ」「モーニング娘。の掟を破るな」と朗々たる大合唱を響き渡らせる。その大音響の中で、真実のか細い声は掻き消される他はないのだろう。
 その真実の声が掻き消されないためには、藤本美貴擁護の声を結集しなければならない。藤本美貴が藤本美貴らしくあることを擁護するために共闘が組織されねばならない。わたしはそれを藤本美貴解放戦線と呼びたい。そして、この戦線を、お互いに孤立しつつ孤独に戦い続けている戦士たちは、少数とはいえ、決して皆無ではない。
 現状では、勝利の影すら見える気配のない苦しい戦いではあっても、この戦いから希望の火が消えることはない。藤本美貴のファンは、確信している。藤本美貴が、決して装われたものではないほんものの魅力である子供らしさを保って彼女らしく生き続けながら、同時に、ファンに愛されファンに愛を届ける真のアイドルであることが許されない世界など、まがいものの世界にすぎないのだ、と。

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2007.10.27(土)
■アンジェラスさんとの共闘:娘。の歴史上もっとも悔しい出来事

 《ミキ受難曲》の文章を綴り、藤本美貴擁護の声を挙げ続けるようになってから、掲示板やメールで何人もの美貴ちゃんファンと、美貴ちゃんへの愛に溢れる言葉のやりとりをさせていただけるようになった。その面では、現在、当サイトは、間違いなく藤本美貴推しのサイトとなっている。
 美貴ちゃんを愛し、応援し、彼女の選んだ道を、それぞれに苦しみながらも認めていこうとする多くの声に接するたびに、そこからとても大きな勇気を分け与えられている。
 なかでも、とある熱狂的美貴ちゃんファンから教えていただいて、アンジェラス様のブログ
狂熱の娘団。の、美貴ちゃんへの愛、そして娘。メンバー全員への深い愛情に貫かれた文章を知ることが出来たのは、この数ヶ月でもっとも大きな喜びだった。

 アンジェラスさんは、実践的にも、文章執筆においても、私などと比較するのも憚られるほど充実した活動を展開していらっしゃる、モーニング娘。結成当時からのファン=サポーターなのだが、特に、そのモーニング娘。歴代メンバー全員への深い愛、真に倫理的な意味での博愛主義としてのDD(誰でも大好き)を表明していらっしゃる点に、深い尊敬を抱く。
 痛井ッ亭。の如き、DDにもなりきれない中途半端で、ヘタレなライトヲタが、こうしてアンジェラスさんのことを語ること自体が、おこがましいとさえ感じる。
 ところが、そのようなファンとしての天と地ほどのエネルギーの差があるにも関わらず、こと藤本美貴の「脱退」や、現在置かれた状況に対する思いという点では、ほぼ完全に同じ思い、同じ憤りを共有していると思われて、そのことに深く勇気づけられた。
 殊に、モーニング娘。結成から、10年にわたって娘。を応援し続けてきた氏が、美貴ちゃんの娘。脱退は、私の美貴ちゃんファン生活の中ではもちろん、娘。ファン生活の中でも最も悔しかった出来事でした。と語ってくれていることが、何にも増して私の励みになっている。
 「モーニング娘。はもともと藤本美貴にふさわしくなかった」「ソロ(元の居場所)に戻っただけ」「モーニング娘。を抜けて正解」というような薄情な意見も多いファン界隈にあって、モーニング娘。にも、藤本美貴にも、等しく深い愛を注ぐアンジェラスさんの存在は、とても貴重だと感じる。

 そこで、アンジェラスさんの文章から引用しつつ、コメントを付けさせていただこうと考えたのだが、引用すべき文章を整理しただけでも膨大な量になってしまった。幸い、アンジェラスさんご自身が、関連する文章についてのリンク集をまとめてくださっているので、まだ未読だという方は、どうか是非、直接リンク先の文章の全てをお読みいただきたい。
 護られなかったもの──狂熱の娘団。
 ここで、アンジェラスさんと同じ思いを共有していると感じる、美貴ちゃんをめぐる問題についての基本的な考え方を、簡略に整理しておきたい。

 ・批判されるに値しないプライベートでの恋愛を不祥事のように騒ぎたてることで、美貴ちゃんは「脱退」に追いやられてしまった。
 ・彼女を追い詰めたものの本質は、『アイドル原理主義』という概念。つまり、アイドルの恋愛を否定し、処女性の保持を要求するような時代錯誤の価値観である。
 ・藤本美貴を追い詰めた問題は、他のメンバーにとっても決して他人事や対岸の火事ではないということ。
 ・「アイドルは恋愛禁止」などと言う太古の昔の冗談の様な歪んだ価値観が世の中に未だ存在するのであれば、モーニング娘。たちを「アイドル」と呼ぶことを拒絶したい。(痛井ッ亭。としては、「アイドル概念」の女性蔑視的イデオロギー性を問題化しつつ、モーニング娘。は「アイドル」でありながら「アイドル」を批判する存在でもある、と、理論構成したいと考えている。モーニング娘。はアイドルとして内在的に「アイドル概念」と戦うことで、アイドルを脱構築する)
 ・ファンがアイドルを擬似恋愛の対象とみることは構わないが、そのような楽しみ方を絶対視して、彼女たちの私生活まで監視し、拘束するのは問題だ。
 ・アイドルが私生活で恋愛しても、それは当事者間の個人的な問題であり、ファンが口出しすべきではない。
 ・藤本美貴を「脱退」させて、何を護ろうとしたのか。それは本当の意味で、モーニング娘。たちを護ることであるだろうか。“恋愛発覚→即脱退”の原則を生き延びさせることには同意できない。
 ・「モーニング娘。の藤本美貴」が大好きだった、そして、五代目リーダー藤本美貴にとても期待していた。
 ・スクープ記事ごときは、強気な美貴ちゃんで堂々と乗り切ってほしかった。無視してほしかった。そして、モーニング娘。を取り巻く状況を変えてほしかった。
 ・青春の輝かしい4年間をモーニング娘。に捧げてきた藤本美貴が、後々まるで彼女が“不名誉除隊”のような扱われ方をすることは承知できない。
 ・藤本美貴を応援し続ける。アーティストとしての藤本美貴を、私たちファンの元に取り返すその日まで

 アンジェラスさんの、力強い応援に比べ、痛井ッ亭。に出来ることは微々たることにすぎないけれども、せめて、その熱い思いを共有し、ともに、藤本美貴を悲しませている諸々の力に対して、批判の声を挙げ続けて、藤本美貴のために共闘していきたいと願う。
 この思いを、怒りと悲しみを、もっともっと多くの藤本美貴ファン、そしてモーニング娘。ファンと共有したいと切望する。

 最後に、誰のためでもなく、自分のために、アンジェラスさんの、深い愛情に溢れる文章を、ここに引用させていただく。深い尊敬とともに。

 アンジェラスさんの、モーニング娘。への思い。

私は、時代錯誤の歪んだ価値観を求めてモーニング娘。や藤本美貴さんのファンをやってきたのでは無いし、(偶像としての)アイドル等と言う下らない物を追い求めて10年もファンをやってきたのでは無い!
モーニング娘。とは、生まれながらにして親から類稀なる才能を受け継いだ人でも何不自由無い裕福な環境の中で英才教育を受けた訳でもない、何処にでも居る普通の女の子たちが何処にでも居る普通の人たちのために愛の歌、平和の歌、希望の歌を歌い、縁も所縁も無かった娘たちが時代を超え世代を超え故郷の違いを超えて“血を超えた血脈”で結びつき、ほんの一瞬の眩い光を放つ青春の物語なのだ。
決して綺麗事でも安っぽい物語でも無い。
時に他人を羨み妬み、憧れ恋して愛して慈しむ、血の通った人間たちのドラマであって、お人形さんたちの虚構なんかじゃ無かったはずだ!

 そして、氏の最愛の推しメンである裕ちゃんと、美貴ちゃんとが二重写しになる場面。

そして美貴ちゃんが激しい口調で後輩たちを叱咤する姿に、“我が最愛の人”初代リーダーのかつての姿を重ね合わせていました。
元より団体行動が苦手だった人が、年下の仲間たちと接し続ける日々の中で、少しずつ優しいお姉さんに変わって行く姿に、若き日の裕ちゃんの残像を重ねていました。
豪放磊落に見えて実は繊細で、強気のように見えても実は気が弱かったり、自分の気持ちを素直に伝えられないところにもね。
 (中略)
何で私が“モーニング娘。の中での美貴ちゃん”にずっと拘り続けているのか、今まで幾つかの理由を申し上げてきましたが、本当の理由はね、美貴ちゃんのモーニング娘。リーダー就任が、長い間抱いていた私の夢だったからなんです。
そして、そんな私の夢を奪った人たちの中に、娘。のファンを自任する人たちが少なからず含まれていた事が、私を深い心の闇の中に突き落としてしまったのです。
モーニング娘。のアイデンティティーを失わずに、新しいモーニング娘。のスタイルを確立させた よっすぃ〜の後を引き継いで、“モーニング娘。の原点”を今に伝える事の出来る唯一の人が、美貴ちゃんだったから。
それがこれから先のモーニング娘。にとって、大切な事なのだと信じていたから。
美貴ちゃんにとっても、貴重な経験になるはずだったから。
美貴ちゃんのファンの皆さんは彼女の事を理解してくれていると思いますが、もう一方のモーニング娘。ファンの皆さんにも、ほんの少しくらい美貴ちゃんを理解してあげてほしかったのですけどね。

 アンジェラスさんがみた、美貴ちゃんという人。

彼女は見た目は活発で天邪鬼で口は少々悪くて甘えたさんだけど、後輩を思いやり仲間を思いやり、先輩に気を使いファンに心を配り、ステージの上から目にした一部のファンの姿に孤独を感じ、辛いときや悲しいときでも声を殺して泣くような、繊細で寂しがりやの女の子でした。

 そんな繊細な女の子から、活動の場を奪い、不当な汚名を浴びせかけるような「アイドル」という存在のありかた、メディアの世界、芸能界、もっと言えば、我々自身が構成しているこの世界そのものが、根本的なところで歪んでいるのではないだろうか。

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2007.10.28(日)
■中澤裕子の抵抗:「モーニング娘。をアイドルと思ったことはない」という嘘

 では10年後の中澤さんは?
 「モーニング娘。がいる限り、ずっとハロー!プロジェクトにいようかな、って最近腹くくったんですよ(笑)。いなくなってほしくないんですよね、やっぱり。だからモーニング娘。が永遠に続いたら永遠にいますよ。」
『モーニング娘。誕生10年記念本』p141より、中澤裕子の発言を引用。

 中澤裕子は、モーニング娘。とともに永遠にハロプロにいつづける、とその決意を語った。たんに所属しつづけるだけではない。そこには、モーニング娘。を護ろうという強い意思が感じられる。ハロプロという大所帯のリーダーとして、メンバーの精神的な支柱となり、後輩たちを支え続けようという決意。その決意は「最近」──ハロプロの枠から離れ、自立した芸能人としての活動も順調に幅を広げ、着実にキャリアを積み重ねている今になって──確かなものになったのだという。そのことは、おそらく、「最近」のハロプロを巡る困難な状況と無縁ではない。後輩たちが、様々な形で、苦しみ、壁にぶつかり、悩んでいる。その後輩たちのために、本来の弱い自分を封印し、強い姐御としての姿を示し続けること。
 その後輩には、藤本美貴も含まれている。

 中澤裕子は、後輩たちを、とりわけモーニング娘。のメンバーたちを護るため、彼女たちを苦しめるものと戦う。その一つの現れが、朝日新聞2007.10.24夕刊『モーニング娘。結成10年「アイドルと思ってない」』の記事だと考えることができるだろう。

「LOVEマシーン」などのミリオンセラーを経て「国民的アイドル」とも呼ばれる存在になったが、メンバーにはその意識がないという。
「私は、アイドルとは思っていない。『モーニング娘。』というカテゴリーとみている」。1期生のリーダー、中澤裕子はそう話す。
朝日新聞2007.10.24夕刊『モーニング娘。結成10年「アイドルと思ってない」』より引用

 「モーニング娘。はそれ自体が一つのジャンル(あるいはカテゴリー)である」という言説は、モーヲタ界隈では昔から有名な一般的言説である。(この思想は、時に「メンバー一人一人が、一つのジャンルだ」という、ジャンル概念自体を自壊させかねない思想へと先鋭化することもある。)
 しかし、「モーニング娘。は、アイドルとは違う、独立したカテゴリーである」と、いくら言い募ったとしても、モーニング娘。がアイドルとして売り出され、消費されるという現実はいささかも揺るがないし、隠しようもない。
 しかも、記事中の「メンバーにはその(アイドルであるという)意識がない」という表現は、明らかに事実に反している。これは歴史の捏造だ。メンバー達は、過去にも、そして現在においても、自らを「アイドル」と呼び続けている。にもかかわらず「メンバーにはその意識がない」とあえて要約することには、なんらかの意図がある。その意図を中澤裕子の発言は補強している、あるいは、中澤裕子の発言こそが、この記事の歴史観を導いたのだろうか。
 「私は、アイドルとは思っていない。」という発言は、端的に一つの虚偽である。中澤裕子はモーニング娘。が「アイドル」であったし、今も「アイドル」であることを身に沁みて知っているからである。にもかかわらず、あえて発言された虚偽は、明確に、ある戦略的機能を帯びた虚偽である。

 中澤裕子はその著書『ずっと後ろから見てきた』でこう書いている。

 私、最初、モーニング娘。って「アイドル」と思ってなくて、誰かに言われて気づいたんですよ。”24でアイドル。ありなのそれ?”
 (中略)
 24でも16でも関係なく、モーニング娘。はアイドルグループなんだ……。
 (中略)
 当時の考え方って今とは全然違ってたから、「アイドル」と呼ばれるのにすごく抵抗を感じていた。今だったらアイドルってカッコイイと思ってるから嬉しい。
中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』p146-7から引用

 当初は、自分がアイドルとみられることに抵抗を感じていた中澤裕子。当然、「モーニング娘。は(自分にとっては面倒なことに、残念ながら)アイドルである」という自覚があった。そして、そのことに複雑な感情を抱いていた。24歳でアイドル視されることへの抵抗感──まっとうな成人女性としての羞恥心──だけではなく、アイドルという存在そのものが時代遅れでダサイのであり、モーニング娘。はそのダサイ「アイドル」の中でも、ひときわ「垢抜けていない、田舎臭い、素人臭い集団」いわばダサさの二乗とも言うべき存在なのだという自覚。
 だが、中澤裕子は、後に「アイドルはカッコイイ」と考えるようになった。その「かっこいいアイドル」とは、言うまでもなく、自分を含むモーニング娘。以外の何者でもない。自分たちが、その革命的な活動を通じてアイドルという存在とその概念を刷新してきたのだという自負が、そこにはある。だからこそ彼女は、アイドルと呼ばれて嬉しい、とまで言えるようになったのだ。

 ところが、その中澤裕子が、この朝日新聞の記事では「モーニング娘。はアイドルではない」と語っている。
 これは変節なのか。違う。
 今、この困難な状況下において、中澤裕子は、モーニング娘。を再び「アイドル概念」から引き離し、アイドルから独立したカテゴリーとして回復する必要性を痛感しているのだ。おそらく朝日新聞も──そして願わくばUFAも──その認識を共有しているのだろう。
 今、メディアの世界には、モーニング娘。を旧態依然たるアイドル概念に押込むことで、モーニング娘。をがんじがらめに縛り、袋叩きに叩き、弱体化しようとする動きがある。アイドル概念──アイドルだから恋愛禁止、アイドルだからイメージを守れ──が、モーニング娘。を拘束する。そのアイドルというイデオロギーは、決してモーニング娘。を明るい未来へと導くことはない。その認識が、中澤裕子の発言、ひいてはこの記事全体の論調へと繋がっている。

 この記事は、モーニング娘。を「一般人に近い存在」として印象づけようとして、殊更に、モーニング娘。の「親しみやすさ」を強調する。

 有名になってからも、メンバーは電車に乗り、コンビニで買い物をする。
 (中略)
 5期生で現リーダーの高橋愛は、ジャージー姿でダンスの練習をする先輩メンバーを見て「華やかなところしか見ていなかったので、びっくりしたけどうれしかった」と振り返る。

 この記事は、とうに堕ちた偶像として凋落し、過去のものとなってしまった「国民的アイドル」モーニング娘。を、もう一度、その原点である「普通の女の子たちの物語」へと位置付なおそうという試みである。

 しかし、その試みは、容易ではないどころか、ほとんど不可能に近い試みであり、執筆した記者自身も、また中澤裕子も、そのことは重々承知しているだろう。
 だからこそ、戦略的に、「アイドルとは思っていない」と主張しつつ、したたかにアイドルとして振る舞うという、面従腹背的な、二面戦術を実践することが求められるのだ。

 恋愛や結婚について聞いたところ、中澤が「その質問にはお答えできません」。「アイドル」の模範解答で締めくくった。

 ここでは「アイドル」は、「自らの恋愛を隠蔽する(せざるをえない)存在」と規定されている。そして、中澤裕子は文字どおり「アイドル」として振る舞った。
 モーニング娘。を「アイドル」から取り戻そうと企図する中澤裕子でさえ、34歳の今なお「アイドル」として振る舞わざるをえないという現実、その軋轢と矛盾が、この記事に反響している。
 「モーニング娘。があり続けるかぎり、わたしもハロプロにいよう」と語った中澤裕子は、この記事で、頼れる姐御として、リーダーとしての役割を果たすため、したたかなサバイバル術のお手本を示そうとした。
 藤本美貴は、仕事への真摯な取り組みや、メンバーへの深い愛ばかりでなく、生き延びるためのしたたかさや、用心深さをこそ、中澤裕子から学ぶべきなのかもしれない。そして、そのことはおそらく、藤本美貴が藤本美貴らしく生き続けることと矛盾しないだろう。自分に正直な藤本美貴でありつつ、同時で「アイドル」でもあるための作法を、その奥義を、中澤裕子は伝授しようとしているのかもしれない。

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2007.11.09(金)
■つんく♂さんの抵抗:擁護としての創作〜「女に幸あれ」「みかん」に込めた思い〜

 グスタフ・マーラー(1860-1911)は、わが子を失った悲しみを歌ったリュッケルトの詩を元に、歌曲集『亡き児を偲ぶ歌』を作曲し、1902年に出版した。そして、その年のうちに、生まれたばかりの次女を実際に亡くし、五年後には長女も病気で亡くしている。オカルトめく解釈は避けねばならないが、真の芸術家は時として自らの運命を予感するような作品を──運命に導かれるようにして──産み出してしまうものなのかもしれない。
 つんく♂は、モーニング娘。4代目リーダー吉澤ひとみの最後を締めくくるシングル曲として、吉澤らしく「かっけー」曲『悲しみトワイライト』を作曲した。その冒頭を、つんく♂は、「好きにさせといて 急にいなくならないで」という歌詞で始めた。それを歌ったのは、吉澤ひとみではなく──彼女の卒業は年頭から予告されており、「急にいなくな」る訳ではなかった──それを歌ったのは、藤本美貴だった。そして『悲しみトワイライト』が、まだ最新シングルであるうちに、藤本美貴は「急にいなくな」ってしまい、結果的にこの曲は──誰も予想できなかったのだが──モーニング娘。藤本美貴にとっても最後のシングルとなってしまった。2007年6月1日以降、藤本美貴が歌う冒頭のスレーズを聞いて、心の中で「お前がそれを歌うんかい!?」と、関西弁でツッコミを入れてしまった人の数は、千や二千ではすまないだろう。つんく♂は、この歌詞を藤本美貴に歌わせたことと、彼女自身を襲った不運との間に、悲劇的な暗合のようなものを感じなかっただろうか。
 そして、2007秋のコンサートツアー『ボン・キュッ・ボン・キュッ・BOMB』では、この冒頭部分を新リーダー高橋愛が歌っている。それはまるで、この冒頭を最初に歌っていた存在を惜しむように、また叱責するように、彼女への呼びかけとして響くのである。

 つんく♂は長年、芸能界でタレントとして、J-POPの世界で歌手として活躍してきた人であり、はっきりいえば、二流扱い、イロモノ扱いされてきた。ゆえに彼は、アーティストの辛い立場というものを嫌というほど知っており、その経験を通して培った感覚、芸能事務所や放送メディアという文化産業の支配者に対して、何も言えない弱い立場にあるアーティストへの共感というものを、実力派プロデューサーとして名を馳せ、新進気鋭の事務所経営者となった今でも、保ち続けている。彼自身が、アーティストという弱い立場の中にいまなお自分を置き続けてもいる。
 彼は、アーティストは結局のところ、文化産業の言いなりでしかありえないという、この世界の暗い現実を知悉し、それに従いながら巧みに生き延びてきた。その彼が、権力に対して面と向かって抵抗することは不可能──死を意味する──なことであり、唯一可能な抵抗は、作品の創作を通じて、パフォーマンスを通じて、芸術的実践を通じてなされるより他にない。つんく♂は、文化産業の注文に見事に応じつつ、同時に、その中に抵抗という二重の意味を忍び込ませる。文化産業によって完璧に支配・管理されたこの世界においては、抵抗はこのような形を取らざるを得ないのであり、また、そのような抵抗の身振りの中にこそ、今日における唯一アクチュアルな社会批判としての芸術的実践がある。それは、つんく♂自身によって「ロック」と名づけられる。

 藤本美貴を失った新生モーニング娘。の初のシングル『女に 幸あれ』の歌詞は、『ふるさと』の時代から何一つ変わらない内容を持つ。すなわち、田舎から上京して都会で頑張っている女の子が男にフられて泣いている、その女の子に、幸あれと願う歌。恋に破れた若い女の子に対する普遍的なエールとしての失恋の歌。
 しかし、この曲の中で最も重要な言葉は、何度も繰り返し強調される「バカね」であるように思われる。この曲のPVではモーニング娘。たちが、口々にカメラに向かって「バカ!」──ただし音は消されている──と言い続ける演出がなされている。メンバー自身も「普通なら、アイドルが言わない言葉」と、その演出を評していた。関西人のつんく♂にとって「アホ」は軽い挨拶程度の表現といえるが、「馬鹿」はそれとは比較にならないほど強い否定の響きを持っている。モーニング娘。たちは、いったい誰に向かって「バカ!」というのか。それは、いま一緒に歌うことができなくなって、ここにはいない──モニターの向こう側でこのPVを観るであろう──藤本美貴に向かってではないのだろうか。
 「バカね」という連呼には「何故、モーニング娘。をやめて、オレの前からいなくなんねん! これからがお前の時代やったんと違うんか?」という痛切な、叫ぶような思いが込められていないだろうか。失恋に負けるな、という表向きの歌詞の裏で、このようなやり切れなさ、恨みつらみ、悔しさを爆発させてはいないか。そういう暗い感情を直接反映するかのような曲調、演歌=怨歌調に作曲された『女に 幸あれ』は、まさしく「アイドルど演歌」呼ばれるべきなのかもしれない。

 『女に 幸あれ』のPVは、「金色の歌衣装」一着のみで構成されているが、その衣装は、もちろん「ザ☆ピ〜ス!」を引用したものでもある。おそらく「ザ☆ピ〜ス!」の金色は、初代リーダー中澤裕子という偉大な存在が不在となった大きな喪失を耐えるために、あえて選ばれた、きらびやかな色彩、空前の損失を埋め合わせようとする虚しい努力としてのケバケバしい賑やかし、という意味を持っていただろう。吉澤ひとみが卒業し、そのうえ藤本美貴までが突然いなくなってしまった、巨大な喪失を埋めるためには、ふたたび金色が──とにかく見た目だけでも景気のいいケバケバしい金色が──呼び戻されねばならなかったのだろう。
 まるで成金趣味の田舎のフィリピンパブのショーダンサーのようにセンスのない衣装、『うたばん』でキャバクラというネタにされるのが相応しいような衣装──PVのセットも同様に「安っぽい金ピカ」のショーパブの内装のようなセットだったのであり、その意匠は意図的に演出されたものだと考えられる。これは「女商売」としての「アイドル」の隠喩だろうか──を身にまとったモーニング娘。たちは、しかし、その衣装に負けないセクシーさを盛大に発散させる──「清純なアイドル」という保守的イメージを粉砕するかのごとく──と同時に、強く訴え掛ける眼差しと、その内面から発する凛とした気品によって、衣装や演出の下品さを、完全に帳消しにしていたのだったが。

 そして、『女に 幸あれ』と、C/W『Please! 自由の扉』のコーラスは、新リーダーと「サブちゃん」ことサブリーダーに就任したばかりの、高橋愛と新垣里沙が二人で担当している。

前作『悲しみトワイライト』では稲葉のあっちゃんのコーラスパートがカッコ良かったのですが、今作のA面曲とB面曲のコーラスにクレジットされている二人の名を見ていただきたい。
何がどうとかは言わないけれど、私は此処が最も嬉しかったんです。
何時だって願いは唯一つ『女に 幸あれ』(アンジェラスさん)より引用。

 そのことは、なにを意味するだろうか(こう問わずにいられない私には、残念ながらアンジェラスさんの持つ「慎み」という美徳が、欠如している)。
 つんく♂さんの声も、稲葉さんの声も、CHINOさんの声も聞こえない、モーニング娘。の声だけ、ということに積極的な意味があるのだろうか。それは、新役員のお披露目だろうか。心機一転という心意気だろうか。モーニング娘。の声だけで、団結を、結束を表現することだろうか。いずれにせよ、モーニング娘。自らが、コーラスという地味な裏方仕事を担当したという事実は、この危機の時にあって、初心への回帰として評価できるように思える。

 次に発表された35枚目のシングル『みかん』は、前作よりも、はるかに明るい曲調の、ポジティブな応援歌になっている。この二作は、現状が、暗い闇夜であるという認識においては共通している。しかし、『女に 幸あれ』では「朝日よ登れ」という悲壮感ただよう祈りであった感情は、『みかん』では、「どんな人も朝の陽に包まれる」という力強い確信へと変化しているのである。つんく♂の断言は、それを聴くすべての者に、そしてモーニング娘。に、藤本美貴に、勇気を伝えようとするだろう。

 『みかん』というタイトルの単語は、歌詞の中には一切出てこない。ここに、何故みかんなのか、という疑問が生じる。みかんから普通に思い描かれるイメージは、「誰にでも親しまれる庶民性」というものであり、それはモーニング娘。に相応しいイメージではある。が、そのような親しみやすさとこの曲の歌詞や曲調にはほとんど共通点がみられない。
 10月27日放送のGAKIKAMEで、新垣里沙が、このタイトルの意図をつんく♂さんに尋ねたときの答えを、私たちに伝えてくれた。それを要約すれば、「冬といえば、コタツとみかんとテレビ。そのなかで、コタツやテレビは人工的に作られたものであるのに対し、みかんは自然のものであり、着飾っていない、素のままの姿をしている。モーニング娘。は、コタツでもなくテレビでもなく、みかんであってほしい」という願いを、作詞者はこのタイトルに込めた、ということになる。
 これは、「アイドル」という、人間(文化産業)が作った概念に縛られることなく、モーニング娘。は素のままの、生身の人間そのものであり続けてほしい、という、つんく♂のメッセージだ。モーニング娘。は、そのまんまでええんや、無理して「アイドルの規範」になんか合わせんでもええよという、素のままのモーニング娘。たちの、全肯定、その肯定の象徴として『みかん』というタイトルが選ばれている。
 しかし、このつんく♂による説明は絶対的な、唯一の解釈ではない。『作者の死』(ロラン・バルト)以降、芸術作品の作者といえども、その作品の解釈において特権な正統性を主張することは許されない。そのような一般論は措くとしても、つんく♂による説明は、一つの比喩、モーニング娘。たちに分かりやすく意図を伝えるための「お話し」である。「人工物」ではなく「自然の存在であれ」ということが曲の主題であれば、それは、「りんご」でも「米」でも──実際はそれらも「みかん」も科学技術の粋を結集した農業という産業の生産物なのだが、それはさておき──、「山」でも「海」でも「鳥」でも「亀」でもよかったはずなのだ。それなのに何故、あえて「みかん」、歌詞にはなんら根拠となる支えがない「みかん」がタイトルとして選ばれたのか。それは、つんく♂さんお得意の「ダジャレ」を使ったダブルミーニングとして考察するのが適切であるように思われる。

 この曲の歌詞は、未来を掴み取るために闘争する歌詞である。そして曲調は、ポジティブに頑張ろうとする、元気に溢れる曲調であり、「これは負け戦なんかじゃない」という確信に漲っている。とすれば、「みかん」はまた、「未完」であり、「戦いは終わっていない。どんなに戦況は苦しくても、決着はまだ着いていない」という意味合いをも、同時に響かせるだろう。そして、モーニング娘。は終わらない、常に未完の、現在進行形の存在であり続ける、という宣言ともとれるだろう。あるいはそこに、藤本美貴の孤独な闘争を重ねることも可能なはずだ。
 さらには、強引に牽強付会して、「みかん」をつんく♂さんお得意のロック風に「みきゃん」と発音すれば、このタイトルを、「miki-en」 あるいは 「miki-an」と解釈することすら許されると思われる。「en」は、フランス語の、コメディアン、ボードビリアン、レズビアンなどの「アン」であり、「mikien」は「美貴を愛する者」「美貴を師と仰ぐ者」「美貴主義者」というような意味になる。「miki-an」は、藤本美貴のファーストネームと、その愛犬の名をつなげたものである。
 恣意的な我田引水解釈との誹りは甘んじて受ける。しかし、なんの決定的な根拠もないままに、りんごでも米でもなくあえて「みかん」が選択されているからこそ、このような強引な解釈の余地も、また生じるのである。そして、ダジャレやオヤジギャグを愛してやまない詩人つんく♂が、その可能性に気付いていなかったはずはない、と筆者は考えている。

 そうして『みかん』は、未来あるすべての若者への応援歌であると同時に、未来あるモーニング娘。自身への応援歌でもあり、また同時に未来ある藤本美貴への応援歌としても歌われることになる。『みかん』のメッセージの核心は、次の歌詞によって呈示される。「生きるために泣いている赤子のように/生まれたての純粋な心であれ」未来あるすべての若者よ、モーニング娘。よ、藤本美貴よ、お前たちは、世間のしがらみや、商売ずくのお約束、黴臭い掟に順応するために、物分かりのいい、つまらない大人にならなくてもいい。子供の純粋さを忘れるな。これは、つんく♂が今までに書いた詞の中でも、もっとも「ロック」な歌詞の一つだと言えないだろうか。

 そしてこれこそ、筆者と同じく1968年生まれのつんく♂による、遅れてきた青年の異義申し立てであり、文化産業──藤本美貴を排除し、藤本美貴的な自然の存在すべてを抑圧し管理しようとする文化産業──への抵抗の実践であり、「ロック」の実践であるはずだ。

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2007.11.22(木)
■道重さゆみの抵抗、亀井絵里の抵抗(ぽけぽけぷぅな)

 モーニング娘。現メンバーの中でもっとも「ロック」な存在は、道重さゆみではないだろうか。デビュー当時の凄みこそ失われたものの、まだまだヘタクソな歌唱と、どこに筋肉があるのかと疑わせる肉体から繰り出されるガムシャラなダンス。そして、それを補ってあまりあるセクシーすぎるパフォーマンスでファンを悶々とさせ、「清純なアイドル」としての常識や規範を軽々と乗り越えてみせながら、MCでは図々しいキャラを活かして痛いギャグを堂々と演じ、その落差でファンを楽しませる。お人形さんのようにメルヘンチックな甘い美貌に恵まれながらも、大好きな脂身にむしゃぶりつく姿を披露し、「お腹の肉がヤバい」ことを自ら話題にしてみせ、ラジオ番組で「太った」と言われ、「親方」という年頃の女の子につけるものとは思えないようなアダ名──絵里なら本気で「落ちて」泣いてしまうかもしれない──をつけられても、それを逆に武器に出来る。しかも、あろうことか芸能界の大先輩お笑い界の大御所である明石屋さんま師匠に向かって収録中に鉛筆を投げるという所業は、まさに「ロック」という名に恥じない過激な反逆ぶりだ(この件ではさんま師匠が本気で怒ってしまい、多くのファンが胸を痛めた。わたしも番組にメールを送った。結果的には、番組スタッフが道重さゆみのために「投げてもいい安全な鉛筆」を用意してくれて、事件をネタとして昇華するという最善の形で大団円を迎えることが出来たのだったが)。
 そして、あらゆる場面で縦横無尽に発揮される「実は黒いキャラ」。道重さゆみと藤本美貴はお互いの「黒いキャラ」を認め合う仲だった。
 プロモーションとして共にゲスト出演したラジオ(2007年2月23日『あべこうじのポッドキャスト番長』)では、からかうように「実はあんまり仲よくない」と、ぶっちゃける美貴ちゃんに対して、「仲いいです!これから仲よくなります!」と、すがるように言い張ったさゆ。
 美貴ちゃんからプレゼントされた、頭の上でうさぎが揺れる、可愛いというよりは、笑える、痛いカチューシャ(さゆのぶりっこキャラを茶化す意図もありそうな)を、なんとラジオの公開録音(2007年3月29日『今夜も☆うさちゃんピース公録SP』)で大胆にも着用しファンに披露してみせたさゆ。
 そんなさゆに対して美貴ちゃんは「メンバーの中で一番なんでも話せるかもしれない」と語っていた。その理由を美貴ちゃんは、「言葉をたくさん知っているから」と説明した。しかし、それ以上に、「黒いキャラ」を共有することで、アイドルとしての建前を気にせず自由に話すことが出来たのではないだろうか。
 そして、道重さゆみは「これから仲よくなります!」という宣言を実践するかのように、藤本美貴がモーニング娘。を「脱退」してからも、様々な機会で彼女の名を挙げつづけ、藤本美貴の風化に対してもっとも強力に抵抗してきた。それは彼女なりの「ロック魂=反逆精神」の表現なのかもしれない。
 「ガキカメ」では、あたかもそんな事件はなかったかのごとくスルーされてしまった藤本美貴の突然の「脱退」について、道重さゆみは「今夜もうさちゃんピース」の中で、しっかりと自分の言葉で、自分の気持ちをリスナーに伝えている。

 そうですね、さゆみもはじめ、ほんとにはじめ聞いたときは、ほんとにびっくりしてぇ。なんかもう急すぎてぇ、こんなこと予想もしてなかったので、もちろん。もうほんと信じられない気持ちでいっぱいで、ほんとに実感湧かなかったんですけどぉ。ま、藤本さんがたくさん、悩んで、たくさんいろんな人と、いっぱい話し合って決めた結果だと思うので。まぁ、それはほんとに、これから大変だと思うんですけど、お互い、がんばりたいなぁと思うしぃ、あとは、まあ、同じ6期メンバーとして、たくさん、なんかいろんな話、したりとかして楽しかったし、ほんとにさゆみ、テレビで(も)、藤本さん見てて大好きで、その藤本さんといっぱいお話できたのはほんと嬉しかったので、そしていっぱい助けられたし、アドバイスも貰ったし、いろいろ教えてもらったことは、忘れずにこれからも頑張るので。ぜひ藤本さんもまた、黒い者同士、仲よくしてほしいなと思います!
CBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』2007年6月21日より

 彼女が、堰を切ったように溢れ出る自分の気持ちを公共の電波に乗せてファンに伝えることが出来たのは、むろん彼女の力ばかりではなく、CBCラジオスタッフの働きが大きかったことと思う。UFA側との折衝もあったかもしれない。実現に至った理由としては、CBCでパーソナリティを務める道重さゆみが、同じCBCで5年もラジオをやっている──しかも番組をまたいでの交流企画も実現してきた──藤本美貴の身の上に起こった事件に一切触れないで終わらせるのはあまりに無理がある、という(大人の)判断があったのかもしれない。
 しかし、体裁を整えるための最小限度の言及というレベルをはるかに超えて、道重さゆみはその後も、藤本美貴の名をラジオに乗せ続けた。それはまさに英雄的な行動だと言えるだろう。
 9月6日放送の「今夜もうさちゃんピース」では、番組取替え企画で敗北した藤本美貴が「GAMのコンサート中にうさちゃんカチューシャをつける」という罰ゲームを実行できなかったため、納得できないさゆは「今後のフットサルで、ゴールを決めた瞬間に、うさちゃんピースをしてください、はい。これはもしかしたらカチューシャ以上の恥ずかしさかもしれないんですけど、いっぱい人がいますからね、メンバーも。ぜひそこでうさちゃんピースを広めてください」という新たな罰ゲームの指令を出した(これは
『ラジオ投稿?奮闘中?』のizumealさんのメッセージに対する返答として)。9月13日の放送では「物体同士を合体させる機械があったら、自分自身と何を合体させたい?」という質問に対し、「さゆみは藤本さんと、合体させたいです。」と答え、そうすることで、恥ずかしい罰ゲームをなんなくこなす藤本美貴の力を身につけたい、と語っていた。他にも藤本美貴への言及は多い。「ドキみき」が突然終了(2007.9.24)した後になっても、「こんうさピー」にリスナーから送られてきたネタ(さかさまパニック)に対して「えー、これ早口言葉じゃん。藤本さんのほうに送って!」とコメントしていた(2007.9.27)。最後の例は、単に収録時点でドキみきの終了を知らされていなかったためとも考えられるが、それでも風化への抵抗として喝采を叫びたくなったし、さゆならば、仮にドキみき終了を知っていたとしてもなお同じ発言をしたかもしれない、と思える。
 ラジオばかりではなく、この秋のハロウィンの時期に公開された公式写真でも、「どんな扮装をしたいか?」という全メンバー共通のお題に対して、道重さゆみはヘケート。藤本さんみたいに……と回答を書いていた。たしかに「魔女」と答えたメンバーは多数いたのだが、ハロウィンの仮装として「ヘケート」というのは普通ではないはずだ。(注:その後知ったのだが、ハロウィンで祭られる魔女は、本当にヘカテ(英語読みでヘケート!)であるらしい。さゆは、もしかしてこのことを知っていたのだろうか? 2007.11.30追記)道重さゆみにとっては、魔女の扮装は藤本美貴演じるヘケートと切り離せないものなのか、それとも、無理矢理にでも藤本美貴の名をそこに呼び寄せたかったのだろうか。
 いずれにせよ、そこには藤本美貴に対する深い愛、彼女を風化させようとする圧力に対する強い抗議の意思を感じないわけにはいかない。ロックな反逆精神に溢れた「遅れてきた反抗期」道重さゆみこそ、《藤本美貴解放戦線》の【名誉騎士団長】と呼ぶにふさわしい存在だろう。

 そして、同じく6期メンバーの亀井絵里もまた、藤本美貴のことを決して忘れてはいない。彼女は彼女なりの方法で、藤本美貴の風化に抵抗し、藤本美貴を継承しようとしている……はずだと思う。
 亀井絵里の個性は、道重さゆみとはまったく方向性が違うが、そこにもやはり強烈な「ロック性」が感じられる。ただし亀井絵里のそれは、まっすぐに強く表現されることはない。彼女が内面に抱えている反逆精神が、彼女の肉体と行動を通じて外部に表現されるとき、それは、「ぽけぽけぷぅ」や「KY」という支離滅裂、奇妙奇天烈な「くねくねとした」形をとって現れるのである。いったい、「幸薄い」とか「気持ち悪い」という特徴を持ち味として打ち出す「アイドル」がどこの世界にいるだろうか。亀井絵里の存在そのものが、世間の常識に対する過激な反逆なのである。
 当然、彼女の藤本美貴の孤独な戦いへの共感や、その風化への抵抗の実践も、かめヲタならざる者にとっては「理解しがたい」、ほとんどかめヲタの妄想にしか見えない形をとる。あるいは、妄想そのものと言ったほうがマトモではあるだろうが。
 すでに、10月2日の更新(藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》)でも触れたが、彼女は、美貴様の「脱退」以降、道重さゆみに「四面楚歌」という言葉を一日に何度も送りつけ、ラジオでも連発した。それは、美貴様が置かれた困難な状況への感情移入の表れだと感じられる。
 そして、10月7,8日に行われた『地球温暖化防止イベント モーニング娘。“熱っちい地球を冷ますんだっ。”文化祭2007in横浜』では、エコをテーマにした再生紙粘土細工で、藤本美貴を髣髴とさせる超絶的な手抜き作品を披露した。他のメンバーがテーマに沿った粘土細工を様々に工夫して作っていたのに対して、亀井絵里は、下敷きの長方形のマットいっぱいに紙粘土を敷き詰めただけの作品(?)を作り、それに「ペーパー」という題名をつけてみせた。たしかに再生紙粘土で再び「紙」を作るのはエコというテーマに沿ってはいるが、これほどやる気が感じられない手抜き感満点の作品もまたとない。2ちゃんねるのモ娘(狼)掲示板の、「亀井適当すぎww」というスレッドで、この作品が大いに話題になったのだが、そこには、こんな発言が溢れかえっていた。
 「藤本2世」
 「ミキティりん」
 「完全に藤本」
 「これ藤本超えてるだろwwww」
 「藤本でもここまではやらないだろ」
 「藤本なら最初の丸いままで地球にする」
 「きっとティッシュペーパーをよく使うミキティのことを考えていたんだと思う」
 「どこまで藤本好きなんだよw」
 「最近の亀井は藤本そっくり」
 「藤本を受け継いだのか?」
 「ノノ*^ー^)人(VvV从」
 「名前隠してたら絶対藤本だと思っただろうな」

 この作品で、亀井絵里は藤本美貴の「やる気のない感じ」「やりたくない仕事は手を抜く」という態度を継承したのだ、と(狼)ではみなされた訳だが(ネタとして)、さすがに『ハロー!モーニング。』で画伯の座を競い合った仲だけのことはある、と懐かしく「みきえり」を思い起こさせるような作品だった。
 さらには、10月24日放送の『FiveStars』では、冒頭、田中れいながこう報告した。「あ! ちょっとぉ、も、聞いて下さい。この前、ライブの時に、メンバーの亀井絵里ちゃんが、曲中にですよ? いきなり、お尻を触ってきたんですよ。ふだん絵里は、そんなことする人じゃないけん、本当にびっくりして、終わった後に「触ったやろー?」と言ったら、「だってお尻が出てて触らずにいらなかったもーん」って言われて、「どんだけ〜!?」ですよね。本当に、もう。はい。」
 ライブ中にメンバーのお尻を触るという行為を、芸術の域にまで高めた人は藤本美貴だった。それが例えば「辻加護」の仕業なら、子供らしい悪戯という安全さの中に収まったが、成人女性の美貴様がそれをやれば、そこには公開セクハラとも言うべき過激さが漂った。『セクシー8ビート』ツアーでは、それは公式な演出要素として採用され、亀井絵里は藤本美貴に反撃するという役目を担った。そして今回の『2007秋 ボンキュッ・ボンキュッ・BOMB』ツアーでは、亀井絵里自らが、率先して田中れいなのお尻を触った。それは、作為的な演出としてではなく、亀井絵里の自主的なアドリブ行為としてなされたのである。
 亀井さんのお尻と並んで高い評価を得た、美貴様お気に入りのお尻の一つが、れいなのお尻だった。美貴様はそのお尻を「パンパースをしているみたい」「プッ、て感じ」と表現していた。美貴様が女性らしい慎み深さ(?)で、曖昧に誤魔化していたその言葉を、のちにラジオの生放送(11月15日、こんうさピー拡大SP)で、さゆみんは、「あ、でも、プリケツだよね、れいなって」と、堂々と口に出してしまったばかりか、れいなのお尻を触った絵里を羨ましがり「さゆみも触りたい」とまで発言したのだった。
 ともあれ、絵里は、『シャニムニ パラダイス』の藤本パートを受け継ぐだけではなく、ライブでの「おしりさわり虫」担当まで継承しようとしているらしい。
 継承するべきポイントはそこでいいのか、という疑問を感じなくもないわけだが、逆に、それこそが、もっともコアな部分での藤本美貴の継承なのかもしれない、という気もする。
 もう一点、継承といえるかどうか微妙ではあるが、亀井絵里の5th写真集『MAPLE』には、絵里が椅子の背もたれに手を掛け、顎を乗せ、遠くを眺めている美しいショットが収められている。それは藤本美貴が『リアル226』で見せた、犬と2ショットで写った写真のポーズを彷彿とさせないだろうか。藤本美貴の写真では、彼女はいかにも楽しそうな表情をしているのに対して、絵里は深い切なさを湛えた表情をしているのだが、その極端な対比も含めて、このショットの絵里には藤本美貴が乗り移っているようにさえ感じられるのである。
 思い込みに満ちた最後の例はさておくとしても、絵里は絵里なりのやりかたで、美貴様の破天荒な魅力を受け継ぎ、その風化に抵抗しようとしていると思えるし、まずは形から入ろうとしているように見受けられる点が、いかにも彼女らしいやり方だと思える。
 痛いかめヲタの筆者としては、絵里に《藤本美貴解放戦線》の【名誉副騎士団長】(ただし、ぽけぽけぷぅ担当)の称号を授けようと思う。

 ノノ*^ー^)<ミキヲタの寄生がひどい
 川VvV)<かめヲタの妄想がひどい
 ノノ*^ー^)川VvV)<兼ヲタだからもうワヤなことになってる
 从*・ 。.・)<痛い人がさゆみのファンじゃなくてほんとうによかった
 ノノ*^ー^)<ちょっと待って、さゆもそうとう推されてるからっ
 川VvV)<シゲさんに関しては、体だけが目当てらしいけど
 从*・ 。.・)<それってサイアクですよね

 当サイトの掲示板「えりちゃんねる モ娘(亀)」の《藤本美貴解放戦線》スレッドで、STUKAさんが、ご教示してくれたところによると、GAMの1stツアーのライブDVDでは、ミキティがモーニング娘。「脱退」に関してファンに伝えたコメントが、「これからは藤本美貴として頑張っていく」という発言もろとも、きれいさっぱり抹消されているとのことである。これについて、STUKAさんは、「彼女がやる事をやっていた証を消された、歴史の歪曲に近い感じも否めません。」と、慎重に発言なさっている。
 『10年記念展』における、藤本美貴を省略したモーニング娘。の歴史の要約といい、このDVDの件といい、まさに、事務所による藤本美貴の黒歴史化、風化作戦が着々と進行しているようにさえ思えてくる──11.4のGATAS札幌巡業という嬉しい例外はあったものの──恐ろしい状況の中にあって、メンバー達による、藤本美貴を継承しようとする姿勢、その風化への抗議は、限りなく貴重なものであり、その黒歴史化に抗おうとする気高い姿の中にこそ、モーニング娘。メンバー同士の真の友情や愛が刻印されている。


 (備考。CBC放送のドキみきNightの公式サイトは、ハイパーナイトのTOPページからはリンクが消されて辿れないようになってはいるものの、番組が終了して2ヶ月が経とうという今もなお削除されていない。スタッフたちもまた、削除をしないことで、不作為ながらも、道重さゆみと共に、風化に逆らっているのかもしれない。)

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2007.11.23(金)
■モーニング娘。の立たされた絶対的矛盾状況

 1988年生まれのジュンジュン、1991年生まれのリンリンは、まだものごころもつかない幼児のうちに、六四天安門事件(1989.6.4)とその後に続く抑圧的政治状況を、中国人民の一人として経験してきた。そして、おそらくは、娘の将来を気遣う親たちから、権力の執行者には何があっても逆らってはいけないということ、共産党独裁政権を恐れるべきことを叩き込まれるようにして育ってきたであろう。背中を丸めてひっそりと、あるいは面従腹背の作り笑顔で生きる術を身につけつつ、今日まで成長してきたのであろう。その二人は、モーニング娘。に加入して間もない2007年6月1日に、新リーダー藤本美貴の追放劇を目の当たりにして、いったい何を思っただろうか。後期資本主義社会を代表する国、西側先進国の一員、アジアの経済的発展を先導する夢のような国だと思ってきた隣国日本も、外から見て憧れてきたのとは違って、その内実は、祖国中華人民共和国と似たところがある、と感じたのではないだろうか。日本にも、やはり自由などなかったのだ、と。
 藤本美貴がグループを「脱退」してから、今日現在に至るまでの間に、モーニング娘。が、グループとして正式にこのことについて語ったことはあるのだろうか。「現場」の状況が分からないため、確かなことは言えないのだが、おそらく、一度もないのではないか(『2007秋 ボンキュッ・ボンキュッ・BOMB』のツアーでは、藤本美貴の名は語られたのだろうか)。
 道重さゆみが、6月21日の『こんうさピー』で、リスナーのメールに答える形で、個人的な気持ちを伝えたのは、おそらく偉大な例外だろう。
 6代めとなる新リーダー高橋愛は、藤本美貴「脱退」の翌日(6月2日)の、MBS『ヤングタウン土曜日』で、メインパーソナリティ明石屋さんま師匠の質問に答える形で、わずかにそのことに触れただけだった。

さんま「高橋どうなの淋しいもんなの? 藤本は」
高橋「淋しいですね」
さんま「会社に掛け合って、『会長やめてください! 私たちが守りますから!』とか、そういうのはないの?」
高橋「……はい……」
さんま「リーダーになったから気持ち悪い感じやなあ、そんなことでリーダーになるっていうのもな」
高橋「うーん……」
さんま「副リーダーのままってのはどうや」
高橋「リーダーいない、ってことですか?」
さんま「『リーダーは藤本が必ず帰ってきますから!』っていう……かっこええん」
高橋「かっこいいですね」
さんま「帰ってこなくてもね、永久欠番みたいにしてあげたら、かっこええんちゃうか」
高橋「はい」

 高橋愛ばかりではなく、誰一人として、事務所に掛け合うことなど出来なかった。おそらく、掛け合うという選択肢があるということ自体思いもよらなかった、というのが実際のところではないだろうか。突然のスクープ報道のあと、険しい表情で慌ただしく駆け回るスタッフたちを遠巻きに眺め、上層部に呼び出される藤本美貴の姿を固唾を飲んで見守りつつ、「これからどうなるんだろう」という漠とした不安に脅えながら、肩を寄せ合っている他に、メンバーたちに出来ることはなかったであろう。あるいは、藤本美貴の処遇が決まるよりも先に、既に、新しい体制での次の仕事に向けての準備に忙殺されていたのかもしれない。
 メンバーたちは、「わたしたちは藤本美貴を護る」という態度を表明できなかった。4年もの間、共に歌い踊り、汗と涙を流し、喜びと苦労をわかち合ってきた大切な仲間がグループを追われていくことを、ただ呆然と見送ることしか出来なかったのだ。おそらく全員が、もう取り返しがつかない、という思いに苛まれ、心に傷を負い、自分たちの無力さに打ちのめされたはずだ。
 もちろん、現実的な意見としては──わたし自身何度も書いてきたように──実際上、事務所に対する抵抗は無理であり、事務所の決定に異を唱えることは、モーニング娘。そのものを終了させないためにも、出来ることではなかった。仮に、追放劇の主役が藤本美貴以外のメンバーだったとして、「リーダー藤本美貴」になんらかの抵抗が可能だったかといえば、やはり、高橋愛と同じ行動を取ることしか出来なかったはずだ。自分一人の戦いであれば、自分の人生を掛けて戦うことができても、そこに仲間を巻き込むことは出来ない、と判断したに違いないからだ。
 しかし、このような、已むに已まれぬ事情、酌むべき情状をいくら並べ立てたところで、当人たちの背負った罪の意識、心の痛みは、いささかも軽くなるものではないだろう。
 仲間一人救うことのできなかった、無力なわたしたちの歌う、希望の歌、愛の歌、勇気の歌とは何なのか、そこに何の真実があるのか、とモーニング娘。たちは激しく自らに問いかけ続けているはずだ。いまでもまだ、そこには、茶番劇よりましな何かが、積極的に評価することが許される価値が、わずかでも残っているのだろうか、と。
 それでも、モーニング娘。たちは、なおも満面に笑みを浮かべて、希望の歌をファンに伝えなければならない。そのような絶対的な矛盾状況に、いま、モーニング娘。は立たされている。その矛盾を、わたしたちファンはモーニング娘。とともに苦しまなければならないはずだ。モーニング娘。ばかりではなく、わたしたちもまた、藤本美貴一人救うことができないでいる。
 そして、ことは藤本美貴一人の問題にとどまるものではない。わたしたちは、この世界を覆う数々の悲惨、矛盾、世界中で繰り広げられている人間性の徹底的な蹂躙の前で、なす術もなく立ちすくんでおり、抵抗のために立ち上がることも出来ずに、その状況を黙認し、あるいは諦め、あるいはそうすることだけが大人になるということなのだとばかりシニカルな表情を浮かべ、悲惨を心の奥底にしまい込んで忘れてしまおうとするかのように、「アイドル」に声援を送ることにうつつをぬかしている存在なのだ。
 モーニング娘。は、そのような悲惨や矛盾とは無縁な、理想的なユートピアの中で、幸福を享受しているべきだろうか。「モーニング娘。がいるにふさわしい世界」とでも呼ぶべき虚構のパラダイスに舞い遊び、何の悩みも疑いも持たず、心の底から満足に浸りつつ表面的な希望の歌をファンに伝えていればいいのだろうか。
 わたしはそうは思わない。この現実の過酷さから目をそむけ、悲惨など見ないことにして、それを自らに恥じることのないようなモーニング娘。は、少なくとも、わたしの知っているモーニング娘。ではないからだ。




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2007.12.12(水)
■だいちょさんの熱い魂

 これからソロアーティストとしてがんばるぞ!ってときにモーニング娘。に入って、それでもあんなに一生懸命がんばって、それで今度はこれからリーダーだぞ!ってときにこんなことになっちゃって、なんだか面白いよね。
だいちょさん
『藤本美貴』としてより引用

 藤本美貴の「脱退」直後に、だいちょさんは「なんだか面白いよね」と言ったのでした。
 そこに反響している、途方もない切なさ。
 虚しさが極まると、もう笑うしかないような。
 モニターに映し出された文字まで、涙で滲んでいるような。
 あるいは、理不尽な運命への憤りを、腹の底へ、押し込めようとしているかのような。
 藤本美貴のファンは、突然のモーニング娘。加入で、ソロ歌手としての美貴ちゃんを奪われ、複雑な思いを抱きつつもモーニング娘。として頑張る美貴ちゃんを応援してきて、再びその活動の場を奪われたようなものだ。美貴帝様は二度死ぬ。いや、死んでないけど。

 だいちょさんは、その更新で、シゲさんのラジオでの言葉を引用。

 シゲさんが美貴帝様のかっこいいと思うところは・・・・
「藤本さんはほんとに自由なのがかっこいいなと思いますね」

(中略)

 自由で、そして力強く、一生懸命に生きる美貴帝様がだいちょもかっこいいと思うし、大好きです!

 ほんとにそのまんまでいてほしいです!

 とは言うものの、結局アイドルとして自由じゃない部分もあって、なんだかんだでゴタゴタしてるわけですが、だいちょとしては、美貴帝様に限らず、もちろんののちゃんや他のメンバーも、本来歌やダンスが好きでモーニング娘。に憧れて、あるいは歌手になりたくてオーディションを受けて、一生懸命に努力して我々に眩しい姿を見せつけてくれているはずなのに、それとは関係のない処女性までも売り物にされて、ストーカーの餌食にされてプライベートまでとやかく言われ、むしろそっちの方が重視されちゃってるようにすら見える彼女たちの置かれた立場に、どうしようもない歪みを感じています。
だいちょさん藤本さんは自由なのがかっこいいですより引用

 例の記事が出た翌日に、すでに、美貴帝様の自由さを全肯定。応援の姿勢が、ブレない。
 そして、やはり、というか、当然というか、だいちょさんもまた、「処女性を売り物にする」「アイドル」というモノに対して、深い疑いを表明しています。
 そして、明るい口調の裏に潜む熱い思いを、だいちょさんは、あくまでも軽やかに表現。明るさを失わないことの、気高さ。

 ところで、以前の教え子がだいちょに放ったひと言。
「先生、フライデー襲撃するなら付き合いますよ。」
 だいちょのヲタ教育も行き届いてきました(照)。

 あの記事が出た直後、僕は、本当に誰かがそれを実行しても何もおかしくはない、と、不安も感じてました。白状すると、狼に、「お前ら、気持ちは分かるが、自分の人生を台無しにするような突撃はするなよ」って、書き込んでいました(本気でorz)。あの時は、それが、全然シャレとは感じられなかった。同時に、ネタとしては、掲示板に、「モーヲタも たけしに続け 討ち入りだ」なんて川柳を書いたりしていた訳ですが(笑)。ネタじゃなかったら逮捕されてますね。話がそれました。

 話し合いが長引いたのは、きっと美貴帝様がちゃんと自分の意見を言ったからだよね。それがどんなことだったのかはわからないけど、美貴帝様らしいよね。

(中略)

 でも美貴帝様、これでやっとアイドルを卒業できたよね。アイドルって何だかわかんないけどさ。

 ほんとはもっと早く大人の歌手になりたかったよね。いろんなことを自分の力にして、みんなに幸せを願ってもらえるような女性になりたかったよね。美貴帝様が22歳でアイドルなんてさ、笑っちゃうよね。

 卒業式はなかったけどさ、それでも今まであんなにもモーニング娘。を支え続けてくれて、そしてこれから新しい道に進む美貴帝様に、あのとき矢口さんに贈ったのと同じ言葉を贈るよ。

 美貴帝様、モーニング娘。卒業おめでとうございます!
だいちょさん『藤本美貴』としてより引用

 「脱退」の発表翌日に、きっと美貴帝様がちゃんと自分の意見を言ったからだよね。と書けるということ。美貴ちゃんの気持ちにずっと寄り添うように応援しつづけた人でなければ、きっと無理。美貴ちゃんのことを深く見つめてきただいちょさんにとっては、きっと美貴ちゃんが言うべきことを言っている毅然とした姿が、ほとんど目に浮かぶようだったのでは。

 「モーニング娘。卒業おめでとうございます!」この言葉を、深い決意と共に言い切るだいちょさんの姿ほど、感動的なものもない。それが、「卒業」などという麗しい出来事ではないことは百も承知で、あえて卒業の祝辞を捧げることは、おそらく、強制的な排除の不当性に対する最大の抗議、完全な拒否、否定なのだ、と思える。

 そして、藤本美貴を失って、偶発的に新体制となったモーニング娘。
 だいちょさんは、シゲさんに、その思いを託す。

 新体制のモーニング娘。のことよりもまず、シゲさんの口から出たのは藤本さんに向けての言葉でした。他の誰でもないシゲさんにだけは、それをスルーして進んでほしくなかったし、それはもうほんとに、ヲタには踏み込むことができないシゲさんの気持ちだったんだと思います。それが言えるのが今のシゲさんだし、それが言える「こんうさピー」はシゲさんの大切な砦ですよね。

(中略)

 メールで教えてもらった情報によると、シゲさんもGAMのコンサートを見に来ていたそうです。

(中略)

 「同じ6期として」というのは、これまで美貴帝様が口にしていた言葉です。さゆえりれなにとっては、その言葉は嬉しかったと思います。それを今度はシゲさんが言ってくれるというのは、とてつもなく嬉しいです。
だいちょさん黒い者同士、仲良くしてほしいなと思います!より引用

 当サイトで、というか、痛井ッ亭。の脳内では、シゲさんは、藤本美貴解放戦線名誉騎士団長に就任されているわけですが、その見立ての正しさは、だいちょさんのシゲさんへの熱い期待によっても、確実に裏書されて、折り紙つき、保証書つきとなっております。

 そして迎えた、「ドキみき」の終了。

上の記事でも触れましたが、昨日のハイパーナイト「ワカサギ」の番組内で、「藤本美貴のドキみきNight」が来週の放送をもって終了することが告知されたそうです。

 これまでの事務所のやり口を見ていれば、こうなるだろうと思っていたし、先日の仙台メロンヲフでもそういう話をしたばっかりだったけど、実際にこうなってしまうと悔しいです。やっぱり「ドキみき」に対する思い入れがあんまりにも強すぎて・・・・

 せめて終了の告知は美貴帝様のお言葉で突きつけてほしたかったな・・・・

 後番組が、地に足の着いた活動とは思えない音楽ガッタスのテコ入れっていう格好もおかしいけど、モーニング娘。のテコ入れためにソロの活動を取り上げられちゃった美貴帝様らしすぎて、なんだか笑えてきます。変な笑い。

 これが高橋愛ちゃんや田中さんや小春ちゃんだったら、美貴帝様が5年間守りぬいたソロラジオが引き継がれる気持ちも少しは持てるだろうけど・・・・

 マイクを通してヲタと向かい合うソロラジオ魂は「藤本さんを見て一人のラジオに憧れてた」というシゲさんに受け継がれたのが救いです。シゲさんには「ちゃんチャミ」の後継者だけではなく「ドキみき」の後継者としてもがんばってほしいです。
だいちょさんどきみきNight フォーエバーより引用

 「ドキみき」の正統なる後継者は、音楽ガッタスではなく、シゲさんなのだ、という、なかなか正面切っては言いづらい思いを、だいちょさんは、きっぱりと書き記す。
 行間から滲み出る思いが、熱い。
 そして、愛する番組が、愛する人の手から取り上げられてしまった悔しさ、寂しさに負けじとばかり、ポジティブに、応援し続けることを宣言するだいちょさん。

 これで美貴帝様ががんばる場も、それを応援する場もなくなってしまったわけですが、それでも言います。

 がんばれ!美貴帝様!

 どんな形になるにしても、美貴帝様が再びソロのライブステージに帰る日を待っています!

 でもいつまでも時間はないでしょう。どんな人でもがんばる場がなければモチベーションは失っていくものです。これで事務所的には本人もヲタも諦めるのを待つ構えは完成しました。

 そもそもよっすぃーのモーニング娘。卒業と美貴帝様のリーダー就任が発表された時点で、美貴帝様のソロ復帰のことなんか考えてなかったことはわかっていたんですが。

 だがしかし!だいちょは美貴帝様が諦めない限り、美貴帝様のソロステージを夢見て応援させていただきます!

 できることならば6年前に北海道の高校を辞めて東京に飛び出してきたときの熱さをもう一度思い出して、ハロプロに縛られずに、もう一度、自分が本当になりたい姿を追い求めてほしいです。

 美貴帝様にはそれが見えているはずだから・・・・

 幸いなことにドキみきのファイルは全回分揃っているし、ハロモニ。も美貴帝様のデビュー以降は全回分揃っているし、ヤンタンは2005年の秋ぐらいからしかないけど、そんなのをプレイバックして美貴帝様の素晴らしさを讃えつつ、美貴帝様が今を取り戻す日を待ちたいと思います。
だいちょさんどきみきNight フォーエバーより引用(強調は引用者)

 だいちょさんのように、不屈の、熱い魂を持ったファンが、「諦め」「絶望」「弱気」などといったヘタレな文字は、辞書から切り抜いて燃えるゴミに出してしまった漢達が、今も大勢、美貴ちゃんの歌手復帰を熱烈に待ち続けています。その思いは、きっと美貴ちゃんの心に届いて、彼女への励ましになっていると信じます。

 美貴ちゃんは、必ずや、再起するでしょう。ガッタス(「音楽ガッタス」ではないらしい)のハワイツアーなるイベントでは、ミニライブも予定されているようなので、そこで、美貴帝様の歌手活動再開もあるかもしれません。海外だけど。ファンクラブイベントだけど。

 ソロシンガー藤本美貴の未来は限りなく明るいはず。
 でも、僕はと言えば、「モーニング娘。藤本美貴」に夢中だったんだ、「みきえり」に魂を奪われていたんだ、それを大人の都合であっさり終了させられてしまったんだ、それはもう二度と戻らないんだ、それは絶望的な鉄板ぶりなんだ、と、不幸自慢、残念な人自慢をここでするのは、あまりにKYDJ(クウキヨメナイドコロジャナイ)な訳ですが。

 そして、二ヶ月ほどの中断を挟んで、だいちょさんのブログは、華麗に復活されました。その復活の勇姿を、痛井ッ亭。は、僭越ながら、力いっぱい賞賛したいと思います。

 宮古サーモンハーフマラソン・・・・っていうか、ブログ再開!

 画伯の名画をあしらったオシャレなお仕置きTシャツで、11月の寒い雨の中を疾走するだいちょさんの、あまりにも漢らしい勇姿は、すべての美貴ヲタに、限りない勇気を与えてくれるはず。

 アドルノは、『道徳哲学講義』(2006作品社:舟戸満之訳)において、「狂った社会において正しい生活はあり得ない」という命題を提示しています。
 これを敷衍すれば、世界が悲惨に満ちているときに個人が幸福であることはあり得ない、と言えるでしょうし、美貴ちゃんが笑顔を見せる場を奪われている今、ヲタが感じる幸福など自己欺瞞以外の何ものでもない、と言えるでしょう。それは、一面の真理を表していると思います。
 しかし、ヲタが元気であれば、美貴ちゃんも元気で未来を思い描くことが出来るはずだ、と信じて笑顔の勇気を保つこともまた、ヲタにとっての倫理的な決断だと言えるでしょう。
 だいちょさんの、明るく、楽しく、笑いと萌えとちょいエロに満ちた更新は、まさにヲタとしての倫理的な実践に他なりません。その裏に、かぎりない怒りを秘めつつ、だいちょさんは、ほがらかに、笑ってみせるのです。
 それは、世界の陰気さに見合った陰気な表情で生きることは、世界のレベルにまで自らを貶める行為なのだ、という、教育者だいちょさんの教えです。誇りを持って笑え、という、限りなく貴重な、気高い教えなのです。


 (謝辞)
 掲示板にて、精力的にだいちょさんの過去ログを紹介し、リンクしてくれた「名無しみきたん」さんに、心から感謝します。

 =掲示板の関連スレッド=

★★藤本美貴解放戦線★★

藤本美貴ドキュメント2007《ミキ受難曲》

藤本美貴様がフライデーにご出演ということで




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2007.01.01(火)
■迎春待帝

藤本美貴 『新年』


<都合により一部抹消>



 と、言うわけで。

 元旦から、こんなサイトを巡回しているそこのアナタ、相当にアレですね!
 元旦から、こんなサイトを更新しているこっちは、さらにアレですがね! orz

 という、元旦恒例の冗談はさておきまして(笑)

 新年を迎えるにあたりまして、溌剌としていて、ポジティブで、茶目っ気もたっぷりの、まさに美貴ちゃんらしい、美貴ちゃんのため名曲『満月』(詩:つんく、曲:つんく、唄:藤本美貴)を替歌にしまして、2008年の当サイト新春のご挨拶に代えさせていただきました。

 2008年こそは、メディアを通じて、美貴ちゃんの笑顔と歌声に、再び出会えますように。

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2007.01.25(金)
■REMEMBER FUJIMOTO MIKI! 2008.1.10、CBC『今夜もうさちゃんピース』、2008.1.14、CBC『Guts10☆ガッタス!!』

 2008.1.10、CBC『今夜もうさちゃんピース』で、藤本美貴の歌声が流れた。選ばれた曲は、「冬にぴったりの曲」(さゆ)である、『寒いから冬だもん!〜どうもこうもないっすよミキティ〜 』(藤本美貴 With 岡井千聖&萩原舞〈℃-ute〉)
 冬に相応しい曲ならハロプロ曲の中にいくらでもあろう中での、この選曲には、CBCは藤本美貴を忘れない、という強いメッセージ性が感じられる。
 この曲は、冬にまつわる曲集であるアルバム『7.5冬冬モーニング娘。ミニ!』のなかで、唯一、「寒いからフトンから(部屋から)出たくない」という、ちょっとネガティブで、ちょっとババくさく、それだけにリアルで可愛らしい女の子の姿を描いた曲だ。その歌詞は、ある意味で、アルバム中もっともモーニング娘。らしい面白みを持つ。それを最年長の藤本美貴が歌い、しかも、若々しいユニット、℃-uteからゲストのチビッコ2人が加わり、ババくさいミキティに対してツッコミまで入れるという、念の入れようだ。(この2人は、℃-uteの初のコンサート(2007春)で、藤本美貴の『会えない長い日曜日』をカバーしてもいる。岡井は「尊敬するハロプロの先輩」として藤本美貴の名を挙げているし、萩原は、コンサートなどで「ハギティ」と自己紹介している。)
 「寒いから出たくない・・・」厳寒の北海道真ん中らへん出身のクセに、「寒いから」といってフトンから出てこないミキティ。そのフトンを「どうもこうもないっすよミキティ」と言いながら、ハロプロ最年少の萩原舞が剥ぎ取る。「ハギティ」がフトンをはぎてぃ。これは、お部屋にこもって長すぎる冬ごもりを続ける藤本美貴への、「いい加減出てこいやー」というメッセージ、だろうか?
 「運命自ら開かなきゃ/春が来ないよ」彼女を尊敬する岡井千聖が、藤本美貴を激励する。彼女の明るい「春」を導き寄せようとする。
 「希望の花を/美しく咲かせてみる」サビの旋律の冒頭4音(「希望の」=ミミファソ)は、ベートヴェンの第九交響曲の4楽章、有名な《歓喜の歌》の冒頭と同じメロディーだが、残念ながら、たったの4音では引用ともパクリ(剽窃)とも言い切れない。ただ、それでも、希望に溢れ、理想を高く掲げるという感覚は、この4音からも伝わってくるように思える。
 「何かの時は友達に/甘えるとしましょう」例えば、ガッタスの試合の時だとか。いまこそが、その「何かの時」なのかもしれない。
 「そう 私 白いスノードロップ」その花言葉は「希望」。

雪の化身のような花は古くから人の目を集めてきたのでしょう、スノードロップにはさまざまな言い伝えが残されています。…(中略)…いわく「アダムとイブがエデンの園から追放された時、雪が降りしきっていた。永遠に続くかと思われる冬に絶望して泣きじゃくるイブを慰めるため、天使がひとひらの雪に息を吹きかけた。それは地に落ちて春の兆しのスノードロップとなり、そして≪希望≫が生まれた」。スノードロップの花言葉は「希望、慰め」です。
『草木図譜』:スノードロップ(ガランツス・エルウィジー)より引用

 この曲で歌われた「希望」は、本来、「新しい、誰かとの出会い」「恋の始まり」を意味する。しかし、今、この時点で、藤本美貴が「わたしは白いスノードロップだ」と歌う時、その希望の意味は、それとは別の、明確な姿を取って、聴く者の胸に迫ることだろう。スノードロップが咲くとき、永遠に続くかと思われる絶望的な冬は終わりを告げる。この花が意味する「希望」、それは春の訪れ、藤本美貴にとっての。この曲を歌う者は「希望の花」である。希望の花の明るい未来を私達は信じていよう。少なくとも、CBCは、こんうさスタッフは、道重さゆみは、そういう願いを込めて、この曲を新春に放送したのだろう。そう信じることができる。

 その四日後の2008.1.14、同じCBCの『Guts10☆ガッタス!!』では、ガッタスの合宿での思い出として、紺野あさ美と里田舞が、藤本美貴とのエピソードを披露した。サトタ、こんこん、ミキティの三人が、一夜限りの「カントリー娘に紺野と藤本(無所属)」を再結成し、カラオケで「ハニーパイ」を熱唱したとのこと。
 三人とも、ちゃんと踊れたのだろうか?
 それとも、もう、すっかり忘れちゃってグズグズだったろうか?
 この三人が、ウーロン茶を飲みながら(うそつけー)、「踊れねー」「忘れたー」「体が動かないよー」と言いながらワイワイ騒いでいるところを想像すると、超萌える。
 ともあれ、こんみきはガチ!
 紺パパとミキティもガチ!(あまり関係ない)
 そしてなにより、CBCと藤本美貴はガチ!

 REMEMBER FUJIMOTO MIKI!
 藤本美貴を忘れるな!
 LIBERTAD POR MIKITTY!
 ミキティに自由を!

=補足=

 『寒いから冬だもん!〜どうもこうもないっすよミキティ〜 』はAメロがAs-Dur(変イ長調)で開始し、その後、大胆かつ変態的な和声進行(にも関わらず少しも不自然ではない!)を経て、サビではD-Dur(ニ長調)に至る。和声学的には、As-DurとD-Durは増4度関係にあり、もっとも近親関係が遠い遠隔調同士である。このような挑戦的な調性設計は、ポップスの楽曲では異例中の異例だと言えるだろう。
 そして、つんくは、その鋭い対照性を示す2つの調性に、まさに対照的な意味内容の表現を担わせていると言えるのである。つまり、As-Durは雪に覆われた絶望的な冬、D-Durは希望の花の咲く春、という対照的な意味を担う。そして、紆余曲折の果てにたどり着く、この希望のD-Dur(ニ長調)は、まさに、ベートーヴェンの第九交響曲の《歓喜の歌》の調性でもある。
 (なお、D-Durはバロック時代古典派時代を通じて、神の栄光を表すもっとも輝かしい調性とされていたことを付記しておく)

Freude,shöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,
喜び、それはうるわしき神の炎、絵里の住まう天上のおとめ、
シラー『歓喜へのオード』(ベートーヴェン第九交響曲第四楽章より。痛井ッ亭。訳)



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2008.02.14(木)
■藤本美貴再ソロデビューっ!!

 思いがけないバレンタインデーの贈り物が舞い込みました。
 ミキティ、ソロ歌手として再デビューです。
 待ちに待った復活です!

<藤本美貴>「吾亦紅」の杉本眞人の新曲でソロ再始動 堀内孝雄と競作「置き手紙」

2月14日6時1分配信 毎日新聞

 元「モーニング娘。」の歌手、藤本美貴さん(22)が、「吾亦紅」が大ヒットした杉本眞人さん作曲の「置き手紙」で約5年ぶりのソロシングルを発売することが14日、明らかになった。同曲は、堀内孝雄さん(58)との競作で、藤本さんは「お母さんに『堀内さんに迷惑かけるんじゃないわよ』ってクギされちゃいました。新しい藤本美貴を応援して下さい」と意欲を見せている。
<藤本美貴>「吾亦紅」の杉本眞人の新曲でソロ再始動 堀内孝雄と競作「置き手紙」(毎日新聞) - Yahoo!ニュースより引用

 ミキティがやる気を出しているようで、嬉しいです。
 このまま曖昧に引退、という最悪の事態は回避され、美貴ちゃんが今後も歌い続けていけることが分かりました。
 それが何より嬉しいです。
 美貴ちゃんは、2月に発表された公式写真の中のコメントでこう書いていました。
 又、1つ年を取ってしまいました...でも!! 変わらず、みなさんの愛のた〜くさんもらって頑張ります!! みき。
 そのコメントを書いたときにはおそらく今回の歌の件は決まっていたのでしょう。その言葉を信じていてよかった。いかに無神論者とはいえ、こういうときだけは「信じるものは救われる」とか言いたくなりますね。だって美貴ちゃんは女神だから!

 もっとも、以下の記事に出てくる「アダルト歌謡」という表現は、少し気に掛かるものもあるのですが。

元祖・ミキティ、アイドル捨てた!競作アダルト歌謡で再出発

 元モーニング娘。の藤本美貴(22)が5年ぶりにソロ歌手として再始動することが13日、発表された。新曲は4月23日発売のアダルト歌謡曲「置き手紙」。「吾亦紅(われもこう)」をヒットさせた歌手、すぎもとまさと(58)が作曲した。昨年5月にお笑いコンビ、品川庄司の庄司智春(32)との熱愛が発覚し、モー娘。を脱退。音楽活動を自粛していたミキティが、アイドルを脱し、アダルト歌謡路線で再起を賭ける。

 ミキティがアイドルを捨て、これまでのイメージを180度転換するアダルト歌謡路線で本格歌手をめざす。

(中略)

レコーディングは今月上旬。すぎもとの立ち会いのもと行われ、藤本は20代女性のひたむきな恋の切なさを歌い上げた。すぎもとは「思っていた以上に声質がよかった。彼女のこの雰囲気、なかなかいい」と絶賛。

 藤本も「本当に難しい曲でしたが、すぎもとさんが『♪料理、掃除下手な私…ってところは少し笑いながら言うくらいがいいよ』と、分かりやすく指導していただきました」と振り返った。

(中略)

 藤本の先輩、中澤裕子(34)はモー娘。時代にグループでポップスを歌いながら、ソロでは堀内孝雄が作曲した「カラスの女房」で演歌歌手としてデビュー。4枚目のシングル「上海の風」からポップス路線に転向した。

SANSPO.COM > 芸能より引用

 記事の最後の部分で、わざわざ中澤裕子が演歌からポップスに転向したことが触れられています。
 おそらく記者自身も「アダルト」路線に、もやもやしたものを感じたのでしょう。そして未来の可能性のことを記しておきたかったのでしょう。きっとこの記者はミキヲタに違いありません(笑)
 中澤裕子の『東京美人』は29歳の時の曲、『強がり』は31歳です。美貴ちゃんはまだ今年23歳になろうかという若さ。しかも、もともとビートの利いた歌を得意とする人ですから、やがて間違いなくポップス/ロック路線へと復帰してくると思います。その点は、おそらく心配ないでしょう。

 恋愛を諦めることなく、歌手としての再起をも果たす美貴ちゃんは、一世一代の大勝負に勝ったのだ、と言ってもいいでしょうか。いいですね。言っちゃうぞ。美貴帝様大勝利オメ!
 表舞台から姿を消していたのが大人の事情なら、今回の復帰もまた大人の事情かもしれませんが、そんなこたあ知ったこっちゃないです。
 とにかく、わたしたちとしては、一安心してもいいのでしょう。
 そのあとのことは、また、そのときのこと。

ノノ*^ー^)<だから記念日に踊らされるのはよくないとあれほど言ったのにこれですよ。

从VvV从<てか、痛ちゃん、ネガティブな長文をいっぱい下書きしてたのに、全部ボツになってさ、今頃泣いてるんじゃね?

ノノ*^ー^)<あー、お誕生日メッセージを書き直すのもめんどくさい的な?

从VvV从<まあ、かめちゃんならメッセージを下書きすること自体、ありえないけどね。

ノノ*^ー^)<それは認めざるをえませんね。




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2008.02.15(金)
■反古になった誕生日メッセージ

 ソロ歌手としての念願の再デビューが決まるまでの、この約9ヶ月間、美貴ちゃんが、私生活での愛を守りつつ、その一方で、どれほど辛い針の筵の上に座り続けなければいけなかったか、想像するに難くない。その長い長い待機期間を、会えない長い日曜日を、美貴ちゃんは白っぽいスケジュールを睨みながらも、決して諦めることなく、未来を信じて耐え抜いたのだと思う。そして、再び陽のあたる場所へ、スポットライトの元へ、美貴ちゃんは帰ってくる。美貴ちゃんと、我々美貴ヲタは、ともに長い夜を超え、深い闇を超え、今、新たな日の出を迎えようとしている。試練の時を乗り越えた彼女が、大輪の花を咲かせるだろうことを、我々は疑わない。おそらく彼女は、一回りも二回りも大きくなり、大天使美貴帝様となって、ふたたび我々の頭上高く降臨することだろう。むしろ今や、困難な恋愛を貫き通した彼女こそが、愛を戦い抜いた彼女だけが、本当の意味で、心の底から恋愛を肯定する歌を歌える存在なのかもしれないとすら思える。
 ……という訳なので、彼女の復帰がいつになるのか、それどころか復帰があるのか、もしかしてこのまま引退してしまうのではないのか、と、果てしなく続く不安の中で、彼女に宛てて書いた誕生日メッセージは、無用の長物と化したが、書いたものが無駄になってくれて、実に喜ばしく、すがすがしい。久々に晴れやかな、穏やかな気分が、心底から沸き起こってくるのを感じる。そこで、不幸の鍋底にこびりついていたヲタが、どんなメッセージを綴っていたのかを、敢えて人目に晒して笑いものにするのもまた一興かと思い、以下に、宛先を見失った哀れな迷子のメッセージを掲載しておくことにする。

 ノノ*^ー^)<は、廃物利用?
 从VvV从<いやいや。資源の有効活用、リサイクルってことにしてあげようよ。
 ノノ*^ー^)<まー時代はエコですからね。エコエコアザラシ。
 从VvV从<それ、古いうえに間違ってるから。
 ノノ*^ー^)<ま、まあ、とにかく、これで更新労力削減目標達成も夢じゃないですよ?
 从VvV从<誰も更新を手抜きしろとか言ってないし。

藤本美貴23歳の誕生日メッセージ(反古)

 美貴ちゃん!
 なにはともあれ23歳ですね、お誕生日おめでとうございます。
 われらが女神、美貴帝様におかれましては、トシ相応?の粋なオンナっぷりにますます磨きを掛けていらっしゃることと思いますが、なにせ、メディアで美貴帝様のお姿を見ることが出来ないので、さびしくも、不安にも思っている次第です。マジで。
 毎日、元気に、過ごしてますか?
 家族、恋人、心を許しあえる友達に囲まれて、誕生日を楽しく、平和に、幸せを感じながら過ごせたことと信じます。ファンとしては、美貴ちゃんの笑顔を想像して、遠くから思いを馳せることしかできません。そして、今日も美貴ちゃんが笑顔でありますように!

 わたしは、モーニング娘。応援系のサイト(La deconstruction des idoles)をやっています。
 去年の、美貴ちゃんの突然のモーニング娘。「脱退」以降、ほとんどひたすら『ミキ受難曲』という文章を書き続けていました。そして、美貴ちゃんらしく生きる美貴ちゃんを必死に擁護してきました。ひょっとしたら、美貴ちゃんの目にもとまっていたでしょうか。
 すべてを棒に振ってでも「女の子の全身全霊の覚悟」で恋愛に生きる姿は美しいと思います。人間として尊敬できます。
 でも、そのおかげで(?)、某匿名掲示板なんかでは「プロフットサル選手」だなんて呼ばれてしまって、ちょっと「とほほ」な感じですけど(笑)、まあ、それも悪くはないかな、と思ってます。人生、山あり谷ありですから。
 でも、なんとしてでも、どんな形であっても、もう一度、美貴ちゃんが歌う姿を、ファンの前で、メディアのなかで、スポットライトの下で、見せてほしい!
 それが今、一番の願いです。
 恋をしながら歌も歌うこと、それは矛盾でしょうか?
 解決できない問題なのでしょうか?
 美貴ちゃんが歌うことが出来ない本当の理由がファンには分からないので、この、今の美貴ちゃんの状態を、どう考えればいいのか分からず、とても不安です。
 「アイドル」という不自由な枠は気にしなくていいと私は思います。美貴ちゃんが思い描くような、アギレラのような、一本立ちしたアーティストになってほしいと思っています。

 「寒いから冬だもん」ってことで、なかなかヌクヌクした布団から出てこられないのかもしれませんが、はやく美貴ちゃんの最高の笑顔と元気いっぱいの姿を、私たちファンに見せてほしいと思います。
 23歳の美貴帝様が、アクセル全開で、思い通りの活動を出来ますように。
 美貴ちゃんはその気力を失っていないし、いずれ、あらゆる障害を乗り越えて、ふたたび笑顔を見せてくれると信じています。

 どうもこうもないっすよ! みきてぃ!


 La deconstruction des idoles
 http://www.nextftp.com/KonnoAsami/
 痛井ッ亭。

 ……という訳で、一番の念願がかなった今、不用になった反古のことはこれで綺麗さっぱりと忘れて、新たに、喜びと希望に溢れた誕生日メッセージを、リアル226な誕生日までにゆっくりと書き上げたいと思います。喜びを、脳内美貴ちゃんと分かち合いながら。

 ノノ*^ー^)<次回作、「反故になったネガティブ更新」に御期待ください!
 从VvV从<誰も期待してないし、それ読みたくないから。

 =追記(&リスペクト)=

一つは、元は美貴ちゃんの事務所の大先輩の堀内孝雄さんの新曲として準備されていたこの曲を、堀内さんとの競作という形で美貴ちゃんに勧めてくださったスタッフの方がおられたという事です。
美貴ちゃんの身近に、今も彼女の事を大切にしてくれている人たちが居るって事が、とっても嬉しかったんです。
そしてね、美貴ちゃんが「歌いたい」って気持ちをずっと忘れずに持ち続けていてくれた事が、最も嬉しかったんです。
アンジェラスさん『狂熱の娘団。』「セットプレー」より引用

 アンジェラスさん、まったく同感です。
 こんな逆境のなかでも、藤本美貴を見捨てないで待ち続けたファン、そして仲間達、スタッフさん達、大勢の人々の思いが、彼女を支えてきたし、そしてそのたくさんの思いに、彼女は間違いなく応えてくれることでしょう!

 そして、だいちょさんも、美貴帝様復帰を祝う熱い更新をされています。その中で、美貴ちゃんが尊敬するクリスティーナ・アギレラの『Stripped』の歌詞が引用紹介されています。それはまさに藤本美貴の精神を象徴するかのような歌詞でした。必見です!




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2008.02.26(火)
■藤本美貴ちゃんへの23歳のバースディメッセージ

 美貴ちゃん、お誕生日、おめでとうございます。
 そして、ソロ歌手復帰、新曲発売決定、おめでとうございます。
 誕生日を前に、嬉しいニュースがあった、と喜んでいたら、さらに、舞台の主演が決まったという驚きのニュースまで。ほんとうにおめでとうございます!
 31歳の井川さんが体当たりで挑戦した舞台に、今度は23歳になりたての美貴ちゃんが挑むわけですから、並大抵の難しさではないと思いますが、「アイドルだから」なんて言い訳や甘えには逃げず、言葉どおり「舞台女優」として真正面からぶつかって行って、美貴ちゃんらしく、大勝利を収めてほしいと思います。
 正直、新曲の「アダルト歌謡路線」や、舞台の「花魁という役柄」に、不安を抱いているファンも多いと思います。
 でも美貴ちゃんは、それらをやりきることで、そんな不安をきっと吹き飛ばしてくれる、と信じています。
 美貴ちゃんにとっては、初体験の仕事で、苦労することが多いと思いますが、それを堂々とやりきってこそ、2007年、あなたの笑顔を見ることが出来ず、不安を抱えながらも、決して諦めずにあなたの復活を信じて待ち続け、応援し続けた大勢のファンの思いに応えることができるのだと思います。
 それを乗り越えたときにこそ、美貴ちゃんの本格的再始動、完全復活、さらなる快進撃の開始を確信して、美貴ちゃんとファンが心から喜び合えるんじゃないか、と思います。
 そして、難しい仕事だからこそ、やりがいも大きいはずだし、そこで大きな成果を出すことが、やがては、美貴ちゃん自身が思い描くとおりの活動ができる、いい環境へとつながっていくと思います。アギレラのように、堂々と、女らしく、強く、自分を表現できるアーティストへの道が、きっと開けると思います。

 23歳の記念すべき誕生日。
 家族や、心から許しあえる人たちに囲まれて、楽しく、平和に、幸せを存分に感じながら、お過ごしください。
 今日も、そして明日も、いつまでも、美貴ちゃんが笑顔でありますように!
 そして、23歳の美貴ちゃんが、アクセル全開で、思う存分、大活躍できますように!
 これからも応援しています。


 La deconstruction des idoles
 http://www.nextftp.com/KonnoAsami/
 痛井ッ亭。


 訂正とお詫び:メッセージ中「31歳の井川さんが体当たりで挑戦した舞台」とありますが、井川遙さんは現在31歳(1976年生まれ)で、舞台「HAKANA」に主演されたのは2002年、25歳の時でした。訂正して、お詫びします。
 掲示板で御教示くださったSTUKAさん、ありがとうございました。
 みなさんも、何か書くときは、よくよく事実関係を確認しましょう。←説得力ゼロ(号泣)。
 もう送っちゃったし。


 ノノ*^ー^) <アフターのフェスティバルですよ?
 从*・ 。.・从 <普通に、後の祭って言えばいいよね。
 从VvV从 <それなんてルー大柴さん?
 从VvV从 <ってか、みきへのメッセージだってのに、大失態だよね。
 ノノ*^ー^) <美貴様、口調がマジ。




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2008.03.24(月)
■『ミキ受難曲』最終更新 「反古となった断片集」

 藤本美貴が復帰を果たした今、彼女を擁護するべく書き溜めていた断片は既に無用の長物と化してしまい、それを敢えて今さら発表することは無意味だろうか。確かに、彼女には追い風が吹きはじめており、彼女の恋愛を肯定する声が大メディアのうえで堂々たる正論として語られるというきわめて喜ばしい状況すら生じはじめている以上、彼女の復帰を妨げる要因への批判として考え続けた思考の断片など、まとめることなく放棄しても構わないのかもしれない。
 しかし本当にそうだろうか。むしろ「アイドルと恋愛」を巡る桎梏、解きがたい矛盾は客観的にはいささかも解消しておらず、藤本美貴の復帰もまたそれらの解決の結果ではなく、ただ曖昧に、なし崩しに実現したものだと言うべきだろう。であれば、彼女を苦しめた事情を巡る批判は、今もなお粛々と遂行されつづけなければならない。藤本美貴は復帰したとはいえ、他のメンバーたちの誰もが、いつなんどき同じ憂目に遭うかもしれないという、悲しむべき・情けない・愚かな状況は、微塵も好転などしてはいないからだ。
 『ミキ受難曲』という表題を持つ文章がこれ以上書き継がれる必要はもうないかもしれないが、それは問題が解消したからではなく、問題が一般的・普遍的なものであることが明らかになったからにすぎないだろう。そこで、以下に『ミキ受難曲』として書かれようとしていた断片を、現時点での思いも含めつつ、書き記しておきたい。断片の執筆時期は、2007年10月頃で、筆者はアドルノの文章を集中的に読みながら、大衆文化批判、藤本美貴の個性とその社会化という問題、奴隷道徳の拒絶などについて考えていた。以下は、そのとめどなく彷徨い続けた思考の廃墟である。

 从V_V)<長い!

 文化産業においては、真の様式という概念は支配の美学的等価物であることが見通されるようになる。たんなる美学的合法則性という意味での様式の観念は、ロマンティックな後向きの幻想にすぎない。たんにキリスト教的中世だけではない。ルネッサンスにおいても、様式の統一のうちに表現されているのは、社会的権力のそれぞれ異なった構造なのであって、普遍的なものを秘めていた被支配者たちの暗い体験ではないのだ。偉大な芸術家と言われる者が、かつて様式をもっとも破綻なく完璧な形で体現していたためしはない。むしろ彼らは様式を、苦悩の混沌とした表現に逆う壁として、否定的な真理として、自分たちの作品に取り入れようとしたのである。
ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫)「W 文化産業──大衆欺瞞としての啓蒙」(p269)より(強調は筆者による)

 作品の様式と、社会構造とは類比的であるこということ、社会批判=抵抗としての作品は、様式の中で自らを実現しなければならないが、その自らを規制する不自由な様式に対して抵抗しつつ自らを実現する、ということ。社会における人間性の歪みは、様式と作品との関係の歪みとして作品に反映される。そして、そのような作品こそが真に力強い作品であるということ。
 アイドルという様式と「藤本美貴」という作品の間の歪み。
 [2007.10.22]

 从V_V)<アドルノも長い!

 今日決定的力を振っているのは、体制のうちにひそむ必然性、つまり消費者を無視するわけにはいかないが、いかなる瞬間にも消費者には抵抗の可能性の予感を与えない、という必然性である。この原理は、たしかにあらゆる欲求は文化産業によって充足されうると考えることを消費者に命令するが、しかし他方では、消費者がそういう欲求の中で自己自身をもっぱら永遠の消費者、文化産業の客体としてしか経験しないように、あらかじめこういう欲求を調整することをも要求する。文化産業は、自分たちの欺瞞が消費者の欲求を充たすものであるかのように吹き込むばかりではない。それ以上に文化産業の意味するところは、消費者が、何であれ、与えられたもので満足しなければならない、というところにある。
ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫)「W 文化産業──大衆欺瞞としての啓蒙」(p291)より(強調は筆者による)

 文化産業──われわれ大衆は、文化産業に完全に取り囲まれて生きている──は、われわれにお仕着せの文化を投げ与えるばかりではなく、われわれがそのお仕着せに完全に満足するようにわれわれ自身を形成し、調教して飼い馴らそうとする、われわれが抵抗の可能性を夢想だにしない次元にまで。絶対的に制度化された既製品文化のもとでしか生きられないわれわれの生自体が、絶対的物象化の結果である。
 [2007.10.22]

 (現時点でのコメント)  お前達ファンが、どれほど藤本美貴を愛していようが関係ない、藤本美貴は売りづらくなった、商売としてペイできなくなった、と、われわれ文化産業の側が判断すれば、もう、「藤本美貴」という商品の販売は停止せざるをえない。消費者の前には、新鮮な商品がずらっと並んでいるではないか、いつまでも古いモノにこだわったりせず、さっさと他メンなりベリキューなりに乗り換えればいいのだ、というのが、文化産業の論理であろう。
 この、生きた人を、商品として、モノとしてしか扱わない姿勢に、あくまでも抵抗する者こそ、ヲタでなくてはならない。なぜなら、愛する者がモノ化されるということは、我々自身がモノ化され、モノ扱いされることに甘んじることだからだ。「消費者」などというご大層な名を付けられ「お客様は神様です」というおためごかしで神棚に追放されることに甘んじるならば、それは人間として扱われることを諦めることに等しい。

 从V_V)<アドルノも痛井ッ亭。も長い!

 文化産業の地位が確固としたものになるにつれて、消費者たちの欲求は文化産業によって一括して処理されるようになる。消費者の欲求を文化産業は作り出し、操縦し、しつけ、娯楽を没収することさえできるようになる。
ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫)「W 文化産業──大衆欺瞞としての啓蒙」(p296)より(強調は筆者による)

 文化産業は判断し決定した結果をわれわれ大衆に与える。アイドルファンはアイドルに処女性を求めるキモヲタであり、そのようにして男権主義的社会構造を温存すべきである。ビッチは男の敵であるという図式の象徴がアイドルである以上、アイドルの恋愛は徹底的に弾圧されねばならない……このようにして、われわれからは藤本美貴が没収されてしまうのである。
 [2007.10.22]

(以下のアドルノの文章は、まさに今現在の、ハロプロとモーヲタを巡る問題をアクチュアルに解き明かしている! つまり、文化産業を巡る問題は、『啓蒙の弁証法』が書かれた時代から、本質的にはなんら変わっていないということを意味する)

 浮かれているということは現状を承認していることだ。それはただ、社会の動きの全体に対して目をふさぎ、自己を愚化し、どんなとるに足らない作品でも備えているはずの、それぞれの枠の中で全体を省みるという逃げることのできない要求を、最初から無体にも放棄することによってのみ可能なのだ。楽しみに耽るということは、いずれにせよ、「それについて考えてはならない。苦しみがあっても、それは忘れよう」ということを意味する。無力さがその基礎にある。しかしそれが主張するような悪しき現実からの逃避なのではなく、残されていた最後の抵抗への思想からの逃避なのである。娯楽が約束する解放とは、思想からの解放であり、また否定からの解放なのである。「人々は何を欲しているか」といった美辞麗句風の問いの破廉恥さは、この問いが人々から主体性を奪うことを特にねらいとしていながら、ほかならぬその人々が思想の主体であるかのように呼びかけるところにある。かつて人々が娯楽産業に盾ついたところでさえ、今や彼らは、娯楽産業によってしつけられるままに唯々諾々と何の抵抗をも示さない。
ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫)「W 文化産業──大衆欺瞞としての啓蒙」(p296)より(強調は筆者による)

 藤本美貴のいないハロプロに浮かれているということは彼女の社会的抹殺という現状を承認していることだ。われわれは、アイドルの置かれた現状、アイドルを取り巻く神話、女性蔑視を固定化する男性社会の童貞的感性の恥ずべき開き直りという、社会の動きの全体に対して目をふさぎ、自己を愚化しつづける。ハロプロを応援するというヲタ活動を通じて、己のファンとしてのありかたを反省するということは、本来逃げることのできない要求であるはずだが、われわれは、アイドルの可愛らしさ、日々娯楽産業から投げ与えられる消化しきれないほどの商品の渦に翻弄され、それに浮かれることに夢中で、その反省を最初から無体にも放棄する。もはや、藤本美貴についてくよくよと考え続けることはよそう。ここに初々しいベリや℃-uteがいる、ガッタスが美しい汗を流している、高橋体制のモーニング娘。がツアーをやる、新曲が出る、グッズが出る、ハロショには日々新しい写真が出るのだし、ファンは日々新たに提供される商品を摂取することにアクセクするだけで、精根尽き果て、反省する気力など残らない……そのように楽しみに耽るということを強要することで、娯楽産業は「それについて考えてはならない。苦しみがあっても、それは忘れよう」──「それ」は藤本美貴であり、あるいは”アイドル”という制度の非人間性でもある──と呼びかける。その呼びかけに応じることは、われわれの無力さの証しである。そのように娯楽産業の掌の上で浮かれている時、われわれは、悪しき現実から逃避しているのではない。われわれに残されていた最後の人間性の証し、残されていた最後の抵抗への思想から逃避してしまうのである。そして、われわれは、娯楽が約束する解放を受け入れ、思想から解放され、否定から解放される。われわれは主体性を放棄して、猿になる。しかし、心配は無用だ。われわれが何を欲しているかは、娯楽産業が決めてくれる、主体性などすでに無用の長物だ。今やわれわれは、娯楽産業によってしつけられるままに唯々諾々と何の抵抗をも示さない。「”モーニング娘。の約束”を破ったんだから」「他のメンバーに迷惑が掛かるから」「矢口だってしばらくは活動を休んだんだから」「”脱退”は自分で決めたんだから」「フットサルはしてるんだから干されているわけじゃない」「スキャンダルになった罰を受けるのは当然」…これらの発言から浮かび上がって来るもの、それはまさしく、メディアや娯楽産業の意図を受け入れ内面化し、彼らがあらかじめ設定した統計学上のカテゴリーに予定通りお行儀よく収まるクラスター分布となり、彼らの意のままに操作可能な変数の束となった、われわれ自身の姿に他ならない。その物象化されつくした姿に、人間の面影は残っているだろうか。
 [2007.10.22]

 以上、アドルノに導かれるようにして、藤本美貴、アイドル、大衆文化を巡る問題を検討してきたが、問題の根源はおそらく、文化産業(アイドル産業)の構造、その構造と相互依存的な関係にある「ファン」という名のアイドル消費者の男尊女卑的・処女崇拝的価値観にある。文化産業と、その消費者たる大衆は、互いに支えあい、依存しあい、拘束しあっている。文化産業が、己の利益の最大化のために教化してきたはずの消費者大衆は、逆に、文化産業の行動を拘束するものともなっている。もはや、文化産業の思いのままに大衆というモンスターを動かすことは出来ない状況も存在している。

 以下は、さらにまとまりのない断片:


・理論と実践の問題:アドルノはあの青年の異議申し立ての時代(1968年前後)、若い世代から、何故、政治的行動、アンガージュマンを引き受けず、理論的批判に留まるのか、という批判を浴びて、「理論的考察もまた実践の一形式である」という趣旨のことを述べ反論している。
 実践的な有効性はないとしても、理論的な問題の追及もまたなされねばならない。

 (アドルノの問題と自分を比較するのは、あまりにあんまりだろう。が、それはやはり相同形の問題なのだ。わたしの文章に藤本美貴を救うための現実的な実効性などないことは百も承知であるが、しかし、理論的に問題を追い詰める作業もまた必要不可欠であり、それはいつか現実的な抵抗のための足がかりとして役に立つこともあるだろう)

 ・根源的な問題 日本の世間の構造 権力構造 日本の社会は世間の複合体であり、世間は、西洋的な市民社会とは違って、一神教的価値観や、正義、論理、法などによって駆動されることはない。
 世間を駆動するエンジンは、私見では、「空気」であり、「流れ」であり、「顔色・腹」であり、「情」であり、そのすべてが、曖昧模糊としたものである。
 しかし、そこには、間違いなく、権力の構造、大衆を支配し、その行動を拘束する規範性がある。その権力構造は目につきにくいものだが、だからといって、世間を構成する民衆一人一人が対等に平等に「空気」を産み出し、世間を動かすような民主的な構造でないことは確かである。
 世間の「空気」は、論理で攻撃しても揺るがない。「情」に訴えなければ、「空気」は変わらないのである。世間に対して正義は無力でしかない。
 「アイドルは処女性を保つべき」「清純であるべき」という世間の空気、それは、反動的な差別的価値観に他ならないが、たとえ封建的と揶揄されようが、人権に反すると批判されようが、そのような西洋的な論理による攻撃では、日本の世間の「空気」は、ビクともしない。  その「空気」を変えるための有効な戦略を、未だ世界中の誰一人として、手にしていない。
 
 (藤本美貴を苦しめる言葉について)
・自ら脱退を決意したのだから藤本美貴の意思を尊重したいという言説
 実は一番冷酷、かつ悪質な言説
 それは、例えば、取調室で拷問の末に自白を強要され、証拠として刑事裁判に提出された検察官面前調書に、被告人の拇印があるという一事を持って、やすやすと証拠能力を認定してしまう、官僚的な裁判官の態度に、よく似ている。
 それは、大本営発表を鵜呑みにし、捏造された意気軒昂たる戦果に、能天気に舞い上がり、敗北への一本道を率先して突き進む愚かな帝国臣民に、よく似ている。

 そこに欠けているもの、それは、批判意識である。
 権力から与えられた情報が信用するに足るものであるかを、自らの経験、理性、知識、感性、直感、ありとあらゆる力を駆使して、その妥当性を吟味しようとする慎重な態度である。

 公式サイトの一片の文章、その発表を鵜呑みにして、「藤本美貴は自分の意志でモーニング娘。を脱退したのだ」「彼女の意志を尊重したい」と語ること。そこに、浅はかさ、皮相さを感じずにいることは、難しい。

 (現時点でのコメント)
 (結局はわからない真相)
 (ならば、藤本美貴の本質を救い、守るという方向で、解釈することが、自分にとってヲタの倫理であると思われた)

 藤本美貴の問題をスルーすること。矛盾に満ちた世界を受け入れること、抵抗することもなく=「所詮、世の中、人生、そんなもの」という奴隷精神の完成。


 「モーニング娘。藤本美貴」の死を容認し、受け入れることは、わたしたち自身が、もう一度「モーニング娘。藤本美貴」を殺すことである。そのとき死ぬのは、「モーニング娘。藤本美貴」だけではない。そのとき、私たち自身の良心が、誇りが、批判的理性そのものが死ぬのである。

 从V_V)<アンコール

 「モーニング娘。藤本美貴」の死を容認し、受け入れることは、わたしたち自身が、もう一度「モーニング娘。藤本美貴」を殺すことである。そのとき死ぬのは、「モーニング娘。藤本美貴」だけではない。そのとき、私たち自身の良心が、誇りが、批判的理性そのものが死ぬのである。

『ミキ受難曲』(終り)
2008.3.24

2008.03.31(月)
■名無しみきたんさんからのメールについて (『ミキ受難曲』補遺)

 24日に上記の最終更新を発表した、その直後に、名無しみきたんさんから長いメールを頂戴した。
 それは、愛にあふれる美貴ちゃんのファンが、どれほど心を痛め、苦しみながら、彼女を信じて待ち続けたのかを証言する、貴重なドキュメントだった。
 ご本人の諒解を得て、以下に、その一部分を紹介引用させていただく。(メールの全文については、掲示板の《藤本美貴解放戦線》スレッドを参照

(略)
>「藤本美貴は自分の意志でモーニング娘。を脱退したのだ」「彼女の意志を尊重したい」と語ること。そこに、浅はかさ、皮相さを感じずにいることは、難しい。

このような態度表明なら、まだ良い方だと思うのです。

5月24日から俺が許せない、悔しかったのは「藤本は娘。から逃げ出すために写真を撮られてもいい行動に出た」という中傷です。
この俗論をどの程度のモーヲタが信じているか知りませんが、こんな見方はいかに彼女に対する思い入れがないかを示しています。
これは、掲示板にも貼られた「さゆみんさゆみん」さんも述べておられた、矢口が逃亡したという謀略説が基本にあって、藤本がそれに倣ったというわけですが、ふたりのケースは似て非なるものです。
彼女に当時悪意があったとして、撮られるということが現実のものとなり、娘。を抜け出せるという確実な保証があるのか。
逃げ出すつもりなら矢口のように即脱退していたでしょう。1週間も必要ない。
何より「大好きな亜弥ちゃん」との初めてのツアーを前にそんな暴挙に出るわけがないのです。どんな悪影響があるかわかったものではない。
それから、ヤンタンからも逃げなかった。あの2回の放送から、彼女に後ろめたいところがあるように誰が感じるのか。
6月2日、「色々考えましたね」これは当然グループのこともあったでしょう。
「自分でしてしまったことなので、泣いていても仕方ないんで」この言葉が記憶に残ってます。決して開き直りなんかではない。
また、6月4日のドキみき。この時の彼女の声は明らかにいつもと違った。沈んでいたと思います。これを収録したときは結論が出ていたわけですが、これを聴いたら悪意から行動に出たのか普通はわかるでしょう。
6月以降のドキみきで度々メンバーの話が出てくるのが嬉しかった。辞めたくなかったのだろうとこれだけでも感じたのですが、18日の放送で、脱退に関係したリスナーからのメールを紹介したとき、「突然の脱退ということになってしまったんですが」、この言葉、辞めるのは本意ではなかったと受け取りました。

あの時事務所が残留の決断をしていたら、中傷をこれからも長きに渡り受け続けなくて良かったのですが、絵に描いた餅なのでしょうか。打たれ強い本体に成長する最後の機会だったと思います。目先の対応にあたふたしたとしか思えません。
世紀の失策ですよ。

ただ、一方で彼女の本来の力を発揮させるということでは、年齢を考えれば、結果として良かったかもしれません。

彼女の娘。入りを歓迎し、4年余り殆ど彼女だけだったので、「モーニング娘。藤本美貴」を突然失ってからというもの、特に昨夏はほとんど毎日、1日のうちのどこかで泣いてしまい、彼女が干されていることへの不満も加わり、精神状態はかなり酷かったのです。
リスタートの情報を知る直前まで、今年に入ってからは特に抗鬱剤がほしいくらいの落ち込みようだったのですが、立て続けに仕事が発表されたら、苛立ちも急速に萎んで消えていきました。彼女の存在がそ れほどまでに影響していたのだと実感します。

俺は、彼女に娘。を続けてほしかったし、リーダーとして吉澤に比肩し得る活躍をするのは間違いなかったから、その姿を見たかった。そして、「さゆみき」の深化も。けれども、あんな仕打ちを受けた彼女を見捨てるなんて出来なかったし、彼女なら良い意味で何かやってくれるだろうという気持ちもあった。だから過去を引きずりながらも待つことにしたのです。
彼女の今後については、心配のほうが先に立つのですが、目先の仕事がそこそこの成功を収めてくれたら。そこを足掛かりに地味でも良いので、息長く活動してほしいのです。


話は変わって、モーニング娘。について。
昨年のあの時から、自然と距離は遠くなりました。正直なところかなりのわだかまりが、というより今すぐにでも消えてほしいくらいの感情はあります。その存在意義については、昨年の暑い夏あたりから疑問があり、自分なりに考えていました。
圧倒的な存在感と歌に限らず、広報としての抜きん出た実力を保持する藤本を切ってまでして活動を続けていることに大いなる不満があったのです。藤本が本格復帰すれば、その気持ちも和らぐのかとも思いましたが、今のところ無理なのです。

(略)

名無しみきたんさん、3月25日付けのメールより抜粋

 このメールを読んで思うことは、藤本美貴を巡る問題、「脱退」や、活動できなかった時間は、決して終わってしまった過去の話ではないということだ。
 藤本美貴を「脱退」させることで生き延びる道を選んだモーニング娘。をどう考えるのか。その大きな問題が我々につきつけられている。
 モーニング娘。は「アイドル」として子供たちに愛や勇気や希望を伝え、夢や元気を与える、という。しかし、藤本美貴からそれを伝える機会を奪うことで購われた「愛」や「希望」とは、果たして何なのか。涼しい顔をして、正しい目的は手段を正当化する、などと言う権利が誰にあるのか。
 ここには、いやしくもモーヲタである以上は決して逃れることのできない矛盾があるのだ。
 モーニング娘。はアイドルでありつつ、「アイドル」を内在的に批判し、脱構築する存在である。そのモーニング娘。を愛するわれわれモーヲタもまた、モーニング娘。を愛し続けるためには、「モーニング娘。」を批判し続ける必要がある。この愛と批判の弁証法から顔をそらした瞬間に、われわれのモーニング娘。への愛は、一つの虚偽意識へと、単なる自己満足にすぎないものへと堕落してしまう。
 ここで言う「批判」とは、言うまでもないが、「叩く」ことではまったくないし、床屋政談的に「どうすれば売り上げを伸ばせるか芸能界で生き延びられるか云々」について講釈を垂れることでもない。われわれが遂行すべき哲学的な批判とは、モーニング娘。の理想と現実の間にある矛盾に直面し、その矛盾をメンバーたちと共に引受け、ともに苦しむことに他ならないだろう。

[2008.3.31『アイドルの脱紺築』最終更新]




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(2007.6.07とりまとめ)
(2007.6.21追加)
(2007.6.22追加)
(2007.7.06追加)
(2007.8.12追加)
(2007.10.02追加)
(2007.10.04追加)
(2007.10.15追加)
(2007.10.16追加)
(2007.10.22追加)
(2007.10.27追加)
(2007.10.28追加)
(2007.11.09追加)
(2007.11.22追加)
(2007.11.23追加)
(2007.12.12追加)
(2008.01.01追加)
(2008.01.25追加)
(2008.02.14追加)
(2008.02.15追加)
(2008.02.26追加)
(2008.03.24追加)
(2008.03.31補遺追加)