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La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 chapitre deux

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モンスターの先祖返り
〜モーニング娘。にとって5期とは何か〜



0 はじめに

遅れてきた5期メン推しである私にとって、5期の過去を語ること、その活動を総括することは難しい。
5期が悪戦を強いられながら、必死に耐えて、くぐり抜けてきた、最も困難な時代。加入そのものへの反発、席替え騒動、そしてこころない批判。彼女たちが、一番応援を必要としていたあの時期を、共に歩み、共に戦うことなくやりすごしてきた時間を思うと、とても辛い。
そして、その苛酷な時期を彼女たちと共に生きてきた多くのファンたちが積み重ねてきた歴史は、私にはとても輝いてみえる。そのことに対する嫉妬と羨望の念が、私の中から消え去ることはおそらくない。人は人生を一度しか生きることはできないのだし、過去に遡ってあの頃の5期メンと共に生き直すことは不可能なのだから。

しかし、最も辛い季節は過去へと過ぎ去り、5期メンたちはモーニング娘。の中枢を担う活躍を見せはじめている。
今になって、過去を共有し得なかった私が、その過去を語ることなど笑止であることはあまりにも自明なことだ。
すべては語り尽くされてきた事柄であろうし、何を語ろうとも自己満足の域を出ないであろう。
そのことは百も承知の上で、それでも、遅れてきた者なりに彼女たちの過去へと思いを馳せたいと思う。

以下では、(今更ながら)彼女たちの加入の意味について、振返って考えてみる。

1 5期メンの特徴 〜4期メンとの比較〜

5期メンの4人に共通する特徴、それは端的に言うならば、「気真面目さ」「普通らしさ」「地味」「お行儀のよさ」などの言葉に集約されるように思われる。
美貌にせよ個性にせよすべての面で人から抜きんでた存在であるべき芸能人、その華やかな存在たちが作り出す夢の世界、艶やかさの極みこそが「芸能界」であるとするなら、その中に放り出された、加入当時の5期メンたちの存在は、いかにも地味で影の薄いものであったかもしれない。
その頼りなさは、
「誰でもデビューしたてなら、まだ個性もつかみ切れていないし、仕方がない」
とフォローできるレベルを越えたものだったように思える。(注1)

では何故、そのように地味で普通すぎる少女たちが選ばれたのだろうか。
追加メンバーの選抜にあたっては、その人自身の個性・魅力・アーティストとしての実力・将来性といった要素が考慮されるのは当然だが、もう一つ、既存のメンバーとの兼合いという問題が考慮される。
現在のメンバーに欠けている要素は何か。
その子が加入したら、モーニング娘。の中でどういう立ち位置に立つのか。
既存メンバーと役割やキャラクターがカブらない(重複しない)かどうか。
それが考慮されることを考えるならば、「何故あの5期メンなのか」と問うことは、即ち「既存のメンバーとはどういう存在か」と考えることでもある。

俗に「黄金の9人体制」と呼ばれた、5期加入当時の既存メンバーは、それぞれに強烈な個性を持った少女たちだった。
もちろん、5期加入前の新メンバーだった4期メンバーの4人もまた、「辻加護」を筆頭に強烈な個性の持ち主たちだったことは言うまでもない。
そのことの反動として、5期にはまともすぎるくらいまともな人間があえて選ばれたのだとも思える。

「まともさ」が既存のメンバーに欠けていた要素だとまではさすがに言えないが、そのように「まとも」な5期メンたちは、既存のメンバーとカブらずに新たな立ち位置を得ることで、メンバー全体のバラエティをさらに豊かなものにした。
しかし反面、そのような「まとも」な5期メンたちは、「普通」すぎるがゆえに、世間一般に訴えかける力には欠けていた。(注2)

地味な存在。
それはある意味で、モーニング娘。デビュー当時の姿にも似ている。
TV番組のオーディションバラエティ企画という、このうえない宣伝媒体を通じて鳴り物入りで出発したモーニング娘。いわば、TVの力を全面的に借りて「下駄を履かせてもらった」状態で出発したアイドルユニット。
しかし、そのような好条件の出発にも関らず=だからこそ、世間一般からは、「たいして可愛くもなく(失礼)、歌もお世辞にも巧いとは言えないこの子たちが、果たして歌手としてやっていけるのか。所詮TVの企画モノでしょ」という目で見られていたことも事実であろう。(注3)

TVの力という部分(履かせてもらった下駄)を除外すれば、あの当時の芸能界におけるモーニング娘。の存在は、ちっぽけで、地味で、まだ吹けば飛ぶような存在であった。

「1、デビュー時の芸能界の中におけるモーニング娘。の立場」と、「2、その後成功を収め、モンスターとなったモーニング娘。の中における5期メンの立場」とは、言わば相似形をなしている。

つまり、
モーニング娘。内モーニング娘。
つまり、
二重化されたモーニング娘。
それこそが5期メンなのだとは言えないだろうか。

だからこそ、5期メンとは、──6期加入後の現在もなお──、モーニング娘。を象徴する存在なのだと私は感じている。

2 原点回帰の試み 〜5期メン加入の意味〜

中澤裕子が卒業した時点で、モーニング娘。はモンスターと呼ばれるに相応しい高みにまで登りつめていた。モーニング娘。が社会現象だった時代。
その時点で、彼女らがその出発点においてTV番組中で提示してきた「普通の少女が、芸能界での成功を夢見て必死に頑張る姿を見せる」という構図/ドラマトゥルギーは、とうに維持しがたいものになっていた。
何故なら、彼女らは既に押しも押されもしないトップスターであり、どこからどうみても普通で平凡な存在ではなかったのだから。

「モーニング娘。」を制作する側の、つんく♂をはじめとする大人たちは、その事に逆に危機感を抱いたのではないだろうか。
「すきま産業」として出発したはずのプロジェクトが、瓢箪から駒を地で行くように、あれよあれよという間に堂々たる主流になっていたことに。

その時点で、「普通の少女が必死で頑張る姿」という古い物語/構図に頼ることをやめ、堂々たるメジャーとして活動を続ける、という選択肢もあったはずだ。
しかし、ここまでファンを惹きつけてきた大きな魅力であるその古い物語、モーニング娘。の推進力ともなってきた物語を完全に捨て去る決心はつかなかったのであろう。
しかしその時すでに、既存のメンバーは、その古い物語の役柄を引き受けるにはあまりにもスターであり、特異な存在となってしまっていた。かつてのドラマトゥルギーを体現するには無理がある。

では、発想を変えて、モーニング娘。の内部に「普通の少女」を導入してしまえばいいのではないか。
そのようにして生まれたのが「5期メン」なのではないか。
かくして、モーニング娘。は己の内部に古いドラマトゥルギーを保存/維持することが出来る。(注4)

つまり5期メンとは、モンスターとなった存在が先祖返りしようとした試行錯誤の過程なのであり、モーニング娘。内部での原点回帰の試みだったのだ、と考える。

3 先祖返りは成功したのか 

もちろん、「5期とはモンスターの先祖返りである」というのは一つの仮説、というよりこじつけにすぎない。
そのことは、認めたうえで、今しばらくこの仮説にこだわってみたい。

それでは、その先祖返りは結局のところ上手く機能したのかどうか、ということが次に問題となる。

ふるさとや、今までの普通の暮らしを捨てて、海の物とも山の物ともわからない「モーニング娘。」に「なる」ことを決意した創立メンバーたち。それは背水の陣だったし、そこには「絶対に成功するしかない」というヒリヒリするようなハングリー精神があった。
しかし、5期にとっては、モーニング娘。のオーディションに合格することは、すなわち「日本一の人気アイドル」になる権利を得ることそのものだった。
初期のメンバーと比較すれば、ハングリー精神と危機意識が不足していたとしても無理はない。
「大学に合格したから、4年間遊びまくろう」と思っているナマケ学生ほどではないにせよ、そこに「受かることが出来た」という安心感、満足感が生まれても無理からぬ面があった。

かつて、コレオグラファーの夏まゆみ先生が5期を評して、「モーニング娘。に入ったことで満足してしまっている。モーニング娘。の中でこれからどうしていくのか、というものが見えていない」という趣旨のことを言っていたと記憶する。

また、プロデューサーつんく♂も、こう語っている。
正直に言って、5期メンバーは6期メンバーが加入するまでユルユルな感じだったんです。でも、6期が入った瞬間にパッと変化したんです。
『ハロー!プロジェクト大百科』(2004/2)「つんく♂インタヴュー」より

ユルユルだった5期。
ひかえめで、押し出しが弱く、前に出ようとするガツドル精神が足りない。
それは言うなれば、松浦亜弥的存在、後藤真希的存在の対極にある姿とも言える。
例えば松浦亜弥的存在にとっては、先輩といえどもライバルであり、同業者であり、いつか追付きそして抜き去るべき存在である。しかし、5期メンたちは違った。彼女らにとってモーニング娘。は、自らがその中に加わった後でさえ「光り輝く憧れのアイドル」であり続けた。
現場で、安倍なつみとすれ違えば、何度でも「おはようございます」と挨拶を繰り返した5期メン。
当然、先輩を押しのけてまで、自分が前に出ようという発想すら持たなかったであろう。
しかも、見かねた先輩たちに、TVでせっかく話を振ってもらっても、うまく膨らませる技量があるわけでもなく。

かといって、それでは、か弱く庇護されるべき存在=「末っ子キャラ」として振る舞うことが出来たかといえば、それもままならなかった。
何故なら、そのポジションは「辻加護」がガッチリとキープしていたからだ。(注5)
「そうだ! We're ALIVE」を歌っていた頃、「うたばん」に辻加護5期メンを除くメンバーだけで出演した事があった。(出演しないメンバーは楽屋で遊んでいてなかなかスタジオ入りしないという設定)
そこでは、先輩たちが、5期メンたちの個性や魅力を口々に紹介しながら、5期メンはこれからどうやって自分を出していったらいいのか、と相談しあっていた。
その中で、リーダー飯田圭織は「辻加護が強力すぎて前に出られないんだよね」という、どうにもシャレにならない見解を語っていた。
その行く末を心配することが、そのままTVの企画一回分の主題となり得てしまう、5期メン。

初期モーニング娘。は、「LOVEマシーン」という奇跡の名曲を産み出すことで初めて「全国区」となった。そこから始まった快進撃は、しかし、もちろんそれ以前のモーニング娘。たちが必死の頑張りで、自ら引き寄せた運命でもある。
5期メンにとっての「LOVEマシーン」、彼女たちを有無を言わせぬ全国区にする奇跡はまだ訪れてはいない。その奇跡が、いつか5期メンたちの上に訪れることはあるのだろうか。

結論を言えば、「先祖返り」が初期の勢いを取り戻すことを目的としていたと考えるなら、その試みは失敗に終ったと言えるのかもしれない。
(いや、「失敗だった」と完了形で記すのはまだ早い。6期加入から一年以上が過ぎたとはいえ、今の段階ではまだ、目に見える結果が出ていないだけなのだと、無理にでも考えたい。)

しかし、頻繁にTVをはじめとするメディアに登場する有名タレントであるにも関らず、「本当にこのコたちは大丈夫なのか」「やっていけるのか」と「心配させ」たり「ハラハラさせ」たりする存在という部分においては、5期は初期モーニング娘。以上にモーニング娘。らしい存在なのだ、とだけは言えるかもしれない。その点では、先祖返りは間違いなく果たされていると言っていいのかもしれない。
それを成功と考えるかどうかは悩む部分ではあるが。
「娘。」は「娘」であり、「娘」は親を心配させハラハラさせるもの。
それでいいのだと思う。
それでこそ「娘。」なのだと、前向きに(?)考えたい。

*       *        *

そんな5期メンたちが歌う『好きな先輩』。

ああ やっぱ出来ません
ここに来たはいいけれど
ああ すごく誓ったの
ウソになるの どうしよう

モーニング娘。『好きな先輩』より 作詞:つんく♂

その頼りなさ、不甲斐なさ、不安感。込み上げてくる切なさ……それらはすべて、まさにあの頃の5期メンそのもの。
そんな5期メンが、今でも、愛しくてたまらない。


=脚注=

注1:
これは加入当時の印象であり、もちろん、加入後3年近くを経過した今では、4人共に強烈なオーラを放ち、アイドルとしての存在感を示している。
しかし、彼女らの前後を固める4期、6期と比較してみる時、5期の特徴がその「地味さ」にある、と考えることは今もって不適切ではないと思われる。

注2:
今では5期メンも、到底「普通」とは言いかねる、それぞれに個性的な存在であるが、それはモーニング娘。として活動しつつ成長してきた中で、獲得し開花させた個性である。5期メンもまた個性的である、とは今だから言えることであって、加入当時から、その個性を魅力的に発揮/表現できていたとは思えない。

注3:
中澤裕子自身が後にこう書いている。
私らって企画で始まったグループやん。簡単に解散させられそう
中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』より、p148
これが、2期メンバー加入当時の彼女の心境である。

注4:
この5期メンに課せられた役割を端的に体現するのが紺野あさ美である。何しろ、「歌もダンスも赤点」なのだから、そこから頂点を目指して頑張る姿も、見せがいがあるというものだ。

注5:
5期メンがハロモニ劇場に初登場した時、その役柄は「中等部のバスケ部員」であった。その時、辻加護の役柄は、「いたずら小学生」。辻加護の末っ子キャラがいかに覆し難かったかが分かる。

('04/07/19初出)