La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux

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紺野あさ美論ノート4
中距離走者の孤独(な声)




■ 目 次 ■
二つの呼吸法
息から声へ
『涙が止まらない放課後』について






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二つの呼吸法

 紺野あさ美は、中学時代、札幌市の大会で記録を残すほどの優秀な1500m走選手だった。モーニング娘。に加入する直前まで、彼女は現役の中距離走者だった。
 その、専門家をも唸らせる華麗な走りは、モーニング娘。としても、スポフェスにおいて披露され、わたしたちに大きな感動を与えてくれた。
 一年目のぶっちぎりでの優勝。
 二年目のまさかの逆転負け。
 そして、三年目に果たしたリベンジと、彼女の発した「無敵」という自信に満ちた言葉。

 中距離走は、持久力を要求される種目。
 そこで、スタミナやスピードを維持するためには、大量の酸素を、短時間のうちに素早く体内に供給しつづける技術が要求されるはずだ(体育科学には疎いので素人考えだけれども)。
 つまり、素早く大量に息を吸い、また素早く吐く、という呼吸器官の操作が要求されるだろう。
 紺野あさ美が、他の5期メンに比べても大きな肺活量を持っていたことは、彼女の中距離走者としての資質や、訓練の結果を表わしているのかもしれない。

 また、彼女は、空手も習って茶帯を取得している。おそらく、空手においても、瞬発的な素早い呼吸の仕方が要求されるのではないか。

 しかし、声楽(歌唱)に必要な呼吸器の操作法は、それらとは異なる。
 声楽においては、素早く吸った吸気を、出来るだけ長く保ち、細く、ゆっくりと、しかし一定の圧力を保って吐き続けることが必要とされる。
 この腹筋の使い方、特に、横隔膜の制御方法は、陸上競技と声楽ではほとんど正反対だと言ってもいいのではないか。
 これこそが、歌唱における紺野あさ美の弱点の、根本原因だと思われる。
 (むろん、スポーツと歌を両立できる人はいるのだから、これを歌唱における難点の理由として言い訳にすることはできないのだが)

 紺野あさ美は特に音痴という訳ではない。
 彼女は、小学校時代スクールバンドでトロンボーンを担当していた。トロンボーンは自分の耳に頼って音程を作る楽器である。耳がよくなければ演奏が出来ない。
 しかし、彼女の歌うロングトーンは、たいていの場合、音の末尾で音程が乱れてしまうし、跳躍音程は的確にヒット出来ない。
 これは、呼吸法に原因があるのだと、わたしは考えている。
 彼女の腹筋は、吸気を保って、少しづつ長く吐き続ける運動には適していないようなのだ。

 トロンボーンの場合には、閉じた唇に向かって息をぶつけ、唇の筋肉を震わせて発音するので、相当の圧力がそこでかかる。だからこそ、息を保つ方向での腹筋のコントロール力が不足していても、問題はなかったのかもしれない。
 しかし、歌はそうは行かない。
 息を保てなければ、ロングトーンは歌えない。
 そして、それを歌おうとすると、彼女の腹筋が反乱を起こす。

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息から声へ

 また、藤本美貴や高橋愛のような聴き映えのする声を出すためには、長く保って少しづつ吐く呼気を、可能な限り効率良く音へと変えていく発声法(声帯の使用法)が要求される。
 少量の呼気を、大きな音量へと変換する技術がなければ、ロングトーンで構成される長いメロディーを歌い上げることは出来ない。
 これは、正しい呼吸法が前提となる技術である。

 紺野あさ美特有の切なさを感じさせる、あの浅すぎる発声。
 あの頼りない、か弱い声は、彼女が、呼気を音へと変える発声法において、(そもそも歌手として以前に)普通に喋る場面においてさえも、問題を抱えていることを物語っている。

 声は、紺野あさ美がモーニング娘。として生きた5年の間、彼女が背負い続けた重い十字架でありつづけた。
 楽しいバラエティの企画のなかでさえ、他のメンバーに対し「わたしの声にイラついていないだろうか」という疑問や不安をぶつけずにはいられなかったほどに、それは、彼女を悩ませ続けていた。
 おそらく、モーニング娘。になろう、と決意した時、彼女はその問題を、あまり重くはみていなかったのだろう。
 学校での勉強や、陸上競技などを通じて、紺野あさ美は、「自分はやれば出来るんだ」という確固とした自信を持っていただろう。だから、歌も本格的に取り組めば、困難を乗り越えられるはず、と。
 しかし、歌で勝負し、歌で生きる世界は生易しいものではなかった。
 道重や久住のように、単に歌が「下手」なだけなら、訓練と経験の蓄積によって「上手」になることが出来る。
 しかし、発声の基礎となる肉体的条件そのものを変えることは、はるかに困難だったのだと思う。おそらく、プロのヴォイストレーナーが、機会あるごとにアドバイスし、発声を矯正しようと努力しても、それを変えることは出来なかったのだ。

 (彼女の発声を限界付けているもう一つの要因として、彼女の「アイドルとしての自己イメージ」のありかたが関係しているのではないか、という可能性も考えている。彼女が表現する「アイドルとしての自己」は、そのカバーする表現範囲がかなり狭い範囲に限定されている。そのことと、「自分が出すべき声」として彼女がイメージする音との間にも、ある関連性があるような気がする。しかし、それはここに掲げた仮説以上に曖昧模糊とした話とならざるをえないので、ここでは、これ以上述べない)

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『涙が止まらない放課後』について

 『涙が止まらない放課後』という曲は、つんくが、紺野あさ美にメインで歌わせることを想定して作曲した楽曲である。
 その楽曲的な特徴は、ロングトーンの不在、跳躍音程の不在、そしてシンコペーションの不在という3つの不在によって象徴される。
 この曲は、ミディアムテンポの穏やかな曲調を持つ、可愛らしい恋の歌である。そうであれば、普通、なめらかで流れるようなメロディーが似合いそうなものだ。しかし、この曲のメロディーは、常に、軽く跳ねるように、スタッカート気味に歌われる。声を長く伸ばして、そこに気持ちを乗せていくようなロングトーンはまったく出てこない。
 そして、音程的には、ほとんどが順次進行(2度音程)のみで作られ、ごく例外的にわずか4度(ソ↑ド、レ↑ソ)の上向跳躍音程を含むのみである。
 (階名で記せば、ソラソ、ソ↑ドシラソラ……レミレ、レレ↑ソファミレ、ミーレ ……(繰り返し)……ミミミファ、ミレミレドド)
 そして、リズム的には、ポピュラーソングの命とも言うべきシンコペーションが、これもほとんど存在しない。ごく控え目に使われているだけだ。
 これらの、特徴全てが、この曲の印象を地味なものにしていることは否めないが、それもこれも、つんく♂さんが、心血を注いで、歌唱力に難のある紺野あさ美が無理なく上手に歌えて、お客さんに納得して聴いてもらえることだけを考えて、この曲を創作したことの証しに他ならない。

 これを、同様にミディアムテンポのラブソングであるが、藤本美貴が中心に歌うことを想定して作られた『先輩 〜 LOVE AGAIN〜』と比較してみれば、その特徴はさらに明らかにみえてこよう。
 『先輩 〜 LOVE AGAIN〜』では、冒頭から、メロディーはシンコペーションのリズムパターンを基礎として構成される。AメロからBへと積み重なるシンコペーションが、恋心の切なさを高めていく。
 そして、キーチェンジして登場するサビでは、印象的な跳躍音程、ロングトーン、シンコペーションを含む、技術的にも高度な美しいメロディーが歌い上げられる。
 わたしたちは、紺野あさ美がこのサビを歌う光景を、ある痛々しさを感じることなしには、想像することすらできない。

 わたしたちは、つんく♂さんが、工夫と配慮を重ねて、心血を注いで、『涙が止まらない放課後』という佳曲を作り上げ、紺野あさ美に捧げてくれたことに、心から感謝しなければならない。
 そして、紺野あさ美の声が、『愛の第6感』の冒頭を飾ることができたことに。
 そして、わずか一フレーズとはいえ、紺野あさ美がモーニング娘。を代表して、紅白でソロパートを担当できたことに。

 この待遇は、ほとんど依怙贔屓と言ってもいいぐらいの、つんく♂さんの紺野あさ美への、特別なご褒美なのだ。そう感じられてならない。

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('07.1.26初出)