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La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux

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紺野あさ美論ノート2
ズレが産み出す erotic fascination

cross_decoration

=prologue=

以下の記述にあたり、私は「心のお父さん」という自己規定をカッコ入れし、自らの立場を宙づりにする。
そして、どこでもないあいまいな場所から言葉を発することにする。
もちろんこれは擬制にすぎない。
しかし、そうでもしなければ語り得ない主題を語るために、この擬制/虚構は必要不可欠な手続なのだ。
以下の主題となる eroticism が彼女を巡って語られること、それらの言葉が彼女を取り囲む様は、ごくありふれた見慣れた風景にすぎない。
むしろ言葉は、過剰なまでに溢れかえっているのであり、その主題は既にありとあらゆる表現で語り尽くされてしまっている。
しかし、いずれ書かれるであろう「紺野あさ美論」への準備として、この手垢にまみれた風景の中に、さらに自分の言葉を書き込むことにも、それなりの意義はあるのかもしれない。




■ 目 次 ■
1、彼女の性的魅力 erotic fascination
2、無自覚ゆえに増幅される魅力
3、儚く貴重な美しさ
=付記= 今こそソロ写真集を切望する








成熟してゆく肉体への違和感:少女だけが持ちうる不安定感
Absolute Balance「自己紹介と分析ファイル」(yiyeさん)








彼女の性的魅力 erotic fascination (注1)

彼女の性的魅力 erotic fascination (以下、e.f.と略記する)を語る数々の言葉が、ネット上に満ち溢れている。

スタイルもかんぺき、くびれ具合やおっぱい具合もかんぺき
Absolute Balance 10/30(sasder)12:00(yiyeさん)

⇒ポンちゃん、おっぱいを強調してみる、の巻。
ああああああんた!あななななななんあにを!なにをしてるんすか!なんでそんな風にして、両腕でおっぱいを寄せちゃったりして、おっぱいを強調したいんですか!両腕にはさまれて、おっぱいさんが苦しそうじゃあああないですか!むぎゅーってなっちゃってるじゃああああないですか![⇒商品明細表示]。しかもチョーやわらかそお!

Absolute Balance 7/1(sasder)10:20(yiyeさん)

アロハロ写真セット!!紺野さんエロ!!紺野さんえろぉ!!我が目を疑いましたわ。売っていいの、これ?最初梨華ちゃんとかセクシーだなぁとか思ってたけどねぇ、紺野さん?(中略)紺野ファンの人買ったら実物見せてください!!マジで!!
MMGP 2004/7/1 (真里さん)

 今回のえがお通販はアロハ炉の写真で…水着です。
 別に水着萌えしない私でも紺野さんの水着は圧倒されます…。
 あの子の離れ乳具合や腰のくびれ、色の白い肌とか全部全部大好きです。
 特にほっぺぷにっとしてるのに細くてスラッとした体形とか…
 モーニング娘。1の美脚と噂される紺野さん!あーマジ美脚です。
 元ネタはオフィシャルですよ!!あー、紺野さんのほっぺ触りたい。

RFF →6月28日午後13時32分 (みなみさん)

そして、紺野さんがファンに女神のように慕われ、かつ娘。一のセックスシンボルとして存在するというのも、
見る者の「神聖不可侵なものへの憧れ」と「神聖不可侵なものを征服したい欲望」を
同時に刺激するからなのでしょうね。

故に、
(才能+知性)×ストイック÷慧眼=神性∞
(才能+知性)×ストイック÷邪眼=エロ∞
という天地普遍の方程式が成立する。

おまめ茶房「紺野あさ美の孤高と孤独」(niigakistさん)

紺野さんはむりやり矢口の跡を継いで「モーニング娘。のセクシー担当」になればいいのだ。
彼女の遠慮がちな性格を矯正するんには、それぐらいの荒療治が必要。
それも、名ばかりなのものにするのではなく、圧倒的に全面的にその方向で、突っ走る。水着写真集はもちろんのこと、セミヌードも辞さない!衣装は毎回メンバーの中で一番露出度の高いもの。グラビア仕事も、ばんばん受けて、BOMB!レベルのグラビアまで網羅ですよ。
彼女のことですから、ものすごく恥ずかしがります。それでいいんです。露出度の高い衣装でめちゃめちゃ恥ずかしがってるのに、それでも身体は隠さないっていう、そのギャップですよ。世の男どもは一人残らず、もう、萌え萌えのハァハァじゃないですか。

fairground attraction「06/06(Sun):紺野さんが心配」(でゅえろうさん)

こんこんは性の大将
マコウェーブ研究所「メールレス」(こまきまこさん)

そして、「ラストデイ」のcloverさんも、かつて「紺野あさ美についてはその体にしか興味はない」という趣旨の記述をされていたと記憶する。
引用したこれらの記述は、もちろん一例(なおかつ「愛に基づいて記述された文章」のみの例示)に過ぎない。
もちろんここに見られる以外にも、匿名を含む無数の書き手が、彼女の性的魅力を巡って書いている。
時に愛情を込めて、時に畏敬の念を込めて、そして、非常にしばしば無遠慮に無躾に語られる様々な言葉がネット上に蓄積されている。

紺野あさ美の e.f. それは、彼女のどんな特徴から生まれてくるのだろうか。
・ぷよぷよとした丸顔。それとは不釣り合いに華奢な骨格。例えば、軽く抱きしめただけで壊れてしまいそうなほど細い肩や、すらりとした脚、二の腕。そのギャップ。
・華奢な体格に似つかわしくない豊かな胸部。そのギャップ。
・はかなげな声。浅すぎる発声。
……様々な身体的特徴にあらわれる彼女の魅力それ自体も、確かに強力な磁場を形成して、異性の熱い視線を引き寄せる。(ここで、既に様々な「ギャップ/ずれ」が、大きな役割を演じていることに注意を要する)

しかし、さらに重要なのは、それらの肉体的特徴、特に大人の女性としての肉体的魅力を、彼女自身がうまく受入れられずにいる、という精神面の事情ではないかと考えられる。
身体と精神の、この「ギャップ/ずれ」こそが、彼女が身にまとってみせる独特の e.f.の震源地なのではないか。(注2)

もちろん、聡明な彼女は、自分の肉体的特徴が、異性の視線や関心を強く惹きつけるものであることを知ってはいる。しかし、頭(理性)がそれを認識しているということと、心がそれを納得して受入れるということは別であり、この「理性と心情のギャップ/ずれ」もまた、彼女の放つ e.f.に個性的な色合いを添えているように思われる。

聡明な彼女は e.f.の存在や、その効果について、自覚してはいる(理性的側面)。しかし、それを自らのこととして引き受けることはできない(心情的側面)。
それは一言で言えば羞恥心の働きである。
(マシューTV('04/2)では、その羞恥心に「恥ずかしがリンゴちゃん」という表現を与え、藤本美貴と対比することによって、紺野あさ美の羞恥心を強調し、顔を赤らめて羞恥心に身もだえる彼女の e.f.を画面中に充満させることに成功していた)

2、無自覚ゆえに増幅される魅力

彼女の存在に不可避的に纏わりつく e.f.。
しかし彼女はそのことに徹底して無関心である。もしくは気付かないように自分を仕向けている。

誰もが知っているように、彼女は非常にシャイな人である。
母親と一緒にTVドラマを見ていて、たまたまラヴシーンに出くわしただけでも、直視できずにケータイをいじったり、用事を思い出したフリをして自室に引っ込んでしまうような恥ずかしがり屋。
まして、当然ながら、身体的特徴や、心のありようが産み出す e.f.や、それが異性に与える効果/影響については、考えたくないし、出来れば気付かないでいたい、と思っているのではないだろうか。
(注3)

それゆえ、彼女は己の e.f.を無視する。
それが、彼女についてしばしば語られる特徴「無防備さ」へとつながっていくのではないか。
彼女は己が「防備すべきもの」を備えていること、しかも並みはずれて備えていることを、あっさりと無視する。
気にかけるべきものなど何も存在しないとでも言いたげに。
大騒ぎするべきものなど、何もないかのように。
その結果、無防備にさらけだされる彼女の e.f.。

こうして、紺野あさ美は、自らは自覚することなく、そして、それゆえにこそ強烈に異性の心をかきたて、熱い眼差しを引き寄せる存在となる。
純粋無垢でありながら、それゆえに異性を惹きつけるという矛盾。
そのありようは、自分のセクシーな魅力を自覚して正攻法で異性にアピールしようとする同性の目からみれば、ほとんど「ルール違反の存在/卑怯な存在」として謗りを受け、非難されかねないものかもしれない。(注4)

彼女の羞恥心と、純粋さ。
それによって、彼女の e.f.がいかにその狂暴さを増すとしても、そのことについて彼女自身には何の責任もない。
彼女はただ、ごく自然な反応として、何の計算もなく、普通に恥ずかしがっているだけなのだから。
自分の e.f.がトークで話題にのぼろうものなら、ただひたすら恥ずかしがってうつむき、まるでその話題が目の前を飛び回る蝿ででもあるかのように、それ追い払おうとし、顔の前で手をパタパタと振り回すことだろう。丸顔を真っ赤に染めながら。
その「恥ずかしがリンゴちゃん」ぶりが、さらに異性の気持ちを激しく高めてしまうとしても、彼女自身は、己が異性に及ぼす圧倒的な力には気づいていない。

紺野あさ美ほどに罪作りな存在もまたとないのかもしれない。

3、儚く貴重な美しさ

以上で、「ずれ」「無自覚」「無防備」「羞恥心」などの様々な要因が彼女の e.f.をいやがうえにも高めていく様子を見てきた。
身体的特徴に源泉を持つ e.f.が、彼女の内面を通過することによって、さらに貴重な輝きを帯びる様を。

それらの要因に支えられた、e.f.の独自性は、しかし、彼女が自らの e.f.を自覚し、己を「セクシー」な存在と措定した途端に失われてしまうのではないだろうか。

仮に、fairground attraction のでゅえろうさんが、(彼女を愛し心配するがゆえに)提案するように、「むりやり矢口の跡を継いで」「セクシー担当」になるとしたら、どうなるのだろうか。

矢口真里が「セクシー担当」である、ということ自体が事実であるか、それとも彼女一流のシャレにすぎないのか、という問題はひとまずおくとしよう。
そして、紺野あさ美が、自らセクシー担当を任じて活動するならば、歴代ハロプロメンバーが表現してきたセクシーのアベレージ
(注5)をはるかに越える sex appeal を表現しうるであろう。(注6)

しかも、その sex appeal は、今まで私たちが目にしたことのない、紺野あさ美にしか表現できない魅力に満ちたものになるであろう。
それは、今はまだ想像することすらできない、未だこの世に生まれ出ていない真に新しい魅力に違いない。
それは、他のハロプロメンバーが表現してきた魅力と相対的に比較しうる魅力、その既存の数直線上に位置するものではなく、あらゆる比較を断固として拒絶する、絶対的な魅力、真にユニークなものとして単独で存在する魅力となるであろう。
その魅力も、やはり、比類なく貴重なものに違いない。
それが期待できるからこそ、でゅえろうさんも、あえて彼女をセクシー担当にせよという提言をされたのであろうと信じる。
そこで表現されるものが貴重であるばかりでなく、対外的にも、それは、紺野あさ美の危機的状況を打破し、ひいてはモーニング娘。の一般層へのさらなる浸透、収益力の回復にすら寄与しうるのかも知れない。

いいことづくめのようにすら思える。

しかし、彼女が「セクシー担当」を自認して、新たな魅力の表現を自覚的に行なうとき、今現在の彼女が放っている、不安定な魅力、儚いがゆえに貴重な e.f.は、不可逆的に変質し、そして失われてしまっていることであろう。
それはあまりにも惜しい。

人は、どのようにして、その喪失に耐えることができるのだろうか。

*       *        *

しかし、いずれはその時が、やってくるのかもしれない。
紺野あさ美が大人の女性としての自分を積極的に受入れる時が。
自覚的/能動的に、自らの持つ sex appeal を表現しようと試みはじめる時が。
その時は、あるいは目前にまで迫っている恐れすらある。
その時がきた時、彼女の放つ e.f.が、どのような変貌を遂げるのか、誰にも予想は出来ない。しかし、それが今現在見られるもの、今しか見られない魅力と、外見上ほとんど変わらないようでありながら、本質的なところで決定的に異なるものになっていることだけは避けられないであろう。

=(本論終わり)=

=付記= 今こそソロ写真集を切望する

だからこそ今、一刻も早くソロ写真集を出すことが切望される。

成熟してゆく肉体への違和感(yiyeさん)
そのとまどいを記録しうる時間は、おそらく、既にほとんど残されてはいないからだ。

花の美しさは日々刻々変化する。満開の花ばかりが美しいのではない。蕾には蕾の、五分咲きには五分咲きの美しさがあり、それは満開になった時にはすでに失われているのだ。
その一瞬一瞬の輝きの、途方もない貴重さ。

今や、その記録を残すことは、事務所や出版社にとって責務ですらあると思う。
利益の計算に汲々とするあまり、そのドキュメントを残すことの歴史的な意義について無自覚であってはならない。
彼女が日々成長し、やがて大人に成りおおせてしまうのを、うかうかと見送ることは、ほとんど犯罪的な営為である。

その文化的損失の大きさを思うならば、たとえ、高松塚古墳の壁画が消えてただの壁になってしまおうとも、バーミヤンの大石仏が何度破壊され尽くそうとも、大した問題とも思えない。(注7)

*       *        *

今しか見ることのできない、彼女の e.f.。それを表現するためには、水着はいらない。セクシーポーズもいらない。沖縄の青い海も、ハワイの白い砂浜も、ベトナムの異国情緒も何もいらない。(注8)

例えば荒木経惟に、愛用のライカを一台携えて、紺野あさ美と街を歩いてみてほしい。(注9)
夜のコンビニで、お気に入りのデザートをカゴに入れる姿をフィルムに収めてみてはどうか。
パン屋に寄って、ついついトレイの上にパンの山を築き上げてしまったときの幸せそうな表情を。

あるいは、スタジオで撮影するなら。
控え室で、着てみた衣装を姿見に写してチェックする真剣な表情とか。
ヘアメイクさんに髪を作って貰いながら雑談に興じる寛いだ笑顔だったり。
鑑を覗き込みながら、お気に入りのピアスを左耳の穴に通す仕草や。
「似合うね」と言いながらレンズを向ける写真家を鏡越しに見つめる、少しひきつった照れ臭そうな表情もまた。

あるいは自室(に見える場所)でロケを。
起きがけの無造作な部屋着姿で、台所に立ち、青汁豆乳をブレンドしてみよう。
バースプーンを構える手つきと、その細い指。
大きなグラスに入った青汁豆乳を一気に飲み干す姿。
空になったグラスを自慢げにカメラに突き出し。
でも、ちょっと苦かった、と少し顔をしかめてみせたり。
そして、電子レンジを覗き込む期待に満ちた表情。
取り出した皿からささ身を一切れつまんで、口に放り込む。
そして破顔。

「なんだよ全然セクシーじゃないじゃないか」と不平を漏らすファンのためには、例えば、純和風の旅館でロケをしてみよう。
湯上がり髪をざっくりと後ろでまとめて、浴衣姿で、板張りの廊下を歩き。
紫陽花の咲く雨上がりの中庭を眺め。
雲間から差し込みはじめた日の光に目を細めてみせ。
吹き抜ける初夏の穏やかな風を頬に感じ。
部屋に入れば、テーブルの上に並べられたご馳走の数々に目を輝かせ。
「よーし。今日はダイエットを忘れて、気持ちよく食べるぞー」と決然と食べはじめる様子。
ゆっくりゆっくりと、だが、着実に空になっていく皿。
「食べすぎたぁ」と言って、畳の上に寝そべってみたり。
ぽっこりしてしまったお腹をポンポンと叩いて笑ったり。
満腹感に幸せを感じて、うっとりと目を閉じてみたり。
仲居さんがデザートを運んでくると、俄然目を輝かせて飛び起き。
「デザートは別腹ですよねー」と言いながら完食し。

……それら一つ一つの表情や仕草とともに、彼女の匂いたつような e.f.が、フィルムに記録されていく……

それでもまだ足りないという贅沢なファンのためには。
では、浴衣姿のまま、脚を横に崩して鏡台の前に座り、鏡越しにカメラを見つめ、その視線を気にしながら、後ろで纏めた髪を、そっと、解いてみる。
それだけで、もう充分ではないだろうか。
この上なにを望むというのか。

*       *        *

……というような写真集が見てみたいと空想するが、それはおそらく実現することなく終るだろう。
もしかすると、苦手意識の拭い切れない水着姿満載で、それでも健気に笑顔を見せる写真集が近々届けられるのかもしれない。
それは、私にとってはセクシーというより、いじらしい写真集なのかもしれない。
あるいは、これから一年以上の時がすぎ、すっかり大人の女性に脱皮した紺野あさ美による、「健康的なお色気」を見せる、語のもっとも一般的な意味における「セクシー」な写真集が作られるのかもしれない。
それでは、色々な意味で遅すぎるのだが。

*       *        *

幼い子供はみるみるうちに成長する。
そしてあの頃見せてくれた可愛らしさは、もう二度と見ることはできない。
紺野あさ美が今見せてくれている e.f.、儚く壊れやすい、それゆえにかけがえのない魅力もまた、まさしくそのようなものだ。

過ぎ去り、失われてしまった時間。
その一瞬一瞬の途方もない貴重さに気づいて愕然とすること。
そして、それを記録したドキュメントの、あまりの少なさに歯痒い思いをすること。
それもまた、紺野あさ美ファンにのみ許された特権的な経験なのだと考え、無理にでも自分を納得させる術を身につけること。
それは紺野あさ美ファンとして生きるうえで必要とされる知恵なのかもしれない。


=epilogue=

以上を読み返してみるならば、やはりこれは「心のお父さん」としては如何にしても語り得ない事柄であった。
それをあえて語るのは、息を止めて素潜りで深海に潜るような苦しい作業だった。
已むを得ない事情によって必要に迫られない限りは、今後、同じ主題について書くことは、おそらくないであろう。

ここには、独創的な考察も、彼女の魅力についての新たな知見も着眼も、いささかも含まれてはいない。
ただ、無数の書き手が書き、そして書き継いできた古めかしい主題に、自分の流儀で一つの変奏を書き加えたに過ぎない。
しかしこれによって、避けては通れない主題について自分の思いを一通り整理することが出来た。
たしかにこれは書かれざるを得ないものであったのだ、と必死に自分を納得させようとするが、それでもなお、これを自分が書くべきだったのかどうかについては、今だに迷い続けている。



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=備考=
「紺野」の名を冠した某リンク集に所収の文章については、ここでは言及することも批評することも出来なかった。
そのリンク集は自ら成人指定サイトたることを任じている。
したがって、閲覧にそのような制限を設けることを潔しとしない拙サイトにおいては、当該リンク集に収録された文章を引用/紹介する術がなかったのだ、という事情をどうかご理解いただきたい。


=脚注=

注1:
性的魅力 erotic fascination は、通例 sex appeal という言い回しのほうが一般的であるが、 appeal の語は、積極的/能動的に自分の魅力を表現するニュアンスを含むと考えられる。そしてそれは、彼女の魅力の特質にそぐわないと思われるので、あえて耳慣れない表現を採用した。

注2:
cloverさんは、かつて「体にしか興味がない」と記していたが、それはおそらく韜晦の身振りにすぎない。実際のところ彼は「身体が発生させる魅力を精神が増幅する」というメカニズムについて、十分に自覚的な書き手であったと考える。

注3:
実のところ、彼女は自分の身体が表出する女性的な魅力(= sex appeal)について、さほど関心がないのではないだろうか。「そんなの本当はどうでもいいんだよね」と思っているフシがある。もちろん、年頃の女子である以上、太った痩せたは気になるし、ダイエットにも励むのだが、それが「異性に与える効果」については興味が薄いのではないか。「男子に生まれたなら生まれたで、それはそれで楽しく生きていける」と思っているのではないか。憶測にすぎないが。

注4:
週刊スパ'04/6/29号のアンケート企画「女が許せない男の「○○が好き」NGランキング」の中で、紺野あさ美の名が「ゆるせないロリコンタレント」の第五位(4%)に挙がっている。このような雑誌の企画にどの程度の資料価値があるのかは疑問であるし、「ロリコンタレント」というくくりの中で彼女を語ることもおよそ適切さを欠く。
しかし、彼女の名をあげた調査対象者のコメントとして「純粋すぎるから、痛い感じがする」(22歳女性)という言葉が掲載されているのだが、この感想自体はそれなりに正直な気持ちを語っていると思われる。
しかし何故それが「許せない」と考えられるのか。むしろ、メディアを通じてその奇跡的な純粋さに触れることが出来たことに感謝すべきなのではないか。おそらく、その純粋さを「許せない」と感じる人々にとって、彼女の純粋さは、芸能界の中にあってはいけないもの、TVの中で見るべきでないもの、想像を超えているがゆえに、その存在を受入れ難いものなのかもしれない。

注5:
ここでいうアベレージ(平均値)を想定するにあたっては、中澤裕子の魅力を計算に入れていない。何故なら、彼女はそのような比較を許さない、すべてを超越した存在なのであり、彼女を含めて平均値を取るならば、その結果は意味のない数値になってしまう……という話は、完全な中澤ヲタ発言にすぎないので、ここでは無視して頂きたい。

注6:
セクシー担当としての紺野あさ美。もちろん求められるならば、彼女はその要請に全力で応えようとするだろう。マシューTVで「ラブシーンの仕事がきたらどうするか」と尋ねられて「やります」と即答していたことを想起されたい。
彼女には、アイドルにとってキスシーンやラブシーンあるいは水着etc.がどのような商品価値を持つものなのか、ということは問題ではない。
与えられた仕事に全力で取組むこと、そして、目の前のハードルを越えること、そのことだけが彼女にとって重要なのであり、それがどう受け止められるのか、周囲に波及させる効果や影響についてはやはり関心がないのだと思われる。
ともあれ、現実的には彼女のラブシーンが近々見られることなど考えられない。
ハロプロタレントの長、中澤裕子(31)にさえ、未だキスシーンの一つすら許されてはいないのだから。それほどまでにハロプロメンバーはタレントとして大切にされている、と言えるのかも知れない。
(前田有紀のラブシーン云々に関しては、失礼ながら彼女は傍流の存在であり、例外的な事象として捉えるべきであろう)

注7:
あきらかに言い過ぎであり、問題発言だが、偽らざる本心でもある。壁画にせよ、石仏にせよ、所詮は人間の手になるものであり、神の造形である紺野あさ美の魅力、生きて変化するがゆえに一度失われれば二度と帰ってこないその魅力とは貴重さの度合において比べるべくもない。

注8:
問題が、体を覆い隠す布の面積をいかに少なくするか、ということや、半裸に近い姿を晒すことが自然に思えるような開放的なシチュエーションを設定することにあるのではないことは明白である。
その、 e.f.を最大限に引き出すためには、彼女が羞恥心を刺激されずにはいられない環境を整えることが、より効果的であろうと思われる。

注9:
以下は、 e.f.という主題をすら放擲して、ただ単に、自分が見てみたい写真集を空想することに終始しているが、どうかお許し願いたい。




('04/07/05初出)