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「恋ING」 恋愛小説


Triptyque



 痛井ッ亭。







プライベートで歩くときは帽子とかかぶって歩くんですね。
でも本当はもっと普通に歩きたいなって思うんですよね。
               ──亀井絵里



嘘をつく度に、生きていくためにはいやでも嘘をつかざるを得ないようにひとを仕向けながら、
他方では「つねに誠心誠意を心がけよ」という空念仏を歌って聞かせる
この世のしくみのあさましさを思い知らなければならない
               ──アドルノ



恋愛の「消費」が歯止めも繕いもなしに確認されつづけるとき、
そこに生起する輝かしくも稀有なるものが「豊かさ」である。
それは「美」に等しい。
               ──ロラン・バルト



生命体はなによりもまず、自分の力を使うことを願っている。
                ──ニーチェ








天使の合奏




a1.


みきえり


 まえに、かめちゃんと飼ってる犬の話になったんですね。
「絵里、最近ちょっと困ってることがあるんですよ」
「ん。どったの、かめちゃん?」
「絵里んちアル君って飼ってて、ときどき絵里がお散歩してあげるんですけどぉ、お散歩中に、絵里のお尻に、こう、前足を掛けて、腰を振るんですよ」
「ぎゃはははっ」
「あれって、発情ですかね?」
「かめちゃんのお尻ってさー、前足掛けやすそうだよね、おっきくて」
「それさりげなく失礼ですよ。欲求不満なんですかね」
「ドッ! って感じ……違うと思うよ」
「あ、違うんですか」
「マウンティングだよ」
「マウンティング?」
「かめちゃん、お散歩する時、ワンちゃんに引っ張られるでしょ」
「そうなんですよ、綱をぐんぐんひっぱって、絵里に命令するんですアル君が」
「それ、自分のほうが偉いと思ってるね。マウンティングも、自分のほうが上、って示す行動らしいよ。他の家族にはしないんでしょ?」
「しないですね、あ、たしかに」
「あはは」
「ちょ、ちょっと待ってください。てことは、アル君的には亀井家の序列は、お父さんお母さんお兄ちゃん妹アル君絵里、ってこと?」
「だね」
「おっつ。わたしはてっきり、絵里ってワンちゃんも夢中で腰を振るぐらい魅力的なのか、って」
「ぎゃはは。犬フェロモン出してたら特異体質じゃん。ってか、人間ではないよね、すでに」
「あ。なるほど。ちなみに藤本さんとこの……」
「あん君とひまちゃん? は、大丈夫だよ」
「ああ、しつけが、行き届いて。絵里はどうしたら、」
「いいじゃん、上から目線でナメられてれば?」
「すいません、あの、それ、他人事ってことですよね」
「ってゆうか、他人事ですよね」
「ヒドーイ」
 そんな話を、ずいぶん前にしたんだけど、こないだ久々に会ったら、やっぱり今でもアル君に馬鹿にされてる、って。成長しないよね、かめちゃん。まあ、そこがまた可愛らしいんだけど。


「恋ING」




b1.


 絵里、梅が大好きなんですよ。梅干しとか、梅コブ茶とか、梅味のジュースとか、お菓子とか、いわゆる梅系が。おうちの近所のコンビニに梅系がいっぱい揃ってて、それをおこづかいで買うのが、もう、ほんとこどもの頃から楽しみで。
 娘。に入ってからは、こどもの頃に比べたら、お金があるじゃないですか、お母さんに管理してもらってるからそんなジャンジャン使えないんですけど、それでも、おやつを好きなだけ買うぐらいはあるじゃないですか。で、その大人の経済力を駆使して、大人買いするんです。梅系を。もう、あるだけ買い占めるぐらいの勢いで。それがもう、すっごく楽しくて。
 でも昼間とかは、人目もあるんで、行けないんで、夜中に、こう、帽子を目深にかぶって、いや、変装ってほどじゃないですけど、かぶり、それで、小走りに走っていって、買い占めるんですよ、梅系を。それがお部屋にどっさりあるうちは安心なんです。なんで、リスとか、そういう小動物系? みたいな感じで、溜め込んでおくんです。



 『ああ。亀井さんとこの。はいはい、上のお嬢ちゃんね。そりゃもう昔から、ほんのちびちゃんの頃から、うちのお得意さんでね。
 最初はお父さんに手ぇ引かれて来て、駄菓子を一つ買ってもらってはニコニコしてて。そりゃあ可愛らしくてねぇ。
 そのうちに一人で、ちっちゃな手に小銭を握りしめて、お菓子を買いに来るようになってさ。そうそう、緊張した表情でね。まるで自分の孫の成長を、こう目を細めて見守ってるような気がしてましたよ。こんな可愛らしい孫がいればなあ、って。
 ある時ね、なにか、うっかりしたらしくてさ、商品を黙って持っていってしまったことがあってね。あたしもよく見てなかったもんだから。ありゃ、お金受け取ったかしら、と思ってたんだけどさ、そうしたら、あとから、血相を変えたお母さんに連れられてさ、泣きじゃくりながらお金を払いに来てねぇ。いやぁ可愛らしかったねぇ、あれは。
 最近じゃあ、たいへんな有名人になっちまったからね。夜中にお忍びで来ては、お菓子やら雑誌やら、山ほど買ってってくれますよ。なんて言ったかな。そうそう、オトナ買いオトナ買い。』


 え? 亀井はリスじゃなくてカメやん? いや、そりゃカメですけど、って何の話でしたっけ? あ、そうそう、カメって、食べ物溜め込んだりするんですかね? しないですよね。蟻? 蟻は勘弁してほしいです。ってか、梅系の話ですよ梅系の。え。いや、だから何の話って、そんな、焦んないでくださいよ。はい。手短に。出来るだけ、簡潔明瞭に。時間ないんで。ですよね。
 えっと、つんくさんがご結婚されたのって、二千、二千、……去年でしたよね、ちょうど。あ、何が「ちょうど」なのかって、聞かないでくださいよ。理解しがたいんで。とにかく、その去年の話なんですよ。


絵里変奏曲




c1.


亀井絵里用語集「かめ単」


AKY 敢えて空気を読まないこと。→KY


Al(Aru?) アル君 亀井家の飼犬。絵里を自分より低く見て、小馬鹿にしている雑種の雄犬。絵里にはなついていない。かつて自分のエサの犬用チーズを絵里に横取りされたことを恨みに思っているのだろうか。


Arakawa 荒川 東京都荒川区。絵里が生まれ育った聖なる土地。


Ely My Love いとしのエリー 父親がサザンオールスターズの大ファンだったことから、絵里の名前の由来となった名曲。


Elysium 絵里ジウム ドイツ語で、絵里が住んでいるようなところ、転じて、楽園を指す。


erhizome エリゾーム 絵里的リゾーム(絵里的根茎)。絵里的アンチ・システム。そこには樹状(ツリー状)のシステムに見られる階層的な価値序列は存在しない。あらゆる経路(網を構成する諸要素)が、蓮の根のように、自由奔放に伸び、テキトーに絡まりあい、絵里の意識を構成する諸要素を、互いに等価に連結する。絵里の意識や価値観はエリゾーム的=反体系的に構成されている。あるいは反構成としての構成。


Eri 絵里 史上最強(最凶)のアイドルにして崇高なる女神。名前の中に「絵」の文字を持つだけあって、絵里の描く絵には、凡人には理解し難い百年は時代を先取りした革新性が溢れている。教訓:名は体を表わさない。


Eric Kamezou エリック亀造 ラテン系にして江戸っ子という謎の出自を持つハロプロ物産のエリート営業マン。エリザベス亀井(第一期)が果たせなかった情報コーナーの主中澤裕子との直接対決をエリック亀造は実現した。しかも対決するだけではなく、自由奔放で意味不明な数々の行動によって中澤を振り回した。ハロプロ情報コーナーで、キャラクター名がタイトルに冠されたのはエリック亀造が最初で最後だったことからも、エリックがいかに期待された特別な存在であったかが分かる。そして、この対決により亀井絵里は中澤裕子から情報コーナーの女王の座を奪取し、以後番組終了まで女王の座に燦然と君臨し続けたのである。


a2.


さゆえり


 絵里って、ホントに、幼稚園児? って言いたくなるくらい子供っぽいクセが、いろいろとあるんですけどぉ、あ、さゆみも人のことは言えないかもですけど、絵里は人としての限界を越えてるんで。はい。
 前に、一緒に街で遊んでたときなんですけど、オープンカフェで、こう、向かい合って飲み物を飲んでたんですね。その紙コップにストローが刺さってたんですけど、そのストローを絵里は噛むクセがあって。噛んで、ギザギザにしちゃうんです。それ自体、すでに、幼稚だな、って思えるんですけど、なにしろ絵里なんで、もちろんそれだけじゃすまなくて、そのギザギザが髪の毛に引っかかって、ストローが抜けて髪にくっついたんですよ。ありえないですよね。それだけでも十分笑えるのに、絵里は、
「あれ、絵里のストローがない。今までコップに刺さってたのに」とか言うんですよ。
「絵里、髪の毛に引っかかってるよ」
「え、嘘ぉ。ぁ、ほんとぉだ」
 悪いけど、もう爆笑しちゃって、
「横山やすしさんじゃないんだから」
「あ、眼鏡眼鏡、ってヤツ?」
「それ、ネタじゃなくて天然ってとこが、さすが絵里だよね。奇跡だよね」
「うへへ。ウ、ウケる?」
 で、二人で大笑いして。絵里も一緒になって「そんなにウケる? そこまで笑わなくても」とか言っていたんですけど、そのうち急に黙っちゃって。で、突然ポロポロと泣きしたんです。もう、びっくりしちゃって。焦りますよね、こちらとしては。ヤバい、傷つけちゃったかも? って。
「ごめん。怒った?」
「違うの。そうじゃないの。さゆのせいじゃなくて」
 じゃあなんなの? って訊きたいぐらいで、もう、ほんとワケ分かんなくて、あのときは焦りました。ストローを髪にくっつけるのは、それはまあ、可愛いから許せるって面もありますけど、いきなり泣き出すのは、ほんと、焦るし、大迷惑なんで、やめてほしいと思います。はい。



サブちゃんはつらいよ


「すいませんガキさん、ちょっと訊いてもいいですか」
「なによぉ」
「モーニング娘。の掟って何ですかね」
「かめさぁ、あなたね、もう何年モーニング娘。やってるの、って話よ。せめてそれぐらいは分かっててほしい」
「アイドルは恋愛禁止、ってヤツですか、いわゆる」
「そうだよ」
「そうなんですか」
「いい? アイドルはみんなのモノだから一人の人のモノになったら人気がなくなるからダメだと思う、って飯田さんが言ってたの」
「そうなんですか」
「うん。わたし『うたばん』観てたもん」
「コアだなー。どんだけ古参ヲタなんですか」
「余計なお世話。で、なにが問題なの」
「すいません、あの、ほんとにそうなんですか」
「あのさぁ、何が言いたいワケ?」
「何って別に」
「ハハーン」
「な、なんですか」
「さては」
「え……」
「また恋しちゃってるぅ?」
 かめ、トキメいちゃってる、って想像しただけでね、なんだか思わず顔がにやけて来ちゃうのよ、嬉しくて。
「いやだなーガキさん、単刀直入ですね。あ、単刀直入って分かります?」
「失礼だなー。分かるよそんぐらい」
「あ。ホントですか」


「ねえ、さゆみん、ちょっと助けてよ」
「どうしたんですか新垣さん」
「かめがKYなのよぉ」
「なにを今更。そんなの昔っから分かりきってるじゃないですか」
「それはそうなんだけど。さゆみんは分かってるよね?」
「え。なにがですか?」
「モーニング娘。の掟だよ」
「え。なにがですか?」



干物女偽装問題


「絵里さあ、最近、お母さんに『干物女』って呼ばれちゃってさあ」
「その話聞くのもう3回めだよ、絵里」
「あれ、そうだっけ」
「ようするにお部屋が散らかってるんでしょ」
「それだけじゃないよ。なんつうの、こう、恋愛に対して前向きになれない、っていうの」
「それさあ、さゆみに言っても意味なくない? 写真週刊誌の編集部に言いなよ」
「逆に怪しまれるじゃん、わざわざ言いに行ったら」
「それもそうだね」



みきえり


 あれはいつ頃だったかな、二人きりで行動することが多くなってたから「ハロプロ!ちゃんねる」の頃かな?
 その頃にはもう、二人で普通に何でも話せる感じで、恋バナとか、込み入った話もしてたんですね。で、たしか収録が終わって楽屋でメイク落としてるときだったと思うんですけど、かめちゃんが、すっごい小声で尋ねてきたの。
「美貴様ぁ」
「なぁにかめちゃん」
「ねえ、訊いてもいいですか」
「ん、どったの?」
「美貴様って、今、恋してます?」
「いきなり単刀直入だなー」
「相手に合わせてるんです。で、どうですか」
「御想像にお任せしまぁす」
「あれれ。意外に秘密主義ですね」
「逆にさぁ、かめちゃんはどうなのよ?」
 こういうこと聞いてくるときって、案外、自分のことを聞いてほしいときだったりするよね。
「絵里ですか。絵里は、そうだなぁ、またいつかは、恋ができるのかな」
 最初、美貴様とか呼ぶから、軽い話題だと思うじゃないですか普通。重いんですよ、かめちゃんと恋愛の話は。もうすっごい重くて、みきもちょっと焦りましたけど。でも、とりあえず、こっちは年上だし、一応サブリーダーだし、うろたえるわけにもいかないじゃないですか。
「できると思うよ」
「ほんとですか?」
「大丈夫」
「忘れられる?」
「人間ってさぁ、忘れられる生き物だよ、残酷な言い方かもしれないけど」
「そうですよね。忘れちゃいますよね、いつかは」
「ちょっとなんで泣いてんのよー」
 なんだか、そのまんまかめちゃんが壊れてしまいそうな気がして、わたしは彼女を抱きしめて、頭をなでなでしてあげたの。そしたら、美貴様ぁ、っつって、しがみついてきて、わんわん泣き出しちゃって。かめちゃん辛いんだろうなあ、って、こっちは想像するしかないですよね。自分が経験したわけではないので、実感としては分かんないんで。喧嘩別れとかのほうが、まだ救いようがありますよね、あんにゃろー、とか怒りのぶつけようもあるし。そんなことを思いながら、かめちゃんの頭を黙って撫でつづけました。


b2.


 去年の春頃、たしか絵里の『17才』が出たばっかりか、つんくさんが御結婚された頃だったと思うんですけど、ある夜、またいつもみたくそのコンビニに行ったんですよ。したら、いつものおじいちゃんがいなくて、かわりに若いお兄さんがいて。いや、そんときは、トキメクとかはなくて。どっちかっつうと、恥ずかしいんですよ絵里、知らない人、しかも若い人じゃないですか。だってお菓子を大人買いですよ? 分かります? そういうのって、なんかハシタナイじゃないですか。いつものおじいちゃんなら馴れてるし、ぶっちゃけバレバレなんで、もう諦めの境地なんですけど、なんか、知らない人に「変な子だな」って思われるのってヤじゃないですか、とりあえず。
 で、どうしようどうしよう、って焦っちゃって、でもそのタイミングを逃すと、梅のお菓子を切らしちゃう、お部屋になくなっちゃうし、そうすると、そのあとの絵里の予定が全部狂っちゃうんですよ。なんで、これはもう覚悟を決めるしかない! 買うは一時の恥、って思って、で、梅のお菓子があるコーナーに行ったんですよ、いつものごとく。したら、ないんですよ。たまたま品切れだったらしくて、梅系が。



 わざわざ声を掛けて、梅のお菓子ないですか、って訊くのチョー恥ずかしいじゃないですか。でも、あきらめて帰るとすると、梅のお菓子抜きで、しばらく過ごさなきゃならないじゃないですか。絵里もうパニくっちゃって。救いを求めるような感じで、店員さんを探したんです。したら、他の棚んトコで、商品整理してたんですけど。でも、やっぱ声かける勇気はなくて。もう絶体絶命ですよ。八方塞がり、四面楚歌ですよ。前門の小春、後門のジュンジュン。意味不明ですよね。



 したらホント突然なんですけど、その店員さんが、絵里が困ってるのを察知してくれて。絵里、《困ってるオーラ》出してたらしくて。
「なにかお探しですか」
 って、訊いてくれたんですよ。
「あの、いつも、この辺に、梅干しのお菓子が置いてあると思うんですけど」
 したら、その人、すっごい丁寧な口調で、
「いつもご利用ありがとうございます。あいにく今日は店長が不在で。あ、でも、裏に在庫があるかもしれないんで、ちょっと見てきますね」
 って、奥の倉庫のほうに探しに行ってくれて。
 店長って、あのおじいちゃんのことだと思うんですけど。いつもは、おじいちゃんか、時々は、おばあちゃんか、パートの人っぽいおばちゃんがいて、若いバイトっぽい人とか、ホント見たことなくて。住宅街の中にあって、おじいちゃんが個人でやってる商店なんだけどコンビニの看板出してる、って感じのお店なんですけど。
 で、絵里は、あー、バイト入ったばっかりで、馴れてないんだろうなー、でも、親切そうな人でよかった、とか思いながら待ってたんです。
 したら、五分ぐらいしてから、奥から、こんな山のように両手にお菓子を抱えて戻ってきたんですよ。それをカウンターのうえに、ドサッ、と広げて。
「梅味のお菓子は、これくらいでしたけど。お目当てのモノ、ありました?」
 見たら、いつも買ってるお菓子もちゃんとあって。
 時々見かけるけど、買ったことなかったお菓子もあって。
 ヤッター、ラッキー、って、内心小躍りして、で、つい、これ全部下さい、って言いそうになったんだけど、でも、それも気まずいじゃないですか、女の子として。


 《絵里と最初にあったときのことを、今も鮮明に覚えている。梅のお菓子をみて、目をらんらんと輝かせて。天真爛漫のようで、でも引っ込み思案のようで、つかみ所がない。表情も動作も可愛くて、僕は一瞬で胸を打ちぬかれていた。》


 えー、どうしようどうしよう、あ、これはいっつも買ってるやつで、とりあえずキープなんですよ、でも、これも棚にあるのを見かけたら買うことにしてて、あ、でも、これもいつも買おう買おうと思いつつ買いそびれてたやつで、とか言いながら、ほんとは全部下さい、って言いたいのに言えなくて、どれにしようか迷ってるフリをしてて、で、ふっ、と店員さんのほうを見たら、彼、すっごい優しそうな笑顔で、わたしのことを、見守ってたんですよ。
「ほんとうに好きなんですね、梅味のお菓子が」
「そうなんです、これを切らしたら、もう生きていけない、ってぐらいの勢いで。ウメ中ですよウメ中、わかります? アル中的な」
 そしたら、彼、すっごい楽しそうに、あははは、って、笑ったの。
 その時かな、あ、これはヤバい、って自覚したの。これは、いわゆる胸キュンってやつだ、自分、ときめいちゃってるかも、って。



《パッと花が咲いたように明るくなって雰囲気が変わったので、すぐに女の勘でピンと来ました。これはさては、と思って。「亀井楽しそうだね」「そ、そうですか」「いいひとでも出来た?」「いえ、別に」そうやってしらばっくれても、頬を薔薇色に染めてニヤついているので、バレバレで。「隠しても無駄だよ」「イヤですよ、まだ、そんなんじゃないんですよぉ」とか言って、彼女ほんとに嘘がつけない正直な子なんですよね。彼女は少し精神的に不安定な感じがあって、やはり恋愛をしているときのほうが安定して、落ちついているようです。心から頼れる存在、一緒にいて安心できる存在が、おそらく彼女には必要なんだと思います。その前の年に、ちょっとファンとの関係のことで、彼女色々と悩んでいて、困った状況に陥っていたんですね。わたしが相談を受けた時には、もうすでに相当深みにはまっていて、簡単には抜け出せない状態で。結局は、なんとか解決したんですが、そのこともあってか、彼女は、ますます引っ込み思案というか、臆病になっていました。特に、異性との関係については。だから、あの時は、彼女にとって、久々に体験する恋愛感情で、特別な嬉しさがあったんじゃないかと思います。》


 で、絵里って優柔不断じゃないですか、だから、どうしようどうしようって、いつまでも決められなくて。でも、彼、ずっと待っててくれたんですよ。すいません、なかなか決められなくて、って謝っても、大丈夫、どうせ他にお客さんもいないし、気がすむまで考えてください、って、その言い方がすごく優しくて、ほっとしたんです。この人なら、わたしが、全部下さい、って言っても、変な目で見ないだろう、って思って。
「やっぱり全部ください」
「やっぱり」
「え? それって予想通りってことですか」
「うん。相当重くなりそうだけど?」
「大丈夫です。絵里これでも筋力にはけっこう自信あるんですよ」
 で、レジで、ピッ、ピッ、ってバーコード読み取って、お会計するじゃないですか、その、お菓子の、あまりの量に、まただんだん恥ずかしくなってきちゃって。絵里、聞かれてもいないのに、慌てて言い訳しちゃったんです。
「わたし、現場ですごい汗かくんですよ。大量に。すると塩分とか、すっぱい系のものを補給したくなるんです」
「現場?」
「はい」
「働いてるんだ?」
「あ、はい」
「てっきり高校生かと」
「高校生ですよ。でも、仕事もしてるんで。なんで、通信で」
「あ、そうなんだ」
「はいー」
「現場ってさぁ、もしかして、エリちゃん、ガテン系の人なの?」
「すいませんガテン系ってなんですか」
「あ。お外で働く人、っていうのかな」
「あ、なるほど。で、なんで絵里の名前知ってるんですか」
「さっき、自分で『エリけっこう体力には』なんたら、って言ってたから」
「あ、なるほど。そう言えば言ってましたね」
「エリちゃん、って、面白いよね」
「うん、よく言われるぅ」
「あはは」
「そ、そこでウケるんですか」
「ごめんごめん」
 面白いって言われて焦るわたしって何なんですかね。言われ慣れてないからですかね。いつもみんなに「絵里、寒いよ」って言われてるから。
 で、お金を払って、パンパンにふくれた、おっきな買物袋を、二つ差し出されて。その袋の大きさを見たら。やっぱりさすがに恥ずかしくて。でも、彼が、
「新しい梅味お菓子が出たら、必ず仕入れるように店長に言っておきます」
 って、言ってくれて。でも、あ、それはわたしもおじいちゃんに念を押してあります、とは、さすがに言えなくて。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、毎度ありがとうございます、またお願いします」
 で、重い袋を両手に下げて、お店を出たんです。
「頑張ってね。気をつけて」
「はーい」
 お店を出ても、なんか、すごい楽しい気分でした。
 大好きな梅系は大量にゲットできたし、店員さんは優しかったし、かっこよかったし。
 もうウキウキウォッチングですよ。



c2.


亀井絵里用語集「かめ単」(承前)


Eririn えりりん エリという音の名を持つ女性の一般的愛称。しかし、-rin という語尾の前に様々な語を接続することにより、それは亀井絵里固有の愛称へと変貌を遂げ、無限の増殖運動を開始する。アホりん、居眠りん、鬱りん、エロりん、おねむりん、かめりん、舌出しりん、絶りん、チアりん、地下鉄りん、チャリりん、ちらかしりん、どっしりん、ドムりん、流し目りん、寝起きりん、びびりん、ぴろりん、へたれりん、むっちりん、めいぷりん、眼鏡りん、ももりん、浴衣りん……


eririum 絵里リウム 未発見の放射性元素。この元素が発する放射線は人体に悪影響はないという仮説と、テキトー度、ぽけぽけぷぅ度、ヘタレ度などが高まるという悪影響があるという仮説と、たしかにそれらは高まるが悪影響ではないと考える仮説があり、意見が割れているが、被爆すると人体細胞の絵里萌え感受性が高まり、その変化が不可逆的であると推測する点では全見解が一致している。それによって、絵里に萌え狂って人生を蕩尽しつくしてしまう危険性が指摘されているが、むしろその方が幸福であるという説が圧倒的に支持され、通説化している。


Erizabeth Kyamei エリザベス亀井(キャメイ) ハロプロ情報コーナーの女王。エリザベスT世は、中澤裕子から思いっきりつっこまれる役柄で、寒さ・痛さ・萌えの三拍子揃った暴走キャラであったが、エリザベスU世は、暴走ぶりをさらにエスカレートさせ、藤本美貴を自在に振り回して翻弄し、傍若無人なヘタレ女王ぶりを遺憾なく発揮して、情報コーナー史上最強最悪の暴君として君臨した。


gahaku 画伯 歴史上、保田画伯、亀井画伯、藤本画伯という三人の偉大な画伯が知られているが、その画風のテキトーさ、気持ち悪さ、過激さにおいて、亀井画伯がずば抜けていると言われる。近年の代表作として『ふくろう』『カエルン』が有名。


gakikame ガキカメ 新垣里沙+亀井絵里のカップリングの愛称。FM-FUJIのラジオ番組のタイトル、テレビ東京『ハロモニ@』番組内のコーナーのタイトルにも引用されて、公認されたカップリング名となっている。


himono-onna 干物女 TVドラマの影響で、亀母が絵里をこう評した。綾瀬はるかに似ている、という意味ではない。単に、お部屋が汚い、片付けられない女を指していると思われる。本来の意義である、異性にときめくこともなく、身だしなみも整えず、恋愛を放棄している、という意味を含めて評したかどうかは不明。


kaerun カエルン 画伯の最高傑作の一つ。画伯の脳内では、カエルンというカエル的なテレビアニメのキャラクターがたしかに実在していたらしい。不気味な顔面の真ん中に、天狗の鼻のような棒状の突起があり、それは「ビローンと伸びる」とのこと。


kaikan-phrase 快感フレーズ 少女漫画。清純派アイドルが愛読書として挙げるのはいかがなものか、と懸念を表明せざるをえないエッチな描写が多いわりに、意外と正統派のラブコメディでもある。現代っ子は、精神面の幼稚化が進行している反面、低年齢のうちから性情報・性体験に無防備に晒されるという由々しき現実がとめどもなく進行しており、その危険な傾向は、今や幼児が読むようなマンガにまで現れている。この漫画を、悪びれもせず愛読書に挙げる絵里は、現代っ子として、正しく歪んでいるとも評しうるだろう。



kame 亀 およそアイドルのイメージとはほど遠い生き物。アイドルにふさわしい動物はほ乳類(ウサギ、猫、犬)であり、鳥類でも限界。爬虫類はどう考えてもアウトである。しかし、亀井絵里は亀を愛する。自らが亀であることを前面に打ち出す。それは、ありのままの自己の全面的肯定の宣言である。


kame-atama カメ頭 鳥頭が「3歩あるくうちに物事を忘却する」とすれば、カメ頭は、1歩あるきだす前に既に忘れている、もしくは、そもそも人の話を聞いているのかいないのかよくわからない(特に「ガキさん」の話は、右耳から左耳に抜けていることが多い)。カメとは、外からみると起きているのか寝ているのかよく分からない生き物である。実際寝ていることも多いらしく、自らのソロDVDで寝たまま登場するなど前代未聞である。
また、この語から即座に連想される女性アイドルらしからぬ意味合いが、亀井絵里アンドロギュヌス神話の温床になったことは想像に難くない。


kame-chan かめちゃん 亀井絵里の愛称。あるいは単に「かめ」「かめ子」とも。


kameierism @亀井絵里主義。テキトー、中途半端、ぽけぽけぷぅ、などに象徴されるほのぼのとして平和的な、脱力系の生活態度を信条とする主義。
 A亀井絵里中毒、亀井絵里依存症。この中毒症状を緩和する解毒剤は現在発見されていない。この中毒は重症であればあるほど幸福であり、解毒の必要性が乏しいことから、その研究へのインセンティブが乏しいとされる。


kameierythm 亀井絵里のリズム。亀だけに亀の歩み。特に、散らかったものを片付ける時や、書き物などの作業をする時のリズム。しばしば「絵里ちゃんやんないー」という発声を伴う。ただし、怖い動物に遭遇したときなどの逃げ足だけは早い。実は俊足である。



kamelancholia 亀鬱病。暗い表情をカメラに抜かれることが多く、揶揄的に鬱との憶測がなされている。が、ヘタレで脅えていたり、しょうもないことで落ち込んでいたり、単に欠伸を噛み殺しているだけなのかもしれない。また、暗い表情のほうが知的にみえるかも、という可愛いアホ的発想で意図的に演出した結果かもしれない。どこまでが素で、どこからが計算か、本人のみぞ知るなのだが、策を巡らしすぎるうえに忘れっぽいので、本人にもワケが分からなくなっている可能性が高い。


kamelancholy かめちゃんのように憂鬱な。→kamelancholia
かめちゃん的ものがなしさ。「幸薄い」とも評される、独特の憂いを含んだ表情の得も言われぬニュアンス。


kamelting 絵里が溶けていく。強い負荷、圧力を加えた場合に起こる現象。普通の人にはなんでもないことでも絵里の場合には無理難題に思えることがあり、予想外のときにこの現象が見られるので、取扱いには最大限の注意を要する。


kame-rehearsal カメリハ カメラの操作や移動の確認のためではなく、かめちゃんのギャグのすべり具合を確認するために行われる試演。


a3.


れなえり


 さゆみがお手洗いに行きたくて、トイレのドアの前まで行ったら、中かられいなの声が聞こえてきたんですね。あ、れいないたんだ、と普通に思いながら、中に入ろうとしたんですけど、そしたら、
「絵里め、まんまと盗みおったな!」
ってれいなの独り言が聞こえてきて、さゆみは別にそんな立ち聞きしようなんて気は全然なかったんですけど、ついついドアを開ける手が止まってしまったんですね。え、なに? 絵里が盗んだ? って驚いたんですけど、あー、そういえばこないだテレビで『カリオストロの城』やってたなー、あれのセリフかー、って思い当たって。さゆみもたまたま観てたんで。そしたらまた独り言が、
「絵里ちゃん、何も盗んでないよぉ」 それが絵里のモノマネで、超似てて、うわ、れいな可愛すぎる、って思ったら、最後にすごいダメ押しが来たんですよ。
「いいや、ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。れいなの心です」
さゆみのほうこそ、とんでもないものを立ち聞きしてしまって気まずいんですけど、と思いつつ、これは是非ともれいなをおちょくってあげなければと思って、ドアを開けて中に入ったんですね。そしたら、れいなが慌ててこっちを振り向いて。
「さゆ! い、いま、何か聞いとった!?」
「ううん、別に何も」
「ほんとうに!?」
「ほんとうだよ。それともれいな、なんか言ってたの?」
「いいや別に。なんも言いよらんっちゃけど」
もう、れいな顔じゅう真っ赤で。そしたら、ちょうどそこに絵里が通りかかったんで、
「ねえねえ絵里、いま、れいなが絵里のことを泥棒よばわりしてたよ」
って言ったら、れいなが「わー!わー!わー!」って叫びだして、可愛かったですね、はい。



小春の探求


「新垣さん、教えてください」
「んー? どったのぉ?」
「安倍チルドレン、って何ですか?」
「安倍さんの子供たち」
「だからー、そういう言葉の意味じゃなくて、安倍チルドレンの意味ですよ」
「だから、安倍なつみの子供たちだよ」
「んもー、どうして分かってくれないのかなー!」
「違うよ。分かっててからかってるんだよ」
「ガビーン!」
「むっかー、ぴきぴきー、いらいらー、あははは」



みきえり予行練習


「絵里ちょっと最近気付いたんですけど」
「なんで敬語なの、絵里おかしいよ」
「ふ、藤本さんが絵里のお尻を触るのも、あれも一種のマウンティング? マーキングなんですか? さすがは滝川の狂○と呼ばれるだけのことはありますねえ」
「ねえ、なんでそれをさゆみに言うの?」
「いや、ちょっと練習をば」
「藤本さんに直接言いなよ」
「い、言えるわけないじゃん!」
「あ、さゆみに言づけ、ってことか、わかった伝えとく、ちょうど明日CBCラジオの収録が同じ時間だし」
「う、嘘ウソ。さゆは今、なーんにも聞かなかった。聞かなかったよね?」
「高いよ?」
「う。えりたんのおこぢゅかいにしゃくえんあげゆ」
「なめとんのかゴルァ」
「すいませんすいませんすいません」



b3.


 次にそのコンビニに行った日は、その店員さんはいなくて、おじいちゃんだけで。
「ああ。絵里ちゃん、いらっしゃい。新しいお菓子が入ってるから、よかったら食べてごらん」
 その言葉を聞いた瞬間、直感したの。あの人が仕入れるように言ってくれたんだ、わたしのために、って。
「えー。嬉しい。それって、新商品ですか」
「そうそう新商品。ま、売れ筋になるかどうか、分かんないんだけどさぁ、まあ、梅味なら、誰が買わなくても絵里ちゃんが全部引き取ってくれますよ、ってバイトの子にまで言われて。わっはっは」
 予想的中ですよ。
「その人って、大学生ぐらいの若い人ですよね、こないだ見ました」
「あ、会ったのかい」
「はい、こないだ来た時、夜中だったんですけど、店番してましたよ、倉庫から梅系お菓子を探して貰いました」
「へえ。可愛い子には親切なんだねえ」
「ホントですか。うへへへへ」
 おじいちゃん店長さんは喋りだすと、割と止まらない人なんで、絵里が根掘り葉掘り聞かなくてもいろいろ教えてくれて。今思えば、絵里がその人のことを気にしてる、って見抜いてたのかも。
 で、そのアルバイト君は、おじいちゃんの一番下の妹さんの三男で、甥っ子さんにあたるんだそうで、K大の三年生だって。年寄り夫婦とパートさんだけでは、小さなコンビニの切盛りも、しんどくなってきて、それで、お願いしてみたら、向うもちょうどバイトの口を探していたところで、引受けてくれた。こっちとしても、素性の分かってる人のほうが、何かと安心だし、真面目に働いてくれるんで大助かりなんだって言ってました。

 お菓子を買って、おうちに帰る道すがら、わたしは、へえ、やっぱりいい人なんだな、って思って、なんだか嬉しくなって、あの人、名前、なんて言うのかな、なんて気づいたら彼のことばっか考えてました。えへへ。


 次にコンビニに行ったときは、その人がいたんです。ちょうどレジでお客さんの対応してて、わたしが入って行ったら、チラッとこっちを見て、いらっしゃいませ、って。
 わたしは、なんとなくグズグズしていたくて、雑誌を立ち読みしはじめて、で、そのうち彼は、お客さんの対応が終わって、陳列棚の商品の整理を始めて。店の中には二人だけだし、店内放送なんか掛かっていなくて、ただ、蛍光燈の微かな音がシーンと鳴っていて、余計に沈黙が耳に刺さって。時々、彼が商品を動かす、ガサゴソいう音、わたしは息を詰めてその物音に耳を澄ませながら、ひとりでドキドキしてました。お目当てのお菓子はいつもの棚にあったし、他には特に用事もなくて、でも、なんか話しかけたくて。でも考えてみたら、絵里、名前知らないじゃないですか、彼の。で、どんな風に呼べばいいのか、話かけていいものやら、分かんないから、思い切って、近寄って話しかけたんですよ。
「あの……」
「あ。いらっしゃい。毎度どうも」
「あの!」
「はい」
「名前、なんて言うんですか」
「……田村、ですけど」
「田村さん、先日はありがとうございました」
「え?」
「あの……梅味のお菓子……」
「ああ! あれ、買いました? どうでした?」
「すっごく美味しかったです」
「僕も、試してみて、これはイケルと思って」
「あの……わざわざ……」
「いやー、いつもたくさん買ってくださるうちのお得意さんが、梅味のお菓子が大好きなもので」
「あの、すいません、それって、わたしのこと、ですよね?」
「あはは。そうみたい」
「なんか、恥ずかしいですね」
「もうホントに、毎回毎回、商売でもする気か? ってぐらい大量に買ってくださるんだよ、って店長が」
「き、気まずいなー。あんまり言わないでくださいよぉ」
「あんまり大量だから、軽トラで配達してあげようかと思うぐらい、って」
「そんなぁ! それ大袈裟すぎ。ひどいなぁ、おじいちゃんったら」
 で、二人して笑って、そこからは普通に雑談して。
 家族でも、メンバーでも、スタッフさんでもない、新しく出会った人と、そんな風に打ち解けて会話するのは、ほんとに久しぶりのことで、話してるだけで、なんか、心の中にわだかまっていたものが、解けていくような気がしたの。

 え? 梅のくだりはもういい?
 く、くどいですか?
 じゃあ手短に。はい。
c3.


亀井絵里用語集「かめ単」(承前)


KY 空気を読め,空気が読めない 若者の流行語。「空気を読め」という命令は、日本人の腹芸的、横並び主義的態度と、閉鎖的村落的共同体のあり方を集約的に示す言葉である。21世紀の今日もなお、若者社会においても、誰が言い出したとも知れない「世間の空気」を読み取り、それに同調しなければ、出る杭として打たれ、あるいは寒いとされ、究極的には村八分的、四面楚歌的状況に追いやられるという、極めて日本的な精神風土はなんら解消されず、むしろ脈々と受け継がれているのである。
 亀井絵里は、他人からKYと指摘されることは忌み嫌いつつも、しばしば、あえて自分のことをKYだと形容する。だが、それは空気が読めない自分を反省しての発言ではいささかもなく、反対に、「空気を読むつもりなんてさらさらありませんから」という、反逆的独立的精神の宣言なのである。亀井絵里は、まさしく確信犯として、断固として、空気を読むことを拒絶しつつ(AKY,敢えて空気を読まない)、その「空気読めなさ加減」を逆説的に、魅力的な個性として演出するという離れ業をやすやすとやってのける。


mikieri みきえり 藤本美貴+亀井絵里のカップリングの愛称。ライブ中、ことあるごとにメンバーのお尻を触ることを生きがいとし、また、その擬似的公開セクハラ行為を芸術の域にまで高めた藤本美貴は「亀井さんに関してはパンツを食い込ませます」と発言した。その仲のよさが如実に伺われるエピソードである。また番組中で絵里はしばしば藤本美貴を「美貴様」とヲタ由来の愛称で呼んでいたが、かげでは美貴様に対して自分のことを「絵里様」と自称していた可能性がある。はたからみると「藤本>亀井」という上下関係があって当然と思われるにもかかわらず2人の間では力関係が逆転しているフシがみられるところに、このカップリングの最大の萌えポイントがあるのではないだろうか。


Morning Musume. モーニング娘。 亀井絵里の職業。


negative ネガティブ 否定的。「アイドル」といえば明るく元気なイメージという常識を覆すネガティブなキャラクターを引受けた点で、亀井絵里はたしかに石川チルドレンである。しかし、お笑いの分野においては、石川梨華が寒いキャラクターに居直ることしか出来なかったのに対して、亀井絵里は寒いギャグを逆に持ち味・セールスポイントにまで高めることでネガティブを止揚した。石川梨華が否定し超克しようとしたネガティブという負の属性を、逆に徹底して突きつめることで、亀井絵里はそこから奇跡的な美を生み出してみせたといえよう。


Negative Dialektik 否定弁証法 アドルノ思想の中核をなす概念。テロス(目的=終着点)、統合、絶対精神、神、同一性を志向せず、あくまで具体的な存在の多様性のもとにとどまりつつ、非同一性を擁護する弁証法。亀井絵里の一見デタラメとも思えるテキトーで無方向的な成長の軌跡は、否定弁証法という思考の方向と類縁性があるように思われる。否定弁証法を通じて亀井絵里を考えることによって、将来構築されるべき亀井絵里学の豊かな可能性が切り拓かれるだろう。


Picture Village 絵里 絵里の「英訳」。まるで「ふるさと創生」か何かで村おこしをしなければならないのに目玉になる特産品も何もないのでテキトーに絵画コンクールをでっちあげてしまった村のようである。そこで入選する作品は、何故か、亀井画伯のように意味不明で気持ち悪い絵ばかりのような気がする。もしかすると後世高く評価され、美術史に残るかもしれない。


a4.


小春の探求U


「新垣さん、今日こそは教えてください」
「いいよー。もう、なんでも訊いちゃってー」
「小春が思うにー、安倍チルというのはー」
「お。いいねいいね。というのはー?」
「安倍さんのように事務所から推されている人?」
「あはは。それじゃあさー、小春がそうじゃん」
「あ。小春、安倍チルだったんだ!」
「んー、んー」
「あれ、違うんですか?」
「うん。全然違うね」
「じゃあじゃあ、安倍さんのことが好きな人?」
「それは当たってるよ」
「じゃあやっぱり小春も安倍チル」
「だけどねー、それだけじゃないんだなー」
「えええ?」
「それも必要なポイントだけど、それだけじゃー、何かが足りないんだよ」
「何かってなんですか?」
「はい。明日までの宿題ね」
「ガビーン!」



ジュンジュン伝言ゲーム


「カメイサン、カメイサン」
「なぁに? ジュンジュン」
「カメイサン、KY!」
「ねえ、誰に言わされてるの?」
「ニカキさんに」
「ガキさんってば。じゃあね、ジュンジュン、ガキさんに『昭和だね』って伝えといて」
「ショワ?」
「そうそう。昭和!」
「わかたチュンチュン行てくる」



ガキカメ


「かめ、聞いた?」
「聞きましたよガキさん」
 もう嬉しさと興奮のあまり、かめもわたしも、口調が悪代官と越後屋みたくなっちゃってて。
「ふたりのラジオが始まっちゃうよ、どうするよ」
「どうするもこうするも。チャンスですよね、これ」
「チャンスだね、目一杯活かしてこ」
「ガキさんはどんなラジオにしたいですか」
「モーニング娘。の魅力をね、真心込めてお伝えしていけるような、あったかいラジオがいいかな。逆にかめはどうよ?」
「絵里ですか。そうだなー、10秒に一回は聴いてる人がお腹をよじってウケまくるような」
「ヒキまくるんじゃなくて?」
「いやいや。もうドッカンドッカン、ドッカーンの嵐ですよ。リスナーのメールにもガンガンつっこんで、もうこれは笑いの殿堂ですよ」
「それはさー、相当な才能が必要だと思うよ?」
「ですよね。なんで実際にはガキさんの寒いギャグに絵里が鋭いツッコミを」
「いや、かめ、ツッコミできるの」
「できますよ。多分。やれば」
「わたしは、かめの寒くて空気読めない発言をわたしが必死にフォローしてる姿が、もう今から目に浮かぶよ?」
「ガキさん。その予想はたぶん実現しますよ」
「あのねえ! 実現しちゃダメでしょうが。実現しないように心がけようよ」
「そうだよ実現はさせないよ。心がけて行こう!」
「ちゃんと心に置いてね」
「置いて行こう!」
「テキトーだなー。大丈夫かなーかめと2人で」
「大丈夫ですって、大船に乗った気でいてくださいよ」
「ほんとに? 信じていいの?」
「ほんとですよ。だって、ガキさんがいるんですよ」
「結局人に頼る気じゃん」



b4.


 で、はい、そうなんですよ、結局は付き合うに至るんですけど。きっかけですか。それ聞いちゃいますか、ぐへへへ。きっかけはカレが、うへへ、カレだって! カレがぁ、お買い物に付き合ってほしいってお願いしてきたんですよ。妹さんの誕生日がもうすぐで、服をプレゼントしようと思うんだけれど、何を選んでいいかわからない、って相談されて。妹さんは、現金でくれれば自分で選んで買うよ、と言っているらしいんですけど、ま、それも確かに合理的かな、って思うんですけど、でも、彼は自力でセンスのいい服を選んで、妹さんの鼻をあかしたいらしく。でも、大学の友達にもいい相談相手がいなくて──なぜか、仲のいい女の友達はみんなおしゃれに興味がないらしく──それで、絵里に相談してきた、っていう。
 「おしゃれにも詳しそうだし、センスもよさそうだし」って言われたら悪い気はしないじゃないですか、女の子として。まあ今にして思えばですよ、普段コンビニに行くときなんて、よれよれのスウェットにサンダルつっかけて、とかぁ、そういう格好ばっかなのに、どこでどうやって絵里のおしゃれのセンスを知ったんだ、っつー話なんですけど。
 あー。お世辞。なるほど。
 で、つい乗せられて、いろいろと話してるうちに、彼のお買い物に付き合って、絵里が服を選んであげるって約束になってたんです。気づいてみたら。いつのまにか。約束しちゃってから、気づいたんです。
 これって、デートなんだよね?
 したら、その瞬間から、心臓がバクバクしだして。突然緊張して、どうしようどうしよう、ってなって、で、家に帰ってすぐ、とりあえずさゆに電話したんですよ。話を聞いた瞬間、さゆ、
「それデートじゃん」
 って即答したんです。絵里は、やっぱりそうだよねえ、って、うろたえまくりで。どうしよう、何着て行こう、どんな服にしようかな、スニーカーでいいのかな、って。さゆは、電話越しに「ジーパンにスニーカー、みたいなのはアウトだから。そこはやっぱりブリブリ、キャワキャワ系で女の子っぽくまとめないと」とか言ってて、絵里もちょうどそのころ、ギャル系を卒業して下町のお嬢様系を目指してイメチェンしようとしてた時期なんで、なんで、さゆのアドバイス即採用、って気分でした。

 《妹の誕生日が近くてプレゼントを探していたのは事実なんだけど、鼻をあかしてやりたくて云々という理由は、実は作り話で、絵里を誘いたくて考えた姑息な作戦だった。正直言ってビクビクものだった。》

 もちろんデート当日はばっちりオシャレですよ、下町のお嬢様系で。これでも一応、絵里、お嬢様なんで。あのすいません、ここ笑うとこじゃないんですけど。とにかく可愛くしていったんですよ、気合を入れて。したら、カレが目を丸くして。いくら普段よれよれスウェットにサンダルだからって、それは驚きすぎじゃん、って思うぐらい驚かれちゃって。でも、似合ってるって言ってくれたし、カレがどぎまぎしちゃってる感じが楽しくて、気分アゲアゲでしたよ。
 それで、妹さんへのプレゼントを選んであげて、でも、ちゃんとしたブティックとかじゃなくて、地元のスーパーの衣料品コーナーなんですよ、しかもカレの予算内で! なんていうか、無理難題? でした、あれは。
 で、買い物も無事におわりぃの、真剣に服選んで疲れたってことで喫茶コーナーでフルーツパフェをごちそうになりぃの、で、カレのことを根掘り葉掘り聞きぃの、ですよ。
 大学では映画研究会に入ってて、映画を撮ってて、で、将来は映画作家になりたいって言ってました。ステキですよね、大きな夢があるのって。
 田村さんは、けっこう口下手で、割とぽつりぽつりと話す感じなんですけど。でも聞き上手なんですよ。絵里の話す他愛無い雑談を、なんでもニコニコ聞いてくれるんです。
「田村さんとおしゃべりするの、なんか楽しい」
「そ、そう? 俺、面白い話とか出来ないほうだけど」
「でも絵里の話をちゃんと聴いてくれるじゃないですか。それが楽しいんです」
「へえ」
「いっつも仲間には寒いとかキモいとか言われてばっかりなんですよぉ」
「普通に面白いけど、絵里ちゃんの話聴くの」
「あの……ひょっとして、変わってる、って言われません?」
「うん。お前、頭おかしいだろ、って」
「ヒドーイ」
「あはは、ウソウソ」
「絵里は面白いんですよぉ」
「そりゃあ仲間に寒いって言われるワケだ」
「そうなんですよねぇ」
「手厳しいね、絵里ちゃんのクラスメイト」
「いやクラスメイトというか、職場の仲間というか」
「あ、そうなんだ」
 この人、絵里がモーニング娘。だってこと、全然気づいてなくて。もしかしたら、モーニング娘。自体、知らなかったのかも、って思うんですけど。


c4.


亀井絵里用語集「かめ単」(承前)


Pokepokepooh ぽけぽけぷぅ かめの特徴を表現するために、ガキさんが編み出した造語。かめの愛称として定着した。PPPと略記され、そこから逆にピーピーピーと発音されることが多くなった。絵里曰く「ボケボケ」は直すべき欠点だが、「ぽけぽけ」は絵里独自の個性であり直しようがないと言う。語源的には「ほけほけし」という古語が、現代において「ボケボケ(している)」と変形したが、その「鈍い」「ボンヤリしている」さまがむしろ可愛いというニュアンスを表わすため、濁点が半濁点へと変化して「ぽけぽけ」となった。そこに「ぷぅ」という接尾辞が加わることで、亀井絵里のたぐいまれな個性を見事に表現する萌え度満点の表現となった。


sayueri さゆえり 亀井絵里+道重さゆみのカップリングの愛称。プライベートでもよく遊びに行く仲のよい美少女コンビ。お互い遠慮会釈なくツッコミあえる貴重なライバルでもある。


simensoka 四面楚歌 かめが大好きな四字熟語。道重さゆみに一日に何度も「四面楚歌」というメールを送りつけた、という奇行が知られている。


sixth generation 6期メンバー モーニング娘。の一大ブームがほぼ終息し、その後に加入してきたメンバーであり、国民的アイドルとしての栄光も味わったことがない。にも関わらず古いのれんを守り、大きすぎる看板を背負い続ける義務だけはしっかり課せられていたといえる。
 その加入当初は「問題児」という設定づけがなされた。それは、多分に演出的に誇張されてはいたが、6期の四人が、それぞれに常軌を逸した強烈な個性の持ち主であったことも事実である。しかし、その中で一番常識的な存在であった亀井絵里は、なかなか自分の特異な個性をまっすぐに表現して、自分を打ち出すことができず、他の三人の背後に埋没しがちであった。それが後には、この世の誰一人太刀打ちできないような異様な個性を打ち出しつつ、比類ない可愛らしさをも表現する存在へと成長したのだから、人生は分からないものである。


Victoria Kyamei ヴィクトリア亀井 別名「発汗2号」。発汗1号は盟友セニョリータ新垣。ヴィクトリアは、エリザベスというキャラクター名とイギリス女王つながりであること以外、もはや絵里とはなんの関連性もない名前であり、これは亀井絵里こそが中澤裕子をおさえてハロプロ情報コーナーの女王に君臨したことを宣言しているとみてよい。そのあまりにもバカっぽい衣装にも関わらず、質の高い萌えに留まらず、危険極まりないエロスをも盛大に発散させるという奇跡を、ヴィクトリアは、ヘラヘラと笑いながら、余裕で成し遂げて、歴史に残る名君となった。


ukiuki-watching ウキウキウォッチング バラエティ番組『笑っていいとも!』のオープニングテーマ曲から取られた言葉。絵里はただ「ウキウキ」と言えばいいときに、しばしば、この言葉を発する。


yaeba 八重歯 亀井絵里の数々の肉体的魅力のなかでも八重歯は特別の意義深さを持っており、彼女のプンクトゥム(R・バルト)であると言ってよい。もっとも本人は歯並びのことを気に病んでいるらしく、それを積極的な魅力として打ち出す気はないようだ。しかし、化粧術や美容整形術の発達により、今や人為的に修正改良しえない要素は存在しない領域となり、人工的な生産物となりはてている人間の《容姿》において、その不完全性、ありのままの要素にこそ、貴重な自然の真実が残されているといっても過言ではない。おそらく経済的に恵まれていたであろう家庭の娘であるにも関わらず歯列矯正を行わなかったのは、両親の下町的おおらかさの表れであろうか、それとも痛いことが大嫌いな本人が泣いて嫌がった結果であろうか。



a5.


美貴帝様


「絵里ちょっと最近気付いたんですけど」
「なあに? かめちゃん」
「ふ、藤本さんが絵里のお尻を触るのも、あれも、い、一種の……愛情表現?」
かめちゃんはときどき急にヘンなことを言い出すので、なんていうか、面白いですよね。
「それともお尻が好きなんですか」
「別にまあ、嫌いじゃないけど? かめちゃんの場合は、触り心地がどうこうよりも、かめちゃんの反応が楽しくてさあ。『やめてくださいよぉ』って言うじゃん」
「あー、声が高くなる感じですか。石川さん的な」
「そうそう。梨華ちゃんっぽいよね、反応が。ってゆーか、どうしたの? 急に」
「いや別に、その……なんでもないです」
「イヤだから止めてくれ、ってこと?」
「いや、そういうワケでは」
「あ、じゃあじゃあ、逆に、もっと触ってくれよー、と。ライブ中とかも、もっと頻繁に、ってことだ」
「いやいやいやいや。それはちょっと。これ以上増えるのも。ま、演出的には面白いと思いますけど」
「みきもかめちゃん見てると面白いもん」
「いや、突然予告なしで触られると、絵里ほんとにビックリしちゃって、マジで歌えなくなっちゃうんですよぉ」
「それもまた楽しいじゃん。可愛いじゃん」
「藤本さん? そりゃあ藤本さんはセクハラして楽しいかもしれないですけど、触られるほうの身にもなってくださいよぉ」
「またまたぁ。嫌いじゃないくせに。ぐひぇひぇひぇひぇ」



小春の探求V


「新垣さん、今日という今日こそは絶対に教えてください!」
「もちろん。この新垣さんに、なんでもドーンと訊いちゃってー」
「小春、考えたんですよ」
「おー。それはすごい」
「えっへん!」
「あ、かめぇ、ねえねえ、小春がすごいよ?」
「え、小春がどうかしたんですか?」
「あのねえ、考えたんだって小春が!」
「え、うそぉ?」
「亀井さん、小春が考えるとどうしてウソなんですかー!」
「小春が考えるってさ、木の葉が沈んで石泳ぐ、みたいな」
「あはははは!」
「もしくは、西から昇ったお日様が」
「東に沈む! あははは!」
「えー、ちゃんと考えましたよー、小春は」
「ん? 何を考えたか、お姉ちゃんに言ってみそ?」
「小春が思うに!」
「思うに?」
「安倍チルドレンとは!」
「とは?」
「安倍さんにエコヒイキされてる人! まちがいなーい!」
「あー」
「ですよね? 亀井さん!」
「あー、それでいいんじゃない?」
「ええー。違うんですかー?」
「小春なんか疲れてるよ小春」
「しょうがないなー、ここは絵里が、特別に正解を」
「やったー♪」
「いい? よく聞いて。安倍チルドレンとは!」
「安倍チルドレンとは!?」
「小泉チルドレンのチルドレン、すなわち小泉孫ドレン!」
「絶対ウソですよそれは」
「今のはウソだった。本当は、ミスチルの従姉妹、いや、違った、チルチルミチルの腹違いの姉妹」
「亀井さんに聞こうと思ったのが間違いでした」
「お。小春、ひとつ賢くなったじゃん」
「うんうん」
「いや、そこはかめが頷くトコじゃないから」

b5.


 で、その日は、メアドを交換して。絵里、メール返すの遅かったり、忘れたりするかもしんないけど、怒らないでね、ってあらかじめ言っておいて。
「でも、相手の返事が遅いと怒るタイプ?」って訊くから、真顔で頷いたら大笑いされて。
 で、帰り際ですよ、今日のお礼に、今度ご飯ごちそうさせてください、って言ってくれて。
 絵里もうウキウキウォッチングですよ。
 次の予定が決まってないと、不安になるじゃないですか。ひょっとしてひょっとすると、これっきり? なんて。でも、次が決まってれば、その日まで、ワクワクじゃないですか。あーでもない、こーでもない、って想像したりして。

 しばらく経ってから、メールで、食事の予定、何日はどうですか、って訊かれて、で、手帳見たら、夏のハロコンの最終日の次の日だったんですよ。そうです、それが、こんこんとまこっちゃんの卒業ライブの翌日で。タイトだなー、と思ったんですけど、ま、翌日はオフだったし、大丈夫ですよー、って返事して。

 まー、気分はバラ色ですよね。
 あのライブの時、ガキさんと二人で、「初めてのハッピーバースディ」を歌ったんですけど、歌ってる最中、実は、今だから言いますけど、ついついカレの顔が頭にちらついたりしてました。
 それよりも、大変だったのが、例の卒業式ですよ。もうもう、日々、脳内バラ色なんで、うへへ、こんなんで、ちゃんと卒業式のとき、気持ちが集中できるかな、とか思ったりもしたんですけど、そこは案ずるより産むが易しで、はい。二人が卒業しちゃう寂しさとか、自分しっかりメッセージ言えるかな、とか、心配もあったんですけど、自分の番になったら、自然と気持ちが集中してきて、こんこんとまこっちゃんに心から卒業おめでとう、って伝えることが出来て……いや嘘じゃないですって。ほんとですってばぁ!
 いや、でもまあ、ぶっちゃけ、ぶっちゃけですよ? 他のメンバーがメッセージを言っている間、ずっと、黙って、立ってるワケじゃないですか、ぶっちゃけヒマ、いや、ヒマっつったら失礼にも程がありますけど、まぁ、正直、手持ち無沙汰じゃないですか。ついつい彼のことを思い浮かべちゃうんですよ。何しろ明日はデートで、内心は「紺野さん小川さんおめでとうございます絵里これからデートなんでお先に失礼します!」っつーぐらいの勢いじゃないですか、で、ついついほっぺたがゆるんで、ニヤケそうになって、はっとして、いかんいかん! いま、一番感動的なシーンなんだから、って、気を引き締めて。いやー、あれは大変でしたよ正直。


 《ワンダフルハーツランドの公演の時の亀井さんは、絶好調で、ステージ上でも、舞台裏でも、常にハイテンションでした。そういうことは彼女には珍しいので、ははー、これは何かいいことでもあったかな、と、すぐピンと来ました。元気になってくれるのは、いいことなんですが。そればっかりではすまない状態に落ち込む危険性も高まるので、注意深く見守っていかないと、と思ってました。とは言ってもマネージャーに出来ることなんて限られてはいるんですが。》


 で、レストランで一緒に食事してからは、もう、絵里、カレしか見えない的状態になってきて。まだ告白とかはなかったんですけど、もう完璧に「おつきあいしている」って感じで。ずっと喋っていたいし、メールしていたいし、どんなに忙しくても、週に一度は会いたい、って思って。
 で、ほんとは、娘。のこととかも話したかったんですけど。いろいろ悩むこととか、メンバーの面白い話題とかあるじゃないですか、絵里の生活の中心でもあるし。
 でも、なんとなく言いそびれちゃってて。
 カレ、絵里のことモーニング娘。だと知らなかったんですよ。それって貴重なんですよね。だって、みんな絵里のことを「モーニング娘。の亀井絵里」としてみるじゃないですか。ま、家族は別ですけど、家族は家族だし。メンバーにしても、スタッフさんにしても、お仕事ありきの人間関係だし、ファンの人だって「アイドル」ってフィルターを通してしか絵里のことは知らないじゃないですか。学校時代の友達はホントの絵里を知ってますけど、逆に、モーニング娘。になってからの絵里のことはあまり知らないし。いや、絵里自身、モーニング娘。になってからの、「モーニング娘。じゃない自分自身」ってのが、いまいちよく分からなくなっちゃってるんですけどね、既に。
 でも、カレが、田村さんが見てたのは、モーニング娘。とは無関係な、一人の人間としての絵里だったんです。なんで、カレといて、喋っているときは、絵里も、一人の絵里になれるような、そんな気がしたんです。
 それがもし、「絵里、実はモーニング娘。です」って伝えたがために、カレのまえでもモーニング娘。でいなきゃならなくなったらどうしよう、とか、そのせいで、カレが絵里を見る目が変わっちゃったらどうしよう、って不安もあって。それで、そのことを言うのが怖くて。分かります、この感じ?

c5.


亀井絵里用語集「かめ単」(承前)


yokomozi 横文字 絵里が多用する表現。意味はよく分かっていなくてテキトーに「響き」で使っている場合もあるようだ。意味を度外視して響きで言葉を選んだり、意味不明でも聞き覚えた言葉をとりあえず使ってみるのは絵里の得意技の一つ。そうしているうちに言葉が使いこなせるようになるのだそうで、「まずは形から入る」という絵里の特徴が出た行動と言える。とはいえ、ルー大柴ほど徹底しているわけではない。


yozizyukugo 四字熟語 かめがはまっている趣味。「四面楚歌」を愛用。また四字熟語ではないが「亀の甲より年の功」という表現もお気に入り。「感無量」を四字熟語だと思っていて、メンバーから「三文字だよ」とつっ込まれたという痛い過去を持つ。「感無量です!」の連呼は、『MAPLE』のメイキングDVDなどに記録されている。
 四字熟語はラジオ『ガキカメ』のオープニングでも恒例になったが、かめはもちろん出てきた熟語を覚えてはいない。そのくせ、書き物に『ガキカメ』の台本から四字熟語を無断借用したりする。
 近年ではジュンジュンが「好きな四字熟語は?」という問いに「亀井絵里」と答えているが、その理由は「亀井さんにそう言えと言われた」とのこと。えりじゅんというカップリングの急成長にも俄然注目が集まる。



脳内かめちゃん


 トイレから戻って来たら、パソコンの前にかめが居座っていた。
「勝手に書きかけの小説読むなよ」
かめはそれには答えず「あいかわらずイカレてますねえ」と笑った。ほっとけ。
「ま、この小説を読みこなせる人間はそうはいないだろうね」
「くだらなすぎて最後まで読む気がしないだけじゃん」
「まあね」
「いいんですか、エラソーにそんなこと言っちゃって?」
「ま、作者自身も読みこなせてないけどね」
「自分も理解できないって、どんだけー」
「かめだってさぁ、自分で理解できない四字熟語を書き物に書いたり、ネタの分からない手品を特技と言い張ったりするよね?」
「そ、それは、絵里がやると可愛いからいいんですよ、イタさんが真似しても痛いだけですよ?」
「うるさいよ」事実だけに言い返せない。
 すると、かめが調子に乗って、からかいはじめる「いやー、さすがに痛いですね、名前が名前だけに」
 ふと、素晴らしい言い訳を思いついた。口から出まかせだが、それはかめ譲りなのだから文句を言われる筋合いはない。
「何故自分にすら理解できない小説を書くか、それには深い訳があるの」
「なんですか」
「かめは自分でも理解し難いって表現するような言動が多いでしょ。それを形式的に反映している訳。それによって、内容的にだけでなく、形式的にも亀井絵里を表現しているということなの」
「お、大きく出ましたね、エラソーに」
「亀井絵里を表現する小説である以前に、亀井絵里のような小説でありたい、というか」
「だからこその、メチャメチャな構成、意味不明な内容、ってことですか?」
「うん」
「それ今世紀最悪の自己正当化、ってかどんな開き直りですか」
「ま、ぐずぐずですよね」


アフォリズム


人間のあやまちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする。
           ──ゲーテ

かめは愛すべきあやまちだらけ。
          ──新垣里沙



a6.


ハブラレイナ


 リンリンからのメールで「さん」が抜けてて、呼び捨てみたいになってて面白かった、って絵里に話したら、絵里がれいなに面と向かって「田中」って呼ぶようになったんですよ。「れいな」って呼び捨てられるのはいいんですけど「田中」って嫌じゃないですか、同期からそう呼ばれるのは。だけん、れいなが止めてって言っても絵里やったら逆に、
「ハブいてるー、大事な敬語をー、ついでにれいなをー、シャララー」
とか、変な歌まで歌ってれいなをからかうんですよ。
「それ悪口サイトのネタやろ。れいなはさんざん言われたけん、もう平気やけど、『ついでに』ってのはなんかヤダ、なんかムカツク」
って言っても、絵里は、
「嘘ぉ。ムッカー。カッチーン。ぴきぴきー」
とか言ってエヘラエヘラ笑ってるんですよ。でもれいなは、そんな絵里が可愛いって思ってしまって。まったく得な性格っていうか、ずるいですよね絵里って。



ジュンジュン伝言ゲーム


「ニカキさん、ニカキさん!」
「なぁにジュンジュン?」
「ニカキさん、ショワ!」
「ショワ? あー、昭和かぁ。ねえ、かめに言われたんでしょ?」
「ウン、ソウ!」
「あはは。じゃあ今度はね、かめに『ぽけぽけぷぅ!』って言って来て!」
「ポケポケプーですか?」
「そう。『カメイさん今日もぽけぽけしてますね!』って」
「わかたチュンチュン行てくる!」



小春の探求W


「新垣さん、今日こそ、今こそ、今度こそは絶対に教えてくださいよ!?」
「もちろん。この新垣里沙が、なんでも、真心込めてお教えしちゃうよー」
「その前にひとつ教えてください。新垣さんは、安倍チルドレンですよね」
「んー、まぁ、そうとも言えるし、そうだと思いたいね」
「それはアレですか、安倍さんから特別に何か貰ったとか?」
「貰ったと言えば貰ったかな」
「分かった、お金だ!」
「いやいや。そんな、モノとかなワケないじゃん」
「安倍さんから何か受け継いだ、ってことですか?」
「それだ」
「なんか、精神的なこととか?」
「おー。それすごいね。いいんじゃない」
「安倍さんのことをとても理解している?」
「そのとおり、小春、大正解」
「でも、どう理解するんですか?」
「それはねー、説明しがたいね」
「ガビーン、ヒドイですよ新垣さん」
「だって、説明して分かるなら簡単じゃん」
「結局、なんなんですかー!」
「ま、分かるときが来れば分かると思うよ、小春も」
 でもわたしは、本当は、わたしが安倍さんから受け継いだものを小春に教える気はない。それは教えられるようなものじゃないから。ただ、わたしは分かってしまっただけ。安倍さんの輝きと、安倍さんの優しさと、弱さと、その弱さの意味が。安倍さんの弱さをあるがままに受け止めること、そして、その弱さを自分の中にも認めること、それは、弱さの中に開き直ることじゃない。ただ、弱さと向かい合うだけ。それは、自分の強さを確信していられる人にはおそらく気づくことの出来ない何か。わたしは、わたしが安倍チルドレンなのだと気づいてしまっただけ。けれど、安倍チルドレンとは何なのか、安倍チルドレンはどうあるべきか、そんなこと分かってやしない。それは自分に襲い掛かってきた運命のようなものだから。



のんつぁん母になる


 いくら事前に連絡されていたとはいっても、やっぱり辻ちゃんの電撃結婚、しかもデキ婚ということなんで、その記者会見の日は、事務所の中、異様な緊張感が漂ってましたね。辻ちゃん、ちゃんと会見を乗り切れるのかなって心配して、事務所にいる人はみんなテレビに釘付けで。辻ちゃんと直接交流のない若い子たちなんかは、詳しいことは初めて知るような感じだったので、「妊娠9週目」なんて言葉に、呆然としてましたね。
 「辻さん、これからどうなるんですか」なんて泣き出しそうな子がいたり。しばらく仕事は休むことになるだろうけど、心配要らないよ、おめでとうって祝福してあげようよ、って言い聞かせなきゃなんなかったり。いくら普段わたしたちに「恋愛は厳禁!」とか口うるさく言い続けている事務所だと言っても、さすがに、妊娠・結婚っていう、ま、ちょっと順番的にアレですけど、誰に非難されるいわれもないおめでたいことがあったのに、クビになんて出来るワケないですし。
 会見で、辻ちゃんが「お姉さん方に、まさか辻ちゃんに先を越されるとは思わなかった、って言われました。今年35歳になる中澤裕子さんです」なんて言って、笑いを取ってて、さすが母は強しだね、なんてスタッフさんと言いあいましたね。
 でもまあ、加護ちゃんが事務所を辞めることになってから、まだひと月ぐらいしかたってなかったし、ほんの3日前に、よっちゃんが卒業したばかりで、わたしも5代目リーダーになって、おとといにはこんこんが二十歳になってたし。ほんと、バタバタといろんなことが重なり合って動いていって、どんどん変わっていくので、さすがに目まぐるしいなって思いましたね。
 ま、ほんとうに死ぬほど目まぐるしくなるのは、そのあとだったんですけどね、みき的には。
b6.


 夜中に、コンビニに行こうかなと思って、田村さんにメールしたら、その日はあいにく非番で。たまにおじいちゃんの顔でも見に行くか、と思ってコンビニにいったんです。
「なんだー、おじいちゃんかー」
「悪かったねえ、隆一は今日は休みだよ」
「ちぇっ。帰る」
「おいおい、そんな切ないこと言いなさんなよ」
「ウソ。非番なのは知ってたの。おじいちゃんの顔見に来たの」
「嬉しいねえ」
「絵里はー、それほど嬉しくない」
「年寄りをからかいに来たのかい?」
「うん」
「まいったねこりゃ」
「まいらせちゃったねこりゃ」


 『確かあのときだったね、絵里ちゃんから、二人が付き合っているような話を聞かされて腰抜かしそうになったのは。隆一の奴、おくびにも出しやがらねえんだから、水臭い話さ。
 お茶でも飲んでいきなさい、っつって、店の奥で、煎餅で番茶飲んでたら、絵里ちゃんが、携帯で二人で撮った写真を見せてくれてねぇ。驚いたのなんの。
「隆一もすみにおけないねえ」
「おけないですよねぇ」
「天下のモーニング娘。さんと付き合おうなんざぁ身の程知らずめ、って叱ってやるよ」
「いやいや、そんな。あ、ひょっとして、妬いてます?」
「妬いて? あたしが? あっはっは。こりゃ傑作だ」
 しかも、話を聞いてみると、隆一は絵里ちゃんがモーニング娘。だってことすら知らなかった、ってんだから、また仰天さ。あたしはてっきり知ってるもんだと思ってたからねぇ。隆一がそのことに触れないのは、アイドルに興味がないのか、逆に意識しすぎて恥ずかしくて黙ってるのか、ぐらいに考えてたからねえ。うかつだったよね。まあ、以前とは違ってモーニング娘。知ってるのは世間の常識って時代でもないから、隆一みたいなウスラ唐変木がいても不思議じゃないのかねえ。小っちゃな頃から絵里ちゃん可愛がってる身としては、ま、世も末だな、って思うよね。』


 絵里が、おじいちゃんに、
「田村さん、絵里のこと、モーニング娘。だって知らないみたい」
 っつったら、おじいちゃん怒った顔して。この荒川の街のたくってて「モーニング娘。亀井絵里」知らねぇなんざぁとんだモグリだ、とか言って。
 ぶっちゃけ、絵里は、自分では、そこまでの知名度はないって厳しく現実を受け止めてますけど、おじいちゃんは、いつもすごく絵里のことを褒めてくれて、応援してくれて、絵里を元気にしてくれるんです。だから大好きなんです。
 そんなおじいちゃんなんで、次に田村さんの顔見たら説教とかしかねない勢いで。
「絵里ちゃんからは言いづらいなら、あたしがなにげなく教えておこうか」
って言われて、絵里、
「あ、やめてください、言うときは、絵里、ちゃんと自分から言うんで」
「そうかい?」
「モーニング娘。って知られてないこの状態が楽しいんですよ」
「へぇ、そんなもんかねぇ」
「例えばですよ? この例えで合ってるか分かんないんですけど、例えば、大富豪の男の人がいました。美人の女性が大勢寄ってきます。でも、それは、自分自身の魅力? それともお金持ちだから? って。分かります?」
 したら、何故だか大笑いされちゃって。
 ここ、笑うとこじゃないですよね。
 笑えますか。
 でも、笑われたけど、絵里の言いたいことは分かってくれたみたいでした。


 《初めて二人で映画を観にいった。
 絵里が「いま面白いのやってますか?」って訊くから、僕が観たい映画を言うと、「それだと絵里、ぜったい途中で寝ちゃう自信がある」とか言い出した。それで結局、楽しそうなアニメを観にいくことになった。
 映画が始まって15分ぐらいかな。僕の肩に、絵里が頭を預けてきた。
 ドキドキした。
 これは、手をつないだりしていいのだろうか。
 いや、むしろ今、つなぐべきタイミングなんじゃないか。
 とか、思い悩んでいたら、肩の上から、すぅすぅ、って寝息が聞こえてきて。
 僕の肩を枕にしただけだったのか。
 それに、絵里が観たいって言ったんじゃないか宮崎アニメ、と思ったけど。逆に言えば、初めて一緒に映画観てるのに堂々と寝てしまうのは、それだけ僕のことを信頼してくれてる証拠だと思えて嬉しかった。
 絵里の温もりや重みを肩に感じてるだけで、幸せな気分だった。
 だから映画が終わるまで、彼女を起こさないようにずっと同じ姿勢でいたんだけど、映画が終わってエンドロールが流れはじめると、何食わぬ感じで頭を起こして、「絵里、感動しちゃった」とか言いだした。
「え? 寝てなかった、ずっと?」
「……ナニ言ってんですか、この目に浮かぶ感動の涙、見てくださいよ」
「あ、欠伸噛み殺した?」
「ひどーい。絵里、ちゃんと見てたもん」
 って、目をつぶったまま言う絵里ちゃんが可笑しくて、つい笑ってしまう。
 すると彼女もつられて「うへへ」って笑った。》


 初めて二人で映画を見たあと、たしか、ピザを食べにいったんです。
 したら、彼が、
「いやー、感動的な映画だったね」
とか、絵里が寝てたの知っててワザと言うんですよ、ひどいと思いません?
 もう、こっちとしては、
「ほんとチョー感動だったね」
とか、あくまでもちゃんと観てた体で。開き直るしかないじゃないですか。
「どこがよかった? とか、聞かないでね。どこもかしこもで、選びようがないから」
なんて先手打ったりして。
 そのあと普通に雑談してたんですけど、帰り際に、仕事のことを聞かれたんです。
「明日は仕事?」
「はい」
「現場?」
「はい」
「ほんとに外の仕事なんだ? 大変だね、女の子なのに」
「いや、あの、外ということではなくて。あ、外もときどきあるか。まー、現場っちゃあ現場なんですけどねー」
「何の関係なの?」
そう聞かれても、モーニング娘。です、って普通に答える気になれなくて。
「えーっとー、そのぉ」
「あ、ごめん、余計なこと聞いちゃったね」
「いえ、別に聞かれて困るようなことでもないんですけど」
ってゆうか、モーニング娘。って案外知られていないのか、というショックもありつつ。
「ま、ステージ関係というか」
とか誤魔化したぐらいにして。
 なんか、話の流れでモーニング娘。だってことを隠したみたいになっちゃって。逆に、いつ言おうか言うまいかって悩みはじめちゃって、わかります? この感じ。で、出来れば向うで自然に感づいてほしいというか、いつか気づかれるのが逆に怖いみたいな、なんなら永久に知らないでいてほしい的な、そんな感じでした。


c6.


脳内かめちゃん


 執筆が行きづまった。
 すかさず脳内かめが冷やかしにやってきた。
「なに深刻に悩んだフリしてるんですか」
「フリじゃないわい!」
「ナニそのオタクっぽい語尾は?」
「ごめん」
「どこで行きづまったんですか?」
「うーんと、このあたりで」
「どれどれ。ここが難所なんですか」
「というかねぇ、作者の自由的な権利を行使してさ、好きなようにお話を作るのはさ、割と出来るわけ」
「偉そうですね。つまんないものしか書けない割に」
「ほっとけ。筋の展開とか効果とかを考えるのは、比較的容易なんですよ」
「じゃあ何が問題なんですか?」
「大筋を決めて以降はさ、もう、お話を作っている意識はないの。この状況に置かれたら、かめは何を考えるか、何を言うか、どんな行動をとるか、を考えているの」
「マ、マニアックなヲタ創作ですね」
「ありがとうございます」
「いやいや褒めてないから」
「だけど、ぶっちゃけ、想像がつかないようなシチュエーションなんだよねぇ」
「作者が弱気になってどうするんですか?」
「だよねえ」
「しょうがないから絵里がヒントあげますよ」
「実用的な御意見でお願いします」
「いいですか、最初から不可能なリアリティを追求するから行きづまるんですよ。だから、絵里だったらどうするか、じゃなくて、どう書いたら絵里が魅力的に見えるか、を考えればいいんですよ」
「なるほど……ってか、それ、かなり我田引水的なアドバイスだよね」
「バレましたか」
「バレバレです」



アフォリズム


愛する人の欠点を美徳と思わないような人は、愛しているとは言えない。
           ──ゲーテ

かめは美徳のかたまり。愛してさえいればね。
          ──新垣里沙




『亀井絵里論序説』


 亀井絵里という生身の存在、その存在の「素肌」に触れることの困難性に人は思わずたじろぐ。あらゆる単純化、抽象化、虚構化、イメージ化、イデア化に抗って、唯物論的存在そのものとして直視することの過酷さに人は耐えることができず、瞳をその眩しく輝く対象からそらし、あるいは、無意識に瞼を閉ざす。その瞼の裏に映し出される像は《亀井絵里のイマージュ》あるいは《亀井絵里というイマージュ》に他ならず、それは、ときには《正統派美少女》であり、《可愛いアホ》であり、《寒キャラ》であり、《ヘタレ》であり、またときには《変態的存在》というイマージュであり、ことによったら《引っ込み思案でいつも俯き加減の可憐な少女》というイマージュが大切に保存されてさえいるだろう。それらのイマージュが虚偽だと言う訳ではない。それぞれのイマージュは、紛うかたなく亀井絵里というプリズムが透過する豊かな光のスペクトルを構成しているのだ。だが人はしばしば、そのスペクトルのなかから自らが望む色合いを引き出して事足れりとし、それを亀井絵里という恐るべき現実と等置して不甲斐なく自足してしまう。それも無理はない、亀井絵里自身が、ことあるごとに、そのような安易な理解を生むような、策略に満ちた餌を、行動、発言、笑顔を通じて撒き続けているからだ。しかし彼女は、一定の方向性や目的意識を持ち、明確なひとつの《亀井絵里像》の形成を目指し合理的な計画に基づいて、その餌の散布を行ったりはしない。例えば彼女は「下町のお嬢様を目指している」と発言する。ひとはその発言につい深く頷いてしまいもする。「ギャルに憧れていた」時代は終わりを告げ、亀井絵里は次のステップへと着実に成長を遂げようとしているのだ。彼女は大人になろうとしている。「年相応の大人らしい女性」を目指しているのだ。しかしその善意ある納得は彼女自身によりあっさりと裏切られることになろう、舌の根も乾かぬうちに。彼女は、ことあるごとに、自分の部屋の汚さ、だらしなさ、着ている服を廊下にポンポンポンと足跡を残すように脱ぎ散らかして、半裸も同然の格好で家の中をうろついていることを、自ら積極的に暴露してみせる。それは「お嬢様」というイメージのなかに自分を収めようとする人間の態度とは到底思えないし、ましてや、その暴露によって自己を批判し、真の「お嬢様」になるという目標に向けて、生活態度を改めるべく努力するために敢えてする発言では断じてないのだ。その発言は矛盾に満ちている。しかし、その矛盾を捉えて、《虚言癖》や《亀井絵里は空気を呼吸するに嘘をつく》というイメージのなかに彼女を押し込めようとする試みることもまた、彼女の術中に落ちることに他ならない。しかも彼女は、その矛盾が露呈することで、純真なファンが「裏切られた」「失望した」と感じるであろうことを恐れてすらいない。亀井絵里の矛盾、そのテキトーさを、無条件且つ絶対的に肯定せよと亀井絵里は命じる。あらゆる定義付けと、単純化による理解を退けつつ、その荒唐無稽で過酷な風土に耐え続けよ、と。その試練は、試練と呼ぶのが憚られるほどに、むしろ我々にとっての大いなる喜びの源泉である。亀井絵里のテキトーさを、積極的な資質として、なんの疑いも抱かず、断固として肯定すること。そこにこそ、観念論的な抽象に陥ることなく、亀井絵里の魂を唯物論的に擁護する道筋がみえてくる。




a7.


さゆみき


 ある日事務所にいたら、とつぜんマネージャーさんに「モーニング集まって」って小部屋に集められたんですよ。みんな何だろう何だろうって言い合って、で、あれ、藤本さんがいないよ、まったくリーダーなのに、どこで油売ってるの、とか冗談言ってたら、藤本さんがいないのに話が始まったんです。「藤本が明日の写真週刊誌に出る」って記事のコピーを渡されて、さゆみたちはどうリアクションしていいか分からなくて、黙ったままでした。
 藤本さんは、大人だし、あのとおり自由すぎるぐらい自由な人で、しかもこわいものしらずなんで、普通に恋をして、街でデートしたりしてたのを、なんとなく本人の口ぶりだったり、浮かれっぷりだったりで、みんな知ってたんで、いつかはこういういやな目にもあうんじゃないか、ってことも予想はしてたんですけど、まさか、リーダーになったばかりのこのタイミングで来るとは思ってもみなくて。
 藤本さんは今事務所の上の人たちとお話し合いをしている、ってことで、さゆみは「お話し合い」って聞いただけで怖くて、もしその場にいるのが自分だったら絶対耐えられないと思います。
 重たい沈黙を破って「藤本さんこれからどうなるんですか」って愛ちゃんが訊いたんですね。そしたら「藤本の今後も、モーニングをどうするかも、まだ何も決まっていない」ってことでした。そして、絶対に、慌てたり、やけをおこしたりしないで、余計な心配はしないで普段どおり仕事をするように、ただ、覚悟だけはしておくように、ってことを言われました。
 覚悟って言葉を聞いた瞬間に、藤本さんがわたしたちと一緒にいられなくなるって最悪の展開を考えてしまったんですけど、それは、わたしたちにとって初めての体験じゃなくて、矢口さんのときに一度経験してるんで、みんな意外と冷静だったんですけど、でも、矢口さんも強情でしたけど、藤本さんはそれ以上に強情で恋愛を諦めるとはとても思えなくて、でも、モーニング娘。も絶対にやめてほしくなかったんで、なので、どうすればいいのか、どう考えればいいのか、ほんとうに分からなかったです。

 そして次の日、じっさいに写真週刊誌が出てしまっても、藤本さんがどうなるのか分からなくて、いったいどうなるんだろうと思いながら事務所に出勤したら、藤本さんとばったり会ったんです。さゆみは思わず「藤本さん!」って叫んで駆け寄ったんですけど、藤本さんはさゆみをみてもまったく笑顔なしで、なんかもう目が据わってて、その表情が怖くて、さゆみは恥ずかしいんですけど泣き出してしまって、そうしたら藤本さんが困ったように苦笑いしながらさゆみの頭をなでてくれて。「藤本さん大丈夫なんですか」「うん」「これからどうなるんですか」「まだわかんない」「さゆみたちのそばからいなくならないでください」「うん」「ずっと一緒にいてください」「いやこれからヤンタンの収録あるし」こういうときに冗談を言うのはリアクションが取れないのでやめてほしいんですけど。「大丈夫ですか、収録なんて」「きっとイジられるよね、さんまさん、容赦しなさそう」「藤本さん」「ん、大丈夫、みきは強い子だもん」そうやって藤本さんが頑張って笑顔をみせてくれるのに、さゆみが泣いてちゃダメだ、苦しいのは藤本さんなのに、なんでわたしが慰めてもらってるんだろう、って反省して。でも、さゆみには藤本さんを元気付けてあげられるような力は何もなくて、それがすごく悔しくて、さゆみは藤本さんの力になってあげられるようになる、強い女になるんだ、って、そのとき心に誓いました。

 例の記事が出ても、とりあえず藤本さんには何の動きもなくて、でも毎日のように上の人に呼ばれてお話し合いをしていたんですけど、でも、藤本さんは普段どおり、ラジオの収録だったり、GAMのツアー中だったんで、そのリハーサルだったり、ふだんどおりお仕事していたんで、これはもしかするとおとがめなしで、今までどおり一緒にモーニングにいわれるのかもしれない、なんて明るい未来を夢見はじめた矢先に、藤本さんが辞めることが決まって。事務所中がお通夜ムードというか、暗くて、でも空気が緊張してピリピリしてました、みんないつ叫びだしてもおかしくないような。そんな空気の中でモーニングがまた集められて、明日から愛ちゃんが新リーダー、新垣さんがサブって言われて。で、そのあとですよ、さゆみだけ一人で残されて、「藤本がヤンタンを降板になるから、代わりに道重に入ってもらう」って言われてビックリしちゃいました。正直言うと、一瞬「これはさゆみにチャンスが回ってきたってこと?」と思ってしまったんですけど、そんな自分がさゆみはすごくイヤで、それをチャンスとか「シメシメ」とか思うぐらいだったら、いっそこの世から消えてしまいたい、と思いましたね。



b7.


 「亀井、最近調子よさそうだね」
 事務所で書き物のお仕事してたら、マネージャーさんにそう言われたんです。
「そ、そうですか?」
「なんか、いいことでもあった?」
「い、いや、別にこれといって普通ですけど?」
「亀井はそうやってすぐ顔に出るからね。正直者だよ」
「え……」
「人生楽しんで、明るく生活してくれていいんだけどね」
「はい」
「あんまり調子に乗りすぎると、また、いつかみたいに、ズドーンと落ちちゃうかもよ?」
「……」
「亀井が落ちるとハンパないから。メンバーにも心配掛けちゃうし。私も心配するし」
「……」
「忘れてないよね?」
「ハイ」
「亀井? 大丈夫?」
「だ、大丈夫です」

 マネージャーさんにそうやって遠まわしに釘を刺されて、そうしたら、絵里もなんだか不安になってきたんですよ。田村さん、本当に絵里がモーニング娘。だってこと、知らないのかな、って。そんなことありえないような気もしてくるんですよ。


 《その前の年あたり、一部のファンとの間で、困った問題があって。以前通っていた学校の関係者あたりからのつてで個人的なつながりを持つファンが出てきて。熱心に応援されれば悪い気はしないし、つい浮かれてしまったのも理解できなくもないですが、脇が甘かったことは否めませんし、こちらとしては対応に苦慮したんですね。そういうのはどんどんエスカレートするので。高額なプレゼントや、頻繁なメール。そういう常識的な距離感を欠いたファンは(ファンだから盲目的なのは当然ですが)どんどんプライベートにも刺さりこんできますし、気がついたら、とても困った状況に陥っていたんです。もちろん、芸能人はファンを大切にしなければいけないし、冷たくあしらうわけにもいかないので、そういう非常識なファンをどう扱うか難しいんですけど。それに、芸能人に有力なサポーターや一種のタニマチ的な存在がいることも珍しいことではないですが。しかし、若い女性アイドルの場合は特に、ファンとの適切な距離を取ることは絶対に必要ですし、ちょっとした手違いがいつどうして命取りにつながらないとも限りません。なので、彼女の顔を見て、これは、しばらくは注意深く様子を見守っていかないといけない、と考えました。》


 そうしたら絵里どんどん疑心暗鬼になってきて。もし、ですよ。もし、モーニング娘。だって知ってて知らないフリしてるとしたら? それってなんかイヤな感じじゃないですか。
 いや、田村さんはそんな裏のある人じゃないと思うんですけど、でも、一度疑ってしまうと、それが頭から離れなくて。
 それに今は知らなくても、絵里がモーニング娘。だって知ったら、田村さん、変わってしまうんじゃないか、って、それも心配になってきて。
 で、なんとかして、知らないってことを確認しようと思ったんですね。
 でもどうやって確認しようか悩むんですよ。
 まだモーニング娘。だって知られたくなかったんで。
 ヤブヘビになるとヤじゃないですか。
 したら、あるとき偶然、喫茶店でお喋りしてたら、有線放送で、娘の曲が(アンビシャスだったかな?)掛かったんですよ。
 とっさに、これでカマかけてみよう、って。
「あ。これ! これ知ってる?」
「うーん、ごめん、知らないわ」
「最近よく流れてるじゃん! 音楽とかあんまり聴かないの?」
「ごめん」
「いや謝らなくていいよ」
「絵里ちゃんは音楽詳しいの?」
「う。ま、まあ、一応それなりに」
「この曲って、アイドルかなんか?」
「えーと、た、たしか、パ、パフィーだったかな?」
「たしか? 詳しい、って話は?」
「自分で言うほど詳しくなかったかも」
「テキトーだなぁ、絵里ちゃんは」
だって、ほんとのこと言えないんだもん! と逆ギレも出来ず。
 本心は、パフィーなワケないじゃん、バっカだなー、ぐらいは言ってやりたいところですけど。
 これは、ほんとうにモーニング娘。自体知らないみたいだ、と思ったんですけど、でも、知らないフリはいくらでも出来るんだし、なんの証拠にもならないな、と思い直して。

 田村さんが、大学の映画研究会で、映画を作ってるって話、さっきしましたっけ。
 デート中に、よくその映画の話をするんですよ。あの、テーマとかストーリーとか、絵里にはチョー難しくて、何度聞いてもイミフーなんですけど。
「実は、絵里ちゃんにおりいってお願いが」
「ななな何でしょうか」
「主演女優になってくれませんか?」
聞いた瞬間、絵里、椅子からずり落ちそうになったんですけど。
「いやー、絵里、女優なんて柄じゃないですよー」
「絵里ちゃんのピュアなイメージが役柄にぴったりなんだよね」
「こここ困ります」
「そこをなんとか」
「主演とか、マジで無理っす」
「大丈夫。なせばなる」
「え、絵里バカだからセリフ覚えられないし」
「セリフはほとんどない役だから」
「そ、そ、そういうオファーは、事務所を通してもらえますかー?」
したら彼に大爆笑されちゃって。
「え? 事務所って何事務所?」
「えーと、ガテン系の? 土木建築事務所? みたいな」
話の流れで、ウチの事務所をついつい土建屋さんにしてしまいました。
「絵里ちゃん、土木事務所所属の女優さんなんだ」
「はい。ギャラが高いんでー、学生映画でキャスティングするのは無理なんですよー」
なんて、冗談言いながら、ソフトにお断りして。
 で、それで、確信したんですよ。
 モーニング娘。だって知ってたら、映画に出てくれ、なんていい出すわけないですもん。


c7.


花ざかりの樹木でさえ、恐怖の影を知らぬげな花見の対象となった瞬間に嘘の塊りとなるのだ。なんてきれいなんだろうという罪のない感嘆でさえ、実体はそれどころではない生存の汚辱に対する言いのがれとなるのであり、いまは戦慄すべき現実を直視し、それに耐え、否定性の十全な意識のうちによりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹にさめた目だけが、美と慰めをもたらしてくれるのである。
          ──アドルノ



対話篇


 (皇帝ヤマザキから最終通告を受けたミキティウスが、仲間のもとへと戻ってくると、タカーシャイ、ガーキサーン、ポケポケプーロス、サーユミーン、ハブラレイナスが、駆け寄る。年若い者たちは、その周りを遠巻きにして、不安げな表情を浮かべ、先輩達の話に耳を傾ける)

タカーシャイ ミキティウスよ、皇帝は何と仰せられたのか。
ミキティウス 皇帝はわたしにこう言った。お前の取るべき道は2つしかない、愛を捨てるか、それとも仲間を捨てるかだと。
タカーシャイ 何故、その両方を保ち続けられないと皇帝は決め付けるのだ。それについて皇帝は納得のいく釈明をされたのか。
ミキティウス わたしが二兎を追って二兎を得ることを、帝国臣民は決して許さないであろう、と皇帝は言った。
タカーシャイ そんなことはやってみなければ分からないではないか。
ミキティウス わたしもそう反論したのだ、タカーシャイ。しかし、そんな危険な賭けに出ることは出来ない、というのが皇帝の判断だったのだ。
タカーシャイ それであなたは何と答えたのか。
ミキティウス わたしは沈黙をもって答えたのだ。考えてほしい、2つの愛を天秤に掛けるようなことが出来るだろうか。
タカーシャイ 愛を、愛にふさわしく遇するならば、それを天秤に掛けることなど出来る訳がないだろう。
ミキティウス それゆえ、わたしは、選ぶことなどできないと皇帝に申し上げたのだ。そもそも選択しなければならないという判断には同意できないと。しかし皇帝は聞く耳をもたなかった。2つのうち1つを選ぶことは、わたしに残された最後の選択だ、選べないのであれば国外追放もやむをえない、と皇帝は仰せられた。
タカーシャイ ミキティウスを追放するというのなら、われわれもモーニング娘。を辞めよう。
ミキティウス それはいけないタカーシャイ。わたしたちはグループを守らなければならない。
タカーシャイ 私達も恋をしてきたし、恋をしているではないか。何ゆえミキティウスひとりに重荷を背負わせられようか。
ハブラレイナス みんなで一斉に公表してはどうか。そうなったとき、皇帝は、われわれ全員に同じ判断を迫るだろうか。
ガーキサーン しかしそれはグループそのものの終りを意味してしまう。
サーユミーン わたしは未だ恋を知らないので、ここで何を言う資格もありません。しかし、わたしたちは日々たゆむことなく恋への憧れ、恋する切なさ、人を愛することの美しさを歌い、人々に伝えてきたのであり、わたしたちの使命とはそれに尽きるものではないでしょうか。
ミキティウス サーユミーンよ、それに反論できるものは誰一人いないだろう。
サーユミーン にもかかわらず、わたしたちが恋愛することが帝国の国益に悪影響を及ぼすという理由で恋愛を放棄するなら、それは、口先では愛だの恋だの言っていても、結局は金のほうが大事なのだという低俗な価値観を、人々に伝えることになりはしないでしょうか、それこそがモーニング娘。の本音、真のメッセージであっていいのでしょうか。
ハブラレイナス それは確かに絶対的に矛盾であり、モーニング娘。の自己否定に陥ると言わざるを得ない。
ミキティウス わたしが愛を捨てるのは、正しい行いだろうか。
サーユミーン 正しくありません、神に誓って。
ミキティウス では、愛を捨てず、その結果として、仲間を苦境に陥れるとしたら、それは正しい行いだろうか。
サーユミーン それも正しくないように思われます、わたしにはわかりません、ミキティウス。
ミキティウス おや、おかしくはないかねサーユミーン、愛を保つことも愛を捨てることも共に正しくはないのだね。
サーユミーン おお、わたしにはそう思われます。
ミキティウス 不正の反対もまた不正なら、われわれは正しい行いをすることができないことになる。
ハブラレイナス ではどうすればいいとお考えですか。
ミキティウス それこそが矛盾なのだよハブラレイナス。狂った世界においては、正しい行い、正しい生活というものがありえなくなるのだ。不正の反対もまた不正であり、どこにも正しい行いを選ぶ余地がないという厳然たる事実こそ、この世界が狂っていることの動かぬ証なのだ。
タカーシャイ 世界が狂っているのではなく、皇帝の頭が狂っているのではないのか。トップがアホやからアイドルでけえんが。
ガーキサーン 愛ちゃん、訛ってるから!



a8.


さゆえり


 絵里も事務所では、ほとんど口も利かずに黙ってて、ひたすら俯いてたんですけど、内心はキレまくってて、夜おうちに帰ってから、さゆみに何回もメールをくれました。ほとんどは怒りの一言メールで、『モーニング娘。の約束ってなんだよ?』『責任ってなんだよ!』『おわびってなんの?』『御迷惑って誰におかけしたの?』とか、立て続けに。さゆみが『結局さゆみたち力になれなかったね』って送ったら、『どうせ絵里たちにはなんの力も権限もないですよ』って来て、ややしばらくして『せっかく美貴様となかよくなれたのに』『これから友情が深まりそうだったのに』って来て、それを読んでさゆみも泣きそうになったんですけど。これからだってなかよくしていけるじゃん、って返したかったんですけど、でも、グループから離れると行動が別々になるし、一緒にいれる時間もなくなってほとんど会えなくなってしまう、って、さゆみも分かってたんで、それは返せませんでした。
 藤本さんの話って事務所とか、お仕事の場ではなかなかしづらいんで、絵里とは、帰ってからメールで、ってパターンが続いて、なんだか、ついでに絵里とさゆみの仲も深まったような感じすらあったんですけど。それから2週間もしないうちだったと思うんですけど、ガッタスがCDデビューするってことになったときもメールが来て。
『さゆ聞いた?音楽ガッタスだって!』
『聞いたよ。音楽メトロラビッツもCDデビューしたいよね』
『メトロラビッツなんて消滅してますからとっくに』
『そこでさゆみセンターで華麗に復活だよ、ラビッツだけに』
『しかもさ、コンコン復活だって。再デビューだって』
『うん』
『藤本さんは入ってないんだよ!』
『事務所もやることが露骨だよね』
『外されてるんだよ』
『ひどいよね』
『はぶんちょだよ、四面楚歌だよ』
『でも、わたしたちがいるよ』
『いたって何もできないじゃん四面楚歌にはかわりないよ』
『そうだけど、悲しすぎるよそれ』
『四面楚歌 ああ四面楚歌 四面楚歌』
『それどんな俳句? ふざけてる?』
『ふざけてないから! ちょっとふざけた』
『ふざける元気がでて嬉しいよ。ってかすでにウザイけどその元気が』
『ウザイ? ウザイって言いました?』
『まあいつものことですけどね』
『ムッカー!』
『同じ6期のわたしたちが藤本さんの支えになってあげたいよね』
『うん、そうだよね』



さゆみんの抵抗


 でも、支えになりたいという気持ちはあっても、実際には何も出来ることなんかなくて。事務所からは、仕事の中で藤本さんの名前や話題を一切出さないように釘を刺されてましたし。たしかに、その話題に触れるのは勇気がいるし、どう思うか意見を聞かれても、どう答えていいのか立場的にも分からない面もあるので。その点、愛ちゃんは、ヤンタンでさんまさんにいろいろと喋らされそうになって、大変だったんじゃないかな、って思いますけど。
 でも、さゆみは、『今うさピー』の中だけではどうしても藤本さんの脱退についてファンの方にさゆみの言葉できちんと伝えたいって思って、それでラジオのスタッフさんに相談したんですね、そのことを。ディレクターさんもそこは同じ気持ちだったらしく、なにしろ同じ局で『どきミキ』は続いてるし、番組合同企画なんかもやってきた関係なんで、一切触れないのは不自然すぎる、ということになって。それで、マネージャーさんの了解も得た上で、リスナーさんからのメールに答えるって形で、やっとさゆみの気持ちを喋らせていただくことが出来ました。


 そうですね、さゆみもはじめ、ほんとにはじめ聞いたときは、ほんとにびっくりして。なんかもう急すぎて、こんなこと予想もしてなかったので、もちろん。もうほんと信じられない気持ちでいっぱいで、ほんとに実感湧かなかったんですけど。藤本さんがたくさん悩んで、たくさんいろんな人といっぱい話し合って決めた結果だと思うので。それはほんとに、これから大変だと思うんですけど、お互いがんばりたいなと思うし、あとは、同じ6期メンバーとして、たくさん、なんかいろんな話したりとかして楽しかったし、ほんとにさゆみ、テレビで、藤本さん見てて大好きで、その藤本さんといっぱいお話できたのはほんと嬉しかったので、そしていっぱい助けられたし、アドバイスも貰ったし、いろいろ教えてもらったことは、忘れずにこれからも頑張るので。ぜひ藤本さんもまた、黒い者同士、仲よくしてほしいなと思います。(CBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』2007年6月21日)


 でも、スタッフさんからMDを貰って、そのときの番組を聞いたら、なんか、たしかに「これからも仲よくして」とは言ってるんですけど、なんとなく、これでもうお別れ、っていう寂しい感じばっかりが目だってしまってて、これはもしや失敗だったか、って反省もしたんですけど。
 で、絵里にも聞いてもらって、どう思うか、意見を聞いたんですけど、絵里の返事がこれがもうサイアクで。
「あれだよねー、藤本さん、ご冥福をお祈りします、って、カンジ?」
「まじめに答えて。さゆみ、真剣に後悔してるんだから」
「後悔しなくていいよ」
「そうかなー」
「何事もなかったかのように一切スルーしてるガキカメより千億倍マシですよ」
「あー」
「絵里も、なんにも言えなかったし。自分が情けないよ」
「それはそれで仕方ないと思うよ」
「ほんとう? ほんとうに仕方ないのかな」



幻のガキカメ未公開音源


 いつもの挨拶のあとは、かめの恒例のセリフ。ところでガキさん? なによぉ。サブリーダー就任おめでとうございます。かめが台本にない話題を突然振ってきた。あ、ありがとう。いやー、突然でしたね。あのさあ、かめのほうが突然だよ、台本にないじゃん、この話題、予定してないよ。いやいやスルーできないじゃないですか、ガキさんを愛するかめとしては。そうなの、照れるね、なんか。でもですよ。でも何よ、なんか不満なわけ? イヤイヤ、不満とかじゃないんですよ、ないんですけど、あまりにも、あまりにも突然のことだったじゃないですか。そうだね、わたしも驚いたもん。あまりにも急な話で、心の準備がですね。それはこっちが言いたいよ、むしろ。寝耳に水だよ。ですよね。心臓に悪いよホント。絵里は、愛ちゃんリーダー、ガキさんサブリーダーに不満があるとかそういうんではないですけど。けど? 絵里としては、絵里としては。としてはナニよ? 絵里は、5代目リーダーのあの方が、なんで急にいなくなっちゃうのか、それが、ワケワカメというか、イミフーというか、納得できないというか。ちょっと待ってかめ! おかしいというか、許せないというか。かめ、待って、放送できないよ、それ! ムカツクというか、じゃあどう言えばいいんですか! 今のとこカットしてください。3、2、1、キュー。絵里はですね、絵里は、絵里は、本来ならば。かめはそこで言葉を詰まらせて、後が続かなくなった。かめの目に涙が。悔し涙。かめ、気持ちは分かるよ、わたしだってそう言いたいけど、けどさ、これはオンエア無理だと思うよ。なんでですか、どうして本当の気持ちが言えないんですか。そういってかめはワーっと泣き出してしまい、収録は中断してしまって。結局、2回分の予定が、その日は1回分の収録をなんとかかんとか乗り切るだけで精一杯になってしまった。



みきえり


 ま、色々ありまして。そういうことになったわけですけど。みんなに心配かけちゃって、親からとか、友達とか、亜弥ちゃんとか、他のメンバーとか、スタッフさんからもいろいろと励ましメール貰ったりしたんですけど、で、かめちゃんからも来たんですよ。
『美貴様の仇は絵里が必ず!』
『あのさ仇とか、みきが死んじゃったみたいじゃん!』
『あ。生きてますよねそういえば』
『あんたバカ?(笑) だいたい仇とるってどうやるワケ?』
『どうすればいいんですかね?』
『しらねーよ』
まあ、そうやって励ましてくれるのは嬉しいんですけど、正直、もうちょっとマトモな励まし方はないのかよ!って思いますね、はい。


b8.


 《勇気を出して、絵里に映画出演をお願いした。
 あっさりフラれてしまって、落ち込んだ。
 でも、それから間もなくして知った。
 彼女は、映画に出るのがイヤで遠慮したんじゃなくて、どうしても出られない理由があるってことを。
 大学の帰り道、道端でミュージカルのポスターを見かけた。
 『リボンの騎士・ザ・ミュージカル』、モーニング娘。×タカラヅカ、手塚治虫原作。
 なにげなく眺めていたら、その出演者のアイドルたちのなかに絵里そっくりの子がいて、あれ、と思ってよく見たら、その子の名前は「亀井絵里」だった。可愛らしい衣装を着てヘアメイクや化粧を決めてポーズを取っている絵里は、僕の知っている絵里とは別人のようだったけど、でも、それはまぎれもなく彼女だった。》


 田村さんは、「モーニング娘。の亀井絵里」じゃなく、一人の女の子としての絵里を見てくれてるんだ、って分かって、それが、すっごい嬉しくて嬉しくて、そうしたら、絵里ますます田村さんにのめりこんでいって、もう、会うたびに、世界が田村さん色に染まっていく感じなんですよー。いやー、絵里って詩人ですよね。あ。違いますか。
 そうやって私生活で気持ちが充実してると、お仕事もすごく楽しいんです。『リボン』では、一番息の合うガキさんと二人三脚みたいな感じで、安心してやれましたし──にしてもトルテュにヌーボーって言うと、なんとなく様になってますけど、訳せば「亀」と「新」ですからね、どんだけ手抜きな役名なんだっつーの。あ、いや、これは今だから言える話で。ここはオフレコでお願いします──。


 《絵里ちゃんってモーニング娘。だったんですね、と店長に言ったら、何故かえらい剣幕で怒られた。お前は大学なんぞ行ってるくせになんて無教養なんだ、無教養というより非常識だって。どうして教えてくれなかったんですか、と反論して、さらに怒られる。誰だって、知らないわけがないと思うのが人情、大の大人に足し算知ってるかって聞いたら失礼なのと同じ、絵里ちゃんがモーニング娘。だって知らないのはもっと失礼、だということだ。》


 で、お仕事が順調で楽しいと、やっぱ田村さんにも話したくなるんですよ。いろいろ、メンバーの面白いエピソードとか。でも、言えないんですよ。それを言うとモーニング娘。だってことを言わなきゃならないんで。モーニング娘。のことを話したいけど、モーニング娘。だってことは知られたくない、って、どんだけ虫がいいんだよって話ですよね。矛盾してますよね。
 でも、ぶっちゃけ、いつまでもいつまでも、隠し通せることでもないし、モーニング娘。としての絵里も見てほしい、って欲も出てきて。絵里は、やっぱりモーニング娘。だし、モーニング娘。としての活動の中に、見てほしいし、知ってほしい部分がやっぱりあるんですよ。


 《大学図書館でネットを使って調べるのはさすがに気がひけたので、マンガ喫茶に行って調べた。モーニング娘。のこと。そして彼女のこと。何十万件というヒット数にまず唖然。いくつかのサイトを見ているうちに、ようやく事態が飲み込めてきた。圧倒的人気を誇るアイドル。世界中のファンを夢中にさせ、何万人もの人から愛されているアイドル。それがモーニング娘。それが亀井絵里。まるで、世界の景色が一瞬のうちにサイケデリックに塗り替えられていくようだった。》


 なんで、どのタイミングで告白すればいいのか、ってことで悩んでしまい。
 絵里のこと、早く知ってもらいたいんですけど、でも、怖いんですよ、その反面。絵里がモーニング娘。だってことを知ってしまっても、彼は変わらないで絵里のことを好きでいてくれる、って確信が持てないと、怖いじゃないですか。なんで、どうしよう、いつ言ったらいいだろう、って悩んでしまって。


 《「亀井絵里」について、夢中で、必死になって調べた。ネットの威力を思い知らされる。本当に、いろんなことを知ることが出来た。そして、その情報は誰もが知っていることなんだってことも。それだけじゃなく、普通に付き合っていれば、本人の口からは多分永遠に知らされることもないような、無責任な噂や誹謗中傷のたぐいまで目にしてしまい、憂鬱になった。》


 で、そうなると、あとは、問題はタイミングなんですよ。だって、永遠に隠し通すことは出来ないですよね。なんで、いつ打ち明けるのか、深い仲になるまえにか、それとも、なっちゃってから……いや、その深い仲ってのは、つまり深い仲ですよ、あの、そこあえてつっこまないでもらえますか。とにかく、そこのポイントの前なのか後なのか、ってことが重要な違いじゃないですか。ただのひとりの女の子としてか、それともモーニング娘。としてか、って天と地ほども違いません?


 《しかも、それだけじゃなかった。去年の春頃には、グループのリーダーだった矢口さんが熱愛報道されて、その責任を取るようにグループを脱退していた。アイドルにとって恋愛することがどれほど危険なことなのか。それを思うと僕は怖くなった。このまま彼女と付き合っていていいのだろうか?》


 絵里、思ったんですよ。彼が、絵里がモーニング娘。だってことを知るときが、最大の難関というか、急所というか、関所? じゃないか、とにかく、そこを乗り越えられるかどうかに、二人の恋は掛かっているんだ、って思ったんです。
 で、どうせ通過しなきゃならない関所だったら、早いとこ乗り越えたほうがいいじゃないですか。絵里そういうときだけは俊敏なんですよ。なんで、今度チャンスがあったら即言おう、って心で決めたんですけど、そういうときに限って、仕事が忙しかったり、彼のほうにも用事があったりして、なかなか会えなかったんです。メールで伝えるとか、なんかイヤで、やっぱ直接会って伝えたかったし。そうしないと、そのときの彼の反応が分からないじゃないですか。
 なのに、明日はデート! ってときに、ほんとギリで、先輩の付き合いとか、か、なんだかんだ言いながらキャンセルされちゃったり、ってことが多くて。


 《もし僕と付き合い続けることが絵里にとってマイナスにしかならないのだとしたら、僕は彼女のために身を引くべきなのだろう。どうすればいいのか。悩んでも答えはすぐには出せない。いったん距離を置いて、冷静に考えてみるべきなのかもしれない。そう思っていても、ちょっとデートの間隔が開くと、絵里から『もしかして会うのが嫌になったんですか?』なんて、寂しそうな、不機嫌そうな、内心怒ってそうなメールが来る。絵里と距離を置くなんて考えられない。》


 ほんとなんですよ、絵里はもう、次会ったら言おう、って心に決めてたんです。
 なんですけどぉ、いざとなると、なかなかきっかけがつかめなくて。
 なんか言い出しがたいんですよ。
 そういうのってすごいエネルギーいるじゃないですか。
 絵里、あんまりないんで。エネルギーとか。
 それに、二人で食事したり、なんか彼がアホっぽい冗談を言ったりとか、あと、映画を見ているときに、彼がそっと手を握ってきたりとか、うへへへ、そういうことがあるたびに、なんか安心しちゃって、分かります? なんか安心してぇ、面倒なこと言うのは、もうちょっと後でもいいかなー、なんて都合よく考えちゃうんです。


 《この頃、会うたびに、罪悪感を覚える。やりきれないような後ろめたさ。「絵里ちゃんってモーニング娘。だったんだね」という一言をどうしても言い出せないことに対する。重大な隠し事。裏切り?
 でも、それを言った瞬間に、「僕の絵里」は僕にとってもモーニング娘。という大スターになってしまうような、手の届かない存在になって、遠くに行ってしまうような、すべてが泡のように消えてしまうような、そんな気がする。そんな風に二人の関係が終わってしまうのは耐えられない。
 僕は、寝てもさめても絵里のことばかり考えている。何故、絵里は自分がモーニング娘。だってことを言わないのだろう。僕には知られたくないということなのだろうか。それを隠す理由はなんだろう。》


 いつものように二人で映画を観たあと、手をつないで住宅街を歩いてたんです、映画の話をしながら、ってか、絵里は、うんうん、って聞いてるだけ、ってか聞き流してる感じでしたけど。
 主演女優さんが小悪魔っぽくて可愛かった、と言うと、田村さんが、よかったらウチにDVD観に来ない、って誘ってきたんです、その女優さんの主演映画があるから、って。それで、つないでる手がいつもより熱くて汗ばんでる理由が分かったんですけど。
 ぶっちゃけ映画はどうでもいいんですけど、問題は、お部屋に誘われた、ってことですよ。急展開ですよ。どっひゃー、ですよ、ついにキター、ですよ。
 で、急に不安になったんですよ。絵里、今日はちゃんと可愛いパンツ履いてただろうか、って。いや、笑い事じゃなく。いや、そういう可能性があるなしじゃなくて、デートのときは、やっぱり可愛いのを選んで履くじゃないですか、気分もいいし。なんですけど、回数が重なってくると、だんだん馴れて、心にスキが出てくるというか、テキトーになっちゃうときもあるんですよ、ありますよねそういうこと。なんで、不安になっちゃって。
 だって持ってる下着、全部が全部、新品だったり、お気に入りだったりするわけじゃないじゃないですか。絵里って、古くなっても、捨てどきが分かんないんですよ、どこまで履けるのかが。靴下だったら穴が開いてもリハに履いていくくらいなんで、パンツなんか、ぶっちゃけ靴下以上に人に見られるものじゃないじゃないですか、だからバレなきゃいいか、ってか、バレないじゃないですか、パンツ古くても。で、お母さんも、捨てない人なんですよこれがまた。絵里が洗濯カゴに入れておくと、洗ってー、干してー、畳んでー、しまってくれるんですよ、なんで、けっこう多いんです、そういうクタっとした、ヨレっとした、生地が薄くなっちゃった系が。キムタクさん曰く「やる気のないパンツ」が。
 なんで、「あれっ、今日どうだったかな」って、不安になったんですけど、とりあえず、今日、急にパンツを見せなきゃならない状況にはならないだろう、ってたかをくくって。
「DVDさー、貸してもらえば済む話、みたいな」
「貸したら絶対観ないで返すよね、絵里ちゃん」
「よ、読まれてる。ってか、絶対はひどいよー」
「だから、おいでよ」
「それは田村さん監視の下、強制的に絵里に映画を見せようという」
「うん」
「あはは」
というワケで彼のお部屋にお邪魔することになったんです。


c8.


ミキティウス 狂った皇帝に服従するしかわれわれに生きる道がないならば、それは、世界が狂っているということと何ほどの違いがあろうか。かつて、ある賢人はそのことを「悪法も法なり」という言葉で、絶望とともに語ったことがあったが。
タカーシャイ 世界が狂っているのなら、世界そのものを正そうともせずに、われわれが正しい行いについて思い悩んだところで虚しいばかりではないか。
ミキティウス その通りだが、一方で、わたしたちは行動を迫られているし、世界を正す時間も力もないのだ。虚しいといって諦めることほどたやすいことはないが。
タカーシャイ 無論、諦めたりはできない。
ハブラレイナス 愛を貫くために滅びてもかまわないではないか。愛を捨てた者に愛を歌う資格などあろうはずもない。ならば、真実の歌を失ってまでおめおめと生き延びてなんになろうか。
ミキティウス 君は時々眩しいほどに純粋だな。
ハブラレイナス そうでしょうか、逆に、単純でバカって言われてる気もするっちゃけど、じゃない、もー! この言葉遣いマジうざい! するのじゃが、
サーユミーン じゃが。
ポケポケプーロス おイモ?
ハブラレイナス するのだが! うるさい! なんの話やったと。
ミキティウス ハブラレイナスの言葉は真実の言葉と思う。しかし、かといって滅びてしまっては、やはりモーニング娘。が、人々に愛を伝え、広め続けることはできなくなる。
サーユミーン 愛のために知恵を尽くして戦う必要があるのですね。
ミキティウス そうだ。われわれには巧妙でしたたかな戦術が必要なのだ。
ポケポケプーロス 戦術が問題なのでしょうか。
ミキティウス 違うだろうか。
ポケポケプーロス わたしには問題の立て方がおかしいように思えてならないのです。そもそも、今、比較されている2つの愛は、比較されるべきものなのでしょうか。
ミキティウス 話を続けてくれないだろうか。
ポケポケプーロス 男女の間に成立する感情的な惹かれあいと、職業上の仲間の間に成立する関係とは、そもそも、性質も、成立の次元も異なるものであって、それが両者共に愛と呼ばれるのは、単にわれわれの持つ言葉、つまり愛という概念のいい加減さの結果に過ぎないのではないでしょうか。
ガーキサーン ポケにいい加減とか言われたくないよね、概念のほうとしては。
ミキティウス 愛という言葉に疑問があると。しかし、わたしがその両者の間で選択を迫られていることもまた確かなのだが。
ポケポケプーロス さまざまな愛があり、それぞれに尊いとしても、男女を結びつける愛こそは、もっとも本能的、動物的、根源的次元に成立する愛であり、何にも増して優先されるべきものだと思う。善き動物として生きることが大事なのだ。われわれは、愛せるうちに、愛しうる限り、愛し尽くすべきなのだ。
ガーキサーン どっから目線? ポケは突然上から目線になるから。
ミキティウス ポケには同感だ。だがしかし。

 (しばし沈思黙考していたミキティウスが再び語りだす)

ミキティウス わたしはモーニング娘。を脱退しよう。モーニング娘。は何事もなかったように存続できるだろう。
ハブラレイナス それでミキティウス、あなたはどうなるのですか。
ミキティウス わたしは何を失うだろうか。
ハブラレイナス ファンのみんなに愛を伝える機会を。
ミキティウス もし私が恋愛を放棄してグループに残ることが出来たとして、そうした場合、ファンに何を伝えることになろうか。
ポケポケプーロス 現実的利害のために愛を放棄したという事実を。
ミキティウス そうだ、結局それは愛の否定を伝えることではないだろうか。私は私の愛を貫こう。その結果歌を奪われることになるだろう。しかし考えてみてほしい。今、愛を諦めて、皇帝に阿諛追従し、お情けで歌を歌い続けたとしても、その歌は真実の歌だろうか。
サーユミーン 愛を犠牲にして手に入れた歌が、真実の愛の歌であることはありえません。
ミキティウス わたしも同感だよサーユミーン。そこでこう考えることは出来ないだろうか。わたしが愛とは程遠い現実的な大人の諸事情によって、歌を奪われるということ、愛のために歌声を奪われ、沈黙を強いられるとするなら、その沈黙こそがむしろ歌以上に雄弁に真実の愛を伝えはしないだろうか。
ハブラレイナス 沈黙こそが。愛のために沈黙を耐えるというのですか。
タカーシャイ あなた一人を犠牲にし、モーニング娘。から追放し、歌を奪って、それで、わたしたちが満足することがありえようか。わたしたちは、それほどに重い十字架を背負いながら、愛を歌いつづけられるのだろうか。
ミキティウス タカーシャイよ、わたしは犠牲になるのではない、モーニング娘。を追われ、沈黙するとしても、それはわたしがモーニング娘。の犠牲になることではない。なぜなら、わたしもまたモーニング娘。自身であるからだ。

 (サーユミーン、涙をこぼし、やがて泣き崩れる。遠巻きに話を聞いていた若い仲間達も涙を流している。)

タカーシャイ 我々は今「モーニング娘。の掟」というありもしない証文を突きつけられている。あなたが辞めることで、その捏造された約束が事実上拘束力をもってしまうが。
ミキティウス ありもしない掟であっても、それは存在しないという真実を明かすことは許されないのであれば、そういうものがあることにしておくほかないだろう。いずれ分かるときが来るはずだ。
タカーシャイ わたしにリーダーが務まるでしょうか。
ミキティウス 誰もがそう思いながらやってきたのだし、それぞれの流儀でやっていけるものだよ。ガーキサーンが、サブちゃんとしてしっかりと支えてくれるだろう。

(ガーキサーン、黙って力強く頷く。重苦しい静寂のなか、すすり泣きの声だけが聞こえる。)

ポケポケプーロス ところで、我々は今、プラトンの『パイドーン』などという、いまどき余程モノ好きな人間でもなければ読まないような文章が元ネタの、出来の悪いパロディの登場人物になりつつあるように思えるのだが。
ガーキサーン なんの話なのだ。話が見えないのだが。
タカーシャイ あれえ、わたしはてっきりタカラヅカのパロディやと思ってたけどお。
ポケポケプーロス 違いますよ、古代ギリシャ哲学ですよ。絵里、じゃなかった、わたしは哲学とか知ってるんで。
サーユミーン キャラが崩れて、地金が出ているようだが、大丈夫か。
ポケポケプーロス えへんおほん。で、何でしたっけ。そうそう。結局ぅ、つまりー、なんちゃらかんちゃらが、どーたらこーたらで、(中略)で、ゆえに(中略)、みたいな?
サーユミーン カッコチュウリャクって口で言ってるし、そういう省略法はマンガでしか許されなくない?
ポケポケプーロス 白い吹き出しがあって「各自、自由にセリフを入れてね♪」というアレだ。
ガーキサーン あのねー、腐っても小説なんだからさー、それやっちゃあダメでしょーがー。
ポケポケプーロス ガーキサーン、昭和だなー、古い常識に囚われすぎなんですよ。
ガーキサーン ムッカー!
ポケポケプーロス カッチーン、イラー(笑)
サーユミーン せっかく真面目に深まっていた議論が、ぶちこわしだよ雰囲気が。
ミキティウス いや、かめちゃんは、じゃなかった、ポケはポケなりに、わたしを励まそうとして、あえて道化を買って出てくれたのだ、ということにしておこうではないか。
ポケポケプーロス 美貴様ぁ、ぅ分かってるぅ!
ミキティウス まぁ、いつまでもおちゃらけてもいられないけどね。
ポケポケプーロス 巻いて巻いて!
ミキティウス いや、巻くと今度は、みきが毒杯を仰ぐ時が来ちゃうんだけどね。
ポケポケプーロス じゃあ逆回し! リバース、リバース!
a9.


ガキさんはつらいよ


 『「こんばんわー、モーニング娘。の新垣里沙と、」
「気分は、まさに女王サマ、亀井絵里でーす!」
「ちょっとぉ、どういうことなのぉ?」
「苦しゅうない、苦しゅうない!」
「じゃなくてね、なんでアナタは、この机のところにいないで、そのソファにね、偉そうに寝っころがっているのか、と」
「だって絵里、女王サマなんで、今日は。今日のところは」
「いやー」
「ガキカメ特別企画、えりりん女王様スペシャルうっ! イェイ!」
「スペシャルうっ! イェイ、じゃないから! ちょっと聞いてくださいよ。今日もわたしはいつもどおり、かめよりも先にスタジオ入りしたんですけど、そしたら、この狭いブースにですよ、今日は壁際に、ふかふかのソファとサイドテーブルがセットしてあったんですね。で、スタッフさんに『今日、どなたか急にいらっしゃるんですか』って聞いても、ニヤニヤして、教えてくれないの。そしたら、あとから入ってきたかめが、『あ。ガキさんおはようございます』っつって、迷わずソファに直行して寝っころがったんですよ。しかも、ディレクターさんが、おぼんにお菓子と飲み物を山ほどのせて、それをかめの前に置いたんですよ。で、わたしが渡されたのは、この進行台本ですよ『あ、急遽変更したから』って軽いノリで」
「あはは。ガキさん災難ですね」
「あのねえ!笑い事じゃないの」
「相当ムッとしてます、もしや」
「ムッととか、そういうことじゃなくて! って、あのさあ、こうやってね、人が一生懸命喋って、リスナーのみなさんに状況説明している最中に、お菓子をバリバリ食べるのやめてくれる? バリバリ音入ってるから!」
「ん。苦しゅうない。どんどん進行しちゃって!」
「かめは参加しないの? そこで食べてていいの?」
「いいんですよ。絵里の貰った台本、絵里今回完全暗記ですよ」
「嘘ぉ!」
「『亀井さんは今日は女王様なので、ソファに寝て、偉そうにしてること。お菓子とジュースをご自由にどうぞ。ガキさんにテキトーに茶々をいれてください』これだけですもん。絵里は、台本に忠実にですねえ、職務を遂行中ですよ」
「そんなことでいいんですか?」
そういって、ディレクターさんのほうをみてもニヤニヤ笑って「うん」って言うだけ。
「えー、わたしが全部ひとりで進行するってことですか?」
「そうですよガキさん、往生際が悪いですよ」
「こんなことでいいんですか? ガキカメ成立します?」
「いいんですよ。ガキさんは、今日は絵里のしもべなんですから、つべこべ言わず、仕事仕事。ほらほら、ちゃっちゃ進行する!」
「すいません、かめの傍若無人っぷりがハンパないんですけど!」
「しょうがないなぁ」
「なにがよ?」
「ところでガキさん?」
「なによぉ」
「今の御気分は?」
「……サイアクー」
「いやあ、この企画、予想以上に楽しいですね」
「楽しくないから!」
「まあまあ、楽しくないのは一人だけで、ガキさん以外はみんな楽しいんで、ここはひとつ、涙を飲んでですね」
「楽しい?」
「楽しいですよ。まあ、問題は、これで30分もつのか、って言う、」
「もたない、絶対もたない」
「やる前から諦めるなんてガキさんらしくないですよ。不可能を可能にする女、それが新垣里沙じゃないですか」
「……って、ポテチをバリバリ言わせながら語らないでくれる?」
「いや、これが絵里の仕事なんで」
思わず半泣きになりながらスタッフさんを見る。
「あの、これ、いいんですか、こんなんで?」
そうしたら、窓から見て頷いているディレクターさんの顔が、かめの顔になっていた。その隣にいるマネージャーさんまでかめだった。そして、ソファでニヤニヤしているかめ。もしかしてわたし以外みんなかめになってしまったの? かめ、かめ、かめ!!』
 わたしはそこで目が覚めた。胸のあたりに、寝汗をびっしょりかいていた。
 なんて滅茶苦茶な夢。ありえない。
 これは早速みんなに報告しなくちゃ。



リンリン、田中呼び捨て事件


 楽屋でメイクしとったら、後ろからリンリンが、めっちゃ緊張した顔で入ってきて、れいなに言ったんですよ。
「あのー、田中サン」
「あ、リンリン。どしたと?」
「昨日、田中サンに送ったメール、『さん』が抜けてて、ホントにごめんなさいでした」
「リンリン、なんでそんなビビってると?」
「えーと、ビビってはいないですけど、あの、田中サンがとても怒っていると……」
「えええ? そんなん誰が言ってたと?」
「亀井さんです」
「まったくー。絵里やったら、すぐそうやって人ばからかいよるけん」
「あ、怒ってるって、ウソなんですか」
「ウソもウソも大ウソ!」
 れいなは、ついさっき絵里に、リンリンから来たメールが『田中さん』の『さん』が抜けてて呼び捨てになってた、って話を笑いながらしてたところ。それを絵里ったら、速攻でおちょくりのネタにしてるし。けど、れいなは、そんなイタズラばっかしよぅ絵里が、なぁんか憎めんっちゃけど。
 そこに絵里が、ひゃららららーん、とかアホっぽい鼻歌を歌いながら入ってきて。
「絵里。ちょっと来て」
「ん? れいなドシタトー? なーに怖い顔してるトー?」
「絵里、れいなのことおっかない人みたく言ったっちゃろ、それってひどくない?」
「あひゃ、あひゃひゃひゃ。ごめんねー『田中』」
「カメイさん『サン』が抜けてます!」
「リンリン、これだけは覚えてといて。れいなは怖くない。そして!絵里は嘘つき!」
「あー、分かりました。バチリでーす」
「ヒドーイ(笑)」



ガキさんはつらいよ


 今朝みたトンデモな夢のことを、はやくメンバーに話したくて、もうウズウズしながら仕事場に行くと、さゆみんがいたのでさっそく捉まえて、話を聞いてもらった。
「ちょっと、さゆみん聞いてくれる?」
「どうしたんですかガキさん」
「今朝ね、いやな夢を見たのよ。それがトンデモない夢なの!」
「疲れが溜まってるんですよガキさん」
「聞いてくれる? ラジオの現場でお仕事をしていたの。そう、ガキカメの。そうしたら、なんと、かめが女王さまになっちゃってて、おまけにね、スタッフさんも周りにいる人全員がかめになっちゃったのよ」
「うわ。なんだかよく分かんないけど、サイアクですね」
「でしょー!」
「分かんないけど、サイアクだってことだけは分かりますよ」
「ホントに。この世の終りかと思ったよ」
「朝っぱらから災難でしたねガキさん」
「まったく」
その話を来たメンバー来たメンバーに話してたら、まだ目蓋が半分閉じたままの眠そうなかめがやってきた。
「絵里、ガキさんに謝ったほうがいいよ」
「おはようさゆ。って、何の話?」
「朝っぱらからガキさんを疲れさせちゃったらしいよ」
「迷惑かけてるからー」と、れいなも悪ノリ。
「え、ナニナニ? 朝一番からどんな濡れ衣ですか」
そこでわたしは、かめにも今朝見た夢の話を事細かに聞かせた。
「あ、いいなあ、その企画。実現させたいですね」
「いいなあ、じゃないよ。サイアクでしょうが」
「絵里にとっては最高ですけど」
「人の迷惑も考えてよ、ほんのこれっぽっちぐらいは」
「でも、絵里は思うよ、それは縁起のいい夢ですよガキさん。鶴は千年亀は万年、縁起のいい生き物なんですよ」
「いやいや、亀はそうでも、かめは、って分かりづらいなー、動物の亀さんは縁起よくても、この目の前にいるかめは縁起悪そうだけど」
「失礼だなー。かめは亀なんですよ。亀井ですよ亀井。かめだけに亀ですよ」
「だってさ、一面かめだらけなんだよ?ありえなくない?」
「じゃあ縁起のよさもハンパないですよ。一生分の運を使い果たすぐらい、いいことありますって」
「いや、使い果たすのは困るんですけど」
「大丈夫ですって。絶対いいことが起こる前兆ですよ、その夢は」
「起こるかなー」
「起こりますって」
「じゃあ、かめ起こしてよ」
「え、絵里がですか?」
「言いだしっぺだから」
「しょうがないなあ」
「ホントに起こしてくれるんだね」
「じゃあ、午前5時半でいいですか?」
「なにが」
「起こす時間」
「あのねー、その起こすじゃないから。サイアクー」
「だって絵里魔法使いじゃないんですから、そんな自由に縁起のいいこと起こせるわけないじゃないですか、常識で考えてくださいよ常識で」
「かめが常識とかよく言うね」
「まったく非常識だなーガキさんは」
「じゃあ常識で言わせて貰いますけど」
「なんですか」
「わたしの常識では、かめがわたしを午前5時半に起こすのも無理」
「ガ、ガキさん。やっぱ常識あるなあ」
「これだもん」



b9.


 「へぇ。意外と片付いてるじゃん」
 彼の部屋は、映画を作っている人らしく、いろいろそれ系の機材とか、DVDやら、ビデオやら、それに大きな本棚が2つもあって、モノが多いんですけど、その割に意外とこぎれいで。
「絵里のお部屋より片付いてるかも」
「あっははは。冗談でしょ」
「…………」
「……まさか本当に」
「冗談だから! 冗談に決まってるしー!」
それが冗談とも言えないという驚くべき真実は、とりあえず黙っておきました。

 で、彼が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、DVDを見始めたんですけど、正直、映画なんて全然頭にはいんないんですよ。そわそわドキドキしちゃって。今こそ例のことを言うチャンスだ、ってそればかり考えて。
 その時、彼が口を開いたんですよ、映画の最中なのに、珍しく。
「絵里ちゃん、観てる?」
「ん。観てない」
って、正直に答えたんですよ。したら、彼まで、
「僕も観てない」
って言って、DVDを止めたんです。
 急に静かになって、そしたら、緊張が、なんかどえらいことになって。
「実は、絵里ちゃんに言わなきゃならないことが……」
「絵里も!」
「2つあって」
「絵里は1個ある。じゃあ、多い方からどうぞ」
彼、しばらく黙った後、絵里をまっすぐ見ながら言ったんです。
「言いそびれてたんだけど」
「はい?」
「絵里ちゃんが好きだ」
 そういうことストレートに言われるのって照れるじゃないですか。もう落ち着いてられなくて、あれ、まだ言われてませんでしたっけ、とか誤魔化そうとしたんですけど、なんか、好きだって言われた嬉しさが、胸の奥からグッと込み上げてきて、なんか、泣きそうになっちゃって、で、泣くのは悔しいんで、「へーん、そんなの言われなくても知ってたしー」とか、おちゃらけてやろうと思ったのに、うまくできなくて、なんか怒ったみたいに「そんなの知ってたもん!」とか言ってしまって、告白された嬉しさやら、小芝居失敗した悔しさやらで、また泣いてしまって、大変でした。
「な、泣くなよ」
「泣いてない!」
「だって涙」
「目から汗が出た!」
「怒ってる?」
「怒ってない!」
「怒ってるようにしか」
「これは嬉し泣き!」
「じゃあ泣いてるんじゃん」
「泣いてない!」
会話のあまりのアホっぽさに、絵里、つい笑ってしまって、それでようやく泣き止んで。
「あのね、絵里もね、絵里も田村さんが好き」
って言ったら田村さんが絵里の肩を抱き寄せて。そして初めてのキスを。不思議ですよね。ほんとに軽く、そっと唇と触れ合っただけなのに、なんか、すーっと肩の荷が下りて、緊張が解けてくるような、なんかこう、全身のコリがほぐれてくるような、っつたらなんか比喩が間違ってるような気もしますけど。とにかく安心したんですよ。

 で、次は絵里のほうから、大事なことを言うから、ってことになって。
「絵里、お仕事してる、って言ったじゃないですか」
「うん。ガテン系の」
「違うから。で、そのお仕事というのは。実は。なんと」
 ここまで言ってしまってから、絵里、やっぱり怖くなってきて、モーニング娘。です、って言った瞬間に、彼が豹変したらどうしよう、とか考えると不安で、それで口ごもっていたら、彼が茶化したんです。
「やっぱり」「やっぱり?」「やっぱり人に言えない系の」「違うから! あはは」
 それでも口ごもって、どうしようどうしよう、って迷っていたら、彼のほうがしびれを切らしたらしく、彼のほうから言ったんです「実は、気づいてたんだ」って。
「え? 知ってたんですか?」
「うん」
 その瞬間、目の前が真っ暗になった気がしました。やっぱりこの人も、絵里がモーニング娘。だって知って、アイドルだからって近寄って来たの? って思っちゃって、そうしたら、目の前にいる人が、すごく恐ろしい、理解不可能な人に思えてきて。
 たぶん絵里、不信感満点って表情で彼のことを見てたと思うんです。そしたら、彼が慌てて否定しだして。最初から知ってた訳じゃなくて、つい最近、『リボン』のポスターを見て初めて気づいたんだ、って。最初は知らなかったんだ、と。田村さんが嘘言う訳ないので、それを聞いたら安心したんですけど、そうするとワザといじめたくなるんですよ絵里って。
「嘘。最初から知ってたんでしょ、実は」
「違うよ。モーニング娘。とか関係なく、僕は、絵里ちゃんが好きになったんだよ」
 すっごい焦ってる彼が可愛いくて楽しいんですよ。
「ほんとに?」
「知ってしまってから思ったよ。絵里ちゃんが、アイドルでなければよかったのに、って」
「どうして?」
「余計なことで悩まなくてすむから」
 その言葉を聞いたら、あー、絵里がモーニング娘。だって知って、田村さん悩んでたんだ、ってその気持ちが分かって、絵里もなんだか辛くなって、その時だけは、ほんと申し訳ないですけど、絵里モーニング娘。じゃなかったらよかったのに、って思いました。一瞬ですけど。
「ほんとにアイドルとかじゃなくて、絵里のことが好き?」
「知り合ったときからね。今も同じだよ」
「絵里がアイドルだって知っても、気持ちは変わらない?」
「何も変わらないよ」
 そしたら、絵里、なんか心の中の不安がスーっと溶けていく気がして、安心して、また泣いちゃいました。



 その年の秋ツアーは、紺野さんと小川さんが卒業して、8人体制になって初のツアーでした。で、リハが始まる前に歌割りを貰うじゃないですか。2人抜けた分、絵里の歌うパートも増えるだろうと思ってたんですけど、実際貰ってみたら、それが予想以上に増えてて。いや、仕事が増えてイヤだとか、そんなワケないじゃないですか、嬉しいですよもちろん。嬉しいんですけど、ビックリしたんです。特に、吉澤さんと組んで、『シャボン玉』から『恋ING』に行くって流れで、『恋ING』の前半がほとんど絵里のソロだったんで、ビビりました。だって、もともとは高橋さんが歌いだしでメインヴォーカルの曲じゃないですか。そのパートまで絵里に回ってくるとは夢にも思わないじゃないですか。愛ちゃん卒業したワケでもないのに。だから嬉しい反面、高橋さんの気持ちを思うと恐怖だったりするんですよ。
 で、リハの時に、案の定、高橋さんに「かめ、ソロパート増えたね、しっかりね」って言われて。それが、怒ってるとか、怖いとか、そういうんではないんですけど、もう、滅茶苦茶真剣に真顔で言われたんで、ちょっとプレッシャーでした。
 普段の絵里だったら、そこで、どうしようどうしよう、ってプレッシャーに押しつぶされそうになっちゃったりもするんですけど、絵里その頃、田村さんともうラブラブな感じで、すごく気持ちが張り切ってて、絵里はなんでも出来る、世界に怖いものなんかない、って精神状態だったんで、「しっかりね」って言われても、笑顔で「はい! 任せてください!」って言えました。
 でも、どうしてこんなに歌割りもらえたんだろう、ってのが疑問で。マネージャーさんに聞いてみても、知らない、つんくさんに聞いてみれば、って言われてしまって、それで、つんくさんにメールしたんですよね。
 今でもはっきり覚えてます、そのときの返事。それは亀井が今来てるから、一番輝いてるからや、って。その輝きをステージで思いっきり出してくれ、期待してるでー、って。
 その返事がもう嬉しくて嬉しくて。やっぱ、恋してるから、それがいい方向に影響したのかな、とか思ったり。それにしても、つんくさんて、やっぱり絵里たちのことをすごくよく見てるんだな、って感動したりしました。いやいや、ストーカーだなこいつ、とか思うわけないじゃないですか。
 で、「これはひょっとして次のシングルは絵里がセンターかぁ!?」とか、虫のいいことも考えたんですけど、さすがにそこまではなかったですね。『歩いてる』も『踊れ!モーニングカレー』も、誰がセンターとかはっきりしないような感じで。



 《伝えるべきことは伝えた。
 それでも僕は次の一歩を躊躇している。
 このまま進んでもほんとうに大丈夫なんだろうか。絵里は大丈夫なんだろうか。
 悩んでいたら、彼女に言われた。
 自分に意気地がないだけなのに、それを絵里のせいにしてると。》

「なんなワケ? わたしがモーニング娘。だったらイヤなワケ?」
「いいや」
「怖いの? いくじなし」
「そうじゃないよ!」
「じゃあなによ?」
「絵里が好きだから!」
「好きだから?」
「絵里が傷つくようなことになったら」
「へー、心配してくれるんだね」
「そりゃあ心配もするよ」
「ふっ。絵里さん、そんなヤワな人間じゃないしー!」
「強がってる」
「強がってないから! マ、ジ、デ」
「こんなこといったら失礼かもしれないけどさ」
「じゃあ言うな。あ、嘘嘘。言ってみて」
「絵里ちゃん、どっからどうみてもヤワだもの」
「ぇ、うそぉ」
「ヘタレの塊」
「ナニソレ」
「なにかあったら絶対落ち込んで、見ていられなくなる」
「ははーん、わかった」
「なんだよ」
「いざとなってさー、怖気づいちゃってぇ、で、絵里を言い訳として」
「違うって」
「怖いんでしょ」
「怖くねーよ」
「絵里も怖くないよ」
「嘘だね」
「そっちこそ嘘だね」
「嘘じゃねえったら」
「じゃあ絵里も嘘じゃなーい!」
「あーもう分かったよ」
「分かったらさっさと抱いてよ」
「こ、この状況で?」
「雰囲気ぶちこわしですよね」
「あはは」
「笑い事じゃない!」
「すいません」
「今回は保留ということで」
「はい」
「次会ったら、男らしく、黙って誘うこと」
「はい」
「したら絵里がぁ、こう『女の子』って感じでぇ、何も言わずにコクンと頷いてぇ」
「アハハ」
「笑うな」
「すいません」
「女の子にとってはそういうのが永遠の憧れなの!」
「永遠の、ねぇ」
「分かる?」
「ハイハイ」
「ハイは一回!」
「ハイ」

 《なんだか絵里に背中を押されたみたいな感じだ。年下の女の子にリードされてる自分は男としてどうなのか、と反省。やっぱり、絵里って強い人間なんだな、とも思うけれど、単に無謀であとさきのことをなんにも考えてないだけなんじゃないか、って不安もないわけじゃない。でも、僕自身、いつまで自分を抑えていられるのか、自信はない。》


c9.


『亀井絵里論序説』
──身体的思考──


 亀井絵里は身体で思考する。しかしその身体的思考は、いわゆる「女は子宮で思考する」という女性性一般の属性に還元されるものではない。子宮は思考しない、それは欲望と生産の場であり、反思考の座なのである。亀井絵里は身体で思考する。彼女の思考の erhizome性。頭脳という器官は、物事を抽象化し、概念化し、それを樹状に序列化して理解してしまう抜きがたい傾向を持つ。しかし、我々の意識が、何か一つの対象に照準しているときであっても、身体は、外界に対して自由に開かれ、世界から到来する無数の刺激に同時的に反応し、豊かな官能のざわめきにたち騒いでいる。肌が初秋の風の中に潜む冬の気配を受け取るときに、足の裏は陽光に温められた地面の温もりやおのれの体重の重みを感知し、耳は遠くで聞こえる微かな街の喧騒を捉え、鼻腔は風が運ぶ花の香りや自らの懐かしい体臭に満たされ、瞳は何に照準するということもなく明確な像を結ぼうともせずに周囲の光景をぼんやりと映し出している。それらの無数の感覚の間に、いかなる優劣も存在しない。身体は、外界に対して、あくまでも序列を欠いたリゾーム状の組織として開かれ、自由奔放に、荒唐無稽に応接する。我々は通常、感覚がなんらかの明確な刺激となって脳を刺激するとき、その感覚を知覚し理解してはじめて、それに対して反応する。しかし、絵里においては、圧倒的な優位性を誇る身体が、まるで口よりも先に手が出るのだと言わんばかりに、脳による判断を待たずして、感覚に対して反応し、アクションを起こす。考えるより先に、意味を反省することもなく、口からは言葉の機関銃掃射がなされる。それは絵里曰く、「心と体と言葉が一致していない状態」である。それが亀井絵里特有のアイドルの常識を逸脱した暴言失言の類いを産み出す原動力となる。むろん亀の脳は機能していないわけではなく、むしろ極めて優れた能力を発揮する。しかしその働きは、圧倒的に俊敏な身体の反応から、はるかに遅れてやってくる。絵里の力に溢れる身体は圧倒的な情報量を送り込んでくるが、絵里の脳はそれを取捨選択することなく丸ごと受け止めようとする。序列化して取捨選択する、優先順位を決めるための基準が彼女には存在しない。そこで一つずつ順序だてて線的に情報を処理せざるをえない彼女の脳は、機能不全に陥り、計算ミスを犯し、暴走する。身体で思考するときの絵里は目にも止まらぬ素早さで我々を置いてけぼりにするが、頭で考えようとするときの絵里は、いつまでも判断を遅延する優柔不断な存在となる。ようやく発言したかと思うと、意味不明だったり、気持ち悪かったり、寒いギャグだったりする。まさに「亀だけに亀」と呼ぶべき存在となるのである。その身体的な暴走ぶり、頭脳を働かせすぎて策に溺れる様、とっさの反応に戸惑って優柔不断になること、そのいずれもが圧倒的な萌えの強度を誇っている。そしてもう一つ言えることは、「とりあえず面白ければいいか」と考えて言葉を発してしまう抜きがたい性向を持っているということだ。それは、何よりも面白さを求め、常にツッコミどころを作ることを忘れないつんくの精神の忠実な継承でもある。彼女の笑いへの執着心は、彼女がつんくチルドレンであることの証に他ならない。


脳内かめちゃん


 PCを覗き込んでいたかめが訝しげな顔をした。
「この脳内妄想って、ようするに作者と登場人物が会話してるんですよね」
「うん。というか、《作者》という名の登場人物が出てきてるだけだけど」
「どっちにしても、いわゆるメタフィクション的な技法ってヤツでしょ?」
「まあね」
「小手先的な」
「う」
「とっくに流行遅れってかダサくないですか『メタフィク』は」
「なんでさ、かめがそんな文芸事情に詳しいわけ?」
「そこはあんまり追求しないほうが身のためですよ」
「否めない」
「あはは」
「いや、違うんだよ。そういうあざとい技法を使ってメタフィクション性を演出したかった訳じゃないの。ようするに、作者がかめちゃんと会話したかっただけなの」
「ダサい上に痛いだけですよ」
わざとイジワルな口調でそういったかめの頬がちょっと赤らんでいる。まんざら嬉しくないこともないクセに、素直になれずにひねくれた態度をとるかめが可愛い。
「痛いけど、敢えて極限の痛さを追求してる訳です」
「ってゆうか、ぶっちゃけ懐かしの『カフヱ痛井ッ亭。』ですよね」
「かめちゃん、それを言っちゃあオシメエよ」
「あはは」
かめは楽しそうに笑い、また小説の続きを読みはじめた。
「これは、ダメダメだなぁ」
「どこが」
「イタさんは恋愛小説ってものが分かってないよ」
「なにその自分は分かってる的な言い方は」
「絵里は分かってますよ」
「へえ。じゃあ教えてよ」
「いいですか、恋愛小説の核心は《片思い》にアリっちゃあアリなんですよ。こんな風になんにも葛藤もなく、ただ知り合って、お互い好きになって、付き合っちゃうんじゃあ、何のドラマにもなんないんですよ」
「たしかに」
「この燃える思いをどう伝えればいいの。伝えたいのに恥ずかしいわ。カレはわたしのことをどう思ってるの。わたしの思いを受け止めてくれるの。もし他に好きな人がいたらどうしよう。とか、そういう片思い特有の葛藤を書かなきゃダメなんですよ」
「ま、たしかにそれこそ《恋愛のディスクール》だよなあ」
「でしょでしょ」
「でも、『恋ING』ってそういう曲じゃないよね」
「それはそうだけど。言い訳だね」
「それに、この小説はそれが主題ではないからさ」
「え、主題とかあるんですか、これ」
「うん。うるさいぐらい。コテコテの主題が」
「なんですか」
「それは言えません」
「なんでですか」
「そういうお約束になってるの」
「お約束に囚われるなんて、頭が古いですね。昭和だなーイタさん」
「かめちゃんだって昭和じゃん」
「何言ってんスか。絵里が昭和を生きたのなんてほんの数日の話ですよ。イタさんなんか何年昭和だったんだって話ですよ」
「ほんの数日昭和を生きただけで、そこまで昭和の香りがするアイドルってのも」
「ほ、ほんとに昭和の香り、します?」
なんか涙目になっちゃてるけど。
「うん。さゆみんやれいなに比べればね。いや、実は、そんなに昭和とは思ってないけど」
「どっちなんですか」
「いや、どっちというか、かめちゃんが困るのを見て喜んでるだけというか」
「サイテーですよね」
「美貴様ゆずりですから」
「どんだけー」
「えーと、何の話だったっけ?」
「だからー、主題はなんなんだ?つー話ですよ」
「そうだった。じゃあ、かめちゃん当ててみてよ」
「それは、このクソ長い文章を全部読めってことでしょうか?」
「うん」
「お断りだね、金輪際」
「冷たいなぁ」
「亀は爬虫類だから冷血なんですよ、じゃなくて、絵里、読まなくても分かるもん」
「うそでしょ」
「マジっす」
「じゃあ何よ、主題は」
「この小説の主題、それは!」
「それは?」
「それは、亀井絵里は超キャワイイ!ってこと!以上!」
「……」
「当たったでしょ」
「ま、まあね」
「そんなの誰でも知ってるし。わざわざ書くまでもない小説ってことですよね」
「そこまで言う?」
「言いますよ」
「でもさ、それは主題というよりさ」
「というより?」
「当然の前提じゃん?」
「そ、そうですよ、当然ですよ、絵里が可愛いのは」
赤くなってる。
「だから、それ以外にも、主題があるわけ」
「ふーん」
「だからこそこのKYな長文に常識はずれな時間を掛けてさ」
「絵里が可愛い、ってこと以外に、書くべきことなんてあるんですかね?」
「……さっきと言ってることが違うよ」
「そうですか」
「うん。矛盾してる」
「絵里の発言に一貫性を求めることがそもそも」
「間違ってますよね。はい。わたしが悪うございました」
「分かればいいんですよ」
思わず心の中でガキさんを呼んでいた。ガキさん、助けて。



アフォリズム


ものごとを一々あまり几帳面にとらないきれいな妻がほしい。
           ──ゲーテ

テキトーにも限度ってものがある。
          ──新垣里沙

ゲーテさん、随分とかめちゃんにおネツのようですが、あなたのような女ったらしに、かめちゃんは渡せません。
          ──痛井ッ亭。

かめちゃんはオレの嫁。
          ──かめヲタ

a10.


さゆえり


 廊下を歩いてたら、向こうから新垣さんが来て、その日は会うのが初めてだったんで「新垣さんおはようございます」って声掛けたんですけど、新垣さん、返事どころか目もあわせないで、ってゆうか逆に目をそむける感じで、さゆみの横を小走りに通り抜けていったんです。よく分かんなかったんですけど、泣いていたみたいで。なんで泣いてるのかさゆみには分からなくて。10年記念隊とかで色々とテンパってるのかもしれなかったですけど。
 ガキさんの涙と言うと、さゆみは思い出すことがあって。前に、たしかコンサートのリハか、ダンスレッスンの後だったと思うんですけど、絵里が何か疲れてる風だったんで「絵里なんか疲れてない? 大丈夫?」って訊いたら「絵里は大丈夫なんだけどね、ガキさんがね」って言うんですよ。聞いたら、新垣さんがトイレで一人でシクシク泣いていたって話で。さゆみビックリして「なんで? 何かあったの?」って聞いても絵里ったら「いやー、そればっかりはさゆにも言えないなー」とか言うんで、もうショックで逆にこっちが泣きそうになっちゃったんですけど。で、ひどいよ、水臭いよ、って言ったら「いやー、実は絵里にもよく分かんないんだよね。ただガキさんが泣いてたから、横にいて『大丈夫ですか』とか言ってただけだから」って、まあ、それが事実なのかさゆみに気を使ってそう言ってくれただけなのか、分かんないんですけど、新垣さんと絵里の間には、なんていうか、さゆみにも入っていけない空間があるんですよ。ときどき、寂しくなるっていうか、嫉妬しますね。でも新垣さんには絵里も入っていけない部分があるだろうし、それは誰にでもあるとは思うんですけど、新垣さんがそういう自分の弱い部分を見せちゃうときって、なんか、普段がしっかりしてるだけに、逆に冗談抜きで深刻な感じで。絵里がイッパイイッパイでも笑って茶化せるけど、ガキさんがイッパイイッパイだったら笑い事じゃすまない、みたいな。なんで、余計に心配になっちゃうんですけど。でも、さゆみにとっては新垣さんは先輩なんで「新垣さん、悩みがあったらさゆみになんでも言ってくださいよ」とか、ま、冗談では言うんですけど、冗談でしか言えないんで、ちょっと、そういう場面になるとシュンとしちゃうんですけど。
 そうやってさゆみが寂しそうにしてると、絵里は「いやー、しっかりしてるようにみえて手が焼けるんだよねガキさんって」とか冗談を言って慰めようとしてくれるんですよ、あんなキャラだけど実は優しくて。
「それ、絵里にだけは言われたくないと思うよ」
「いやいや、いつもガキさんの手を焼かせている絵里だからこそ言える」
「それ意味わかんなくない?」
なんて冗談言い合ったりして。

 で、その日も新垣さんが泣いていたのが心配で、あとで絵里に、そのことを伝えて。絵里が、分かった、あとでさりげなく様子探ってみるから、って言ってくれて、ようやく肩の荷が下りた気がしました。さゆみがその役が出来ないのがちょっと癪なんですけど、ま、適材適所だな、って考えて。
「まったく世話焼かせるよね、ガキさんったら。ガキさんの涙は重いからなー。シャレんなんないから」
 って聞いて、絵里もさゆみと同じこと考えてるな、って、我が意を得たりでした。
「ガキさんの涙と言えばさ、こんこんとまこっちゃんのさ、」
「あー、あの卒業セレモニー」
「それそれ、思い出すよね」
「あれはねー。うわー、ガキさん、マジ泣きだあ、って。こっちも感動が伝染しちゃって、あれはヤバかったね」
「新垣さんも、いろいろ辛かったことが」
「思い出しちゃったんだろうね」
「あの涙は、感動だったね」
「それに比べて、さゆなんかさー、堂々と笑いを取りにいってたからね、卒業式でそれってアリなの? って思った」
「それを言ったらさー、絵里は逆に、社交辞令感アリアリの見え見えだったよね」
「そんなことないから! ひっどーい! 失礼だよー!」
「だってさー、『いつでもメールしてきてください』だよ? してきてください」
「いいじゃん、別に普通じゃん」
「小悪魔さゆみん的に言わせて貰えば、逆に、こっちからはメールしませんから、的な」
「そんなことないから!」
「大体さー、メールなんて普通に黙ってすればいいのに、わざわざ言うこと自体が距離を感じさせるじゃん」
「あー」
「あそこはさゆみみたいに情け容赦なくウケを狙ったほうが逆に親しい感じがするでしょ?」
「そ、そこまで計算? 策士だなー」
「いやまあ、今思っただけだけどね。そもそも、根本的なこと言っていい?」
「いいですよ」
「怒らないでね?」
「怒りませんよ」
「絵里がさー、ああいう清純キャラっぽいことをいうこと自体が、なんか嘘くさいんだよね」
「すいません絵里ってどんなキャラなんでしょうか」
「いや、そのまんまだけど」
「ヒドーイ!このひとヒドーイ!」
「あ、そうそう。こんこんとまこっちゃんの卒業式といえばさー、愛ちゃんのメッセージにガキさんが思いっきりツッ込んでたのも斬新だったよね。『愛ちゃん、まとまってないから!』って、卒業メッセージにそういうツッコミってありなんだ、って」
「いま、話をそらしましたね?」
「ばれました?」
「ばればれですよ」



小春の探求W


「新垣さん、結局安倍チルドレンって、」小春が深刻な、というか、疲れきったような顔で言った。
「安倍さんの精神を受け継いだ人ってことですよね」
「おー、小春の口から《精神》とか、すごいねー」
「茶化さないでくださいよ!」
「ごめんごめん」
「じゃあ問題は精神の中身ってことですよね」
「そうだね」
「それが謎なんですよ」
「わたしも分かんないよ」
「ええええ? そ、そんな」
「そんな簡単なモンじゃないのよ」
「ガビーン」
「まあ、もうすぐ10年記念隊のツアーだからさ、リハのときにでも、安倍さんから直接聞いてごらんよ」
「小春に教えてくれますかね」
「もちろんまともに教えてなんかくれるわけないけどね」
「じゃあダメじゃないですか」
「『安倍チルドレン?なにそれ?なっち子持ちだったんだ?自分でも気づかないうちに。はー、そうなんだ』とか言われちゃうよ。あははは」
「あははは、って」
 しょげかえった小春をみかねて、というか、からかう気マンマンでかめが近づいてきた。
「小春、この亀井絵里さんが、ガキさんの代わりに教えてあげるよ」
「イヤー! 亀井さんには聞いてない!」
「なによぉ、遠慮してんの?」
「じゃあ、聞いてあげてもいいですよ」
「ナニその上から目線」
「せっかくだから飛びきり笑える答をお願いしますよ」
「えー、飛びきりかー、それは厳しい注文だなー」
「笑いの求道者亀井さんなら期待に応えてくれますよね」
「も、もちろん期待には応えますけど?」
「あー、かめ、ハードル上がっちゃってるよ、大丈夫?」
「さあ、どうぞ!」
「安倍さんの精神とは!」
「精神とは!?」
「聖心女子学院!」



ジュンジュン伝言ゲーム


ジュンジュンが寄って来た。
「亀井サン、PPPデPPPデPPPダネ! ッテ新垣サンガ言テタ」
「ガキさんに教育された結果がこれですよ、って言ってきて!」
「分カタ、ジュンジュン行テクル!」

 しばらくしてジュンジュンが帰ってきた。
「亀井サン、アンポンタンのスットコドッコイのオタンコナス! ッテ新垣サンガ……」
そこまで言いかけたとき、ジュンジュンの背後にガキさんが立っていた。
「あたしが何て言ったってぇ!?」
頭から湯気が出てる。ガキさん、煮え煮え。
「アンポンタンの……」
「いや、わたしもさすがにそこまでは言ってないから!」
「さてはジュンジュン?」
「チュンチュン日本語ヨク解ラナイ日本語ムツカシアルネー」
急に日本語がわからなくなったジュンジュンは、脱兎のごとく逃げ出した。

「いやー、ジュンジュン面白いねー、あの悪口、自分で覚えたのかな?」
ガキさんは楽しそうにニコニコしていた。元気そう。このぶんなら心配いらないかも。
「案外さゆあたりが仕込んだ可能性も」
「あー、さゆみんならやりかねないね」



ミッツィ〜


 新垣さん亀井さんとジュンジュンが楽しそうにじゃれあっているのを、わたしは少し離れた自分の席からニコニコして眺めている。「ニコニコ」をこわばった顔のうえに貼り付けて。なんで自分はあの輪の中に自然に入っていかれへんのやろ。ちょっとした勇気が足りん、億劫、目に見えない壁が、いや、そんな壁なんてあると思うからあるように思えるだけで、こんなふうに一人で淋しくなってるのはアホみたい。あの楽しそうな笑いの輪の中に自分もいたいのに、その楽しそうな様子を、冷めた目で見てしまう自分が嫌。メンバーにもスタッフさんにもモテモテのジュンジュン、なんやねん、なんでみんなしてチヤホヤしてん。なんやねん、あんなチャラい女。そんな言葉が一瞬でも脳裏に浮かぶ自分が嫌。でも、きっとこのネガティブな気持ちから逃げてはダメなんだ、そんな気持ち感じてないとか自分に嘘をついても始まらない。そんな感情を抱く必要もないぐらい強い自分になれば、ジュンリンには絶対に負けない愛佳になればいいだけの話。


b10.


 《ハロモニの「ハロプロ情報コーナー」が「発汗!CM」に衣替えすることになったんですけども、「絶叫CM」から続くかめとのコンビは継続することになったんですよ。内心嬉しかったんですけど、口では「またかめとぉ?」「なんでまたガキさんと共演なんですかぁ?」「ナニよぉ、イヤなワケ?」「ワンセットですよ。抱き合わせ販売ですよ、ある意味」「ねえ、それってどっちが余計なオマケなの?」「言わぬが花ですよガキさん」「むっかー!」なんて言い合ってたんですけど、とりあえずかめは、これからは超苦手な絶叫マシンに乗らなくて済むって安心してたんですけど、そうかと思ったら、今度はあの馬鹿っぽい衣装ですからね、手厳しいですよねハロモニさんも。
 で、これは恥ずかしがっていても仕方ないと。「これはもう開き直って楽しくやろう!」と。そうかめにも言ったんですけど、かめはといえば、そんなこと言う必要もないくらいノリノリで。もともとそういうアホっぽいキャラとか企画は大好きですからね、かめは。最初の収録から、もう、もんのすごい楽しそうな笑顔で。いつでもヘラヘラ笑ってて、普段からアホっぽいかめが、もう、アホ度200%増量!って感じで。あの頃のかめは、プライベートでも活き活きしてて、幸せそうで、傍から見ていても羨ましいくらい絶好調って感じでした。なんで一緒に仕事してると、その幸せが、わたしにも乗り移ってくるような感じで、かめに元気を分けて貰ってましたね。》


 『リボン』の公演期間が終わると、今度は秋ツアーのリハが本格的にびっしりになってきて、その中に、新曲のレコーディングが入ってきたり、もちろんハロモニの収録もあって、いつものような怒涛の日々で、で、なかなか田村さんに会えなかったりして。電話とか、メールのやりとりだけの日が続いたりしたんですけど、でも、なんでだか分かんないんですけど、会えなくて、直接顔とか見れなくても、絵里たちは、ちゃんと心と心で通じ合ってる、って妙な自信があって──その時、絵里分かったんです、心と体はつながってるんですよ──、不安とかはなかったです。
 やっぱり、ちゃんと「モーニング娘。です」って伝えたのが大きかったと思います。その日あったお仕事の話を電話で話したりとか、あと、ときどき、ほんとにたまにですけど、ちょっとグチったりとかも出来るし、お仕事大変だね、頑張ってね、って言ってもらえるし。それって、メンバーや、家族に励まされるのとは、なんか違うんですよ。


 え? 大事な話を省いてる?
 すいません、なんの話でしょうか。
 省いてる。シャララーララーラララー。


 《絵里がモーニング娘。だということを知ってから、考えれば考えるほど、悩みが大きくなっていく。亀井絵里という素晴らしい存在にふさわしい人間に、僕はなれるのだろうか。それ以前に、いつまで無事に恋愛を続けていけるのか、どこかで絵里ちゃんに取り返しのつかない苦しみを味わわせてしまうのではないか。それが心配だ。でも、僕がそういう心配を少しでも口にすると、絵里は怒ったように頬を膨らませて、話をそらす。僕も夢中だけど、絵里ちゃんもそれ以上に恋にのめりこんでいるみたいで、それはすごく嬉しいけれど、不安だし、心配でもある。
 絵里はといえば、そんな心配はどこ吹く風で、一度僕の大学へ一緒に行ってみたい、なんて言い出した。危険すぎるよ、と言っても、聞く耳を持たない。普段はフニャフニャしてるくせに言い出したらきかない。まるで駄々っ子。》


 そうなんですよ、絵里、こう見えてけっこう悪い子なんですよ。知りませんでした?
 あ、でも、これ絶対内緒ですよ。お母さんとか、マネージャーさんとかに告げ口しないでくださいよ?
 絵里の話は、これ全部口から出まかせ、ってことで。ノンフィクションでもない、フィクションでもない、いや、フィクションですよ。ってか、亀井絵里脳内劇場ってことで、右から左に受け流してください。ほんと、お願いします。
 で、なんの話でしたっけ。そうそう、彼の大学に、くっついていったんですよ。大学の中っていっぺん見てみたくて。
 それが、意外とバレないんですよ、これが。キャップだけはちゃんとかぶって。でも、それ以外は、もう、普通の学生みたいな服装で。絵里って、もとから雰囲気が庶民的らしく、完全に溶け込んじゃうんですよね周りの風景に。そうなんですよ、芸能人のオーラとか、アイドルのオーラとか、ないらしいんですよ絵里。
 おかしいですよね、美少女度で言ったら、娘。イチなのに。うへへへ。
 そうなんですよ、最近言うんですよ。さゆが例の「よし今日も可愛いぞ!」を、あんまし言わなくなったんで──最近は「実は黒いキャラ」を推しているらしく──それなら代わりに、絵里が空いたポジションに、可愛い担当に入っちゃおうかなー、的な。いやいや、かわいがり担当とかじゃなく!
 あ、でも、小春のことはけっこうかわいがり……いやいやいやいや。可愛い担当ですよ!
 で、なんの話でしたっけ。そうそう、彼の大学に、くっついていってー、学生食堂でカレーライス食べました、向かい合って座って。美味しかったですよ。カレと食べればなんでも美味しいんで。うっへへへ。で、そのあと、おっきな教室で、授業に潜り込ませてもらって、大学の授業聞きました。もう、まったく意味分かんなくて、ほぼ最初から最後まで寝てました。でも、すっごい楽しかったですよ。いや、内容とかじゃなく、潜り込んだってことが。


 《『踊れ!モーニングカレー』ツアーが始まる頃だったと思うんですけど、絵里が、彼氏と撮った写真を見せてくれたんですよ。それがチョー幸せそうな笑顔で、正直うらやましかったですね。しかもですよ、彼の大学の構内でケータイで自分撮りしたって言ったんで、さゆみびっくりしたんですけど。「大胆だね」って言っても絵里はそこはあんまり気にしてないらしく、さゆみに、「ねえ、彼、イケメンでしょ?」とか自慢げに言うんです。それよりも、さゆみは、その写真に写りこんでる日付が気になって、「あれ、この日って、絵里がさゆみの誘いを断った日だよね。そういうことだったのか」って言っても、絵里は「そうだっけー?」とか、とぼけるんですけどぉ、ま、わたしも「さゆみよりも彼を取ったのね」とかイヤミを言うほどヤボではないので。でも、ムカツクので「お姉ちゃんの彼氏のほうが可愛いよ」とか、ぶっちゃけ自慢にもならないんですけど、とりあえず言っておきました。絵里があまりにも幸せそうで、ムカツクんで。》


「こんな好きになるの、変な感じ」
「変?」
「だってね? ほら、一方的にずっと口説かれてたもん」
「いや、そうだっけ?」
「そういうことにしといて!」
「いいけど」


 そのころ、彼が車を買ったんですよ。ひそかに自動車学校にも通って免許を取っていたらしく。その車が、中古なんですけど、でも、小さくて可愛い外車でした。それに乗ってドライブしました。景色の綺麗な田舎のほうとか。
「ねえ言ってもいい?」
「うん」
「ポンコツだよね、この車」
「悪かったな」
「あはっ。でも絵里この車好き。可愛くて」
「そりゃあよかった」
 彼はハンドルをどんどん叩いて、
「おい、気に入ってくださったぞ、よかったな、ポンコツ!」
 なんて言って。
「そんな叩いたら、壊れるから!」
「どこまでも失礼なヤツ」
でも、失礼じゃないんですよ。座席の前のとこに空気が出てくる口があるじゃないですか、それを「閉」にして、エアコン切ってるのに、なんとなく、風が流れてくるんですよ、いろんな隙間から。まるでオープンカーに乗ってるみたい、ってそんなロマンチックなもんじゃないですけど。


「こんな好きになるの、初めてかもね?」
「嘘でも嬉しいよ」
「それに…ほらっ、映画の趣味が合うってすばらしいじゃん」
「え、いつも寝てるよね、絵里ちゃん」
「いいから。細かいこと言わないの!」


 ドライブ中とても楽しくて、景色もいいし、すきま風も面白いし、気分がよくて、つい鼻歌が出ちゃいました。
「愛と太陽おーがー、あーなーたーにー微笑むー」
「太陽ならさっきから分厚い雲に覆われてるけど、って。あ、歌の歌詞だったの? さっきの」
「そうだよ? あれ? 知らなかったの? 教養ないなー」
「悪かったな」
「歌詞じゃないとしたら、じゃあ、なんだと思ってたワケ?」
「いや。もとからテキトーなこと言う子だとは知ってたけど、ここまで口から出まかせを言うなんて、って」
「ひっどーい!」


 《絵里のクセ。クセというか、奇妙な習慣。
 腕枕をして、絵里の頭を撫でたり、髪を触ったりしていると、なぜか僕の腋に頭を埋めて臭いを嗅ぎはじめる。》

「くっさぁ、隆ちゃん腋くっさぁ!」
「ちゃんと風呂入ってるけど」
「あー、くちゃいくちゃい」
「だったら嗅ぐなよ。クンクンクンクン、犬かよ」
「でも、くちゃいの好き。なんかね、なんかね、なんか安心するの」


 彼の腕に頭をのっけて、頭をナデナデされるのが大好きで、幸せを感じるんですよ、とても安心するんです。なんで、絵里が眠るまでずっと撫でてて、ってお願いしたんです。したら、彼、ほんとに絵里が寝るまでそうしてくれたんです。大変ですよね、普通ありえなくないですか。だって、腕疲れるじゃないですか、絵里だったらお願いされても、どんなに好きでも、多分3分と続かないと思うんですよ。でも、彼、黙って絵里の髪を撫で続けてくれて。そうしたら絵里、なんか急に、こう、胸の奥から幸福が溢れてきて。で、泣いちゃったんです絵里。もう嬉しすぎて。幸せすぎて。あまりにも信じられないぐらい幸福だったんで、逆に「この幸せっていつまで続くの? いつまでも続かないの? いつかは終わってしまうの?」そう考えてしまって、そうすると怖くてたまらなくなって、この幸せから見捨てられて、また幸薄くなっちゃってる絵里の姿がまざまざと思い浮かんでしまって、そんなの自分が可哀想すぎる、と思って泣いてしまいました。アホですよね絵里。


 《僕の腕の中で、頭を撫でられながら眠りに落ちる絵里。僕は絵里が眠るまでずっと絵里の顔を見守っている。その安心しきった穏やかな表情を。もしも幸福のイデーというものが目に見えたなら、それは絵里の寝顔のような表情をしているかもしれない。》



 付き合いも長くなってきて、お互いの仲も深まってきて、いろいろ分かってきたら、絵里、欲が出てきちゃって。それは、田村さんに、モーニング娘。のコンサートを見に来てほしい、ってことなんですけど。
 好きって気持ちが強くなると、彼のこともなんでも知りたくなるし、逆に絵里のこともなんでも知ってほしいんですよ。それはもちろん彼の考えていることは難しくて、絵里はアホなんで理解できないことが多いし、逆の意味で、田村さんは絵里のこと理解し難い部分も多いとは思うんですけど、なるべく出来る限りなんでも分かりあいたいじゃないですか。
 そうすると、「モーニング娘。としての亀井絵里」も知ってほしいんですよ。絵里、もう4年近くも、モーニング娘。として生きてきた訳だし。そこの部分を見ないで、絵里の全部ってことは、ありえないし、その部分もしっかり受け止めてほしいし、それを抜かして付き合い続けるのはなんかそれも嘘だと思うし。「モーニング娘。としての亀井絵里」も、やっぱし本当の絵里なんですよ。
 そう思って絵里は決心して、スタッフさんにお願いし、『踊れ!モーニングカレー』の武道館公演のチケットを手配してもらい、田村さんを招待したんです。



c10.


恋愛の絶対的肯定のために


 アイドルが表現する魅力は、人間的な魅力、《人間性》そのものである。

 人間的な魅力を真に表現できるのは、魅力的な人間である。

 よく生きるということ。完全な生の燃焼。最高度の生命力の輝き。それを芸術行為を通じて表現することこそが《アイドル性》の表現である。

 人という生物が、動物として完全に生き切るには、己の持つ性的な能力を行使し尽くすことも欠かすことが出来ない。

 「恋をすると女は美しくなる」
 女だけではない。恋するとき人は美しい。
 燃えるような恋において、恋愛感情を燃料として、人間の生命そのものが力強い炎をあげて燃える。

 恋を知らなければ、恋は表現できない。
 憧れという感情を知らなければ、憧れの表情はできない。
 恋をする切なさを知らなければ、愁いの意味も分からない。

 恋を知らないものの歌は猿真似にすぎない。

 歌とは、ただの物理的な音の連なりではない。それは、音における恋愛の炎なのだ。
 人間の感情において恋が真実であるように、音楽において歌は真実を開示する。



脳内かめちゃん


 無我夢中でキーボードを叩いていた。気がついたら、かめが背後から覗き込んでいた。
「気が散るからさ、ちょっと向うで梅干でも食べててよ」
「むかつくー。絵里絵里ってうわごとのように言い続けてるような小説書いといてさぁ、よくもそんなつれないことが言えたもんですよね」
「いや、だからさ、まだ書きかけだからさ。恥ずかしいから」
「っていうかイタさん、絵里みたいな小説を目指すって言いましたよね」
「それが何か」
「この小説のどこが可愛いんですか。絵里はこんなに可愛らしさのかたまりみたいな人なのに」
「自分で言いましたね」
「言いました」
「この小説可愛くない?」
「長くて、鬱陶しくて、暗いですよ。可愛いというのとは真逆じゃないですか」
「それはそうなんだけど、亀井絵里って文字が出てくるだけで可愛くない?」
「そんな屁理屈に誤魔化されるとでも思いますか?」
「無理ですか」
「無理ですよ。じゃあイタさんは絵里って文字見ただけで、可愛いって思います?」
「うん」
「むふふふふ」



帰ってきた「カフヱ痛井ッ亭。」


シゲさん さゆみ最近疑問に思ってることがあって。
痛井ッ亭。 なんですか。
シゲさん 恋愛を我慢すると、欲求不満になって、それが魅力になって、こう内側からにじみ出てくるってホントなんですか。
痛井ッ亭。 真っ赤な嘘です。
シゲさん やっぱりそうなんですか。よかった。さゆみはそもそも、欲求不満っての自体、よく分かんなくて。
かめちゃん さゆ、口が曲がるよ。
シゲさん えへっ♪
痛井ッ亭。 走るのを我慢していれば脚力が蓄積されて新記録が出せますか。
シゲさん でないですよね。
痛井ッ亭。 勉強しないでいれば知力が溜まってテストで百点が取れますか。
かめちゃん 絶対取れないよ。
シゲさん ですよね。
痛井ッ亭。 走れば走るほど脚力は高まり、頭は使うほどよくなるのです。
シゲさん 道理ですね。
痛井ッ亭。 恋愛もまた、すればするほど感受性や情熱が高まって、それが自然にその人の持つセクシーな魅力として放出されるのです。
シゲさん セクシー……
痛井ッ亭。 そこに不自然な圧力を掛けて恋愛を抑圧すれば、人の心はパサパサに乾燥するだけ、老婆のようにカサカサに枯れて。つんくさんも言ってるよ、片思いも出来なくて、人生つまんない、って。人生を楽しく、美しく、はりのあるものにするのは、恋をする心なの。それなのに、どうして世間や、「アイドルの職業倫理」や「アイドル神話」は、アイドルから恋愛を奪おうとするんだろうね。
シゲさん でも。
痛井ッ亭。 でも?
シゲさん ファンの人がさゆみたちに求めてるのは、セクシーとか、そういう大人っぽい魅力よりも、純情だったりとか、純真だったりとか、ウブだったり、幼かったり、そういう魅力みたいなんですけど。
かめちゃん さゆのファンも脂っこい冬シゲより、楚々とした夏シゲが。
シゲさん うるさいよ絵里。
痛井ッ亭。 シゲさん、自分の心の中を覗いてみてさ、そういう部分ってある訳? そういう無垢な魅力が、18歳にもなって。
シゲさん うっ。そ、それは、いくら「実は黒い」さゆみでも、全くないと言い切るのは、勇気がいりますよね。
かめちゃん 誰に遠慮してるんだっつーの。
シゲさん ま、ぶっちゃけ……ですよね、そんなの。
痛井ッ亭。 え、何?
シゲさん オフレコでお願いします、さっきの発言は。
痛井ッ亭。 はい。バレバレだと思いますけどね。
シゲさん ま、お約束ですよ。



脳内暴君エリザベス


 執筆が波に乗り、無我夢中でキーボードを叩いていたら、背後から忍び寄った絵里に、突然、延髄蹴りを食らった。
「痛いって。何すんの」
「何すんの、じゃないですよ。何書いてるんですか」
「え、あ、いやその」
「調子に乗ってヘンなこと書いてるでしょ」
「こ、これはその、読者サービスというか」
「言い訳もたいがいにしてくださいよ」
そういうと絵里は、ここもダメ、これもNG、と書きかけの文章を検閲していった。なんてことを。しかし、暴君エリザベスは絶対的支配者なのだ。えりりんの希望、ワガママ、独断、思いつき、テキトーな言い草、でたらめその他その他は、あらゆる立法や道徳的格率に優位する。従って痛井ッ亭。があらゆる検閲に反対する思想を持っていようとも、えりりんがダメと言ったらダメなのだ。
「こんどヘンなこと書いたら、小説まるごと焚書にしちゃいますからねーだ。分かった?」
「分かりました」
えりりんに削除されてしまったエピソードはしっかりとバックアップを取ってあるので、この世から消えてしまったわけではない。しかし、えりりんの忠実なしもべであるわたしはそれをネット上に公表することはできない。
 (でも、もし、アナタが、どうしてもその部分を読みたいと思ったら、わたしあてにメールをください。できればこの小説の感想を添えて。脳内暴君の目を盗んでコッソリとお送りできるかもしれません。)
「なにか、よからぬことを企んでません?」
「滅相もございません」
「隠したって絵里には何でもお見通しですからね」
「はい」
(諦めてもらったほうが無難かもしれません)



帰ってきた「カフヱ痛井ッ亭。」


ガキさん いやー、イタさん、熱いね。そして、痛いね。あはは!
痛井ッ亭。 ありがとうございます。
かめちゃん いや、褒めてないよねガキさん。
ガキさん 褒めてない! でもさー、なんかさー、わたしの扱い、悪くない?
痛井ッ亭。 いや、決してそんな。ある意味では辛い役どころでもあり……
かめちゃん 美味しいっちゃあ最高に美味しいですよ。
ガキさん 美味しいかなぁ?
シゲさん 正直ビミョーですよね。
ガキさん さゆみんはいいよ。さゆみんの扱いなんか、主役のかめ以上に優遇されすぎじゃない?
かめちゃん あ! それは絵里も思ってた!
痛井ッ亭。 そ、そうかな。
かめちゃん どういうことなんですかイタさん!? この絵里を差し置いて。
ガキさん ぶっちゃけカッコよすぎだよね、さゆみん。
シゲさん 仕方ないですよ、さゆみがかっこいいのは事実なんで。
ガキさん 言うよねーっ!
かめちゃん 出た。ガキさん、「エアはるな愛」だぁ。
痛井ッ亭。 なんじゃそりゃ。
ガキさん ナニよお。面白くないって言いたいわけ?
痛井ッ亭。 いや、そうじゃなくて、かめちゃんの言った言葉に対して、つっ込んだワケで。
ガキさん そうなの? あれ、なんの話だっけ。
シゲさん そもそもたいした話は。
かめちゃん そもそもたいした小説じゃないしー。
痛井ッ亭。 言うよねーっ! このひと、言うよねーっ!
ガキさん 遠慮なしだね。
かめちゃん イタちゃんに遠慮なんて、これっぽっちもいらないですよ。
シゲさん そうなんだ。
かめちゃん ヲタ奴隷なんで。絵里の。
ガキさん コラー! 奴隷とか言わないの。またへんなこと雑誌に書かれるよ!
かめちゃん やべ。今のは取り消し取り消し。
シゲさん 取消し線つけただけで丸見えだよ?
痛井ッ亭。 うん。だって言われてみたいんだもん。
ガキさん なに、奴隷になりたいわけ?
痛井ッ亭。 いろいろ理不尽な命令とかされてみたい。
ガキさん 完全にいかれてるわ、この人。
シゲさん 廃人ですね。
かめちゃん 絵里って罪な女だなー。
かめちゃん以外 言うよねーっ!



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ガキカメ


 たまっていた書き物を全部仕上げて、ほっと一息。わたしは机に頬杖をついて窓の外の東京の景色をぼんやり見ていた。
 そこにかめがやってきた。
「かめ、書き物終わったの?」
「何言ってるんですか、まだに決まってるじゃないですか」
「訊くだけ無駄だったね」
「そうですよ。ところでガキさん?」
「なによぉ、かめぇ」
「絵里いつもガキさんにお世話になってばっかで」
「あーそうだねぇまったく」
「本当に日々苦労とか迷惑かけてばっかで」
「……」
「本当に心から感謝してます!」
なによ急に。照れちゃうじゃない。
「どうしたの、急に。雪でも降るんじゃない?」
「いや!冗談抜きで、ガチで、ガキさんあっての絵里なんですよぉ」
「かめ……」
その言葉を聞くと、胸に何かが込み上げてくるようだった。
「わたしこそ……、わたしだって、かめにはさぁ、いっぱい助けてもらってるじゃん」
かめの顔がパッと明るくなった。
「で、ですねガキさん、2万円ほど貸してほしいんですよ今すぐ」
「……」
「……」
「前置きが長かったね」
「念には念を入れてみました」
そういってニヤニヤしているかめ。頭痛がしてきた。
 わたしがお財布からお札を出すと、かめはお相撲さんみたいにチャッチャッチャッと手を振って受け取った。
「なーにムダ遣いしちゃうワケ?」
「それは内緒でシ。じゃ!」
かめはそういうと、飛行機みたいに両手を横に拡げて、スキップしながら去っていった。



さゆみき


 夏のハロコンに向けての準備とかリハが始まるにつれて、吉澤さんと藤本さんがいないってことを改めて痛感したんですけど、まずは歌割りが変わって、さゆみもパートが増えるかと思ったら、思ったほど増えなくて、かなり落ち込みましたけど。それに、ダンスのフォーメーションとか立ち位置とかも変わるし、ジュンリンも入るんで、一から教えることも多くて。リハで踊ってる最中に、さゆみは何度も幻を見たんですよ、9人のなかに吉澤さんがいたり、藤本さんがいたりするのを。あと、次のフレーズは藤本さんの声、って想像したら、絵里に変わってたりとか。モーニングにとってはメンバーが変わっていくのは宿命なんで、過去を振り返ってもいられないので、あまりそういうことは誰も言い出さないんですけど、でも、吉澤さんは盛大に卒業したんでいいんですけど、この場に藤本さんがいない、ってことがさゆみは納得できなくて、その気持ちは絶対他のメンバーも一緒だと思います。

 その頃のダンスレッスンではジュンジュンがけっこう苦労してて先生に怒られたりしてたんですけど、サブリーダーのガキさんがアドバイスして元気づけたりしてました。
「もし本番間違ったりしても、一生懸命真剣にやれば大丈夫だから、ガムシャラにやりなよ。ガムシャラに頑張るのが大切だよ」そこで何故かさゆみと目が合って「ね、さゆみん」って振られたんですよ。
「待ってください、なんでそこでさゆみに振るんですか」
「たとえアリエナイぐらい運動音痴でも、筋肉ゼロでも、ガムシャラにやれば大丈夫。だよね」
「そこで引き合いに出されても。生き証人ってことですか」
「うん」
 そのときもさゆみは藤本さんのことを思い浮かべてました。新垣さんが、ときどき藤本さんのダンスに不満を漏らしてたなー、って。限界まで力を振り絞ってない、余力残しすぎ、とか。さゆみはそんなこと恐れ多くて言えないですけど、それに、藤本さんは歌うパートが多いからダンスはある程度後回しでも仕方ないのかな、とか思いますけど、でも、歌もダンスも常に120%フルスロットルの新垣さんから見たら、そういう風に見えるのも分かるんですけど。
「でも、あんまり必死に頑張ってるようにみせないのが藤本さんのキャラじゃないですか」
「どんなキャラなのぉ?」
「トシだし」
「いやいや、トシっつったって、まだ21とかじゃん。中澤さんが27で恋レボ踊ったのに比べればさー」
「若いですよね」
「そうだよ。じょうずヘたは人それぞれでもさ、必死に、全力で頑張るのを見せるのがモーニング娘。だとわたしは思う」
「さすがガキさん、ナチュラル・ボーン・モーニング娘。ですね」
「いやいや、わたしが生まれたときはまだモーニング娘。のモの字も生まれてなかったからね」
「いやいや、これはもう前世からの宿命だったんですよ」
「それなんて細木さんなのぉ?」
 なんて会話をしたことも思い出すんですけど、さゆみは、そんな新垣さんが羨ましいし、眩しいなって思います。新垣さんは自分がモーニング娘。であることを疑ったりしないんだろうな、って。どんなつらいことがあっても、だからこそモーニング娘。を信じて、頑張って。でも藤本さんはきっと、自分とモーニング娘。の関係とか、自分がモーニング娘。だってことに、どこか居心地の悪さを感じてきたと思う。中心になって活躍していた時も。きっとリーダーになってもそれは変わらなかったんじゃないかと、さゆみは思います。でも、そうやって悩むことも、それもまたある意味でモーニング娘。らしさだって思うし。さゆみも、自分自身とモーニング娘。とがぴったり重なり合う瞬間なんて、滅多にないんで。



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 はじめてコンサートを見てもらった後のデートは、いつもとは違うドキドキ感でした。彼はモーニング娘。を、モーニング娘。の亀井絵里をどう思ったんだろう、かっこいいって思ってくれたかな、気に入ってくれたかな、もしもくだらないとかダサいとか思われてたらどうしよう、って不安で。会う前から、メールでは『よかったよ、かっこよかったよ、感動したよ』とか、送ってくれてたんですけど、直接顔見て話聞くまでは、やっぱり、まだちょっと心配というか。もともと、田村さん、アイドルになんか全然興味なさそうだったし。
 でも絵里は、コンサートのとき、田村さんにモーニング娘。の魅力を感じてほしい、そして絵里の一番輝いている姿を見てほしいと思って真剣に頑張ったし、気持ちを込めて歌ったので、大丈夫、きっと気に入ってくれたはず、って自分に言い聞かせました。


 《コンサートを見たあとの最初のデートは、いつもとは違う精神状態だった。圧倒的なライブの印象が脳裏に焼きついている。きらびやかな衣装を着て激しくダンスする絵里の姿、切なく恋を歌い上げる優しい声、妙にぎこちなくて逆に可愛いトークの様子、そして大観衆の激しい声援、派手な舞台装置、明滅する強烈な照明、ズンズンと響き渡る大音響、それらが頭から離れない。絵里を待っていても、これから可愛い恋人に会うんだという気がまるでしない。今からやってくるのは大スター、日本一有名なアイドルなんだという意識に押しつぶされそうだった。スクープ。現役アイドルのお忍びデート。えげつない芸能雑誌の見出し風の不吉な文字列が頭にちらついて離れない。》


 地元のデパートの屋上にあるオープンカフェ風の場所がけっこう穴場で。デートの。広いんだけど、ぶっちゃけ流行ってなくて、いっつも人がいなくて。なんで、あんまり人目を気にせず、のんびりお茶しておしゃべりするのに最高なんですよ。しかも、もう11月の初旬で、ちょっと肌寒いぐらいなんで、ほんとに閑散としてて、で、そこで彼と待ち合わせしたんです。


 《でも、僕の姿を見つけて、小走りに走ってきて、満面の笑みを浮かべて僕の向かいの席に座ったのは、いつもの絵里だった。ウヘヘヘと、だらしない声で笑う絵里。ふにゃふにゃとしていていつでも眠たそうな絵里。その彼女がモーニング娘。という大スターなのは何かの間違いじゃないのか。間違いであればいいのに。
 「コンサート、どうでした?」とおそるおそる訊いたときの表情。まるで赤点スレスレのテストを返してもらうときに先生から怒られるんじゃないかとビクビクしているこどものよう。もっと自信持っていいと思うけれど、でも、そこがとても絵里らしい気がする。》


「どうでしたか、コンサートは?」
「圧倒されたよ」
「あの、どのへんが?」
「カレーがすっごく美味しそうだった」
「そ、そこ?」
「思わず、帰ってカレー作って食べました。あはは」
「絵里はどうだった?」
「もうとにかくお腹が空いちゃって、カレーしか覚えてない」
「ヒドーイ」
「嘘です」
「いじわる」
「可愛かったし、かっこよかったよ」
「ほんとですか! でしょー!?」
「みんな」
「あ、みんな。みんな可愛くて目移りした、と」
「ごめん、ホントは絵里しか目に入らなかったよ」
「マジですか」
「キビキビしてて、凛々しくて、歌声が可憐で」
「も、もっと言ってください」
「とても、目の前にいるポワポワした子と同一人物とは思えない」
「え。どっちも正真正銘の亀井絵里ですけど」
「影武者じゃないの?」


 田村さんは、絵里たちのコンサートをとても褒めてくれて、絵里も綺麗だったって言ってくれたんですけど、でも、その割にはなんだか表情が冴えないような気がしたんですよ。それで、なんなの、なんか気になることでもあるの、って問い詰めたんです。そしたら田村さん、絵里は、あんな大勢のファンに愛されているのに、僕は絵里と2人きりで今ここにいていいのかな、絵里をひとりじめして許されるのかな、とか、もーワケわかんないことを言い出すんですよ、いや、言いたいことは分かりますよ。でも、それを聞いて絵里は、世界がガラガラと崩れるような気がしたんです、大げさじゃなく、大げさですけど。
 それを聞いて絵里は、真剣に泣きそうになりました。だって、絵里はたしかに、アイドルとしては何万人ものファンの皆さんに愛されて、あ、何万人はアレですかね、いやいや、十四億六千八百万人のファンに愛されてですよ、ファンのみなさんに絵里も、精一杯愛をお返ししますよ──そこは、できるってお約束で──お返ししますけど、でも生身の亀井絵里は、一人の女の子として、現実には、何万人もの人といっぺんに恋愛することはできないじゃん……できないじゃないですか。目の前にして、普通に話せて、触れて、一緒に居られる人じゃないと、恋愛は出来ないんですよ。
 というようなことを真顔で田村さんに力説したわけですよ、だから、そんな弱気なことを言ってほしくないな、って思って。絵里のたったひとりの大切な恋人として、自信を持ってほしいなって思って。そしたら彼も分かってくれて、もう絶対絵里を悲しませるようなことは言わない、って言ってくれて、心から安心しました。これで、一人の女の子としての絵里も、モーニング娘。としての絵里も、両方とも田村さんに受け入れてもらえて、またひとつ二人の絆というか、愛が深まったと思ってすごい嬉しかったです。
 で、絵里は、その時、けっこう真面目にいいことを語っちゃったんで、あー、自分今かっこいいなー、なんか大人だなー、とか思って、いい感じだったんですよ、絵里的に。分かります?
 で、いい感じに、大人の女性な気分で、飲みかけのジュースを一口飲もうと思ったら、ないんですよ、さっきまであったストローが。ストローでジュース飲んでたんですけど。で、絵里が「あれ、ストローない、さっきまであったのに」とか騒いでたら、彼ったらイジワルなんですよ、すぐ教えてくれないで「横山やすしの『眼鏡眼鏡』ってギャグ知ってる? 眼鏡をおでこに掛けたまま探すヤツ」とか言うんですよ。絵里、きょとんとしちゃって、えー、絵里眼鏡なんか掛けてきてないよ今日、とか思いながら、なにげなく髪の毛を触ったんですよ。したら、あったんですよ、ストローが。絵里って、ストローの先を歯で噛んじゃうクセがあって、ガジガジ噛んでギザギザにしちゃうんですねストローを。そのギザギザのストローの先が絵里の髪の毛に絡まって引っかかってたんですよ。もう、二人で爆笑しちゃいました。雰囲気は台無しでしたね。


 《絵里の明るさと、強さが、僕を救ってくれた。しかし、絵里のようには強くない僕は、まだウジウジと考えている。その明るさには本当に虚勢はないのか。絵里は苦しくないんだろうか。僕は絵里を苦しめていないだろうか。でも、もう悩まない。僕は絵里を愛している。亀井絵里というひとりの女性を。それはとても単純な事実だ。そこに理由も言い訳もなにもいらない。僕は絵里のすべてを知りたい。》


 《誕生日は家族とお祝いするんでしょ、と訊ねたら、絶対2人でお祝いしたい、家族とは前の日に済ませるから、というので、誕生日にレストランを予約した。クリスマスイブの前日なので、なかなか予約が取れなかった。しかも天皇誕生日だし。それは関係ないか。》




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e-mails.


《こんにちは。ファンレターありがとうございます。ホームページの文章見させていただきました。
正直、よくわかりませんけど(笑)、応援してくれてるのはわかりました。
わたし元気ですよ。フットサルも、ラジオも、がんばりますし、もちろんいつかはソロで歌います!
なので、これからも応援お願いします。
あと、「狂○」はひどいです。傷つきやすい女の子なんでそこはお願いします。
優しくしてね(笑)》

《いつもメールありがとうございます。もうちょっと短いといいな(笑)
大丈夫です。後悔はないですよ。と言ったら嘘になる?
最初から謝ってたら事務所の対応も違ったかも。
それができる人だったら苦労しないって(笑)
わたしのファンはそんなの見たくないんじゃないかな? って、まるでファンの期待に応えた、みたいな(笑)
メールをネットに掲載してもいいですか、って件ですが。誰も真にうけたりしないってのは、たしかに。なんで、わたしってことがバレないようにこっそりお願いします。ネタにまぎれこませるとか。
思ったんですけど。このメールをネットにあげると来そうな反応。
「藤本がこんな長文書く訳ない。だからガセネタ!」
わたしってどんな人なのって感じですけど(笑)
ではまた。》

《こんばんは。あいかわらずの長文ですね(溜め息)
えーと、恋愛生活。もう順調♪ ラブラブ♪ と、言いたいとこだけど。ご想像におまかせします。
週刊誌に出て、はじめて彼のことが分かった部分もあり。なにごとも経験。
亀井さんの件ですが、彼女のことは正直わかりません。
わかったとしても立場上何も言えないし。
それぐらい分かりますよね。
じゃあまた。》

《いつもどうもです。
かめちゃんとは波長が合います。二人はNS?かどうかは知らないけど。
かめちゃんはいつも、絵里KYじゃないですよね、ってみきに救いを求めてくるの。
みきは、いやそのまんまだし、って(笑)
わたしのことは、理解してくれてますね。
したってくれてる。
会う機会が減ってみきもさびしいです。キモッ(笑)
かめちゃんもさびしいと思ってくれていると思うけど。でも実際会うとね、アレ?まだ生きてたんですか?とか言うんだよっ?意外としぶといですねーとか。ムカツク(笑)
かめちゃんとはそんな感じで楽しくやってます。はい。
じゃあまたね。》

《どうもー。かめちゃんのお尻ですか。
いやー最近触ってないです(爆笑)
さびしいかも。でも禁断症状とか出ないし!
べつにお尻に飢えてないもん。ヘンな意味に取るなよ!
これからも機会があれば触っていきたい。ってどこのヘンタイ?
ラジオもフットサルもいつまで出来るかとかわかりません。
この世界で将来安泰とか感じたことはないし。そういうものだと思う。
毎日真剣勝負ですよ。
みきはきっとチャンスをつかむので。
なので、ずっとずっと応援してください。》



帰ってきた「カフヱ痛井ッ亭。」


ガキさん ちょ、ちょっと、これ(↑)はナンなワケ?
痛井ッ亭。 ナニってメールですけど。
ガキさん まさか、ホンモノだって言い張るワケ?
痛井ッ亭。 もちろん、正真正銘の……
シゲさん 正真正銘のフィクションですよね。
かめちゃん 小説だし。
みきちゃん そもそも、みきがイタさんにメールするわけないよね。
痛井ッ亭。 あれ? そうでしたっけ?
ガキさん もー、どこまで言い張るのぉ!?
シゲさん 悪質な成りすましですね。
かめちゃん それを言ったら、この小説全部そうだけどね。
痛井ッ亭。 あくまで、この小説はフィクションであり、実在の人物団体とは一切関係ありません。
みきちゃん よく言うよ。
痛井ッ亭。 言うよねー。
ガキさん とにかく、上のメールは捏造なのね?
痛井ッ亭。 そうやって弾幕を厚くしていただけると助かります。
かめちゃん またそうやってホンモノめかそうとして。
シゲさん あざといよね。
かめちゃん 藤本さんは書いてないって言ってるんですから、勝負あったですよ。
みきちゃん あれ、そうやって改めて言われてみるとなんだか書いたような気が。送ったような気が。
ガキさん ちょっとミキティまで、そういうこと言うと! ワケわかんなくなるから。
かめちゃん ならないですよ。
みきちゃん ならねーよ。
シゲさん ガキさん大丈夫ですか。
ガキさん ほら、やっぱり絶対損だよ、私の役どころって。
シゲさん そういう役回りなんですよ。
かめちゃん いやー辛いなー中間管理職は。
ガキさん サイアクー。
みきちゃん ねえ、みきホントにあのメール送ってないよねぇ。
痛井ッ亭。 お、覚えてないの?
みきちゃん 最近ちょっと、物忘れが激しくてさ。
かめちゃん 美貴様トシだわ美貴様。
ガキさん もー、どっちなのーぉ!?



a12.


b12.


Incipit tragœdia



 《写真集の撮影でプーケットに行ったとき、その日は朝から亀井さんの様子がおかしくて。成田空港のロビーで搭乗時間を待っている間も、まるで生気がなくて、いつもの彼女とはまるで別人でした。どうしたの、なにかあったの、と尋ねても、黙って首を横に振るだけで、教えてくれようとはしませんでした。そして時々、思い出したように携帯電話を取り出して、その画面にじっと見入っているかと思うと、ひとりで声も上げず静かに泣いていたんです。何か大変なことがあったのは間違いなかったんですが、無理に聞き出すのも憚られて、わたしもどう対処していいか分かりませんでした。
 飛行機に乗ってからも、彼女の落ち込んだ様子は、見ていられないほどで、これでまともな撮影が出来るだろうかと心配しましたが、そうはいっても、ロケは限られた日程しかないし、その間に写真集とDVDの収録を終えなければいけないので、こんなことで大丈夫だろうかと、正直とても不安でした。
 その日現地入りして、翌朝からは撮影が始まる、という日程でした。もしその時になっても、沈んだ様子だったら、喝を入れないといけないかも、と考えました。
 でも、それは杞憂でした。
 彼女は、わたしが思っている以上にプロでした。
 翌朝、顔を合わせたときは、いつもの「かめちゃん」がそこにいました。アイドルの顔、プロの顔をしていました。とは言っても、かめちゃんなので、寝ぼけたような、とぼけた雰囲気なんですが、その表情には、どこか、自分の作品を作るんだという気迫が感じられました。わたしが、大丈夫なの、と訊ねると、彼女は、はい大丈夫です、ご心配お掛けしました、と笑顔で答えてくれて、わたしもほっと胸を撫で下ろしました。相当無理してるんじゃないか、という一抹の不安も残りましたが。
 撮影は、天気にも恵まれて順調に進みました。
 撮影二日目の朝は、ホテルのペントハウスを借りての撮影でした。
 いくつかのシチュエーションで撮ったなかに、亀井さんが東京にいる友達に手紙を書くという設定での撮影がありました。
 亀井本人が自分で文章を考えながら手紙を書いていって、その様子を、自然に撮影していくという流れでした。
 その時でした。一瞬ですが、撮影が中断し、スタッフに慌ただしい動きがありました。メイクさんが急いでメイクを直したり。カメラマンが「大丈夫? 大丈夫?」と心配そうに声を掛けていました。彼女、急に泣き出してしまったんです。
 それでも、なんとか撮影は終えることができて。
 撤収が始まったとき、カメラのアシスタントの方が、一枚の便箋をわたしに手渡してくれました。それは、撮影中に亀井さんが書いた「手紙」でした。》


絵里です。
今プーケットに来てます。
毎日あつくて海へあそびに
行ってます。
でも水からあがって風に当たってると
かなり涼しくて
南の島でも冬は冬なんだなって。
そっちは今暖かいですか?
それとも寒い?
あなたのいる場所には
季節ってあるのかな、、、
あなたのいる場所が
毎日あったかいといいな。
いつまでも春みたいに。。。








c12.


a13.


ガキさん


Incipit tragœdia



 嫌な夢を見て夜中に目が覚めた。
 またあの夢だった。もう何度目。
 胸や腋のあたりが汗でびっしょり濡れていて、このまま寝直すと風邪をひきそうなので、パジャマを脱いで、バスタオルで体を拭き、新しいパジャマを出して着替える。でも、着替えているうちに涙がこぼれてきて、新しいパジャマを濡らしてしまう。ベッドに横になっても、さっきの夢の光景が蘇ってきて、考えないようにしようと思ってもそれが頭の中にこびりついて離れず、わたしは眠れなくなる。
 彼氏らしき人と携帯電話で話している藤本さんの姿。楽しそうな笑顔。メールしている時もある。これから彼氏とデートなの、と艶やかに笑いながら、颯爽と仕事場を出ていく藤本さん。その後ろ姿を見るともなく見ているわたし。横では、さゆみんが、藤本さん自由すぎる、と呟き、わたしは、ホントだよ、と相槌を打つ。その声は暗い。わたしは怒っている。責任あるサブリーダーには行動をつつしんでほしいのか、それとも、女としての単なるやっかみなのか、ヒガミなのか、それともモーニング娘。のファンとしてミキティに恋人がいることが許せないのか。
 いつのまにか地元保土ヶ谷の、人通りの少ない路地にいるわたしは、公衆電話のボックスに入っていって電話を掛ける。いまどき公衆電話なんてヘンだけど、夢だから、ヘンだとも思わない。わたしは写真週刊誌の編集部に電話を掛ける。夢だから番号も知っている。そしてわたしは告げ口する。モーニング娘。に彼氏がいます。モーニング娘。に彼氏がいます。モーニング娘。に彼氏がいます。そして、気がつくと、モーニング娘。からは、藤本さんがいなくなっている。わたしの電話のせいだ。わたしの。なのに、他のメンバーはそのことに気づいていない。いつもどおりのモーニング娘。が和気あいあいと喋っている。その中でわたしだけが知っている。わたしの密告電話のために藤本さんがいなくなったってことを。わたしはその秘密を抱えて、何気ない風を装って、みんなと喋っている。何事もなかったかのように笑っている。いつもと変わらない新垣里沙が。
 いつもそこで目が覚める。
 そしてまた同じ夢を見てしまった、と思って、悲しくて悔しくて、また泣いてしまう。仲間を裏切るなんて、現実にはする訳もないのに。そんなこと考えたことだってない。わたしだって藤本さんの境遇には同情しているし、事務所の扱いには到底納得できないし、そのことについてメンバーと不平不満をぶちまけあっているときの気持ちだって嘘じゃないのに。
 なのに何故、何度も、何度も、何度も、同じ夢を見るの?
 わたしは、そんな夢を見る自分が嫌で、そんなことで自己嫌悪におちいって暗くなっている自分も嫌で、口惜しくてたまらない。わたしは心のどこかで藤本さんを憎んでいるのだろうか。絵里が藤本さんと仲良さそうにしていたことに、嫉妬していたのだろうか。まさか。ありえない。そんなの分からないし、分かりたくもない。
 こんな夢を見て泣いたなんて、誰にも言えない。
 事務所の人にも、メンバーにも、家族にも、誰にも。



空気の妖精


 10年記念隊ツアーの日程が上がってきた。中野サンプラザ2DAYSを皮切りに最後の札幌まで。
 メンバーのみんなが、観にいくから頑張ってね、と言ってくれるなか、かめだけは「絵里も心から応援してるんで頑張ってください」と。
「かめ、観に来てくれないの?」
「行きたいのはやまやまなんですけど、その日は絵里、ちょうど写真集の撮影でカナダに行ってるんで。残念なんですけど」
「そうなんだ、かめカナダかー、いいなあ」
「10年記念隊のほうが断然いいですよ。いやー、聞きたかったなー」
「じゃあさ、ロケ、ずらしなよ」
「無理ッス」
「即答だね」
「なんでー、絵里はー、空気の妖精になって、カナダの空からガキさんを見守ってますよ」
「テキトーなこといって。じゃあさ、仙台公演来なよ。八月末だから」
「仙台? 仙台かー。遠いなあ」
「来る気ないんだ」
「そーんなことはないんですけどねー、絵里、出不精だからなー、仙台かー」
「もういいよ」
「あ、違う違う、たしか、その頃も雑誌の表紙とグラビアの撮影があって」
「来たくないんでしょ。興味ないならないって言えばいいじゃん」
「違いますって。やだなーガキさん、ムクレちゃってー。自分が出てないユニットなんざ知ったこっちゃねーよっ、とか、ガキさんと小春が調子に乗ってるところなんて観にいきたくないからわざとカナダロケ組んじゃったよーっ、とか、そぉんなことじゃ全然ないですからぁ」
「なんか、ホンネが出ちゃってるよ」
「いやいや。笑いを取ろうとしてスベッただけです」
「ホントに?」
「ホントですって」
「信用できない」
「ガキさん、絵里が『ハロプロちゃんねる』で、『10年記念隊』とか『マイえじあ』とか言っちゃったの、まだ根に持ってるんですか」
「うん」
「分かりましたよ、仙台行きますよ」
「ちゃんと来れるの?」
「でもアレですよ。前ノリして失礼しますよ」
「へ?」
「前ノリしてー、一緒に牛タンとか食べてー、で、失礼します、お先ッス、みたいな」
「うわー、サイテー」








b13.


 『あの時はほんとに辛かったねえ。ようやくこれからって時に。よりによって交通事故なんかでさ。まあ、苦しまずにね、一瞬だったらしいから、それがせめてもの慰め、うん、そりゃあ悔しかったし、悲しかったさ。なんだってまた、二十歳やそこらでね。ようやくこれからって時に。
 数日後だったかしら、絵里ちゃんが夜中にふらっと店にやってきてねぇ。絵里ちゃんの顔を見るのがあれほど辛かったこたぁなかったねあたしゃあ。出来るもんなら顔あわせたくなかったぐらいだもの。あたしもいい歳こいてさぁ、度胸がないんだね、「いらっしゃい、ずいぶん久しぶりだねえ」なんてさ、とぼけた挨拶しちゃって。なんかこう忙しいていで、商品をあっちに並べては、今度はまた元に戻したりしてみてさ。そうしててもひしひしと伝わってくるのよ、絵里ちゃんが、隆一のことを聞きたそうにしてるのがさ。絵里ちゃんのほう、見ないように見ないようにしててもさ。気配でね。メールでさ、永眠しましたなんて一言で伝えられたって納得できっこないやね、ましてや大切な恋人のことだもの。その気持ちが伝わってくるから、なおさら辛くてねぇ。絵里ちゃんと仲良くなってからの、隆一のイキイキした顔なんか思い出しちゃってさあ。ついこないだだもの、絵里ちゃんの、モーニング娘。のコンサートを初めて見に行ったって、興奮して喋ってた日から、そんな時間経ってなかったから。あいつが、珍しく目なんか輝かしちゃって、夢中で話してる声を思い出したりして。ほんとに息子も同然だったからねぇ。
 そんなだから、絵里ちゃんがレジんとこに突っ立ってるのにも、気づかなくて。絵里ちゃんも、普段なら気安く声掛けてくれるのに、その日は、ただ黙ぁって、ぽつんと、つったってんだもの。慌ててレジカウンターに近寄って。「お会計なら、そうと言っとくれよ絵里ちゃん」「あ、すいません。なんかボーッとしちゃってて。そ、そうですよね。可笑しいですね、あはは」絵里ちゃんがカウンターに置いた商品見たらさ、いつも買うカリカリ梅の袋が一つだけ、ポツンと置いてあってね。ほら、いつもは「大人買い」とか言って、山のように、洗いざらい買ってくくせにね。千円札を受け取って釣銭を渡しても、絵里ちゃん、その場から、動かないで、ただ黙ってて。あたしも、なんて声掛けていいやら途方に暮れちゃって。そうしたら、絵里ちゃんが、声も上げずに、ぽろぽろ涙をこぼすんだよ、突っ立ったまま。
 こんな店のカウンターの前で若い娘が泣いているってのも穏やかじゃないし、ましてやモーニング娘。だしさ、誰かに見られでもしたらみっともないだろうと思って、慌てて店の奥の事務机の横の応接セットに座らせてね。絵里ちゃんは黙って泣くばかりで一言も喋ろうとしないし、あたしもどうしていいやらオロオロしちゃって。こんな状態じゃあ家に帰るようにも言えないやね。
 ようやく少し落ち着いてきたかと思っても、あたしも何言っていいやら、何を言っても、また泣き出しちゃいそうでねえ。
 自分でも馬鹿みたいだと思いながらも、絵里ちゃんが喜びそうな梅味の羊羹とか梅昆布茶とか出してみたり。それにも手を付けず、だまってた絵里ちゃんが、ハンカチで涙を拭って、あたしの目を見ながら「ほんとうに死んじゃったんですよね」って。それを聞いたら、逆にこっちが泣けて来ちゃってね、恥ずかしい話だけど。
 ようやく「お線香、上げに行くかい?」って聞いても、絵里ちゃん、首を横に振るだけでね。「いいのかい、お別れの挨拶しなくて」「いいんです」そう言いながらも絵里ちゃん迷ってる様子で。本当は行きたいんだろうと思うけど、まだ、あいつがいなくなったってことすら、うまく飲み込めてないような感じだし。無理強いしてもアレだしさ。
 で、その日は、心配でとても一人で家まで帰せるような感じじゃないから、店の軽トラックで家まで送っていってね、その三日後ぐらいだったかな、昼間に絵里ちゃんが店に来て、やっぱりお線香上げたい、って言うから、慌てて隆一の実家に電話入れて、カカァに店番頼んで、店の軽トラックで絵里ちゃんを隆一の千葉の実家まで連れて行きましたよ。絵里ちゃんの態度は、そりゃあ立派なもんでね、隆一の母親(わたしの妹だけどね)にも、ちゃんと挨拶して、お焼香して、仏壇に手を合わせてね。絵里ちゃんが、生前親しくさせていただいて、って話し出したら、妹は泣いちゃってね、隆一がこんな可愛らしい恋人を置いて先に逝ってしまったのかと思うとまた胸に込み上げてくるだろうし、絵里ちゃんも、あたしまでつられて泣いちゃってねぇ。でも、絵里ちゃんに線香上げてもらって、これで隆一も安心して成仏できるだろう、って。そう思いましたよ。』




 絵里は携帯電話のカメラで写真撮るのが大好きで、なんか、あ、これは思い出になりそうとか、この瞬間を忘れたくないなと思うと、どこでも、すぐ撮るんです、写真を。で、あとからそれをお母さんとか、友達とかに見せて、ああだこうだ思い出を話すのが、すごい楽しくて。
 プーケットに写真集とDVDの撮影で行ったときも、タイ初めてじゃないですか、もう、見るものすべてが珍しくて、いたるところで風景だったり、自分だったり、撮ってたんですけど。
 象さんも撮ったんですよ。
 もー超こわくて。象さん、可愛いかなって思ってたんですけど、実際見たら超おっきいんですよ。
 象さんは、最初、スタッフさんたちが「絵里ちゃん、頑張って象に乗ってみようよ。エレファント・トレッキングなんてなかなか出来ない体験だから。いい絵が撮れるし」って言われてて、絵里も、頑張ります、って、これはお仕事なんだし、怖いのは我慢しようと、心に誓ってたんですけどぉー、実物に会ったら、これがもうシャレになんないぐらい怖くて。ちょっと近づくのも無理って感じで、それに絵里が乗るなんてありえない、って思っちゃって、で、結局トレッキングは中止してもらって。ちょっと情けなかったですね、自分が。で、せっかくここまで来たんだし、ってことで象さんをバックに写真撮影だけして。したら、撮影中、象さんに背中を向けて座ってたら、突然象さんの鼻が迫ってきて、あれはビビりましたよ。絵里も、ビクビクしながら自分の携帯で象さんの写真とって、これは日本に帰ったら、お母さんに、象がいかに恐ろしいかを熱く語らなければ、とか、そんなこと考えてました。でも、ふと気づいたら、その、怖かったよー、って喋ってる相手が、お母さんじゃなくて、自然に彼を、田村さんを思い浮かべてて。「絵里ちゃんヘタレの割には頑張ったじゃん」とか言ってくれるのを想像して、で、そっからは「ヘタレとは何よ失礼な」「ヘタレにヘタレと言ってなにが悪い?」なんていつもの他愛無い言い合いになって、って空想しちゃって、でも、そんな空想しながら絵里は、思い出してるんです、もう田村さんいないんだ、ってことも。絵里が何回も何回もメール送っても返りがなくて、そのうち返信がようやく来たと思ったら、田村さんのお母さんからで。隆一の母でございます。隆一は昨年12月22日に永眠いたしました。生前の御厚情を……って文面を、ケータイの画面を思い出して。で、ついポロポロ泣いちゃったりして。あの撮影のときは、タイはなんかアジアって感じで異国情緒ありすぎで現実じゃない異次元空間みたいだし、田村さんがいないっていうことも、突然すぎて、信じられなくて、なにかの間違いとしか思えなくて、半信半疑で、ちゃんと受け止められていなくて、なんだか、半分夢見ているような、ずーっと悪夢の中を彷徨っているような、そんな感じでしたね。
 だからあの写真集をみると、今でも色々思い出しちゃって、感無量というか、絵里にとって忘れられない特別な写真集なんですけど。
 あ、そうそう、今度また写真集を出すんですよ、今度はなんとカナダなんですよ、ロケ地が。北米かっ、ってハナシですよ。寒いですよね。カナダがですよ。いや、ギャグは寒くないですけど。出来上がったらつんくさんにも是非みてほしいんで、贈らせていただくんで、ほんとみてくださいね。気合入れて、最高の作品にするんで。




c13.


脳内かめちゃん


 隣で寝ていた絵里がうわごとを言っている。絵里の声に僕は目を覚ます。「どうしたの?」「ああ。夢か。いま夢見てた」半分瞼が閉じたままの絵里が寝ぼけながら答えた。「悪い夢?」「って訳じゃないけど。チョー焦ったよぉ」見ると、赤いチェック柄のパジャマが少しはだけかけた胸元に、玉のような汗がびっしりと浮いている。「大丈夫?」「うん。なんともない」僕はタオルを持ってきて、汗を拭おうとした。「ありがと。自分でやるからいいよ」「せっかくだから拭いてあげるよ」「ご好意はありがたいですが、結構です。絵里、うなされてた?」「うん、どうしたの?」「いや、美貴様がね、夢の中で、執拗に絵里のお尻を触ってきて」「ミキティめ、オレの絵里になんてことを」「オレの、じゃないから。ってゆうか、イタちゃん、今、絵里のお尻触ってなかった?」「そんな滅相もない」今、イタちゃんと呼ばれたような気がしたが気のせいかもしれない、ほんとうは絵里は隆ちゃんといったのかもしれない。どちらだろう。どちらでも構わないような、同じことのような気がするのは何故だろう。「食い込ませようとしてたよね?」「してないしてない。そんな大胆なことできるワケないでしょ」「それもそうだよね」そういうと安心した絵里は、ほどなくしてまたスースーと寝息を立てはじめた。天使のような寝顔をいつまでも見つめていたいけれど、いつまで眺めていてもきりがないので、僕も眠ろうと目を閉じた。しかし、頭の中でミキティが(ミキティになりすました僕が?)、かめちゃんのお尻にパンツを食い込ませつづけ、うんうん唸って手で払いよけようとするかめちゃんの反応に、うへへ笑いをしつづけ、ますますいたずらがエスカレートして、そのままエロティックな妄想が果てしなく暴走を開始してしまいそうになると、僕は目が冴えてしまって、とうてい眠れそうにない。僕は、目の前のまるっこい背中が深い寝息と共にかすかに膨らんだり縮んだりする様子をいつまでも眺めている。



アフォリズム


手中にあるものを掴んで放すまいとすれば、相手は客体化されることによってまさしくその手から失われるのであり、「わたしのもの」に貶めた相手の人間性を捉え損なう結果になるのだ。
          ──アドルノ



脳内かめちゃん


 「上の格言の意味、ほんとに分かってますか」「お、ナニ、かめちゃんが僕に解説してくれるっての?」「そうですよ」「じゃあどうぞ」「いいですか、小説に絵里を描こうとすることは、絵里を客体化することなんですよ。そうすると、逆に、絵里はイタさんの手から失われてしまうんです。小説を書くことで、イタさんが絵里を『わたしのもの』にしようとして、かえって絵里の人間性を捉え損なう、って話です」「じゃあ、人間を描く小説なんて原理的に不可能ってこと?」「知りませんよ」「……」「うへへ……」「……」「怒った?」「怒ってない」怒る理由もない。絵里の言ったとおりだから。「そんなこといって、実は怒ってるでしょ?」「怒ってないって」「怒ってるクセに」「結婚しようよ」「突然ナニ言い出すんですか」「結婚してください」「奥さんとお子さんはどうするんですか」「わ、別れるから」絵里が僕に軽蔑の視線を注いだ。「そんな、不倫オヤジの口車みたいな言い草、通用すると思う?」「甘いですよね」「分かってるじゃないですか。それに」「それに?」「現実には結婚できなくたって、会えなくたって、言葉を交わすどころか、握手すら出来なくたって、絵里とイタさんは心で結ばれてるじゃないですか」「絵里……」「それは、精神的につながっていることですよ。結婚以上ですよ」「絵里……」「ま、あくまでイタさんの脳内での話ですけどね」



脳内かめちゃん


 またしても執筆が暗礁に乗り上げてしまった。自分の非力を省みず、こんな小説を構想したことが間違いだったのか。構成力が足りないから、中篇の予定がどんどん延びていき、自分で自分の首を締めているような気もする。僕は、わー、チクショーと喚いて、頭をかきむしった。
 その様子を見て、ガキさん、かめ、シゲさんがクスクスと笑った。三人はソファに寝そべったり、床にぺたんと座ったりして、人の背後で、くっちゃべってはお菓子をむさぼっている。
「またスランプなのぉ?」
「才能の欠如が恨めしいですね」
「黙って考えてほしいよ、やかましいから」
 僕は、イライラが爆発しそうになって、「誰のためにこんな七面倒な小説を書き続けていると思ってるんだ!」と、マジでKYな言葉を発しそうになり、あやういところで飲み込んだ。自分のために決まっている、絵里のためとか、アイドルのためとか、そんな不遜なことを言う資格などどこにもないことは嫌というほど分かっているから。
 「でも、ちょっとは思ってますよね」突然絵里がそう言った。激しい心臓の鼓動をごまかそうと平静を装いながら、ようやく「いいえ全然」と答える。
「しらばっくれても、絵里はイタさんの心の中はなんでもお見通しですからね。あーあ、KYKY」



アフォリズム


アフォリズムとは、
アフォのリズムである。
          ──亀井絵里

寝言は寝て言え
           ──古い諺



Pause:anamnèes
中断:想起記述





 《お出かけする時はいつも服選びに迷う。あー、また遅刻しそうだ。あのワンピースはどこ。わたしはテキトーにしまったせいで見つからないお気に入りの洋服を捜す。タンスの引出しという引出しを全部開けて。ようやく引き出しの奥からお目当ての洋服が出てくる。しわくちゃで、しかも胸のところにチョコの食べ汚しがべっとりついたまま。その瞬間、わたしは思い出す。さゆと遊んだ楽しかった時間。クレープの味。怒られないように、前もってお母さんに送った写メ。気付かれないうちに洋服を丸めて引出しの奥に押込んだときの、どうにでもなれ、というなげやりな気持ちと、かすかな罪悪感を。いや追憶に浸っている場合ではない、問題は、着て行く服がないということだ。振り出しに戻る洋服選び。遅刻は確定。一気に出掛ける気力が失せるけれど、仕事に行かないわけには行かない。わたしはお母さんに泣きつく。着て行く服がないよう。そうすれば、お母さんは、絵里が着て行くものを決めてくれる。今日はラジオでしょ。ジャージで行きなさい、ジャージで。》





 《もうすぐ18にもなろうかっていう大人の女性が、お料理の一つ、お菓子の作り一つもできないのはどうなのよ自分、と思って、お父さんの誕生日を機会に、お母さんにケーキ作りを教えて貰うことに。練習して、上手にできるようになったら、彼に食べてもらうつもり。チーズケーキのうえに生クリームを飾りたいと言うと、お母さんは、絵里ちゃん生クリーム、もう自分で立てられるでしょ、と言う。生クリームなら楽勝。パックの生クリームをボウルに入れて、分量の砂糖を入れて、泡立器で混ぜるだけ。ちょうど角が立つかたさの生クリームをヘラでケーキの上に塗る。クリームが顔に飛んだので、指で拭って、もったいないので舐めた。そしたら、しょっぱくて。砂糖と塩を間違えた。わたしはしょっぱい生クリームを全体に塗ったチーズケーキを前に、この世の終わりが来たような気がした。ねえこれしょっぱい、とわたしが騒ぐと、お母さんが笑った。どうしてそんな失敗したのと責めることもなく、笑って、馴れないうちはそういうこともあるよ、と慰めてくれる。優しくて、完璧なお母さんに、わたしは逆に、つい反抗したくなる。そして、お母さんどうしてお塩と間違えてるって教えてくれなかったの? と逆ギレした。そんな自分に自己嫌悪しながら、魂が抜けたようにしょっぱいケーキを眺めていたら、お母さんが、生クリームだけ作り直して、塗り直せば大丈夫と言って、絵里が塗った塩生クリームを丁寧に拭き取ってくれた。そんな優しさに、また腹を立てて、もう生クリームは塗らない、と宣言し、チョコレートのペンでケーキの上に、でかでかと「おとうさんおめでとう」と書いた。塩クリームの味は涙の味。お父さんを練習台にしてしまった罪悪感の味。でも、これで彼に作るときは失敗しないはず、そう前向きに考えよう。》





 《彼の部屋で目が覚めた。バターの甘い匂いがする。小さなガラステーブルのうえに袋入りのクロワッサンがある。昨日彼が近所の美味しいパン屋さんで、朝食用に買っておいたヤツ。お腹が空いていた。けど彼はまだ寝ていた。先に食べてもいいよねと思って食べだしたら、これが予想外に美味しくて、夢中で食べて、気付いたら十個全部食べてて、袋が空で。やばいよ、と思っているうちに彼が起きてきて、絵里はそわそわ。そのうち彼が気付いた。「あれ、ここにパンあったよね」「あったっけ?」「あったじゃん」「あ、そういえばあったような、お、おかしいね」「絵里、口の周りにパン屑」「え、え、ウソ!」「食べたの?」「うん」「全部?」「うん」「オレの朝飯は?」「う」「なんで全部食べちゃうんだよ」「そ、それは」「パンが一つならワケワケじゃないのかよ、しかも十個はあったはずだし」「歌の歌詞と現実を混同するなんてどんだけ電波なのぉ?」「それはともかく、女の子だろ、十個は食べ過ぎじゃん」「女の子は少食だなんて幻想だよ、脳内だねえ」「女以前にだ、まず人として、人の食べ物を勝手に全部食べるのはどうなのよ?」「う…そ、それは、いいじゃん、食べたかったんだもん!」「おま…! 絵里ちゃん……」彼は笑い崩れる。(勝った)と、わたしは内心ガッツポーズ。勝ち誇った口調で「そこで『お前!』って叱れないなんて、ほんとヘタレだよね」「ぶっ殺す」と言って隆ちゃんが絵里の首を絞めようとする「きゃはは、ヤメテー、死ぬー」……って、どんな空想だよ。思い出しながら書いていたはずなのに。ほんとは、わたしは遠慮がちに三個だけ食べて、『クロワッサンごちそうさま。仕事行くね。鍵は郵便受けに入れておくね』って書き置きして、まだぐっすり寝ている彼にキスして行こうかとちょっと考えて、そんな恋愛映画みたいなことをしようとしてる自分が恥ずかしくなったのでやっぱりやめて、そのまま部屋を出たんだった。まだ実際ぎこちなく、よそよそしいけれど。そんな感じだったあの頃。》





 《微睡んだ意識の中で聞く目覚ましの音が、いつものケータイのアラーム音と違うことに気付く。それは子供の頃に使っていた古い目覚まし時計のベルの音。その音を聞くうちに、半分眠ったまま、わたしは昨日の出来事を思い出す。アリエナイほど高額な請求書を見て怒ったお父さんが、わたしの携帯電話を思い切り壁に投げつけて破壊したんだった。恐くて何も言えなかった。それを思い出して、眠気が吹き飛んだわたしは、起きあがって、机の上の破壊された携帯電話を手に取る。たしかに通話料は使いすぎだったかもしれない。でも、なにも携帯電話まで壊さなくてもいいじゃない。改めて沸き起こる怒りに、とめどもなく胸が熱くなっていく。居間へ降りていき、わたしは、お父さんの目の前に、壊れた携帯電話を突きつける。
「ちょっと。どうしてくれんの」
 その、あまりの逆切れ口調が、ますますわたしの胸を怒りでたぎらせる。理不尽な逆ギレでしかないことを、わたしは知っている。でも、同時に、そんな理不尽な逆ギレで、父親を問い詰めようとする娘を、お父さんが内心では可愛いと思ってくれるだろうことも、わたしはちゃっかり計算してるんだから手に負えない娘なのだ。でもいいのだ、目の中に入れても痛くない娘だから。ま、入れればの話だけど。》




 《幼い頃、お父さんに手を引かれて近所のお祭に行くのがとても楽しかった。アンズ飴、綿飴、クレープ、チョコバナナ、それにヨーヨーすくい。特にクレープが大好きで、いつもねだって買ってもらった。でも、まだ小さかったわたしは、大きなクレープは食べ切れず。買ってもらうときは絶対食べれると言いはるのに。結局いつも、半分以上残して、お父さんに「絵里、もう食べれない」と、残りを押しつける。お父さんは、わたしの残したクレープやチョコバナナでお腹をいっぱいにしていて、大好きなビールや、焼鳥や、イカ焼きをあまり食べられない。でもお父さんは「ほら、だから食べ切れないって言っただろ」と言いながら、いつもニコニコしていた。
 でも大人になった今だって、普段家で食べる朝食をホテルの朝食バイキングみたいにしたくて、ご飯類、クロワッサン、麺類、フルーツ、ヨーグルト、オレンジジュース、牛乳なんかをテーブル一面に並べて、それをちょっとずつ食べて、で、ほとんど残して、「お母さん、残ったぁ。これ、お母さんの朝ご飯。お昼ご飯でもいいよ」と、残り物を押しつけているんだから、実はわたしは、5歳ぐらいから何も成長していないのかもしれない。》





 《絵里がまだ物心もつかない小さな頃、わたしはあまり可愛くなくて、「女の子なのに可哀想」とお母さんは心配したらしい(今じゃあ「美人に成長して本当によかった。ま、生みの親が美人だけにね」なんて、調子のいいこと言ってるけど)。わたしは幼かったけど、でもちゃんとお母さんの気持ちに気づいていた。そして、お母さんを心配させている、期待に応えられない自分のことを悪い子だと思いこんでいた。いつか絵里はそのことで罰を受けるんじゃないかと怯えていた。いつか絵里は捨てられるのかもしれない、どこか人のいない暗い場所に。あるいは、いつかの海でのように、お母さんと手をつないで入った浅い海で波が来て、お母さんが絵里の手を離して一人で岸に戻ってしまったときのように、一人海の中に取り残されて小さな波に飲みこまれそうになったあのときのように。だから、怖くて不安で、絶対手を離さないって思って、べったりくっついて、いつでもお母さんに甘えて、しがみついていた。朝、幼稚園に連れていかれて、絵里を置いてお母さんが家に戻るとき、いつも絵里は、やっぱり置いていかれるんだ、もうお母さんとは会えないんだ、そう思って大泣きした。でも絵里はきっとその時、不安だっただけじゃない。そうやってお母さんに甘えながら、絵里はいらない子供なのかもしれないっていう不安や、罪悪感を感じている自分が嫌でたまらなくて、そして、その嫌な気持ちの原因がお母さんにもあるんだと直感で分かっていて、心のどこかでお母さんを憎んでいたのかもしれない。》





 《愛する人に置き去りにされる不安。不安に怯える心が、いつも暗い経験を引き寄せてしまうのだろうか。誘蛾灯のように。》











a14.


ガキカメ


 久々に、かめと2人でナンカレーに。珍しくかめから誘ってきたのは、10年隊を観に来れないので、かめなりに気をつかっている、らしい。
 テーブル狭しと並んだ大量のお料理にパクつきながら雑談。最近どうよ、とか言ってみたりして。ぶっちゃけ最近も何もいつも一緒にいるから目新しい話題もそんなにないんだけど。
 そしたらかめが、こないだガキさんに借りた2万で、とあるアーチストさんのCDを大人買いした、って言い出して。
「へー、CD?」
「はい。CD出てるヤツ全部。とか、ファンブック?みたいなのとか」
「ファンブックぅ? ナニ、もしや憧れちゃったりしてるワケ、そのアーチストさんに?」
「いや憧れっていうか」
「片思い?」
「いやいやいやいや。あくまでも、ミーハー的な」
「ミーハー的な片思いなんだ」
「だから違いますって。あくまでも音楽的な興味で」
「待って。『ボクはモーニング娘。に音楽的に興味があって亀井絵里の写真集を買ったんですよ』とか、そういうイイワケが通用すると思う?」
「しない、ですね」
「ホラやっぱり好きなんでしょ」
「くどいなーガキさんも」
「ってか、すでに顔が真っ赤なんですけど」
「そ、そうですか」
 かめがソワソワして、ときめいちゃってるのをみると、面白いし、こっちまでワクワクしてしまう。そうか、最近調子よさげなのはそういうことか。でも、かめが元気なのは嬉しいけれど、喜んでばかりもいられない。
「そうやって、浮かれちゃってるのもいいけど、ね、あんまりのめりこむと、また反動が怖いからね、かめの場合。分かってる?」
「分かってますよ、ただの純粋な憧れですってば」
「ならいいけどさ、かめは落ちるときは、どん底まで落ちるからね、ズドーンって」
「はい……」
「みんな心配するんだから」
「はい……」
 そしたら、かめが予想以上にシュンとしちゃって、こっちが逆に焦りましたよ、2人で黙々とカレーを食べながら、どうしようこの空気、って。そしたら、しばらくして、かめが深刻な口調で訊いてきたんですよ。
「ガキさん、恋愛するって、そんなに悪いことですか」
「悪いとは言わない。でも隠さなきゃダメじゃん。ダメだし、確実に隠せる保証もないじゃん。だから控えたほうがいいと思うよ」
「バレなきゃいいんですよね」
「バレるじゃん」
「絵里はバレませんよ、たぶん」
「いや、絵里は、とかそういう問題じゃないから」
「そういう問題ですよ」
「かめみたいなテキトー人間は絶対シッポつかまれるから」
「大丈夫ですって」
「根拠ないよね。テキトーだなー」
「じゃあじゃあ、ガキさんは絶対恋しないんですか?」
「そうは言わないけど」
「けど何ですか」
「ファンのみなさんはわたしたちに恋しちゃってるじゃない?」
「いや、ガキさんに、ってのはさすがに」
「そうやって、すぐお笑いに持ってかないこと!」
「はーい」
「そういう人たちは、わたしたちが恋愛してると、裏切られた、と思うの」
「イエス」
「するとね、人気がなくなっちゃうの」
「しょぼーん、ですよね」
「あのねえ、真面目に聞いてる?」
「聞いてます聞いてます聞いてます」
「返事は一回!」
「ウイマダム」
「いやマダムじゃないから。そうするとね、グッズも売れず、チケットも捌けず、うちらみんな落ち目になっちゃうわけよ」
「とほほ、ですよね」
「それが現実なんだからさ。現実的に行動しようよ」
「はい」
「なに? なんか不満ある?」
「ない、です」
「いや、その顔は納得してないよ?」
「納得しまくりです」
「あのさあ、言いたいことがあるなら言ってみそ。正直に。怒らないから」
「本心を、ですか」
「おうよ」
「絵里思うんですけど、恋をすると女は綺麗になるって言うじゃないですか。逆に恋をしてないと魅力的じゃなくなると思うんですよ」
「でもさ、スクープされたら他のメンバーにも迷惑が掛かるじゃん」
「魅力がなくなってジリ貧になったって、うちら終りですよ」
「じゃあ、藤本さんみたいに、歌えない状況になってもかまわないの?」
わたしは思わず声が高くなっていて、気がついたら、目尻に涙が。
「そんなの干すほうがおかしい、っつうんですよ!」
なんだか、かめに藤本さんが乗り移ってるような気がした。
「そりゃあね、おかしいとはわたしも思うよ。でもさぁ、それは言えないじゃん。おかしいっつったって、仕事できなくなるんだよ現実に。わたしともさゆとも一緒にいれなくなるよ」
不機嫌そうに黙り込んだかめをわたしはつい追い込んでしまう。
「昔、去年かな、かめの変な噂がさ、変な週刊誌に出たことがあったじゃん。恋愛のことじゃなかったけど」
「あんなの過去の、とっくに終わった話ですよ」
「かめさあ、あんとき、うちらがどんだけ心配したか、忘れてないよね?」
「忘れてないですよ」
「忘れてたでしょ?」
「忘れてた。ウソ! 忘れてない、忘れてない!」
「藤本さんはフットサルもあるし、ソロに戻れる可能性だってある。でもさ、かめは、モーニング娘。脱退したらどうなるの? 厳しいと思うよ、悪いけど」
「メ、メトロラビッツが」
「今まじめに話してんの」
「ガ、ガキカメが」
「降ろされるよ。新番組ガキコハ始まっちゃうよ」
「じゃあ写真集」
「出せないね」
「……」
「八方塞りじゃん、ほらほら」
「そんな、アイドルでいるために、自分の気持ちを殺して、恋愛を諦めて、死んだように生きるぐらいなら、いっそすっぱり辞めてー、そうだなー、お母さんとカフェでもやりますよ」
「あんたそれマジで言ってんの?」
「マジもマジ、大マジですよ?」
「頭冷やしなよ、かめ。湯気出ちゃってるよ」
「絵里は冷静ですよ」
わたしはかめの顔をマジマジと見つめた。
「かめ……」
「なんですか」
「そうやってね、鼻の頭にカレーを付けてね、真顔で語られてもね、こちらとしてもリアクションに困るのよ」
「え、うそぉ」
ハンカチで鼻の頭を拭った──取れました?取れました?──かめが、体勢を立て直して反撃してくる。
「ガキさんは間違ってますよ」
「鼻にカレーつけてた分際で熱く語られてもね」
「カレーはおいといて」
「いやー、こっからマジメモードに持ってくのは厳しいなー……ごめん、マジメに聞くよ。何が間違ってるのよ?」
「ガキさん、『何かが足りない』って言われるじゃないですか、何が足りないと思います?」
「何よ、何が足りないと思うわけ?」
「ガキさん『アイドルはこうじゃなきゃ』って思いすぎなんですよ、だからきっとガキさんのホントの気持ちが見えないんですよ」
「何よ、ホントのわたしって」
「絵里超能力者じゃないんだから分かるわけないじゃないですか」
「わたしだってさ、自分は、何かが足りないって思うよ。でもさ、それが分かんないんだよ」
「絵里、思うんですけど、多分」
「多分?」
「カレーとか付けてみるといいと思うよ、鼻に」
「……マジメに聞いて損した」
「いや、超マジメなんですよ、ある意味」
「そうなのかなー」



〜ボンキュッ!ボンキュッ!BOMB〜


 秋のツアー、初日のゲネプロが終わった。いよいよ本番の幕が開く。それまでの時間、ケータリングや、メンバーの家族が差し入れてくれたお菓子なんかで、腹ごしらえ。
「さあ、今日もボッキュンボッキュンと頑張りますか!」と言ってかめが肩を回す。
「そうやって人の言い間違いをね、いつまでも蒸し返さなくていいから!」
今日もかめはハイテンション。そのかめが、通りがかったスタッフさんを捕まえてお願い事をしていた。
「あの、ついででいいんで、もしも、もしもコンビニに用事があって行くことがあったら、梅のお菓子を買ってきてください。ほんとに、ついででいいんで」
スタッフさんに迷惑かけちゃダメだよ、と叱っても、だって梅がないと調子が出ないんですよ、と言い訳するかめ。
「梅に関しては、ほんと申し訳ないんですけど、うるさいんですよ。絵里のこだわりなんですよ。グルメなんで」
「いや、コンビニのお菓子とかはグルメとは言わないから普通」
「好きな人もできないと、グルメ気取るしかないわけじゃないですか」
「待って。かめさ、好きな人がいようがいまいが、梅は常にガッツリ食べてるよね?」
「梅ツネですよ梅ツネ」
「なんでも略さないの」



『MAPLE』


 事務所についた。まだメンバーは誰も来ていない。かめの机の上に、かめの新しい写真集が置いてあった。カナダで撮ったやつか、と思って手にとった。いつものかめらしい笑顔もあるけど、今まで見たことのない、普段見れないような大人っぽい表情に驚く。黒の衣装が印象的。思わず「へー、大人じゃん」と呟いたら、マネージャーさんが教えてくれた。黒の衣装はかめの提案だって。改めて写真集をめくってみる。黒いビキニ、黒いノースリーブにニーソ、黒いワンピース。黒、黒、黒。まるで喪に服している人みたい。思わずかめの表情に見入っていたら、
「ガーァァァキさーぁぁぁぁん!」
と叫びながらかめが入ってきた。
「うわー、ホンモノ来ちゃった」
「なんですかガキさん、かめいぷる見てたんですか、かめいぷる」
「せっかくキレイな写真見て『かめ、大人になったなー』と思ってたのに、ホンモノに会ったら全部ぶち壊しだね」
「ナニ言ってるんすかガキさん、静止画マジックですよ静止画マジック」
「あははは!サイテー!」




b14.


『踊れ! モーニングカレー』


 《オリエンタル調のセットが妖しい照明のなかに浮かびあがって、インド風の音楽に乗せてモーニング娘。たちが姿をあらわした瞬間から圧倒された。はじめて体験する感覚。それは、例えばいい映画を観て圧倒されるというのとはまるで違う体験で、見てはいけないものを見ているような、でも、あまりの魅力に目をそらすことができないような感覚。元気な歌、一生懸命なダンス、女の子たちが発散する眩しいエネルギー。それと、夢の国のように非日常的な舞台装置、照明、衣装、激しい音響、大観衆の声援が合わさって生み出される非現実的時空間。なんなんだこれは。カーニバル?》


 《モーニングカレーのツアーの時の絵里は、とにかく絶好調だったんですよ、もうホントに、どセンターで歌って踊る場面がとっても多くて、さゆみは密かに悔し涙ぽろりだったんですけど、まあ、ぶっちゃけ、さゆみは歌もダンスもちょっとアレなんで、いたしかたない面もあるんですけど、そのかわりトークとか、黙って笑っているだけでアリエナイほど可愛いとか、総合的にはアイドルとして負けてないと思うのでいいんですけど、でも、武道館公演のときの絵里は、もうほんとにノリノリで、あまりのハイテンションに、見ているだけでこっちが疲れるぐらい。「絵里、今日はやけにハイだよね」って言ったら、絵里が笑顔全開で、「実は、彼が、来てるの!」って、さゆみの耳元で囁くんですよ。しかも、憎らしいぐらいニヤニヤして、一言ずつ区切りながら言うんですよ。「実は!」ニヤニヤ。「彼が!」ニヤニヤ。「来てるのぉ!」ニヤニヤニヤニヤ、みたいな。もうほんとムカつくんですよあの笑顔が。
 その会話にさりげなく聞き耳を立てていたリーダーの吉澤さんが寄ってきて、「ほほー、そーゆーこと? コンサートの私物化は困りますよ亀井さん?」なんて絵里をからかいだして。慌てて絵里が言い訳したんですけど、それがいかにも絵里って感じで。「私物化だなんてそんな。カレが来てると思うと、最高の絵里を見せよう、出せる魅力を最大限表現しよう、ってやる気が出るじゃないですか、いや、普段はやる気ないとかそういうことじゃなくて、やる気が出てしまう気分に自然となれるじゃないですか。いや、だから普段からやる気はマンマン100%ですけど、それが、ありえないぐらい200%ぐらい出ちゃったりするかもしれないじゃないですか、だから、これは、絵里のためだけじゃなく、メンバーのためにも、ファンのみなさんのためにもいいことなんですよぉ」とか、すごい言い訳を並べて、さゆみたちから散々つっこまれたんですけど、ま、こっちとしては、ちゃちゃの一つも入れないとやってられないって部分もあるし、だってあまりにも幸せそうで、悔しいじゃないですか、そういうの。でも、そこは絵里なんで、いじられてもいじられてもめげないってゆうか何を言われても嬉しそうだし、実際、あの日の絵里は、有無を言わせないぐらい輝いてたんで、誰に何を言われても動じませんでしたね。ほんとムカつきますけど。でも、とにかくステージで輝いたら勝ちだし、それは誰にも否定できないんで。》


 《数曲後、衣装が、おなかや脚がむきだしに変わって、なんというか、観ているだけでイケナイことをしているみたいな、直視するのが申し訳ないような気持ちになった。でも彼女たちが真剣にダンスを踊る様子を見ていると、あらわな肌に輝く汗が、とても綺麗だと思えてきた。それに、あの華奢な絵里が、この8人のなかで見ていると、むしろふっくらして見えることに驚いた。みんなあまりにも細い。非現実的なスタイルのよさ。絵里が美味しいものを目の前にしたときにみせる、あの一瞬のとまどい、その理由が分かったような気がした。「アイドル」の過酷さ。》


 《わたしたちが『なみとま』を歌い終わって舞台裏にハケると、入れかわりに田中っちが出動。しばらくソロ曲が続いて、少しだけ余裕があるので、気持ちを落ち着けて、愛ちゃんと一緒に『声』の衣装に着替え。着替えながら、モニターから聞こえてくる田中っちやミキティの歌を一緒に口ずさんだりして、着替え終わっても、そのまま、吉澤さん、かめ、さゆみんのMCに聞きいってしまいそういなるけど、素早く着替え終えた愛ちゃんが、もう『声』を歌いながら自分の踊りの流れを再確認しているのをみて、いかん、ここはしっかり『声』に気持ちを集中しなきゃ、と思い直す。『声』は、愛ちゃんと「ここは5期の結束を見せよう、『声』をしっとりと歌って、ここが一番印象に残ったって言われるように頑張ろう」って誓い合った曲。わたしがモーニング娘。としてソロで歌う曲、新垣里沙がたった一人で、モーニング娘。としてファンのみんなに歌を届ける、わたしにとって一番大事な曲だ。なのに、メロディーを小声で歌って歌詞の世界を頭の中で描いているうちに、なぜか、かめの恋人のことを考えてしまう。彼氏のことを思っているかめのことを考えてしまう。耳から流れるその声が、かめの彼の声になる。その声を聞いて、どうしてそんなに濡れてるの、と思うかめ。そんな情景が頭の中に渦巻いて、歌に集中できない。『声』を歌っているわたしは、なぜか、かめになってしまう。ダメだダメだこんなことじゃダメだ、と頭を振るけれど、あのかめの幸せそうな笑顔がどうしても頭から消えない。まったく、かめったら。こんちくしょうめーっ。》


《絵里と、あと2人が出てきて喋りだした。スポーツの話題で「学校では何部でした?」という質問。あとの2人はバレーとテニス、なのに絵里は「茶道部です!」聞いた瞬間のけぞった。事実なんだからしかたないでしょ、文句ありますか、すいませんね文化系で、とでも言いたげな絵里の表情がおかしくて大笑い。それにしても茶道部。絵里が。今度あったら追求してみよう。》


 《ガキさんのバックで『声』を踊る、たおやかに、乙女らしく、愛に満たされた優しい笑顔で。そうしてガキさんの『声』を精一杯ダンスで引き立てる。今日のガキさんは、いつもと違うような気がする。大きな会場なのに、力みがない。わたしは踊りながら、ガキさんの歌に惹きつけられる。わたしは声量だって技術だってガキさんには負けない自信があるし、歌詞の気持ちを理解して表現することだって絶対ひけを取らないはず。なのに、今日のガキさんの歌を聞いていると、なぜかガキさん『声』は、ガキさんの声を通じて恋する女の子の気持ちが直接響いてくるような気がする。これに比べたら、わたしの『声』は、上手に「表現している」だけに思えてくる。それはどうして。》


 《『声』を歌い終わって舞台裏に戻ると、今度はミキティと田中っちが出て行く。さゆみんと小春が真剣に『メリピン』の振りを最終確認している。『声』を歌いきった、一仕事終えた気分で、ほっとしながら、かめに寄っていくと、かめが「ガキさん『声』よかったですよ」なんて偉そうに言う。「どっから目線なのぉ」「いやいや、冗談抜きで。心に染みました」「かめが言うとさ、逆に冗談にしか聞こえないよね」「イヤイヤイヤイヤ」「そんな偉そうに言ってる場合じゃないよ、かめ。かめがあんなこと言うから、もう、雑念を追い払うのが大変でねー」とイヤミを言っても、「雑念に邪魔されて集中できないなんて、まだまだ修行が足りないってことですよガキさん」と余計に偉そうなことをいうのがかめなんですよ。「むかつくー」「ってゆうか、かめになった気分でー、恋する乙女になりきってー、歌えばー、完璧だったんですよきっと」「それだけは絶対ごめんだね」「なんでですか」「むかつくから! あははは」でも、ぶっちゃけ、実は図星で、ほんのちょっとはかめになった気持ちで歌っていたかもしれない。雑念を追い払おうとしても逆効果なんで、だったら逆に開き直ってなりきっちゃったほうがいいかも、って感じで。でも、そんなこと、かめ本人には絶対言わないですけどね。どこまでも調子に乗っちゃうんで。》


 《あのおっとりとした絵里が、キビキビと体を動かし、髪を振り乱して真剣に踊っている。まるで生命そのものが輝くようなエネルギーの発散。激しさ。》


 《亀井ちゃんと2人で『シャボン玉』と『恋ING』の前半を務める部分があるんですが、亀井ちゃんって、普段はあのとおりのヘンなヤツなのに、歌うときはがらっと変わるんですよね。それを亀井ちゃんに言ったんですよ。
「亀井ってさぁ、『恋ING』歌うときは可愛いよね」
「え。待ってください、歌うときは、ってひどくないですか? 歌うとき限定ってことですか?」
「詐欺だよね、ある意味」
「何言ってんスか、絵里の本来の持ち味を自然に出せるのが『恋ING』ですよ」
「よく言うよ」
「言いますよ。これ、事実なんで」
「でもさ、ほんとに可愛いと思うよ」
「だからー、事実だって言ってるじゃないですか」
「イヤイヤ冗談抜きでさ」
「イヤですよぉ、知ってますよぉ、ウヘヘヘヘ」
「ムカツク」
でも、ほんとに可愛いと思ってるのは事実で、亀井ちゃんと2人で『恋ING』を歌うときは、吉澤も、「女の子」って気持ちになって、まぁ、冷静に考えるとキャラじゃないかも知れないけど、思い切り楽しんでやっちゃいました、「女の子」を。》



 《激しい踊りの後、パッと雰囲気が変わって、絵里が『恋ING』を歌った。自分に向かって歌いかけてくれているような気がした。嬉しいというか、気恥ずかしいというか、居たたまれないような感覚。きらびやかなステージの上で歌うアイドルが、その瞬間だけ、僕の「絵里」と重なり合うような気がした。目の前で歌い踊るアイドルが、武道館を満員にするトップアイドルが、本当に、あの絵里なんだ、という事実が、途方もなく現実離れしていて、怖いぐらいだった。》


 《最近のみきは、なんかホントに娘。のメンバーが大好きで、ま、ぶっちゃけ、カチンときたり切れそうになることも、多々あるんですけど、基本は大好きで、それで、ライブ中にメンバーと、こう、いちゃいちゃと、なんていうか、セクハラおやじ的にこう、触ったりするのがマイブームなんですけど。それも「ここで道重と抱き合う」とか演出的に決まってる部分でその通りやるのはつまんなくて、予告なしにお尻を触ったりして、メンバーが、キャ、とか、わっ、とか言う、その反応がすごい楽しいの。特に、かめちゃんの反応が、かめちゃんは本気で嫌がって腰がひけちゃうのがみきはすっごい楽しくて、彼女に関してはパンツを食い込ませる、ってのが、自分の中でのひそかなライブの目標の一つだったりしますね。武道館公演の日は、かめちゃんから、実は彼氏が客席にいるって耳打ちされたんで、こんちくしょー、かめちゃんやってくれるな、って気持ちで、これは普段以上に気合を入れてかめちゃんを困らせてやろうと思って、もう、ことあるごとにかめちゃんのお尻にアタックしてたんですけど。アンコールの最後の曲でも、並んで踊る場面があったんで、すかさずペロッとお尻を撫でたら、かめちゃんが「やりましたね!?」って表情でみきをみて笑ったんで、みきも「やったよ!」ってアイコンタクトしたりして、楽しかったです。かめちゃんの彼氏にも、かめちゃんの楽しい表情を見てもらえたんではないかな、って思うんですけど、ひょっとしてみきが嫉妬されただけだったりして。あはは。》


 《コンサートの間中、絵里は、歌い踊りながら、ファンに手を振ったり、目配せしたり、時には、カメラに向かって表情を作ってみたり、見ていると本当に息つく暇もなく笑顔を振りまき続けている。でも、それがプロっぽいとか、あざといという感じでもなく、心から楽しそうに見える。きっと本当に心からコンサートが楽しいんだと思う。会場を埋め尽くす全てのファンに、笑顔を、楽しい気持ちを届けようとしているように見えた。その絵里が、本当に時々だけど、さりげなく僕のほうを指差したり、照れくさそうに笑いながらウィンクしたりした。気のせい、ではないはず。でも、そのたびに、僕の隣にいたオレンジ色のTシャツを着た人が「うおー!」と叫びながら、飛び跳ねていたけれど。》




 《公演が終わって、急いで着替えをして、送り迎えのバスに乗り込んでも、まだ公演の興奮がさめなくて、ツアーの山場の武道館をやり終えた、っていう充実感にみんな浸ってたんですけど、とりあえず疲れてるんでお家に着くまで静かに寝ていたいって人もいるじゃないですか。でも、そんな中、例によって空気が読めない小春が、突然ワーワー騒ぎ出したんですよ。何かと思えば、かめに、ケータイケータイ写メみせてください、って。あー、彼氏の話が耳に入ったんだなー、と思ってたら、かめが、よせばいいのに、ほんとに小春にケータイを渡しちゃって、そしたら、もうえらい騒ぎで。横に座ってた田中っちと一緒に、ワーキャー言い出して、あげくには、愛ちゃんや、吉澤さんまで、ちょっと見せてごらん、って言い出して、もう、ここはどこの女子高なの、って感じの大騒ぎでしたよ。かめはといえば、ヒューヒューって冷やかされたり、「イケメンじゃん」って褒められたりして、まんざらでもない様子で、ウヘヘウヘヘ照れ笑いしてて。わたしもついつい「かめ、熱いね。恋愛進行形だね」なんて言ったり。それにしても、かめの浮かれっぷりはハンパじゃなかったですよ。呆れ顔のミキティに「ハイハイご馳走様」って言われても「あれ、もうお腹いっぱいですか、いいんですよ、遠慮しなくても」ですもん。わたしも、若干呆れつつも、反面、かめが幸せそうにしてることが嬉しくて、できることなら、いつでもそうやって楽しそうに笑ってて、なるべく人を心配させないでほしいな、なんて思いましたけどね。かめがへこんでると、ほんと心配なんで。》


















[完]







c14.


アイドルは嘘をつく


 アイドルは嘘をつく。アイドルは嘘をつかなければ生きていけない。彼女は、帽子をかぶって街を歩く。有名人であることを隠して、己を偽って、無名の群集にその身を紛れこませることなしには、彼女は街を歩くことひとつできない。帽子は無名に化けるための魔法の杖であり、偽りの記号である。わたしはアイドルではありません、モーニング娘。ではありません、亀井絵里ではありません。カントはいついかなる場合であっても嘘をつくことは道徳律に反すると言った。汝嘘を言うなかれという酷薄な定言命法。だがアイドルに何の罪があるだろうか、アイドルが嘘をつくように、嘘に頼らなければ生きていけないように仕向けるのは、我々であり、我々のメディアであり、我々の経済合理性であり、我々の社会そのものだというのに。我々こそがアイドルを嘘という避難生活用の薄汚れたバラックに押込めて、アイドルでいるかぎりは決して外の自由な空気を吸えないように仕向けているというのに。
 残酷なのはアイドルの嘘が嘘であることを我々が知っているということだ。アイドルはうんちもおならもしません。恋愛はしません。したいんですけどね。恋人募集中です。いいひとがいれば結婚したいんですけどね、どこかにいませんかね。それらの芸もなく繰り返される決まり文句がお約束であり建て前であることなど先刻ご承知なのにも関わらず、我々は、一度アイドルの嘘が露見すると、やれ約束違反だ、契約違反だ、モーニング娘。の掟を破った、プロとしての自覚が足りない、などと言い募る。
 いまや、アイドルは崇拝の対象でも、憧れの対象でもない。われわれは少女たちをアイドルと見なすことで、彼女たちを非人間的な非自由の中に、狭く暗い檻の中に押し込めて拘束し、差別し、支配し、管理する。そして我々は叫ぶ、我々はユーザー様だ、消費者様だ、金を払っているんだ、その対価として処女性を担保せよ、恋愛をするな、立場をわきまえろ、アイドルの分際で自由に生きようなど、普通に恋愛して青春を謳歌しようなど虫がよすぎる、だったら最初からアイドルになんかなるな、アイドルには人間として生きる権利などないのだ!
 だが、アイドルが帽子をかぶることに何の罪があろうか。アイドルが人間として生きるために嘘を必要とするならアイドルが人間であることは許されない、あるいは人間がアイドルとされることは許されないと仮にカントが言うなら、あの定言命法は残酷でおぞましい我々の社会の反映にすぎないと言うべきだろうか。いや、むしろ、アイドルに嘘を強いる我々の社会の虚偽性こそが、アイドルを生産する文化産業が依拠する経済合理性原則こそが、そして我々とアイドルとの関係性そのものが道徳律に反すると言うべきなのだ。彼女が帽子を被らずには街を歩くことすらできない社会を許容しておきながら、彼女が帽子も嘘も必要としない社会を実現できずにいながら、彼女の帽子を糾弾することにいかなる倫理的正当性があるだろうか。
 せめて我々は、帽子をかぶることはなんら責められることではないと認めよう。しかしそれは、我々が、彼女が帽子を被ることを許してやるということを意味するのではない。我々は、彼女が帽子を被らねばならないことを、嘘をつくという苦しみを与えているという、まさにそのことを恥じねばならないのだ。



脳内かめちゃん


 「田村さん死んじゃった」そういって、書きかけの小説を読みながら、かめがシクシクと泣いていた。その悲しそうな顔を見て、一瞬、田村を生き返らせようか、死なないことにしようか、と考えた。かめの笑顔が見たい、そのためだけに。
 突然、かめが立ち上がり、僕の顔を正面から見た。「なんで、なんで死んじゃったんですか」そうやって、涙を浮かべながら僕を責めた。
「そういう小説、お話だから」
「そんなの納得できるワケないじゃん!」
かめはマンガのような古典的な仕草で、僕の胸を両手で叩き、泣きながら崩れ落ちそうになり、僕の肩に捉まって、胸に顔を埋めて泣き続けた。涙の温もりがシャツに染みて伝わってくる。熱い涙が徐々に冷たくなっていき、彼女がしゃくりあげる音が響き続ける。



脳内かめちゃん


「かめちゃん、コーヒー淹れたけど、飲む?」
「いらない」
「新製品の梅干あるけど」
「いらない」
「何か欲しい物とかある」
「いらない。なにもいらない」

「ここに梅干置いておくね。美味しいよ」
 そういって目の前にお皿を出しても、かめは微動だにしなかった。

 しばらくして、また様子を見に行った。
 相変わらず、かめは黙って座っていたけれど、みるとお皿の中の梅干がなくなっていた。

 少しだけ、安心した。



脳内かめちゃん


 最後の大詰めを必死で執筆していたら、かめが部屋に駆け込んできた。
「絵里は分かりました!」
「なにが、どうしたの」
「犯人はアナタです、イタさん!」
「いや、これ推理小説じゃないから」
「あ、違うんですか」
「違いますね」
「でも、イタさんが殺したには違いないじゃないですか」
「ま、一応《作者》ですからね」
「ほらね。なんで殺したんですか」
「なんで、と言われてもさ」
「田村さんと絵里がいい感じで愛し合ってるから、イタさん嫉妬したんでしょ?」
「そんな自分で作った登場人物に嫉妬とかするわけないよね」
「そして、田村さんに逆恨みして、殺すことにしてしまった」
「いや。逆恨みとかね」
「違いないですって。それにですよ? 主人公を病気にしたり、殺したりして、読者に『さあ泣いてください』なんて、お涙頂戴で安易でダサい、ラノベやケータイ小説じゃあるまいし、っていつも言ってたのに、なんですか、この終わり方。事故死なんてご都合主義じゃん!」



脳内かめちゃん


 《交通事故にあった田村は、必死の救命活動と、ある天才外科医の手術のおかげで奇跡的に助かったのであった。ひしと抱き合う田村と絵里。
「もうオレは絶対にお前を離さないよ」
「隆ちゃん! 絵里も!」
「ずっとずっと一緒にいような」
「うん! 隆ちゃん大好き!」
そして2人は永遠の愛を誓い、いつまでもいつまでも、幸せに暮らしました。[完]》

「いやー、我ながら傑作」
そういってかめがPCの前で一人でニヤけていた。
「あー、なに勝手に人の小説書きかえてるんだよ!」
「絶対このほうがいいですよ!」
「なんだよ、その幼児向け名作童話みたいな終わり方」
「どうせ絵里は幼稚園児レベルですよ。フン!」



「カフヱ痛井ッ亭。」最終回


ガキさん さ、ついにというか、ようやくというか、この小説も終わりに近づいたワケですけれども。
かめちゃん エンディングゥ〜!
痛井ッ亭。 エドはるみさんね。
ガキさん あのねえ、そうやって、小説の後味をビミョーな感じにするようなギャグをしないこと!
かめちゃん なに言ってんスか、ガキさん、これが絵里らしさですよ。
痛井ッ亭。 まあ、かめちゃんだからしょうがないよねガキさん。
ガキさん しょうがないか。じゃあ、終わりにあたって、今後の抱負とか、言ってみそ。ホレ。
かめちゃん 絵里は、自分を変えて輝きますよ。
痛井ッ亭。 あれ? まだ、変わってなかったんだ?
かめちゃん いや、輝きまくってますけど、更にですよ。絵里、向上心が強いんで。こう見えて。
ガキさん 言うよねえ〜!
かめちゃん ほらガキさんだっておしまいにもかかわらず、ビミョーな「エアはるな愛」じゃん!
ガキさん あはは。ごめーん。
かめちゃん とにかく、また一段と輝くためなら、絵里は何度でも自分を変えるってことですよ。
ガキさん カメならぬカメレオンだね。
かめちゃん ガキさんも、人のこと茶化してないで輝いてくださいよ?
ガキさん おうともよ。
かめちゃん せめて卒業前に一回、せめて一回ぐらいは……
ガキさん ちょっと待って。それはわたしが一回も輝いてない、って言いたいわけ?
かめちゃん あれ、絵里そんなこと言いましたっけ?
ガキさん いくらかめでも聞き捨てならないよ、それは。
かめちゃん 絵里が間違ってた。ガキさん、いつも輝いてますよ!
ガキさん テキトー! イタさんどう思います。
痛井ッ亭。 まあ、かめちゃんだから。
ガキさん しょうがない、と。そればっかり。
かめちゃん じゃあ最後は、絵里の華麗な名言で締めくくりましょうよ。
ガキさん なによー、名言なんて言えるわけ?
かめちゃん 言えますよ。覚悟して聞いてください。
ガキさん あ、覚悟がいるのね、聞くのに。
かめちゃん では名言とともにお別れです。それではみなさん、御機嫌よう、さようなら。
ガキさん ありがとうございました。
痛井ッ亭。 おつかめさまでした。



アフォリズム


つっこみにはつっこみの、ぽけぽけにはぽけぽけの苦労がある。
          ──亀井絵里

かめにだけは言われたくない。
          ──新垣里沙


 =注記=
 エピグラフとして掲げた亀井絵里の言葉は『モーニング娘。誕生10年記念本』(東京ニュース通信社、2007)より。以下、Th.W.アドルノ『ミニマ・モラリア 傷ついた生活裡の省察』(三光長治訳、法政大学出版局)より(c7,c13での引用句も同書から)、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』(三好郁朗訳、みすず書房)より、ニーチェの『権力への意思』からの引用句はジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(今村仁司・塚原史訳、紀伊国屋書店)より引用した。
 本文中に、ゲーテの言葉として『ゲーテ格言集』(高橋健二編訳、新潮文庫)から引用した。
 また本文中に、モーニング娘。『恋ING』『愛と太陽に包まれて』『声』(以上、作詞作曲:つんく♂)の歌詞を引用した。ただし文章の性質上、引用箇所は明示していない。


 ※重要な注意:この小説はフィクションであり、実在する人物・団体とは関係ありません。

 ※この小説へのご感想を、掲示板の専用スレッド『「恋ING 恋愛小説」の感想』まで、お気軽にお寄せください。メールでもお待ちしております。また、事実関係(何の?)の誤認などに関する御指摘もありましたらお願いいたします。

 =謝辞=
 掲示板にて情報提供してくださった皆さん、ありがとうございました。
 公表前に、目を通してくださったゴイサギさん(『亀井絵里推しのテキトーなブログ』)に心から感謝します。
 温かい御協力にもかかわらず、作品に残った事実誤認、思想的偏向、ヲタ度のゆるさや愛の不足、KY、つまらない、ウザイ、長い、読めない、などの責任は、もちろん痛井ッ亭。ひとりが負うものです。






ノノ*^ー^)人(VvV从





[2008.10.03初出]
[2008.10.10一部修正追加]