La déconstruction des idoles ──アイドルの脱紺築 après le 1er juin 2007

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過去日記(2007.10,11,12)





Cheese inリフリジーター日記
 テキトーで、ぽけぽけぷーで、荒唐無稽という困難なキャラに挑みつつも、フォトジェニッカーとしてファンを魅了し続ける、黙っていれば正統派美少女、口を開けばアホキャラ満開の、世界一可愛くて、謎めいた魔性の女、亀井絵里に萌え狂う日々。
 そして美貴ちゃんの復帰を信じ続け、美貴ちゃんを辛い目に遭わせているものにたいして粘り強く批判を継続する日記。

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2007.10.02(火)
■藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》

 CBCラジオ「ドキみきnight」が9月で終了した。美貴ちゃんのデビューから間もなくして始まり5年の永きにわたり続いてきた番組としてはあまりにあっけない幕切れだった。
 その終わり方や、最終回の内容については、後日改めて触れたい。
 ともあれ、この終了によって、地方の在宅ファンにとって藤本美貴はまったく不可視の存在になった。

 そして昨日は、ハロプロの公式サイトから、2008冬のハロプロコンサートについて告知があった。

Hello! Project 2008 Winter 欠席メンバーのお知らせ

以下のメンバーがHello! Project 2008 Winterを欠席します。
・飯田圭織 ・後藤真希 ・辻希美 ・藤本美貴

欠席理由:
・飯田圭織は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・後藤真希は、スケジュールの都合により参加できません。
・辻 希美は、妊娠・出産による休業のため参加しません。
・藤本美貴は、都合により参加しません。

お楽しみにしていた皆様には申し訳ありませんが、ご了承ください。
ハロー!プロジェクト
ハロー!プロジェクト公式サイトより引用

 他の欠席メンバーについては、その「都合」の内容を明記してるのに、藤本美貴は単に「都合により」。「都合」の内容は、明かすことが出来ない怪しいものだということだろうか。
 理由がはっきり示せないという時点で、「見せしめ」という捉えられ方をされてもしかたがないし、むしろ、UFAは、そう取られることを意識して敢えてこういう書き方をしているのでは、とすら思えてくる。
 この発表を受けて、掲示板をいつも訪れてくださるKAKIさんが、以下のコメントを寄せてくれた(一部を引用)。

 でもこんな懲罰的人事を受け入れて、ステージ上で誠意の無い謝罪をしたり、最初から藤本がいなかったかのように振舞った時点で、他のメンバーの魅力が無くなっちゃうよ。
 だって昨日まで肩を組んで、声を重ねて、尻を触りあって…もとい触られて、一緒に笑ったり、泣いたりしてきた仲間。
 それがこんな目に遭ってるのを、内心はどうあれ、受け入れている段階で、色褪せてしまう。
 疑ってしまう。
 今現在、ステージの上で繰り広げられている交歓の光景も嘘じゃないかって。
 事務所の命令だから、本当は好きでもないけど、抱き合ったり、キスをしたりしてるだけじゃないかって。
 そんなお人形さんが歌ったり、踊ったりしてるのを見ても、面白くない。
KAKIさん、2007.10.01

 同じ疑問は、今年の夏のハローコンサートでも感じられた。
 出場するメンバー達は、一体、どのような思いを抱えて、この藤本美貴の出場しないコンサートの舞台に立っているのか、と。
 MCで藤本美貴の件にまったく触れないで済ませることで、その存在を間接的に抹殺することの痛みを自覚しているのだろうか、と。
 これは、ハロプロメンバー間の信頼関係を疑わしめるに足る事態なのだと思う。
 ハロプロを彩る物語の一つに「ハロプロは家族」というものがある。この「ハロプロ=家族主義」にはわたしは賛同しないし、それは一種の同化圧力を伴う暴力的なイデオロギーですらあると思う。だが「ハロプロ=家族」ではなくとも、同じステージに立つ仲間としての、同僚としての、ライバルとしての、同志としての信頼関係や絆というものが、ハロプロメンバーの間にはあるはずだと思う。そのような絆までも、表面的で、簡単に見失われてしまうような脆いものだったのか、と疑わせるような、今回の藤本美貴の処遇を巡る一連の事態の推移というものがある。

 しかしわたしのなかのマヂヲタの部分は、こう叫んでいる。メンバー達もまた、悲痛な思いや怒りを内に秘めながら、藤本美貴に辛い思いをさせているものに対して、いずれ自分たちにも跳ね返ってくるであろうものにたいして、無言で戦っているのだ、と。
 無論、この思いを根拠付ける証拠は何一つない。
 メンバー達は、立場上、この話題に積極的に触れることはできないだろうし、おそらく藤本美貴の名を出すことすらしないように釘を刺されているのではないか、とも感じる。無論のこと、事務所批判など出来ようはずもない。
 UFAによる、見せしめ=恐怖政治は見事に功を奏し、メンバーたちは歌って踊れる「お人形さん」になり、羊飼いの鞭に脅える群畜的動物になり、将軍様の暴政に唯々諾々と従う奴隷と化すように見える。その光景が、あくまでも表面上のものであることを、わたしは信じたい。彼女らの内面には、反抗の気概がマグマのようにフツフツと煮えたぎっていると信じたい。

 群畜的行動の例。(ただし、これは2chへの書込み情報なので、わたしには真偽を確かめる術がない。そのようなものとして考えてください
 先日行われた「モー10トークショー」にて。中澤裕子が、モーニング娘。10年の歴史を振返る話をした。おそらくは、事務所の用意した進行台本を読んだものと思われる。
 飯田圭織卒業の後、「うちの矢口が御迷惑をお掛けしました」という話で笑いを取り。そのあと、中澤裕子は「吉澤ひとみ卒業、女に幸あれ、そして高橋愛がリーダーに」と、モーニング娘。の歴史を要約したというのだ。
 これは、事務所の用意した原稿としてもひどすぎる。
 これは、「アウシュビッツはなかった」どころか、そもそもユダヤ人などいなかったというに等しい最悪の歴史修正主義ではないのか。
 中澤裕子は、何故、こんなものを言われるがままに読んでしまったのか。(いや、中澤裕子は事務所や番組の都合に従い、どんな無理難題にも応じてきた、だからこそ、彼女の今日があるのであってみれば、彼女──そしてもちろん他のハロプロメンバーすべてに対しても──に命がけの反抗を期待することなど、出来る相談ではないのだ)
 そのあまりにむごたらしい藤本美貴の黒歴史化に対して、詰めかけたファンが疑念の呻き声をあげて、そこでようやく中澤裕子は「そこでひっかかるか、しゃあないなあ、藤本美貴がリーダーになってご迷惑をお掛けしました」と、それを笑い話にして見せたのだという。
 たしかに、笑いに紛らわす以外にその場の雰囲気を保つ方法はなかったのであろうし、中澤裕子の関西人としての反射神経がそうさせたということもあるのだろう。
 だが、この件で藤本美貴が負った傷は、笑いに紛らすには、まだまだ生々しすぎる。生乾きどころか、赤い鮮血が吹き出しているのだ、彼女の心から、我々の心から。

 そんな中、道重さゆみが、ラジオで神懸かり的な発言を。
 先週のCBC「今夜もうさちゃんピース」のなかで、「さかさまパニック」のコーナーに送られてきたネタに対して「早口言葉ですね。藤本さんのほうに送ってください」と言ったのだ。既に終了した「ドキみき」に送れ、と。
 この状況下で藤本美貴の名前を出すだけではなく、「ドキみき」が終わってなどいないかのように発言すること。思わず喝采を叫びそうになる。
 事実は、収録の段階では「ドキみき」の放送終了を知らされていなかっただけなのかもしれないのだが。
 しかし、この瞬間的な発言は事務所のチェックをすり抜けて、編集カットされることもなく、オンエアされた。
 そこに、一種のゲリラ的な反UFA活動の気概を感じ、歴史修正主義への英雄的抵抗の姿を見るのは、おそらく6期ヲタ的ミキヲタ的妄想にすぎないのだろうけれど。

 もう一つだけ、6期ヲタ的ミキヲタ的妄想を。
 亀井絵里がガキカメで四面楚歌と言い出したのは5月の終り頃で、6月23日放送分(6月中旬に収録)では、道重さゆみに四面楚歌を言う言葉をメールで何度も送りつけたと発言していたのだった。絵里の強力な四面楚歌推しは8月頃まで継続している。
 しかし、これは、本当に、単に覚えた四字熟語を意味もなく使っていたのか。それとも自虐的に使っていたのか。実際には、亀ちゃんはそのポケポケなキャラクターを愛されていて、四面楚歌的状況など感じたことはないだろう。
 6月中旬、その言葉が誰よりも似合う存在は、やはり藤本美貴だったとしか思えない。
 とすれば、この異様なまでの四面楚歌推しは、みきえり宣言でもあり、藤本美貴の置かれた境遇を自分の身に置き換えて発言していたのではなかったか、と思われるのである。

2007.10.03(水)
■痛々しい夢 6期の

从VvV从<モーニング娘。9期出戻りメンバー、藤本美貴ですっ!
ノノ*^ー^) <ふふふ藤本さん?
从*・ 。.・从<いつのまにそんな大後輩に
从 ´ ヮ`)<6期なのに9期、これがホントのシックスナ……ぁ
从*・ 。.・从<今、素で失言だったので、軽くスルーしてください
从VvV从<ただいま…ってか、ひどい妄想だよね
ノノ*^ー^) <痛々しいです
从 ´ ヮ`)<これあれやろ? アンチに嘲笑されるためにわざとしとるっちゃろ?
从*・ 。.・从<さすがはアクセス厨ですよね

2007.10.04(木)
■「女の子の全身全霊の決意」とは何か 〜つんく♂発言を再読する〜

 藤本美貴のモーニング娘。「脱退」直後、6月4日に発表された、つんく♂Pのメッセージを再読してみる。

2007年6月4日/月曜日
GAM&美勇伝のコンサートが東京で行われました。
皆様ももう報道等でご存知とは思いますが、
藤本美貴がモーニング娘。の脱退を決意し、受け入れることにしました。
リーダーとして、いろいろ感慨深い気持ちもあるようですが、女の子の全身全霊の決意。
皆様も多大なる暖かいお気持ちで応援してあげてほしいと思います。

 この発表が出た当時は、頭が混乱していたせいもあり、状況が見とおせなかったこともあって、この発言の真意は見えていなかった。
 「女の子の全身全霊の決意」とは、「リーダーを退き、モーニング娘。を辞める決意」を大袈裟に語った空疎な表現、程度に考えていた。
 今再読してみると、別の可能性に気付かざるをえない。
 「受け入れることにしました。」という表現は、主語が曖昧で、「つんく♂自身が藤本美貴の脱退を了承する」という意味にも捉えられるが、しかし、読みようによっては「藤本美貴が『脱退』を受け入れた」とも読みうる。
 少なくとも、つんく♂は主語を曖昧にするという手法を用いて、そう読まれる可能性を残したとは言えるだろう。
 「女の子の全身全霊の決意」という表現も、今思えば、ただごとではない表現だし、決して空虚な美辞麗句ではないと感じる。(優れた作詞家でもあるつんく♂が言葉を粗末に扱うわけがないのだ)
 むしろこれは「モーニング娘。を辞めることの決意」ではなく、「恋愛は悪ではない。自分は間違ったことはしていない。だから、絶対に、別れろという指示には従わないし、それで干されるならそれでもかまわない」という方向性の──頑なな──決意だったのではないか、という気がしてくるのである。
 「ケジメをつけるためにモーニング娘。を辞めて、しばらく大人しくしていて、矢口真里のように何食わぬ感じで復帰」という絵を描いていたのなら、それを「女の子の全身全霊の決意」と呼ぶのはあまりに大袈裟に過ぎよう。
 しかし、その意図が、事務所との円滑な関係も、アイドルとしてのキャリアも、未来も、何もかも放擲して、ただひたすら恋愛に生きることを選ぶ…という事だとしたら、それこそが「女の子の全身全霊の決意」という言葉として相応しいように思えるのである。
 この想像がもしあたっているとしたら──ファンとしては恐ろしいことだが──藤本美貴のアーティストとしての復帰は、非常に困難なものになるかもしれない。それが正当なことだというのではなく、事実として。
 しかし、このことについて、「モ娘(狼)」のとあるスレッドで、一人の匿名氏が、こう書いていた。「美貴ちゃんは恋愛をつらぬき通したのでエライのではないか」
 もしそうだとすれば。
 「女の子の全身全霊の決意」が、「恋愛を貫き通す決意」を意味するのならば、涙を飲んでその決意を受け入れるのが自分の取るべき態度であるようにも思える。

 従って、すべての発端となったスクープ記事の直後に書いた、以下の記述はもはや維持できない。

   でもまあ、みきちゃんは、しっかりしてるから。
 仕事や支えてくれるファンの気持ちと、男との交際を秤に掛けて、後者を優先するような、
 矢口真里みたいな大馬鹿者
 とは、ミキちゃんは違うと信じてます。

(5.27付の記述より)

 これを書いた5月27日の時点では、まさか本当に藤本美貴がモーニング娘。を「脱退」することになるとは露ほども思っていなかった。
 そこで、そのような悲しい結末を是が非でも回避してほしいという願いから、こういう書きかたをしたのだった。

 矢口真里が「脱退」した当時は、このサイトを休止中だったので、それについては、私は何も語っていなかった。とはいえ、あの時は正直言って、彼女の辞め方に違和感を拭い切れなかった。
 当時は、まるで、スクープが出たことを理由にして、リーダー職を放り出して、モーニング娘。を逃げ出したようにみえたのだった。
 しかし、矢口真里は、モーニング娘。を愛するがゆえに、モーニング娘。に傷をつけないために辞めたのだ、という解釈を一応は支持しなければならない。一応という理由は、その解釈を正当と認めることは、アイドルの恋愛を否定することそのものだからである。
 その意味では、「モーニング娘。を守るためにモーニング娘。を辞めること」もまた批判されなければならないのだ。これは、決して[反矢口][アンチ矢口]的言説ではないことを、念のため注記しておく。藤本美貴の恋愛を肯定する以上、矢口真里の恋愛も肯定するべきであり、同時に、二人が「脱退」を受け入れたことをこそ批判すべきである。二人の違いは、ただ一点、矢口真里は「脱退」をすんなりと受け入れ、藤本美貴はそれに対して抵抗した(らしい)ということにあるが、その意味は大きい。
 ともあれ、矢口真里の「脱退」も事務所との話し合いの中で決まったことであろうし、おそらく「脱退」以外に彼女に取りうる選択肢はなかったのであろうから、そのことで矢口真里本人を責めることは無論出来ないし、したいとも思わない。責められるべきは、そのようにして「アイドルの処女性」を墨守し、異形の怪物だったはずのモーニング娘。を、薄っぺらでつまらない只のアイドルとして飼い馴らそうと目論む事務所の方針、モーニング娘。独自の価値への悲しいまでの無理解であろう。

 つんく♂さんが、「女の子の全身全霊の決意」と表現した、藤本美貴の決意が、事務所の意向と真っ向から対立するものであったろうことの、一つの傍証をあげておく。
 スクープ記事発表と、UFA側の対応の時間的関係について。
 ・やぐ「脱退」とフライデー。
 2005.04.14 矢口真里モーニング娘。脱退を表明。
 2005.04.15 矢口真里、講談社の写真週刊誌「フライデー」に小栗旬との熱愛写真が載る。
 ・加護ちゃん謹慎とフライデー。
 2006.2.9 所属事務所から、加護亜依の謹慎処分が発表された。
 2006.2.10 『FRIDAY』2006.2.24号の発売日。加護亜依の喫煙現場を捉えた写真が掲載され、スキャンダルとなる。
 ・加護ちゃんの契約解除と「週刊現代」。
 2007.03.26 講談社の「週間現代」に加護亜依のスクープ記事が掲載される。
 2007.03.27 UFAが加護亜依と契約解除。
 ・そして、藤本美貴「脱退」とフライデー。
 2007.5.25(金) 藤本美貴、講談社の写真週刊誌「フライデー」にて庄司智春との熱愛を報じられる。
 2007.5.26 MBS「ヤングタウン」での藤本美貴の発言「まだ何も決まっていない」「モーニング娘。をどうするのかこれから決まる」「わたしは罰を受ける」など。
 2007.5.31 テレビ東京の菅谷定彦社長(68)が31日の定例会見にて、「モーニング娘。のメンバーでいる以上は処女性を保ってほしい」と要望。
 2007.06.01 藤本美貴、モーニング娘。「脱退」、リーダーを退く。
 2007.06.02 GAMの大阪公演にて藤本美貴、ファンに謝罪コメント。
 ……上記の日程関係から明らかなように、通常のUFAの危機対策の常道に従えば、藤本美貴の処遇は、5.24か5.26の時点で決まっているはず。それが、6.01と遅れたのは、やはり、話し合いが難航したからだと考えられる。
 つまり、藤本美貴は自己主張をしたのだ。唯々諾々と処分に従うのではなく。
 たとえ言い分が通らないと分かっていても、言うべきことは言う、そんな姿勢に美貴ちゃんらしさを感じる。
 藤本美貴が藤本美貴であることを諦め、そのあまりにも独自で圧倒的な個性と魅力を放棄し、只の、普通の、牙を抜かれたアイドル歌手として生き延びることよりも、たとえ芸能人でいられなくなる恐れがあるとしても尚、藤本美貴が野性的な生命力と鋭い瞳の輝きとを持つ藤本美貴であり続けられることをこそ、私たちは支持しなければならないだろう。涙ながらに。
 そして、そのような真の個性を活かすことのできない芸能界とは、アイドルとは、一体なんなのか、真摯に考え続ける必要がある。

2007.10.09(火)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第25回09.22(土)を更新

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#25を更新しました。

2007.10.11(木)
■亀井絵里5th写真集『MAPLE』本日発売

 絵里ちゃんの5冊目となる写真集『MAPLE』が本日発売となりました。おめでとう絵里ちゃん!
 ……田舎ゆえ、まだ実物を入手できていませんが、ま、世間の流れには泰然と乗り遅れつつ、ゆっくり実物と御対面したいと思います。
 『ラブハロ! 亀井絵里 in プーケット』のレポが、これからクライマックスという状況(遅っ)なので、焦らず、ゆっくりと仕上げます。
 『MAPLE』は最高傑作との噂。
 『ラブハロ!』も最高傑作でした。反論は認めません。
 常に現在が最高のえりりんですから。これからも、ますますその全方位的魅力を撒き散らし続けてくれることでしょう。

ノノ*^ー^) <めいぷりん♪
ノノ*^ー^) <かめいぷる♪

 (予定)
 ・ラブハロ!レポ(最後まで気を抜かず)
 ・ガキカメ更新(簡略化して継続)
 ・ミキ受難曲、数回分予定あり
 ・恋愛小説『恋ING』ノロノロと進行中
 ・亀井絵里論ノート 0〜6?
 ・『MAPLE』に関して何か書く。どう書くかは未定
 ・アイドルの脱構築(構成を大幅に変更して継続)

2007.10.13(土)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第26回09.29(土)を更新

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#26を更新しました。

 (備忘録:最近のニュース)
 ・ハロウィンの公式写真:どんな扮装をしたいか、というお題に対し、さゆがヘケートになりたい、藤本さんみたいに……と回答。みきさゆはガチ。
 ・週刊新潮に色々と凹む記事が出ている。
 ・GATASが来月札幌に来るんだけど、どうしよう。
 ・MAPLEが入手できていない……orz
 ・ガキカメ更新が二週周回遅れ……orz
 ・小説を進める時間が……orz
 ・狼からリタイヤ出来ていない……orz
 ・後藤真希論、中澤裕子論、田中れいな論、5期論、6期論、各準備中…

2007.10.13(土)no.2
■亀井絵里5th写真集『MAPLE』入手!

 女神からの新たな贈り物がようやくわが家に。
 落着いた女性的な、純粋な美しさと、内面から湧き出る強烈なエネルギーが同居した素晴らしい写真集。
 えりりんは一体どこまで美しくなってしまうつもりなのかな。
 ビジュアルだけでも充分勝負できるという自信が表情に漲っています。
 メイキングDVDもボリューム満点で、見ごたえあり。撮影中の頑張る表情や、自然な笑顔が、とても亀ちゃん。

 えりりんは女神!!

2007.10.15(月)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (前半)

 約5年もの間続いてきた「ドキみきnight」が9月24日で終了したとき、それが最終回であるという告知は、わずか二日前になされた。当然、最終回の収録は、この告知のなされる前に終わっていたであろう。長年聞いてきたリスナーが、メールやハガキで感謝の気持ちを伝える間もなかった。そのような機会は与えられなかった。そのことを多くのファンが惜しみ、また口惜しさに唇を噛み締めたはずだ。
 唐突な中断。番組の終了とは、打切りとは、通常そういうものなのかもしれない。しかし、これを藤本美貴の現在の境遇と重ね合わせたとき、そこにある遣り切れなさを感じるのは自然というよりむしろ不可避的なことだ。
 そこに、番組の終りを感動的に演出はさせない、という何者かの意図すら感じられなくもない。終りが予告され、終りを惜しむメールが集まれば、その「終り」は感動的な事件として、特別な出来事として記憶されてしまう。歴史に残ってしまう。
 そうさせないように、あくまでも、静寂のうちに退場させること。退場があったことすら気付かれないように。抹消の痕跡すら抹消するかのように。
 もし、上記の推測が当を得ているとすれば、ドキみき最終回は、この陰険な意図に対する、ささやかな、最後の抵抗として構成されたのではないか。そして、そのような性格を指摘できるとすれば、そのことが陰険な意図の存在を裏書すると言えるのではないか。

 「最後の抵抗」と取りうる、一番はっきりとした徴は、番組全部を「しゃべパラ特集」にしたことだった。
 ゲームやクイズの企画で時間を消費するのではなく、なるべく多くのファンの声を紹介し、美貴ちゃんの普段の生活の様子や考え方を伝えながら、ファンと心の交流を楽しみ、番組の最後を締めくくったこと。
 番組はGAMハワイツアーの報告とお礼からはじまった。メールへのコメント:「ああいうイベントとかになると、ほんとに個性の強い方が、こう間近で見れて、こちらも楽しませていただきました。ありがとうございます!」個性が強い」これは、美貴ちゃんとしては、最大限真綿で包んだ表現だと思われる。この発言の真意を推し量れば、これは相当なぶっちゃけ発言ではなかろうか。むろん、ファンを揶揄するような表現は使わないものの、ラインぎりぎりいっぱいまでぶっちゃけてくるスリルとサスペンスこそ、藤本美貴の身上。だからこそ、「逆つっこミキティ」のような、ラジオを通じたファンとの熱いコミュニケーションも成立しえた。それが美しいラジオだった。からかったり、茶化したりしあうことで、アイドルとファンが心からいちゃつきあうことが出来るラジオ。
 この点、ガキカメではどうだろうか。亀井絵里は比較的、そういう方向性を目指しているように聞こえる。ラジオネームにツッ込んだり、リスナーの投稿に対して、できるだけ強めに茶化そうとして──藤本美貴の手慣れたファンいぢりにはまだまだ到底及ばないものの──彼女なりに頑張っている。しかし新垣里沙にとってそれは最初から不可能なことなのだ。彼女は「ありがたいねぇー」という言葉に象徴されるように「お客様は神様です」という立場から、一歩も抜け出すことができない。なぜなら彼女はファンというものの恐ろしさを心底味わいつくした人間だからだ。ファンは普段は応援してくれるありがたい存在だが、同時に、いつ何時こちらに対して牙を向いてくるかもしれない恐ろしい存在だということを身に沁みて理解しているのだ。「お客様は神様です」ということは「触らぬ神に祟りなし」ということでもある。神とは、人間を守ってくれるよりも、むしろその祟りを恐れねばならない存在なのだ。
 しかし、藤本美貴は強い。彼女には恐れる気持ちがない。まさに神をも恐れぬ藤本美貴。彼女は、高い崖の上から海に飛び込むような勇気を持って、ファンの中に飛び込み、身を任せる。ファンという海は、わたしを柔らかく受け止めてくれる、包んでくれる、と確信しているのだ。おそらく、今もなお。恋人が発覚したぐらいで、わたしのファンは、わたしを見捨てたりしない、と。どこまでも自分を曝け出し、こちらに身を委ねてくることで、「本当の自分を受け入れて」と彼女は迫る。そして、ファンとアイドルとの関係のありかたについて、根源的な価値の転換を要求するのである。

 最終回の1曲目は、藤本美貴のデビュー曲『会えない長い日曜日』だった。「リクエスト来ています。名古屋市の『気弱なファン』さん。『「会えない長い日曜日」をお願いします。あの時のPVを観ました。ミキティ、プリップリのピチピチでしたよ! それが今じゃあ…』…ってどういうことでしょう? 今はー、も、プリップリではなくなりましたけれども、ま、ピチピチでもないかな(笑)、年相応! 年相応だよ。このいちゃつきぶり。ファンがアイドルに「老けたね」と言うことが、いちゃつきとして成立するほどの、気安い空気感、深い信頼関係、そんなものを藤本美貴以外の誰が作り上げられるというのだろうか。
 そして『会えない長い日曜日』が流れる。この選曲は、これから我々は会えない長い日曜日に突入するのだ、という番組冒頭での宣告に他ならないだろう。そして、その退屈で淋しくて憂鬱な日曜日がどんなに長かろうとも、日曜日のあとには、必ず月曜日が、また会える日が来るのだという宣言

 次のメールは「ハワイの臨時ハロショに藤本美貴デザインのTシャツを着て行ったら絵が可愛い、センスがいいと褒められた」という内容。「藤本さんの絵は時代を先取りしていて海外でのほうが先に評価されるかも」というファンの褒め殺し的ツッコミに対して、ミキティは、「ま、だからピカソですから(笑)あの、分かる人にしか分からない私の絵のよさっていうのが、きっとあるんじゃないのかな、と。でもね多分、ハロショの、ハワイのね、人も『あ。あれミキティデザインだ』って多分知ってる気がする(笑)あえて言ってくれたって気もしないでもないですけど」と、大人びた冷静なぶっちゃけを。そして、ハワイでミキTを着てくれていた人に、握手会などでお礼を言いつつ、「恥ずかしくないですか?」と訊いたら「あ。もう馴れました」と答えてくれた、とのエピソードを紹介。「馴れなんだなー人間(笑)って思いましたね。この先もどんどん着続けてほしいと思います」
 そのあとも、「またハワイに連れて行ってください」というメール。「ハワイ通のミキティ」というメールに対して「わたしはホテルとショッピングセンターとライブ会場ぐらいしか知らない」と、これまた身も蓋もないぶっちゃけ。
 次に、『新美少女日記イタリア編』に関するエピソードを教えてください、というメール。ミキティの最初期の仕事を回顧。本場イタリアで食べた伸び切ったソーメンのようなパスタの思い出など。
 秋になると食べたいものは? というメール。梨と、柿を食べたい。柿は中が「ドゥルドゥルなのが好きなので、ドゥルドゥルになってから食べます」と、おやじっぽい味覚を披露。鮭トバといい、レバ刺し五人前といい。
 「声のトーンが高いですね。高い声を響かせるコツを教えてください」というメール。自分では声がいいという自覚がない。「腹筋を使って歌っていただければ」と無難なアドバイス。天才的野球選手長島茂雄が自分のプレーを理論的に説明出来ないのと同じように、天才的ボーカリスト藤本美貴は、自分が上手く歌える理由を理解してもいないし、説明など出来ない、ということ。
 次に、「あだ名で呼ばれるミキティが羨ましい」というメール。自分も学生時代は「藤本」とか「美貴」とか呼ばれていた。あだ名はなかった。「欲しければ自分でつけちゃえばどうでしょう?」と、自分でミキティという愛称を提案し自力で普及させた美貴ちゃんらしいアグレッシブなアドバイス。
 そして、最終回の2曲目は『大切』。この歌詞は、今の状況において痛切に響く。

「もしもし?」
大切にしまってた
あなたの写真
決心ついたの
さよなら 淡い思い出

大切にしていました
懐かしい曲たち
ああ 寂しい時
助けてくれて
ありがとう

好きな人が 出来ました AH
この人となら
あなたとの事
忘れられそう

見た目じゃないのよ
楽しく時間が経つの
いつの間にかな
好きになってた…
もう 心配はいらない

藤本美貴「大切」1番 作詞:つんく

 この曲の内容は「新しい恋人が出来たことで、昔別れた恋人の記憶から自由になれそう」というものである。この歌詞は、「好きな人」(庄司君)が出来たから、「あなた」(ファン)との「事」(アイドルとしての活動すべて)を忘れられそう。だから、活動がなくても「もう 心配はいらない」ということを指し示すのだろうか。しかし、詞の一部の引用とは、その詞全体の意味するところを引用することでもある。この曲の最後では、「じゃぁね。/…だったら良いのにな。。」というセリフが語られる。「じゃぁね。」とファンに明るく別れを告げることが出来るだろうか。「…だったら良いのにな。。」という独白は、それが出来ない自分を意味する。これは、恋人が出来ても、昔好きだったあなたのことは忘れられない、その記憶を消すことは出来ないという曲なのだ。「わたしは今もその記憶に囚われているのだ」というメッセージを発すること、アイドルとしての活動に思いを残しているのだと伝えること、身勝手な深読み──この文章すべてがそうだとも言えるが──を続けるならば、自分から嫌気が差して仕事をボイコットしているわけではない、という事情を言外に匂わせて伝えることこそが、この曲が3曲のうちの1曲に選ばれた理由なのだと考えることも出来るだろう。

(以下、後半に続く)

2007.10.16(火)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 (後半)

 「大切」にしていた「淡い思い出」とは自分を愛してくれたファンへの想いでもあり、「大切」にしていた「懐かしい曲たち」とはモーニング娘。として歌った曲の数々に他ならない、と感じられる、2曲目の「大切」を挿み、最終回は後半へ続いていく。
 引き続きリスナーからのメール──「コーナー以外の普通のお便り」──が紹介されていく。
 GAMライブのDVDを発売当日に買いました、というメール。
 「『……とにかく歌を歌っているミキティは生き生きとしていて、どんな歌を歌っていても感情が届いてくるので、感動しっぱなしです。これからもミキティの歌を聞いて、僕自身も仕事頑張ります。ミキティはがばい最高です!』ということで、ありがとうございます。あのー、そうですね、あの、こないだもハワイで握手会をして、ま、一人一人から、握手して、言葉を貰ったんですけども、すごいあの、そのなんですか、歌がすごい好きだからこれからも歌い続けてください、っていう人が多かったりとかして、なんかもうそういうのがスゴイ力になるなーと思いながら、ありがたいなーと思いながら、こっちも、そうですね、握手しながら元気を貰いました! まあ、これからも出来る限り歌いつづけて、行きたいので、よろしくお願いします。その言葉を信じる。藤本美貴はどんな苦境に立たされても歌を諦めないのだと、藤本美貴の歌を愛しているファンの気持ちに応えてくれるのだ、と。
 もう1通、GAMのDVDを買いました、というメール。「二人目の子供の出産予定日と重なりライブに行けなかった」というファンに対し、「2ndツアーがあれば是非来てほしいな、と。ね。あのー、これからも続いていけば、その時は是非、二人目、生まれた子供も見に来てくれればと思うので、ぜひぜひ見に来てください」この言葉からは、歌を続けたい思いは強いが、GAMの今後の予定について、歌手藤本美貴の直近の予定については、何もはっきりしたことが言えないという彼女の苦悩が聞こえてくる。
 次は、世界陸上を見に行ったときに「茶目っ気を出し、藤本さんのデザインしたTシャツを着て行きました」というメール。ミキTの可愛らしさをTVを通じて世界に伝えようというファンの気持ちに、美貴ちゃんも、ちょっと苦笑気味ながら、ありがとうございます、と感謝。「そうですね、わたし、これからは、海外で、こう絵を描いてファッヒャッヒャ(笑)願望としては。そうですね、日本よりは海外のほうが私の絵を受け入れてくれる気が、ちょっとずつ。まー、さっきもお便りありましたけれども、海外進出のほうが先なんじゃないかと。そうですね(笑)これからも、なんかね、ナニぃ、メンバーとかに、すごい迷惑に、Tシャツとか作って着せてみようかと思います。」強烈な個性を発する藤本美貴の絵は日本では理解されないという意識、それは、絵ばかりの話ではないだろう、藤本美貴の個性がつまっている彼女の絵は、藤本美貴自身の個性の象徴でもある。自分自身の真の個性が認められていない、という忸怩たる思いが言葉から滲む。そして、彼女は「メンバー」と言った。モーニング娘。を「脱退」となってから3ヶ月以上経っても、彼女の中で、モーニング娘。のメンバー達は「メンバー」なのだということ。決して「モーニング娘。さん達」などという醒めた距離感は持っていないということが、言葉から伝わる。「『藤本さん、これ、いらないです!』ってシゲさんとかに言われそうだけど、シゲさんはでも意外と喜んで着てくれそうな気がするんで、あのー、これからも迷惑ながら描いていきたいと思います(笑)」ここで、道重さゆみの名前が挙がったことも決して偶然ではないだろう。2007.6.1の「脱退」以後も、たびたび「今夜もうさちゃんピース」の中で藤本美貴の名を出し、彼女を風化させまいとしてきた道重さゆみの同志愛への、これは返礼なのではないか。
 そして、ついに藤本美貴の口から、告知がなされる。「ところで、今日は、『おしゃべりパラダイス特集』をやってまいりましたが、みなさん、いつもたくさんのメールやお葉書、そしてお手紙にFAX、と色々送ってくれてありがとうございます。そんなみなさんに、ここで大切なお知らせが、あります。『藤本美貴のドキみきnight』今日で終了することになりました。ありがとうございます。」すがすがしいほどに、あっさりとした挨拶。気丈に振る舞うことこそが藤本美貴の負けん気の現れなのだろう。「地域によっては、途中番組が途切れていたところもあるのですが、実質、ハイパーナイトの前の枠から数えて、今日で、260回、5年ぐらいですね、ハイ、やってきた番組なんですけども、終るといっても自分自身まだ実感が湧かないんですけども、あのー、そうですね、デビューして2曲目ぐらいからこのラジオが始まって、ほとんどわたしの芸能生活と同じぐらいの、あの、ラジオ番組なので、すごい、なんだろ、あの、思い入れがあったりとか、あの、『浮かれネーム』ってのが、リスナーさんが『どう?』って言ってくれたりとか、『オヤスミキティ』もね、最初は『オヤスミキティ』って普通に言ってたのが、最近はもう、普通の『オヤスミキティ』がなくて、ほとんどなくて、こう、モノマネとか、やったこともないモノマネをやれって言われたりとか(笑)そういうのとかあったりとかして、あのー、すごいですねー、リスナーのみなさんとホントに一緒に作っているラジオだなっていうのをすごい感じてライブだったりとか、握手会だったりとか、どっかファンの人に会うと『オヤスミキティって言ってください!』とか、あのー、なんか、『バイバイミキティ』とかも、たまに地方の人とか言ってくれたりとか、そうあのー、オヤスミキティ…じゃなくてあのドキみき聞いてます、とか嬉しいミキモチとか、すごい言ってくれて、このラジオを通して、すごく、なんですかね、ファンの人と近くに感じたりとか。そう! あとねー、こう『浮かれネーム誰々さん誰々さん』って言ってるのを、それを握手会とかになると『誰々です』って来るとぉ、『お前かぁー!?』みたいな(笑)、とかあってぇ、そういう感動とかもあってですね、すごい、あの、ファンの人と会う楽しみがまた増えたんですけども、まー、約5年、ホントにありがとうございました。わたしの『殴りますよ』という発言にも期待してくれるリスナーさんが居、『殴りますよと言われたい』とか、なんかここでわたしのキャラクターも出来上がったような気がしますけれども。まあね、『メンタルクリニックの藤本先生』はいまだどこかへ行ったきりだし、ま『いろはがるた』…そうだよ! 結局商品化されず! ウッハッハ(笑)今隠れました、人が。(笑)そう、あとね、クイズの成績は、ご褒美19回罰ゲーム19回ということで決着がつかない感じで、なんか、いいぶんに答えてたのかな、っていう感じですけども。ほんとにですね、わたしの5年間がここでつまっているなという感じがあるので、ホントにありがとうございました。これからもですね、あのー、わたくし頑張って行きますので、えー、応援よろしくお願いします。そして、これからも、あの、このリスナーのみなさんのね、名前を覚えて、握手会とかで『マボです!』とかー、『??です!』とか、そういうのを言われたら、『あー!』って言う、すごいあの、嬉しいので、覚えておくので、ぜひ皆さん声掛けてほしいと思います!藤本美貴の口から溢れる言葉の奔流はとどまるところをしらない。ラジオを通じて築き上げたファンとの温かい信頼関係、その記憶が果てることもなく語られ続ける。もしファンからの別れを惜しむメールがこの場に届いていたら、この場面はどんなに感動的だったろうと想像する。おそらくお別れ特番を三回やっても時間が足りないほど、感動的な思い出や笑えるエピソードが番組に寄せられたことだろうと思う。藤本美貴は、リスナーの名前をこれからも忘れない、覚えておく、と言った。その思い出をこれからも『大切』にしていく、と。ドキみきを通じて出会えたファンを忘れない、と藤本美貴が言っているときに、ファンは藤本美貴を忘れられるだろうか。
 そして、ドキみき最後の曲が流れる。「ということで、最後の曲、聴いてほしいなと思います。ま、最後の曲は、ま、この曲を選ばさしていただきました。名古屋市の『にしわきさとし』さん。『リクエスト曲、ロマンティック浮かれモード。ミキティ、ロマンティック浮かれモード掛けてください。この歌をドライブに行くときに必ず掛けています。聴いていると不思議と元気が出てきて、楽しくなり、浮かれモードになり、大好きな歌です。この歌だけ繰り返し聴いて、2時間掛けて目的地に着くこともあります。』ということで。ありがとうございます。では聴いてください。藤本美貴で『ロマンティック浮かれモード』!」藤本美貴の代表作であり、紛うかたなき名曲であり、聴くと元気になる曲が流れる。それは、ラジオを通して声を届けることは出来なくなるけど、しばしのお別れだけど、元気出せよ、美貴も負けないよ、というメッセージに聞こえる。この曲の内容は、これから「史上最大の恋がはじまりそう」という、幸福感と、ワクワクドキドキに溢れたもの。この「史上最大の恋」とは、藤本美貴と庄司君の恋だろうか。その恋が藤本美貴の歌手生命を賭けたものであるなら、それは「史上最大の」という形容に恥じることはないだろう。と、同時に、その恋は「藤本美貴とファンの間にある精神的な恋」であってはいけないだろうか。恋は障害が大きいほど燃える、とも言われる。藤本美貴とそのファンとの恋愛は、このラジオの終了により、史上最大の障害に阻まれた、劇的なロマンティックラブという局面を迎えるのだ、と言えるのではないか。この二つの「恋」は両立できないものなのだろうか。なぜ、その両立は、ヒステリックに拒絶されねばならないのだろうか。
 そして、ドキみき最終回はエンディングへ突入する。『浮かれ番長』2名が紹介され、「そして、藤本美貴情報はですね、あのー、ま、これからも頑張っていくってことです。フッハッハ(笑)軽いですね。ハハッ(笑)」具体的なスケジュールは何もない、ということを、軽やかに笑い飛ばす美貴ちゃん、その声が明るければ明るいほど、痩せ我慢が胸に響いてくる。そして、来週からは、後番組として「音楽ガッタスによる新番組『Guts10ガッタス』が始まる」という告知。GATASによる、ではない、藤本美貴を排除して成立した音楽ガッタスによる新番組。「ガッツ溢れる10人組による新番組。ガッツ10…ちょっと寒い感じですけども(笑)」個人的な遺恨を響かせることも、逆に卑屈になることもなく、普段通りにぶっちゃけたツッコミキティ、そこに彼女の強さ、すがすがしい爽やかさを感じる。
 「それでは、ドキみきnight、このへんでお別れです。えーー、また、オヤスミキティ、最後、来ております。行きますよ。あっ。先に読みますね。愛知県の『気弱なファン』さん。『この前テレビで、『裸の大将』をやっていました。そこで、僕は思いました。絵が超上手い山下清のモノマネを絵が超下手なミキティがやったらどうなるのか。似てるのか、似てないのか。ミキティ、これは実験です。お願いします』」この、どう考えても、最終回などまるで想定していない、藤本美貴とリスナーのいちゃつきぶりを象徴するような投稿で、番組は締めくくられる。「ということで。やってみます。ハイ(笑)では、行きますよ。またいつか一緒にドキドキしようね。お相手は藤本美貴でした。『ぅわ、わたしは、ゃやや焼肉が、す、好きなんだなぁ。ハ鼻水が垂れたら、オお母さんに、フ拭くように、イ言われたんだな。お、オヤスミキティ。終り。』フッハッハッハッハ!! オヤスミキティー! バイバーイ!
 「鼻水を拭け」これは、ファンへの「泣くな、涙をこらえろ、鼻水を拭け」というメッセージだ。そして、最後に、高らかな、鮮やかな、笑い声を響かせて、北海道の真ん中ら辺からやってきた焼肉屋の娘、人前での平気で鼻がかめるアイドル藤本美貴のラジオは終わった。一滴の涙もこぼすことなく、声に悔しさを露すこともなく。あくまでも、サバサバと藤本美貴らしく。しかし、そのニヒリスティックなまでに乾いた笑い声の反響の中に、どれほどの遣り切れなさと悔しさが隠されているか、ファンの耳が聞き漏らすことはない。

 こうして、2007.6.1のモーニング娘。「脱退」から、じわじわと、着実に進行してきた藤本美貴の漸進的撤退は一応完了したと見てよい。それは、アイドルという概念、アイドルの処女性という虚構の価値を守ると称して行われた、一人の歌手の社会的抹殺に他ならない。それは、かのアドルフ・ヒトラーによって遂行された歴史的大虐殺、アーリア人種の血の純潔という虚構の価値を守ると称して行われた、国民たるユダヤ人の殲滅、ホロコーストと構造的にいささかも異なるものではない。
 たしかに、藤本美貴には、フットサルという活動の場だけは残されている。しかし何故、残されているのか、その意味をどう評価すべきかは、難しい問題である。もちろん、それを積極的に評価することも可能だが、しかし考えうる可能性のほとんどは、藤本美貴がガッタスに残留している理由、目的、事情、機能といった要因が、結局は、「大人の事情」という考えるだに意気消沈せざるをえない要素へと収斂していくものであろう、と言わざるをえないものである。
 アドルノは書いた。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である、と。それと、まったく同様に、藤本美貴のモーニング娘。「脱退」以後──ドキみき終了以後はさらに──「アイドル」をうかうかと賞賛することは野蛮以外のなにものでもない。一体、アイドル概念とは何なのか、その虚妄性、イデオロギー性を突き詰め、徹底して内在的に批判すること、それを通じてしか、野蛮に陥ることなく、真に肯定しうるアイドル文化を生き延びさせる道筋は存在しない。

2007.10.17(水)
■ドキみきの終了:ホロコーストの完了 追加

 お母さんに鼻水を拭け、と言われた美貴ちゃんは、やはり、お母さんの前で、泣いていたのだろうか。

2007.10.17(水)
■WEEKLYプレイボーイ10.29日号no.44に、モーニング娘。10周年ピンナップ&涙のインタビュー!

 週刊プレイボーイにモーニング娘。の特集記事が出るのは久々だろうか。表紙の一番上、一番目立つ部分に「モーニング娘。10周年ピンナップ&涙のインタビュー!」と表示。ありがたい。
 内容も素晴らしいの一言に尽きる。LOVEマシーンの衣装とポージングを模した巻頭ピンナップでは9人の溌剌とした笑顔が輝き、モーニングコーヒーの衣装を着たグラビアも3頁と分量こそ物足りないものの、極めて美しい。特に、ややふっくらとした田中れいなの輝く笑顔は今までにないほど突き抜けた可愛らしさに到達しているし、また、いつもながらガキさんの生き生きと語りかけるニュアンスに富んだ表情は絶品。そして、われらが亀井絵里は、すました微笑を浮かべつつ、正統派美少女の自信漲る凛とした気品を放っている。
 インタビューの内容も、全員が現状の課題を的確に認識し、今後の抱負を力強く語っていて、実に心強い。むろんのこと、スキャンダルなどのネガティブな話題が口に上るわけもなく。
 このインタビューのテーマ、メンバー達の現在の心境を一言で表現するなら「LOVEマシーンに還れ」というテーゼに集約することができる。
 絵里「でも、一番最初に『LOVEマシーン』を見た時は驚いたよね。」
 さゆみ「そうそう。みんなすごく面白い顔して、「自分の壁をブチ破っちゃてるなー」って思った。」
 絵里「私、すごい引っ込み思案だったから圧倒されちゃったもん。「絶対テレビであんな表情できない! アイドルがこんな顔していいの?」って。その頃から「羨ましいな、モーニング娘。に入りたいな」って憧れてたよ。」
 アイドルとは思えない振り付けや表情で、少女たちを驚かせたモーニング娘。そこには、自由と、革命の気風があった。モーニング娘。はアイドルでありながら、既存のアイドルを批判し乗り越える存在でもあった。そのことこそが、幼い亀井絵里や道重さゆみを惹きつけるモーニング娘。の魅力だったと言える。
 絵里『LOVEマシーン』の頃はアイドルの枠をブチ破ってたじゃないですか。最近は、カッコよく魅せる曲が多いんですよ。ここで、絵里は極めて控え目に表現しているが、彼女の言葉から感じられるのは、最近のモーニング娘。からは、あの頃の先進的な批評性が失われ、保守的で常識的な既存のアイドルのイメージを貧しくなぞろうとしている、という危機意識に他ならない。
 里沙「確かに。この9人でハッチャケる曲もやってみたいかも」とガキさんが、絵里に同意し、それに光井が乗り、さゆと小春が「着ぐるみ!」とはしゃぐ。
 絵里「でも、それくらいやってアイドルの枠をブチ破りたいよね(笑)。みんな個性も強いし、キャラもバラバラじゃん。関西人もいれば中国人もいるし。そんな部分を知ってほしい。」この絵里の極めてまっとうな感覚。彼女の、テキトーやKYやポケポケプー、お部屋が汚い、などのさまざまな自己演出も、アイドルの枠をブチ破るための自覚的な試みなのだと分かる。そして、道重さゆみの「実は意外と黒い」キャラも。
 高橋愛「うん。子供の頃の私たちにあんなにインパクトを残した「モーニング娘。」、ずっとみんなをワクワクさせるグループでありたいと思う。」この新リーダーの言葉は心強い。そして、メンバーがここまで正しい認識を持っている時に、もっとも果敢にアイドルの枠をぶち破り、みるものをワクワク(ハラハラ?)させてきた藤本美貴をあっさりグループから排除して省みないUFAは、このメンバーたちの思いを理解できているだろうか、と疑う。
 絵里「…10年間やってきて、今からが再スタートって気がする。…(中略)…「モーニング娘。って名前は誰でも知ってるけど、「亀井絵里」は知らない人が多いと思うんだよね。」これは、自らの知名度の低さを卑下した言葉ではなく、「亀井絵里」は任意のメンバー名と置換えることができる。パッケージは有名だが、しかし、肝心の箱の中身は、と彼女は自問している。極めて冷静な自己認識。それは、箱の知名度に頼ることなく、一人一人が魅力を出し、独立した芸能人として認められるよう向上していこうという積極的でアグレッシブルな意識の現れだ。
 その意味では、そのあとのくだりで「家族みたいなもん」という言葉を持ち出してしまう高橋愛は、さすがに彼女らしいKYぶりを披露しているとも言えなくもない。いま大事なのは、護送船団的なぬくぬくとした共同体意識の温床であるモーニング娘。家族主義、ハロプロ大家族主義を顕彰することではなく──むろん家族的な温もりは大きな魅力でもあり否定されるべきものではないが──、逆に、一人一人が独立事業者として、互いにライバルとして切磋琢磨するという覚悟であるはずだ。そこに、5期と6期の違いを見ることもあるいは可能かもしれないが、今は保留しておく。
 インタビューの最後では、ジュンジュンが感極まって泣き出し、もらい泣きで、高橋愛と田中れいなも泣きそうになる。彼女たちが、この厳しい現状の中で、10年の伝統という重圧と戦いながら日々頑張っている姿が感じられ、やはり、どうしても「みんな、負けるな、がんばれ!」と声援を送らずにはいられない気持ちになる。
 週刊プレイボーイは「ボクたちも20周年、30周年を目指して応援し続けますよ」と書いてくれた。

 わたしは『週刊プレイボーイ』と版元の集英社を強く推して行くことにする。
 そして、目下のところ『FRIDAY』と『週刊現代』の講談社は敵である。『週刊新潮』の新潮社も敵である。たったいまから個人的な不買運動を展開する。もう、新潮文庫も、講談社学術文庫も一切買わないからな。買わざるをえない時は、出版社に利益が行かないように古本を捜す。この運動は、モーヲタ全体でやってネットで宣伝すれば、けっこうな力になりうるのではないか、と夢想する。

 しかしながら、ファンはともかく、UFAがメディア各社と敵対するのは好ましくない。普段は、一切書かない経営戦略的提言をあえてするなら、UFAは、講談社や新潮社にもカラー広告を出し、安いギャラでモーニング娘。たちのグラビアを提供するぐらいのことはしたほうがいいのかもしれない。UFGの自給自足的な安定経営の方法論が、他のメディアなどの(錢ゲバ的な)不満を産んでいるのかもしれない、と危惧する。
 宇多田ヒカルがデビューアルバムでメガヒットを飛ばした時、ややしばらく一切メディアに露出せず、ヒットからもたらされる経済効果を東芝EMIだけで独占する気か、と批判された。それと同じような反感が、昨今のバッシング報道の動機を形成してはいないか。人気商品からあがる利益を業界全体で共有しようという気前よさがないと、封建的村社会的な日本のメディア業界の中では村八分の目にあわされるのではないか。
 問題は、加護亜依とか藤本美貴とかいった固有名詞にではなく、案外そんなベタな経済的要因にあるのではないか、という気もしてくるのである。それは、メンバー達には如何ともしがたい問題なのだし、メンバー達を売りつつ、そこから最大限利益を引き出すべき大人たちが、このことを真摯に考えて貰いたいと思う。まるで業界の内情は分からないので、まったくの的外れかもしれないとは思いつつ。

2007.10.19(金)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第27回10.06(土)を更新

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#27を更新しました。
 ファイルを分割しました。さすがに400kb近くなると、文字だけでも重い感じだったので。

 (作業予定)
 ・来週は、ガキカメを2回更新して、追いつきたい。
 ・美貴ちゃんについて。少しじっくりと考える時間をもちたい。
 ・『藤本美貴解放戦線』について。もっと擁護の声を結集したい。
 ・ラブハロ!を一回は更新したい。あと2、3回で完結なので。
 ・アロハロ2!モーニング娘。DVDはいつから放置してるんだろうか……とほほ。
 ・そのあと、小説を進める。
 ・メンバー論。
 ・10年記念本批判。(?)

2007.10.20(土)
■ガキさん! 19歳の誕生日おめでとうー!

 新垣里沙さん、お誕生日おめでとうございます。
 Happy 19th Birthday Gakisan !
 いつも、ガキさんのパワー溢れる笑顔と、頑張りと、モーニング娘。への献身、後輩たちへの思いやりに、勇気づけられ、救われています。それはきっと、モーニング娘。のメンバーたちも同じだと思います。
 「頼れる?リーダー高橋愛」を支えてモーニング娘。を牽引していくのは, 気苦労の多い大変な仕事だと思いますが、ガキさんも「管理職だから自分は一歩引いて後輩を立てよう」なんて考えずに、ガンガン前に出て、輝きまくってください。そして、後輩たちの尻を叩いてやってください。
 これからも、ガキさんらしく、活き活きとした笑顔で、事故なく(笑)元気に活躍されることをお祈りしています。
 がんばれ、我らがガキさん!
 p.s. これからも、亀ちゃんのことをよろしくお願いします。

ノノ*^ー^) <どっちかっつうと絵里がガキさんの面倒をみているような
(・e・)<はいはい、言うだけはタダだからねー

2007.10.22(月)
■オーガさんとの共闘:藤本美貴の「子供性」を擁護する

 2008新春のハロコンに藤本美貴が出演しないことについて、ハロプロ公式サイトは「藤本美貴は、都合により出演しません」と告知──それらしい都合の中身をでっちあげて体裁を繕うことすら放棄して──したのだった。その「都合」とは、いったい何か。オーガさんは、「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」──『ハロプロをなんでも肯定する・裏』で、いみじくも、それは大人の都合だと表現した。それは禅問答における一休さんのトンチを思わせる冴えた解答だ。そしてオーガさんは続ける、藤本美貴はその「大人の事情」を受け入れていないのではないか、と。
 以下に、オーガさんの感動的な文章を、尊敬をこめて引用させていただく。

恐らく、藤本美貴はツッパっている。夢を閉ざされる危険を承知で。
夢と引き換えにできるものは何だろう、と考えると、僕には一つしか思い浮かばない。

誇り。

自分自身に誇れる自分であるために、折れることをしない。そんな風に想像する。
子供じみているのかもしれない。「エッグの子たちの方がよっぽど大人だぜ」と思われているかもしれない。

(中略)

歌もトークもさることながら、僕は藤本美貴の「人間くささ」を非常に気に入っている。ということには最近気づいたわけだが、であるから、もしかしたら彼女が水面下で繰り広げているかもしれない「人としてのたたかい」を、それが存在するのなら陰ながら応援したいと思う今日この頃。

道は険しいだろう。秩序からはみ出そうとする者は、秩序の構築者にとっては脅威であろうから。
「いけ!いけ!ぼくらの藤本美貴!!」−−『ハロプロをなんでも肯定する・裏』より

 藤本美貴は、たしかに、聞き分けのない子供、手に負えない子供であるかもしれない。しかし、その子供性は、人間としての成長の過程で乗り越えられるべき欠如としての負の特性では断じてない。その子供性はあくまでも肯定さるべき彼女の個性、人間性の真理の発露として擁護されねばならないものだ。
 藤本美貴の子供性に対比されるべき大人性とは、この息苦しく欺瞞に満ちた世界を統制し管理する制度や権力に対し、ひたすら恭順であろうとする態度、風見鶏のように空気を読み、決して逆らわず、大樹の陰に寄り、打たれる出る杭にならず、学生気分の青臭い理想を語らず、社畜精神と奴隷根性を完全に内面化すべく己をしつけ、その結果として、この虚妄に満ちた社会のイデオロギーを容認するばかりか、それによって人間性の最後の瞬きまでも踏みにじろうとする現体制の維持強化に加担する態度に他ならない。それは自由に息づく人間性を放棄する代償として、社会の一隅に居場所を与えられるための永久に続く通過儀礼であり、その居住許可者登録証には「つまらない大人」という刻印が記されているのである。
 その唾棄すべき登録証を踏みにじり、一文の得にもならない子供性という真実を握りしめて手放さない者こそ、真の意味で芸術家と呼ばれるべき存在だ。真の芸術家において、生きること(労働)と芸術(遊び)とは別のものではなく、ともに自由な人間性の発露として一体をなす。
 藤本美貴は、女の子の全身全霊の決意で、自分の本当の気持ちという一文にもならない真実を死守することを選んだのだろう。その真実を、「処女性を維持できないアイドルはモーニング娘。にはいられない」という”アイドル神話”や「モーニング娘。としての約束」という名の事後的に捏造された偽金と換金するために手放すことを、藤本美貴は拒絶したのだろう。世界中から子供じみていると揶揄されようとも、薄汚い現実の前に膝を屈しないことこそが、藤本美貴の誇りであるだろう。
 しかしこの全面的に虚偽に覆い尽くされた世界で、真実だけを武器に戦うことは、ほとんど必然的に敗北することに他ならず、悲劇的な結末が待っていることは不可避的だとも思える。大衆の意識を操作する力を持つメディアという権力が、いまなお処女性と言う金のなる木を手放す気がない芸能事務所と固く結託し、それら金と力の源泉である胴元たちに逆らう気など更々ない賢く世渡りする芸能人やマスコミ関係者が歩調を合わせて、口々に「モーニング娘。は処女性を堅持せよ」「”アイドル”のイメージを守れ」「モーニング娘。の掟を破るな」と朗々たる大合唱を響き渡らせる。その大音響の中で、真実のか細い声は掻き消される他はないのだろう。
 その真実の声が掻き消されないためには、藤本美貴擁護の声を結集しなければならない。藤本美貴が藤本美貴らしくあることを擁護するために共闘が組織されねばならない。わたしはそれを藤本美貴解放戦線と呼びたい。そして、この戦線を、お互いに孤立しつつ孤独に戦い続けている戦士たちは、少数とはいえ、決して皆無ではない。
 現状では、勝利の影すら見える気配のない苦しい戦いではあっても、この戦いから希望の火が消えることはない。藤本美貴のファンは、確信している。藤本美貴が、決して装われたものではないほんものの魅力である子供らしさを保って彼女らしく生き続けながら、同時に、ファンに愛されファンに愛を届ける真のアイドルであることが許されない世界など、まがいものの世界にすぎないのだ、と。

2007.10.24(水)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第28回10.13(土)を更新

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#28を更新しました。

 (おまけ)(『ガキカメのテーマソング』?)
 『MAPLE』にちなんで、掲示板に、こんなネタを書きました。

 ノノ*^ー^)<めいぷるだメポー!

 ……そうしたら、掲示板の常連さんのKAKIさんが、『ふたりはプリキュア』の替歌を書いてくれました! 感謝!
 KAKIさんが作ってくれた前半に、痛井ッ亭。が後半をつけ足して、1番を完成させました。みなさんも、ガキカメのテーマ(?)として歌ってくださいっ! ←超ジコマン(笑)

『ふたりはガキカメ KYハート』


<都合により一部抹消>

 ノノ*^ー^)<痛ちゃん古いよ、今は『5人はプリキュア』だから
 (・e・)<それをいうなら『プリキュア5』でしょうがー!

2007.10.25(木)
■20万アクセスを記録しました。皆様に感謝。

 モヲタテキスト界隈の場末で細々と駄文を綴り続けた当サイトもついに20万ヒットを記録しました。
 これも、ひとえに、こんなKYな長文を、超人的な忍耐力で読み続けてくださる物好きな熱心な読者の皆様と、面白おかしく狼に晒しあげしてくれたアンチ連中の、おかげです。本当にありがとうございました。
 これからも愛する娘。たちのために、信念を貫き、KYに徹して文章を綴り続ける所存です。よろしければ、今後とも、娘。たちを賞賛し、擁護し、そして萌える旅にお付き合いいただければ幸いです。
 娘。に幸あれ!
 美貴ちゃんに幸あれ!

 ノノ*^ー^)<幸うす江にも幸あれ〜♪
 (・e・)<もうどっから見ても幸薄くないから

 こんなクソ真面目だけがとりえで、ギャグは寒いだけの文章を読むために、毎日数百人の方が、さいはての地を訪れてくださる──可愛らしい娘。たちの画像1枚ないのに!──という事実に、まだこのモーヲタ界隈に希望を持っていても大丈夫だ、と感じずにはいられません。

 (メモ)
 ・中澤裕子の抵抗、強い姐御として、娘。たちを護る覚悟
 ・絵里が、美貴様の「おしりさわり虫」を継承? (れいな証言)
 ・さゆみんの誓約

2007.10.26(金)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第29回10.20(土)を更新

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#29を更新しました。

 今回は、安倍なつみさんがスタジオに乱入。ふたりの安倍チルドレンっぷりが遺憾なく発揮され、キチガイじみた放送に!←言いすぎ

2007.10.27(土)
■アンジェラスさんとの共闘:娘。の歴史上もっとも悔しい出来事

 《ミキ受難曲》の文章を綴り、藤本美貴擁護の声を挙げ続けるようになってから、掲示板やメールで何人もの美貴ちゃんファンと、美貴ちゃんへの愛に溢れる言葉のやりとりをさせていただけるようになった。その面では、現在、当サイトは、間違いなく藤本美貴推しのサイトとなっている。
 美貴ちゃんを愛し、応援し、彼女の選んだ道を、それぞれに苦しみながらも認めていこうとする多くの声に接するたびに、そこからとても大きな勇気を分け与えられている。
 なかでも、とある熱狂的美貴ちゃんファンから教えていただいて、アンジェラス様のブログ
狂熱の娘団。の、美貴ちゃんへの愛、そして娘。メンバー全員への深い愛情に貫かれた文章を知ることが出来たのは、この数ヶ月でもっとも大きな喜びだった。

 アンジェラスさんは、実践的にも、文章執筆においても、私などと比較するのも憚られるほど充実した活動を展開していらっしゃる、モーニング娘。結成当時からのファン=サポーターなのだが、特に、そのモーニング娘。歴代メンバー全員への深い愛、真に倫理的な意味での博愛主義としてのDD(誰でも大好き)を表明していらっしゃる点に、深い尊敬を抱く。
 痛井ッ亭。の如き、DDにもなりきれない中途半端で、ヘタレなライトヲタが、こうしてアンジェラスさんのことを語ること自体が、おこがましいとさえ感じる。
 ところが、そのようなファンとしての天と地ほどのエネルギーの差があるにも関わらず、こと藤本美貴の「脱退」や、現在置かれた状況に対する思いという点では、ほぼ完全に同じ思い、同じ憤りを共有していると思われて、そのことに深く勇気づけられた。
 殊に、モーニング娘。結成から、10年にわたって娘。を応援し続けてきた氏が、美貴ちゃんの娘。脱退は、私の美貴ちゃんファン生活の中ではもちろん、娘。ファン生活の中でも最も悔しかった出来事でした。と語ってくれていることが、何にも増して私の励みになっている。
 「モーニング娘。はもともと藤本美貴にふさわしくなかった」「ソロ(元の居場所)に戻っただけ」「モーニング娘。を抜けて正解」というような薄情な意見も多いファン界隈にあって、モーニング娘。にも、藤本美貴にも、等しく深い愛を注ぐアンジェラスさんの存在は、とても貴重だと感じる。

 そこで、アンジェラスさんの文章から引用しつつ、コメントを付けさせていただこうと考えたのだが、引用すべき文章を整理しただけでも膨大な量になってしまった。幸い、アンジェラスさんご自身が、関連する文章についてのリンク集をまとめてくださっているので、まだ未読だという方は、どうか是非、直接リンク先の文章の全てをお読みいただきたい。
 護られなかったもの──狂熱の娘団。
 ここで、アンジェラスさんと同じ思いを共有していると感じる、美貴ちゃんをめぐる問題についての基本的な考え方を、簡略に整理しておきたい。

 ・批判されるに値しないプライベートでの恋愛を不祥事のように騒ぎたてることで、美貴ちゃんは「脱退」に追いやられてしまった。
 ・彼女を追い詰めたものの本質は、『アイドル原理主義』という概念。つまり、アイドルの恋愛を否定し、処女性の保持を要求するような時代錯誤の価値観である。
 ・藤本美貴を追い詰めた問題は、他のメンバーにとっても決して他人事や対岸の火事ではないということ。
 ・「アイドルは恋愛禁止」などと言う太古の昔の冗談の様な歪んだ価値観が世の中に未だ存在するのであれば、モーニング娘。たちを「アイドル」と呼ぶことを拒絶したい。(痛井ッ亭。としては、「アイドル概念」の女性蔑視的イデオロギー性を問題化しつつ、モーニング娘。は「アイドル」でありながら「アイドル」を批判する存在でもある、と、理論構成したいと考えている。モーニング娘。はアイドルとして内在的に「アイドル概念」と戦うことで、アイドルを脱構築する)
 ・ファンがアイドルを擬似恋愛の対象とみることは構わないが、そのような楽しみ方を絶対視して、彼女たちの私生活まで監視し、拘束するのは問題だ。
 ・アイドルが私生活で恋愛しても、それは当事者間の個人的な問題であり、ファンが口出しすべきではない。
 ・藤本美貴を「脱退」させて、何を護ろうとしたのか。それは本当の意味で、モーニング娘。たちを護ることであるだろうか。“恋愛発覚→即脱退”の原則を生き延びさせることには同意できない。
 ・「モーニング娘。の藤本美貴」が大好きだった、そして、五代目リーダー藤本美貴にとても期待していた。
 ・スクープ記事ごときは、強気な美貴ちゃんで堂々と乗り切ってほしかった。無視してほしかった。そして、モーニング娘。を取り巻く状況を変えてほしかった。
 ・青春の輝かしい4年間をモーニング娘。に捧げてきた藤本美貴が、後々まるで彼女が“不名誉除隊”のような扱われ方をすることは承知できない。
 ・藤本美貴を応援し続ける。アーティストとしての藤本美貴を、私たちファンの元に取り返すその日まで

 アンジェラスさんの、力強い応援に比べ、痛井ッ亭。に出来ることは微々たることにすぎないけれども、せめて、その熱い思いを共有し、ともに、藤本美貴を悲しませている諸々の力に対して、批判の声を挙げ続けて、藤本美貴のために共闘していきたいと願う。
 この思いを、怒りと悲しみを、もっともっと多くの藤本美貴ファン、そしてモーニング娘。ファンと共有したいと切望する。

 最後に、誰のためでもなく、自分のために、アンジェラスさんの、深い愛情に溢れる文章を、ここに引用させていただく。深い尊敬とともに。

 アンジェラスさんの、モーニング娘。への思い。

私は、時代錯誤の歪んだ価値観を求めてモーニング娘。や藤本美貴さんのファンをやってきたのでは無いし、(偶像としての)アイドル等と言う下らない物を追い求めて10年もファンをやってきたのでは無い!
モーニング娘。とは、生まれながらにして親から類稀なる才能を受け継いだ人でも何不自由無い裕福な環境の中で英才教育を受けた訳でもない、何処にでも居る普通の女の子たちが何処にでも居る普通の人たちのために愛の歌、平和の歌、希望の歌を歌い、縁も所縁も無かった娘たちが時代を超え世代を超え故郷の違いを超えて“血を超えた血脈”で結びつき、ほんの一瞬の眩い光を放つ青春の物語なのだ。
決して綺麗事でも安っぽい物語でも無い。
時に他人を羨み妬み、憧れ恋して愛して慈しむ、血の通った人間たちのドラマであって、お人形さんたちの虚構なんかじゃ無かったはずだ!

 そして、氏の最愛の推しメンである裕ちゃんと、美貴ちゃんとが二重写しになる場面。

そして美貴ちゃんが激しい口調で後輩たちを叱咤する姿に、“我が最愛の人”初代リーダーのかつての姿を重ね合わせていました。
元より団体行動が苦手だった人が、年下の仲間たちと接し続ける日々の中で、少しずつ優しいお姉さんに変わって行く姿に、若き日の裕ちゃんの残像を重ねていました。
豪放磊落に見えて実は繊細で、強気のように見えても実は気が弱かったり、自分の気持ちを素直に伝えられないところにもね。
 (中略)
何で私が“モーニング娘。の中での美貴ちゃん”にずっと拘り続けているのか、今まで幾つかの理由を申し上げてきましたが、本当の理由はね、美貴ちゃんのモーニング娘。リーダー就任が、長い間抱いていた私の夢だったからなんです。
そして、そんな私の夢を奪った人たちの中に、娘。のファンを自任する人たちが少なからず含まれていた事が、私を深い心の闇の中に突き落としてしまったのです。
モーニング娘。のアイデンティティーを失わずに、新しいモーニング娘。のスタイルを確立させた よっすぃ〜の後を引き継いで、“モーニング娘。の原点”を今に伝える事の出来る唯一の人が、美貴ちゃんだったから。
それがこれから先のモーニング娘。にとって、大切な事なのだと信じていたから。
美貴ちゃんにとっても、貴重な経験になるはずだったから。
美貴ちゃんのファンの皆さんは彼女の事を理解してくれていると思いますが、もう一方のモーニング娘。ファンの皆さんにも、ほんの少しくらい美貴ちゃんを理解してあげてほしかったのですけどね。

 アンジェラスさんがみた、美貴ちゃんという人。

彼女は見た目は活発で天邪鬼で口は少々悪くて甘えたさんだけど、後輩を思いやり仲間を思いやり、先輩に気を使いファンに心を配り、ステージの上から目にした一部のファンの姿に孤独を感じ、辛いときや悲しいときでも声を殺して泣くような、繊細で寂しがりやの女の子でした。

 そんな繊細な女の子から、活動の場を奪い、不当な汚名を浴びせかけるような「アイドル」という存在のありかた、メディアの世界、芸能界、もっと言えば、我々自身が構成しているこの世界そのものが、根本的なところで歪んでいるのではないだろうか。

2007.10.28(日)
■中澤裕子の抵抗:「モーニング娘。をアイドルと思ったことはない」という嘘

 では10年後の中澤さんは?
 「モーニング娘。がいる限り、ずっとハロー!プロジェクトにいようかな、って最近腹くくったんですよ(笑)。いなくなってほしくないんですよね、やっぱり。だからモーニング娘。が永遠に続いたら永遠にいますよ。」
『モーニング娘。誕生10年記念本』p141より、中澤裕子の発言を引用。

 中澤裕子は、モーニング娘。とともに永遠にハロプロにいつづける、とその決意を語った。たんに所属しつづけるだけではない。そこには、モーニング娘。を護ろうという強い意思が感じられる。ハロプロという大所帯のリーダーとして、メンバーの精神的な支柱となり、後輩たちを支え続けようという決意。その決意は「最近」──ハロプロの枠から離れ、自立した芸能人としての活動も順調に幅を広げ、着実にキャリアを積み重ねている今になって──確かなものになったのだという。そのことは、おそらく、「最近」のハロプロを巡る困難な状況と無縁ではない。後輩たちが、様々な形で、苦しみ、壁にぶつかり、悩んでいる。その後輩たちのために、本来の弱い自分を封印し、強い姐御としての姿を示し続けること。
 その後輩には、藤本美貴も含まれている。

 中澤裕子は、後輩たちを、とりわけモーニング娘。のメンバーたちを護るため、彼女たちを苦しめるものと戦う。その一つの現れが、朝日新聞2007.10.24夕刊『モーニング娘。結成10年「アイドルと思ってない」』の記事だと考えることができるだろう。

「LOVEマシーン」などのミリオンセラーを経て「国民的アイドル」とも呼ばれる存在になったが、メンバーにはその意識がないという。
「私は、アイドルとは思っていない。『モーニング娘。』というカテゴリーとみている」。1期生のリーダー、中澤裕子はそう話す。
朝日新聞2007.10.24夕刊『モーニング娘。結成10年「アイドルと思ってない」』より引用

 「モーニング娘。はそれ自体が一つのジャンル(あるいはカテゴリー)である」という言説は、モーヲタ界隈では昔から有名な一般的言説である。(この思想は、時に「メンバー一人一人が、一つのジャンルだ」という、ジャンル概念自体を自壊させかねない思想へと先鋭化することもある。)
 しかし、「モーニング娘。は、アイドルとは違う、独立したカテゴリーである」と、いくら言い募ったとしても、モーニング娘。がアイドルとして売り出され、消費されるという現実はいささかも揺るがないし、隠しようもない。
 しかも、記事中の「メンバーにはその(アイドルであるという)意識がない」という表現は、明らかに事実に反している。これは歴史の捏造だ。メンバー達は、過去にも、そして現在においても、自らを「アイドル」と呼び続けている。にもかかわらず「メンバーにはその意識がない」とあえて要約することには、なんらかの意図がある。その意図を中澤裕子の発言は補強している、あるいは、中澤裕子の発言こそが、この記事の歴史観を導いたのだろうか。
 「私は、アイドルとは思っていない。」という発言は、端的に一つの虚偽である。中澤裕子はモーニング娘。が「アイドル」であったし、今も「アイドル」であることを身に沁みて知っているからである。にもかかわらず、あえて発言された虚偽は、明確に、ある戦略的機能を帯びた虚偽である。

 中澤裕子はその著書『ずっと後ろから見てきた』でこう書いている。

 私、最初、モーニング娘。って「アイドル」と思ってなくて、誰かに言われて気づいたんですよ。”24でアイドル。ありなのそれ?”
 (中略)
 24でも16でも関係なく、モーニング娘。はアイドルグループなんだ……。
 (中略)
 当時の考え方って今とは全然違ってたから、「アイドル」と呼ばれるのにすごく抵抗を感じていた。今だったらアイドルってカッコイイと思ってるから嬉しい。
中澤裕子『ずっと後ろから見てきた』p146-7から引用

 当初は、自分がアイドルとみられることに抵抗を感じていた中澤裕子。当然、「モーニング娘。は(自分にとっては面倒なことに、残念ながら)アイドルである」という自覚があった。そして、そのことに複雑な感情を抱いていた。24歳でアイドル視されることへの抵抗感──まっとうな成人女性としての羞恥心──だけではなく、アイドルという存在そのものが時代遅れでダサイのであり、モーニング娘。はそのダサイ「アイドル」の中でも、ひときわ「垢抜けていない、田舎臭い、素人臭い集団」いわばダサさの二乗とも言うべき存在なのだという自覚。
 だが、中澤裕子は、後に「アイドルはカッコイイ」と考えるようになった。その「かっこいいアイドル」とは、言うまでもなく、自分を含むモーニング娘。以外の何者でもない。自分たちが、その革命的な活動を通じてアイドルという存在とその概念を刷新してきたのだという自負が、そこにはある。だからこそ彼女は、アイドルと呼ばれて嬉しい、とまで言えるようになったのだ。

 ところが、その中澤裕子が、この朝日新聞の記事では「モーニング娘。はアイドルではない」と語っている。
 これは変節なのか。違う。
 今、この困難な状況下において、中澤裕子は、モーニング娘。を再び「アイドル概念」から引き離し、アイドルから独立したカテゴリーとして回復する必要性を痛感しているのだ。おそらく朝日新聞も──そして願わくばUFAも──その認識を共有しているのだろう。
 今、メディアの世界には、モーニング娘。を旧態依然たるアイドル概念に押込むことで、モーニング娘。をがんじがらめに縛り、袋叩きに叩き、弱体化しようとする動きがある。アイドル概念──アイドルだから恋愛禁止、アイドルだからイメージを守れ──が、モーニング娘。を拘束する。そのアイドルというイデオロギーは、決してモーニング娘。を明るい未来へと導くことはない。その認識が、中澤裕子の発言、ひいてはこの記事全体の論調へと繋がっている。

 この記事は、モーニング娘。を「一般人に近い存在」として印象づけようとして、殊更に、モーニング娘。の「親しみやすさ」を強調する。

 有名になってからも、メンバーは電車に乗り、コンビニで買い物をする。
 (中略)
 5期生で現リーダーの高橋愛は、ジャージー姿でダンスの練習をする先輩メンバーを見て「華やかなところしか見ていなかったので、びっくりしたけどうれしかった」と振り返る。

 この記事は、とうに堕ちた偶像として凋落し、過去のものとなってしまった「国民的アイドル」モーニング娘。を、もう一度、その原点である「普通の女の子たちの物語」へと位置付なおそうという試みである。

 しかし、その試みは、容易ではないどころか、ほとんど不可能に近い試みであり、執筆した記者自身も、また中澤裕子も、そのことは重々承知しているだろう。
 だからこそ、戦略的に、「アイドルとは思っていない」と主張しつつ、したたかにアイドルとして振る舞うという、面従腹背的な、二面戦術を実践することが求められるのだ。

 恋愛や結婚について聞いたところ、中澤が「その質問にはお答えできません」。「アイドル」の模範解答で締めくくった。

 ここでは「アイドル」は、「自らの恋愛を隠蔽する(せざるをえない)存在」と規定されている。そして、中澤裕子は文字どおり「アイドル」として振る舞った。
 モーニング娘。を「アイドル」から取り戻そうと企図する中澤裕子でさえ、34歳の今なお「アイドル」として振る舞わざるをえないという現実、その軋轢と矛盾が、この記事に反響している。
 「モーニング娘。があり続けるかぎり、わたしもハロプロにいよう」と語った中澤裕子は、この記事で、頼れる姐御として、リーダーとしての役割を果たすため、したたかなサバイバル術のお手本を示そうとした。
 藤本美貴は、仕事への真摯な取り組みや、メンバーへの深い愛ばかりでなく、生き延びるためのしたたかさや、用心深さをこそ、中澤裕子から学ぶべきなのかもしれない。そして、そのことはおそらく、藤本美貴が藤本美貴らしく生き続けることと矛盾しないだろう。自分に正直な藤本美貴でありつつ、同時で「アイドル」でもあるための作法を、その奥義を、中澤裕子は伝授しようとしているのかもしれない。

2007.10.31(水)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第30回10.27(土)を更新
■近況

 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#30を更新しました。

 ごっちんの突然のハロプロ脱退があるかと思えば、29日は、小川麻琴さん(20)、つんく♂さん(39)の誕生日があったり──後ればせながらおめでとうございます!──、かと思えば、韓国を訪れた高橋愛、新垣里沙、久住小春が、そして台湾を訪れたモーニング娘。9人が異国の熱狂的ファン達から熱い歓迎を受けたり。モーニング娘。界隈は、毎日、いろいろな出来事に事欠きません。
 ことに、海外進出の口火を切った韓国台湾歴訪は、誇らしく嬉しいニュースでした。
 国内のメディアでは、過剰に叩かれたり、衰退云々という言葉で中傷されることが多いのですが、まあ、すべて強すぎるがゆえに受ける嫉妬だと考えていいように思えます。出る杭は打たれる、これは、日本では諦めるしかないことなのかもしれません。
 確かに、モーニング娘。が毎日テレビに出てお茶の間の話題になることはなくなったかもしれませんが、あの時期が異常だっただけです。あまたいるJ-POPのアーティストの中で、いったい誰が、毎日お茶の間の話題をさらっていますか? 誰一人いません。それが普通です。大衆が夢中になる流行、メディアが仕掛ける大衆を釣る餌は、次々と目新しいものに変っていく。日々、もっとも効率よく大衆から金を吸い取るために。それだけのことです。真のファンは、それに動じるべきではないでしょう。
 モーニング娘。は幅広い層の、熱心なファンにしっかりと支えられています。それは、これからますます、アジア全体へ、さらには世界へと、力強く広がっていくことでしょう。
 中傷やネガティブキャンペーンに踊らされることなく、自信を持って、好きなものは好きなんだという気持ちに正直に、応援を続けていきましょう。

 ノノ*^ー^)<言ってる痛ちゃん本人が一番踊らされてるしー
 (・e・)<あー、それは否定できないよねー

2007.11.02(金)
■亀井絵里4th写真集『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』について

 今回は、濃い藍色のチューブビキニのシークエンス。いよいよ、この写真集の真の頂点へ到達しました。
 既に次の写真集、5th『MAPLE』が発売され、そのお祭の熱気も収まってきた感がありますが、当サイトでは、まだまだラブハロ!が熱い!
 1ヶ月以上間が空いてしまいましたが、次回は、なるべく早くUPできるように頑張ります。

 ノノ*^ー^)<頑張ってる割には、ほとんど読まれていないという……
 (・e・)<あー、そこ指摘しちゃうんだー(笑)
 ノノ*^ー^)<、痛ちゃん涙目え〜

2007.11.09(金)
■つんく♂さんの抵抗:擁護としての創作〜「女に幸あれ」「みかん」に込めた思い〜

 グスタフ・マーラー(1860-1911)は、わが子を失った悲しみを歌ったリュッケルトの詩を元に、歌曲集『亡き児を偲ぶ歌』を作曲し、1902年に出版した。そして、その年のうちに、生まれたばかりの次女を実際に亡くし、五年後には長女も病気で亡くしている。オカルトめく解釈は避けねばならないが、真の芸術家は時として自らの運命を予感するような作品を──運命に導かれるようにして──産み出してしまうものなのかもしれない。
 つんく♂は、モーニング娘。4代目リーダー吉澤ひとみの最後を締めくくるシングル曲として、吉澤らしく「かっけー」曲『悲しみトワイライト』を作曲した。その冒頭を、つんく♂は、「好きにさせといて 急にいなくならないで」という歌詞で始めた。それを歌ったのは、吉澤ひとみではなく──彼女の卒業は年頭から予告されており、「急にいなくな」る訳ではなかった──それを歌ったのは、藤本美貴だった。そして『悲しみトワイライト』が、まだ最新シングルであるうちに、藤本美貴は「急にいなくな」ってしまい、結果的にこの曲は──誰も予想できなかったのだが──モーニング娘。藤本美貴にとっても最後のシングルとなってしまった。2007年6月1日以降、藤本美貴が歌う冒頭のスレーズを聞いて、心の中で「お前がそれを歌うんかい!?」と、関西弁でツッコミを入れてしまった人の数は、千や二千ではすまないだろう。つんく♂は、この歌詞を藤本美貴に歌わせたことと、彼女自身を襲った不運との間に、悲劇的な暗合のようなものを感じなかっただろうか。
 そして、2007秋のコンサートツアー『ボン・キュッ・ボン・キュッ・BOMB』では、この冒頭部分を新リーダー高橋愛が歌っている。それはまるで、この冒頭を最初に歌っていた存在を惜しむように、また叱責するように、彼女への呼びかけとして響くのである。

 つんく♂は長年、芸能界でタレントとして、J-POPの世界で歌手として活躍してきた人であり、はっきりいえば、二流扱い、イロモノ扱いされてきた。ゆえに彼は、アーティストの辛い立場というものを嫌というほど知っており、その経験を通して培った感覚、芸能事務所や放送メディアという文化産業の支配者に対して、何も言えない弱い立場にあるアーティストへの共感というものを、実力派プロデューサーとして名を馳せ、新進気鋭の事務所経営者となった今でも、保ち続けている。彼自身が、アーティストという弱い立場の中にいまなお自分を置き続けてもいる。
 彼は、アーティストは結局のところ、文化産業の言いなりでしかありえないという、この世界の暗い現実を知悉し、それに従いながら巧みに生き延びてきた。その彼が、権力に対して面と向かって抵抗することは不可能──死を意味する──なことであり、唯一可能な抵抗は、作品の創作を通じて、パフォーマンスを通じて、芸術的実践を通じてなされるより他にない。つんく♂は、文化産業の注文に見事に応じつつ、同時に、その中に抵抗という二重の意味を忍び込ませる。文化産業によって完璧に支配・管理されたこの世界においては、抵抗はこのような形を取らざるを得ないのであり、また、そのような抵抗の身振りの中にこそ、今日における唯一アクチュアルな社会批判としての芸術的実践がある。それは、つんく♂自身によって「ロック」と名づけられる。

 藤本美貴を失った新生モーニング娘。の初のシングル『女に 幸あれ』の歌詞は、『ふるさと』の時代から何一つ変わらない内容を持つ。すなわち、田舎から上京して都会で頑張っている女の子が男にフられて泣いている、その女の子に、幸あれと願う歌。恋に破れた若い女の子に対する普遍的なエールとしての失恋の歌。
 しかし、この曲の中で最も重要な言葉は、何度も繰り返し強調される「バカね」であるように思われる。この曲のPVではモーニング娘。たちが、口々にカメラに向かって「バカ!」──ただし音は消されている──と言い続ける演出がなされている。メンバー自身も「普通なら、アイドルが言わない言葉」と、その演出を評していた。関西人のつんく♂にとって「アホ」は軽い挨拶程度の表現といえるが、「馬鹿」はそれとは比較にならないほど強い否定の響きを持っている。モーニング娘。たちは、いったい誰に向かって「バカ!」というのか。それは、いま一緒に歌うことができなくなって、ここにはいない──モニターの向こう側でこのPVを観るであろう──藤本美貴に向かってではないのだろうか。
 「バカね」という連呼には「何故、モーニング娘。をやめて、オレの前からいなくなんねん! これからがお前の時代やったんと違うんか?」という痛切な、叫ぶような思いが込められていないだろうか。失恋に負けるな、という表向きの歌詞の裏で、このようなやり切れなさ、恨みつらみ、悔しさを爆発させてはいないか。そういう暗い感情を直接反映するかのような曲調、演歌=怨歌調に作曲された『女に 幸あれ』は、まさしく「アイドルど演歌」呼ばれるべきなのかもしれない。

 『女に 幸あれ』のPVは、「金色の歌衣装」一着のみで構成されているが、その衣装は、もちろん「ザ☆ピ〜ス!」を引用したものでもある。おそらく「ザ☆ピ〜ス!」の金色は、初代リーダー中澤裕子という偉大な存在が不在となった大きな喪失を耐えるために、あえて選ばれた、きらびやかな色彩、空前の損失を埋め合わせようとする虚しい努力としてのケバケバしい賑やかし、という意味を持っていただろう。吉澤ひとみが卒業し、そのうえ藤本美貴までが突然いなくなってしまった、巨大な喪失を埋めるためには、ふたたび金色が──とにかく見た目だけでも景気のいいケバケバしい金色が──呼び戻されねばならなかったのだろう。
 まるで成金趣味の田舎のフィリピンパブのショーダンサーのようにセンスのない衣装、『うたばん』でキャバクラというネタにされるのが相応しいような衣装──PVのセットも同様に「安っぽい金ピカ」のショーパブの内装のようなセットだったのであり、その意匠は意図的に演出されたものだと考えられる。これは「女商売」としての「アイドル」の隠喩だろうか──を身にまとったモーニング娘。たちは、しかし、その衣装に負けないセクシーさを盛大に発散させる──「清純なアイドル」という保守的イメージを粉砕するかのごとく──と同時に、強く訴え掛ける眼差しと、その内面から発する凛とした気品によって、衣装や演出の下品さを、完全に帳消しにしていたのだったが。

 そして、『女に 幸あれ』と、C/W『Please! 自由の扉』のコーラスは、新リーダーと「サブちゃん」ことサブリーダーに就任したばかりの、高橋愛と新垣里沙が二人で担当している。

前作『悲しみトワイライト』では稲葉のあっちゃんのコーラスパートがカッコ良かったのですが、今作のA面曲とB面曲のコーラスにクレジットされている二人の名を見ていただきたい。
何がどうとかは言わないけれど、私は此処が最も嬉しかったんです。
何時だって願いは唯一つ『女に 幸あれ』(アンジェラスさん)より引用。

 そのことは、なにを意味するだろうか(こう問わずにいられない私には、残念ながらアンジェラスさんの持つ「慎み」という美徳が、欠如している)。
 つんく♂さんの声も、稲葉さんの声も、CHINOさんの声も聞こえない、モーニング娘。の声だけ、ということに積極的な意味があるのだろうか。それは、新役員のお披露目だろうか。心機一転という心意気だろうか。モーニング娘。の声だけで、団結を、結束を表現することだろうか。いずれにせよ、モーニング娘。自らが、コーラスという地味な裏方仕事を担当したという事実は、この危機の時にあって、初心への回帰として評価できるように思える。

 次に発表された35枚目のシングル『みかん』は、前作よりも、はるかに明るい曲調の、ポジティブな応援歌になっている。この二作は、現状が、暗い闇夜であるという認識においては共通している。しかし、『女に 幸あれ』では「朝日よ登れ」という悲壮感ただよう祈りであった感情は、『みかん』では、「どんな人も朝の陽に包まれる」という力強い確信へと変化しているのである。つんく♂の断言は、それを聴くすべての者に、そしてモーニング娘。に、藤本美貴に、勇気を伝えようとするだろう。

 『みかん』というタイトルの単語は、歌詞の中には一切出てこない。ここに、何故みかんなのか、という疑問が生じる。みかんから普通に思い描かれるイメージは、「誰にでも親しまれる庶民性」というものであり、それはモーニング娘。に相応しいイメージではある。が、そのような親しみやすさとこの曲の歌詞や曲調にはほとんど共通点がみられない。
 10月27日放送のGAKIKAMEで、新垣里沙が、このタイトルの意図をつんく♂さんに尋ねたときの答えを、私たちに伝えてくれた。それを要約すれば、「冬といえば、コタツとみかんとテレビ。そのなかで、コタツやテレビは人工的に作られたものであるのに対し、みかんは自然のものであり、着飾っていない、素のままの姿をしている。モーニング娘。は、コタツでもなくテレビでもなく、みかんであってほしい」という願いを、作詞者はこのタイトルに込めた、ということになる。
 これは、「アイドル」という、人間(文化産業)が作った概念に縛られることなく、モーニング娘。は素のままの、生身の人間そのものであり続けてほしい、という、つんく♂のメッセージだ。モーニング娘。は、そのまんまでええんや、無理して「アイドルの規範」になんか合わせんでもええよという、素のままのモーニング娘。たちの、全肯定、その肯定の象徴として『みかん』というタイトルが選ばれている。
 しかし、このつんく♂による説明は絶対的な、唯一の解釈ではない。『作者の死』(ロラン・バルト)以降、芸術作品の作者といえども、その作品の解釈において特権な正統性を主張することは許されない。そのような一般論は措くとしても、つんく♂による説明は、一つの比喩、モーニング娘。たちに分かりやすく意図を伝えるための「お話し」である。「人工物」ではなく「自然の存在であれ」ということが曲の主題であれば、それは、「りんご」でも「米」でも──実際はそれらも「みかん」も科学技術の粋を結集した農業という産業の生産物なのだが、それはさておき──、「山」でも「海」でも「鳥」でも「亀」でもよかったはずなのだ。それなのに何故、あえて「みかん」、歌詞にはなんら根拠となる支えがない「みかん」がタイトルとして選ばれたのか。それは、つんく♂さんお得意の「ダジャレ」を使ったダブルミーニングとして考察するのが適切であるように思われる。

 この曲の歌詞は、未来を掴み取るために闘争する歌詞である。そして曲調は、ポジティブに頑張ろうとする、元気に溢れる曲調であり、「これは負け戦なんかじゃない」という確信に漲っている。とすれば、「みかん」はまた、「未完」であり、「戦いは終わっていない。どんなに戦況は苦しくても、決着はまだ着いていない」という意味合いをも、同時に響かせるだろう。そして、モーニング娘。は終わらない、常に未完の、現在進行形の存在であり続ける、という宣言ともとれるだろう。あるいはそこに、藤本美貴の孤独な闘争を重ねることも可能なはずだ。
 さらには、強引に牽強付会して、「みかん」をつんく♂さんお得意のロック風に「みきゃん」と発音すれば、このタイトルを、「miki-en」 あるいは 「miki-an」と解釈することすら許されると思われる。「en」は、フランス語の、コメディアン、ボードビリアン、レズビアンなどの「アン」であり、「mikien」は「美貴を愛する者」「美貴を師と仰ぐ者」「美貴主義者」というような意味になる。「miki-an」は、藤本美貴のファーストネームと、その愛犬の名をつなげたものである。
 恣意的な我田引水解釈との誹りは甘んじて受ける。しかし、なんの決定的な根拠もないままに、りんごでも米でもなくあえて「みかん」が選択されているからこそ、このような強引な解釈の余地も、また生じるのである。そして、ダジャレやオヤジギャグを愛してやまない詩人つんく♂が、その可能性に気付いていなかったはずはない、と筆者は考えている。

 そうして『みかん』は、未来あるすべての若者への応援歌であると同時に、未来あるモーニング娘。自身への応援歌でもあり、また同時に未来ある藤本美貴への応援歌としても歌われることになる。『みかん』のメッセージの核心は、次の歌詞によって呈示される。「生きるために泣いている赤子のように/生まれたての純粋な心であれ」未来あるすべての若者よ、モーニング娘。よ、藤本美貴よ、お前たちは、世間のしがらみや、商売ずくのお約束、黴臭い掟に順応するために、物分かりのいい、つまらない大人にならなくてもいい。子供の純粋さを忘れるな。これは、つんく♂が今までに書いた詞の中でも、もっとも「ロック」な歌詞の一つだと言えないだろうか。

 そしてこれこそ、筆者と同じく1968年生まれのつんく♂による、遅れてきた青年の異義申し立てであり、文化産業──藤本美貴を排除し、藤本美貴的な自然の存在すべてを抑圧し管理しようとする文化産業──への抵抗の実践であり、「ロック」の実践であるはずだ。

2007.11.20(火)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第31回11.03(土)【簡略版】を更新
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第32回11.10(土)【簡略版】を更新

 時間が取れず、やむを得ず簡略版で、メモだけ残しておきます。
 
Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#31【簡略版】
 Hello! Project Night 【GAKI・KAME】#32【簡略版】

 (予定)
 ・こんうさピーのかめちゃんれいなちゃんゲストの回が素晴らしかったので、感想を書きたい。
 ・美貴ちゃんファン、だいちょさんがブログを久々に更新。お仕置きTシャツが熱いので、要チェック!
 ・《ミキ受難曲》を更新する。
 ・ラブハロ!を更新する。あと数回で完結予定。
 ・恋愛小説『恋ING』を進める。年内脱稿を目指す!
 ・ガキカメは来週も簡略版で、2回分更新して追いつく予定。
 ・環境問題は、一旦置いておく。
 ・狼に入り浸らない。←重要

2007.11.22(木)
■道重さゆみの抵抗、亀井絵里の抵抗(ぽけぽけぷぅな)

 モーニング娘。現メンバーの中でもっとも「ロック」な存在は、道重さゆみではないだろうか。デビュー当時の凄みこそ失われたものの、まだまだヘタクソな歌唱と、どこに筋肉があるのかと疑わせる肉体から繰り出されるガムシャラなダンス。そして、それを補ってあまりあるセクシーすぎるパフォーマンスでファンを悶々とさせ、「清純なアイドル」としての常識や規範を軽々と乗り越えてみせながら、MCでは図々しいキャラを活かして痛いギャグを堂々と演じ、その落差でファンを楽しませる。お人形さんのようにメルヘンチックな甘い美貌に恵まれながらも、大好きな脂身にむしゃぶりつく姿を披露し、「お腹の肉がヤバい」ことを自ら話題にしてみせ、ラジオ番組で「太った」と言われ、「親方」という年頃の女の子につけるものとは思えないようなアダ名──絵里なら本気で「落ちて」泣いてしまうかもしれない──をつけられても、それを逆に武器に出来る。しかも、あろうことか芸能界の大先輩お笑い界の大御所である明石屋さんま師匠に向かって収録中に鉛筆を投げるという所業は、まさに「ロック」という名に恥じない過激な反逆ぶりだ(この件ではさんま師匠が本気で怒ってしまい、多くのファンが胸を痛めた。わたしも番組にメールを送った。結果的には、番組スタッフが道重さゆみのために「投げてもいい安全な鉛筆」を用意してくれて、事件をネタとして昇華するという最善の形で大団円を迎えることが出来たのだったが)。
 そして、あらゆる場面で縦横無尽に発揮される「実は黒いキャラ」。道重さゆみと藤本美貴はお互いの「黒いキャラ」を認め合う仲だった。
 プロモーションとして共にゲスト出演したラジオ(2007年2月23日『あべこうじのポッドキャスト番長』)では、からかうように「実はあんまり仲よくない」と、ぶっちゃける美貴ちゃんに対して、「仲いいです!これから仲よくなります!」と、すがるように言い張ったさゆ。
 美貴ちゃんからプレゼントされた、頭の上でうさぎが揺れる、可愛いというよりは、笑える、痛いカチューシャ(さゆのぶりっこキャラを茶化す意図もありそうな)を、なんとラジオの公開録音(2007年3月29日『今夜も☆うさちゃんピース公録SP』)で大胆にも着用しファンに披露してみせたさゆ。
 そんなさゆに対して美貴ちゃんは「メンバーの中で一番なんでも話せるかもしれない」と語っていた。その理由を美貴ちゃんは、「言葉をたくさん知っているから」と説明した。しかし、それ以上に、「黒いキャラ」を共有することで、アイドルとしての建前を気にせず自由に話すことが出来たのではないだろうか。
 そして、道重さゆみは「これから仲よくなります!」という宣言を実践するかのように、藤本美貴がモーニング娘。を「脱退」してからも、様々な機会で彼女の名を挙げつづけ、藤本美貴の風化に対してもっとも強力に抵抗してきた。それは彼女なりの「ロック魂=反逆精神」の表現なのかもしれない。
 「ガキカメ」では、あたかもそんな事件はなかったかのごとくスルーされてしまった藤本美貴の突然の「脱退」について、道重さゆみは「今夜もうさちゃんピース」の中で、しっかりと自分の言葉で、自分の気持ちをリスナーに伝えている。

 そうですね、さゆみもはじめ、ほんとにはじめ聞いたときは、ほんとにびっくりしてぇ。なんかもう急すぎてぇ、こんなこと予想もしてなかったので、もちろん。もうほんと信じられない気持ちでいっぱいで、ほんとに実感湧かなかったんですけどぉ。ま、藤本さんがたくさん、悩んで、たくさんいろんな人と、いっぱい話し合って決めた結果だと思うので。まぁ、それはほんとに、これから大変だと思うんですけど、お互い、がんばりたいなぁと思うしぃ、あとは、まあ、同じ6期メンバーとして、たくさん、なんかいろんな話、したりとかして楽しかったし、ほんとにさゆみ、テレビで(も)、藤本さん見てて大好きで、その藤本さんといっぱいお話できたのはほんと嬉しかったので、そしていっぱい助けられたし、アドバイスも貰ったし、いろいろ教えてもらったことは、忘れずにこれからも頑張るので。ぜひ藤本さんもまた、黒い者同士、仲よくしてほしいなと思います!
"CBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』2007年6月21日より"

 彼女が、堰を切ったように溢れ出る自分の気持ちを公共の電波に乗せてファンに伝えることが出来たのは、むろん彼女の力ばかりではなく、CBCラジオスタッフの働きが大きかったことと思う。UFA側との折衝もあったかもしれない。実現に至った理由としては、CBCでパーソナリティを務める道重さゆみが、同じCBCで5年もラジオをやっている──しかも番組をまたいでの交流企画も実現してきた──藤本美貴の身の上に起こった事件に一切触れないで終わらせるのはあまりに無理がある、という(大人の)判断があったのかもしれない。
 しかし、体裁を整えるための最小限度の言及というレベルをはるかに超えて、道重さゆみはその後も、藤本美貴の名をラジオに乗せ続けた。それはまさに英雄的な行動だと言えるだろう。
 9月6日放送の「今夜もうさちゃんピース」では、番組取替え企画で敗北した藤本美貴が「GAMのコンサート中にうさちゃんカチューシャをつける」という罰ゲームを実行できなかったため、納得できないさゆは「今後のフットサルで、ゴールを決めた瞬間に、うさちゃんピースをしてください、はい。これはもしかしたらカチューシャ以上の恥ずかしさかもしれないんですけど、いっぱい人がいますからね、メンバーも。ぜひそこでうさちゃんピースを広めてください」という新たな罰ゲームの指令を出した(これは
『ラジオ投稿?奮闘中?』のizumealさんのメッセージに対する返答として)。9月13日の放送では「物体同士を合体させる機械があったら、自分自身と何を合体させたい?」という質問に対し、「さゆみは藤本さんと、合体させたいです。」と答え、そうすることで、恥ずかしい罰ゲームをなんなくこなす藤本美貴の力を身につけたい、と語っていた。他にも藤本美貴への言及は多い。「ドキみき」が突然終了(2007.9.24)した後になっても、「こんうさピー」にリスナーから送られてきたネタ(さかさまパニック)に対して「えー、これ早口言葉じゃん。藤本さんのほうに送って!」とコメントしていた(2007.9.27)。最後の例は、単に収録時点でドキみきの終了を知らされていなかったためとも考えられるが、それでも風化への抵抗として喝采を叫びたくなったし、さゆならば、仮にドキみき終了を知っていたとしてもなお同じ発言をしたかもしれない、と思える。
 ラジオばかりではなく、この秋のハロウィンの時期に公開された公式写真でも、「どんな扮装をしたいか?」という全メンバー共通のお題に対して、道重さゆみはヘケート。藤本さんみたいに……と回答を書いていた。たしかに「魔女」と答えたメンバーは多数いたのだが、ハロウィンの仮装として「ヘケート」というのは普通ではないはずだ。(注:その後知ったのだが、ハロウィンで祭られる魔女は、本当にヘカテ(英語読みでヘケート!)であるらしい。さゆは、もしかしてこのことを知っていたのだろうか? 2007.11.30追記)道重さゆみにとっては、魔女の扮装は藤本美貴演じるヘケートと切り離せないものなのか、それとも、無理矢理にでも藤本美貴の名をそこに呼び寄せたかったのだろうか。
 いずれにせよ、そこには藤本美貴に対する深い愛、彼女を風化させようとする圧力に対する強い抗議の意思を感じないわけにはいかない。ロックな反逆精神に溢れた「遅れてきた反抗期」道重さゆみこそ、《藤本美貴解放戦線》の【名誉騎士団長】と呼ぶにふさわしい存在だろう。

 そして、同じく6期メンバーの亀井絵里もまた、藤本美貴のことを決して忘れてはいない。彼女は彼女なりの方法で、藤本美貴の風化に抵抗し、藤本美貴を継承しようとしている……はずだと思う。
 亀井絵里の個性は、道重さゆみとはまったく方向性が違うが、そこにもやはり強烈な「ロック性」が感じられる。ただし亀井絵里のそれは、まっすぐに強く表現されることはない。彼女が内面に抱えている反逆精神が、彼女の肉体と行動を通じて外部に表現されるとき、それは、「ぽけぽけぷぅ」や「KY」という支離滅裂、奇妙奇天烈な「くねくねとした」形をとって現れるのである。いったい、「幸薄い」とか「気持ち悪い」という特徴を持ち味として打ち出す「アイドル」がどこの世界にいるだろうか。亀井絵里の存在そのものが、世間の常識に対する過激な反逆なのである。
 当然、彼女の藤本美貴の孤独な戦いへの共感や、その風化への抵抗の実践も、かめヲタならざる者にとっては「理解しがたい」、ほとんどかめヲタの妄想にしか見えない形をとる。あるいは、妄想そのものと言ったほうがマトモではあるだろうが。
 すでに、10月2日の更新(藤本美貴を干すU 《歴史修正主義に抗して》)でも触れたが、彼女は、美貴様の「脱退」以降、道重さゆみに「四面楚歌」という言葉を一日に何度も送りつけ、ラジオでも連発した。それは、美貴様が置かれた困難な状況への感情移入の表れだと感じられる。
 そして、10月7,8日に行われた『地球温暖化防止イベント モーニング娘。“熱っちい地球を冷ますんだっ。”文化祭2007in横浜』では、エコをテーマにした再生紙粘土細工で、藤本美貴を髣髴とさせる超絶的な手抜き作品を披露した。他のメンバーがテーマに沿った粘土細工を様々に工夫して作っていたのに対して、亀井絵里は、下敷きの長方形のマットいっぱいに紙粘土を敷き詰めただけの作品(?)を作り、それに「ペーパー」という題名をつけてみせた。たしかに再生紙粘土で再び「紙」を作るのはエコというテーマに沿ってはいるが、これほどやる気が感じられない手抜き感満点の作品もまたとない。2ちゃんねるのモ娘(狼)掲示板の、「亀井適当すぎww」というスレッドで、この作品が大いに話題になったのだが、そこには、こんな発言が溢れかえっていた。
 「藤本2世」
 「ミキティりん」
 「完全に藤本」
 「これ藤本超えてるだろwwww」
 「藤本でもここまではやらないだろ」
 「藤本なら最初の丸いままで地球にする」
 「きっとティッシュペーパーをよく使うミキティのことを考えていたんだと思う」
 「どこまで藤本好きなんだよw」
 「最近の亀井は藤本そっくり」
 「藤本を受け継いだのか?」
 「ノノ*^ー^)人(VvV从」
 「名前隠してたら絶対藤本だと思っただろうな」

 この作品で、亀井絵里は藤本美貴の「やる気のない感じ」「やりたくない仕事は手を抜く」という態度を継承したのだ、と(狼)ではみなされた訳だが(ネタとして)、さすがに『ハロー!モーニング。』で画伯の座を競い合った仲だけのことはある、と懐かしく「みきえり」を思い起こさせるような作品だった。
 さらには、10月24日放送の『FiveStars』では、冒頭、田中れいながこう報告した。「あ! ちょっとぉ、も、聞いて下さい。この前、ライブの時に、メンバーの亀井絵里ちゃんが、曲中にですよ? いきなり、お尻を触ってきたんですよ。ふだん絵里は、そんなことする人じゃないけん、本当にびっくりして、終わった後に「触ったやろー?」と言ったら、「だってお尻が出てて触らずにいらなかったもーん」って言われて、「どんだけ〜!?」ですよね。本当に、もう。はい。」
 ライブ中にメンバーのお尻を触るという行為を、芸術の域にまで高めた人は藤本美貴だった。それが例えば「辻加護」の仕業なら、子供らしい悪戯という安全さの中に収まったが、成人女性の美貴様がそれをやれば、そこには公開セクハラとも言うべき過激さが漂った。『セクシー8ビート』ツアーでは、それは公式な演出要素として採用され、亀井絵里は藤本美貴に反撃するという役目を担った。そして今回の『2007秋 ボンキュッ・ボンキュッ・BOMB』ツアーでは、亀井絵里自らが、率先して田中れいなのお尻を触った。それは、作為的な演出としてではなく、亀井絵里の自主的なアドリブ行為としてなされたのである。
 亀井さんのお尻と並んで高い評価を得た、美貴様お気に入りのお尻の一つが、れいなのお尻だった。美貴様はそのお尻を「パンパースをしているみたい」「プッ、て感じ」と表現していた。美貴様が女性らしい慎み深さ(?)で、曖昧に誤魔化していたその言葉を、のちにラジオの生放送(11月15日、こんうさピー拡大SP)で、さゆみんは、「あ、でも、プリケツだよね、れいなって」と、堂々と口に出してしまったばかりか、れいなのお尻を触った絵里を羨ましがり「さゆみも触りたい」とまで発言したのだった。
 ともあれ、絵里は、『シャニムニ パラダイス』の藤本パートを受け継ぐだけではなく、ライブでの「おしりさわり虫」担当まで継承しようとしているらしい。
 継承するべきポイントはそこでいいのか、という疑問を感じなくもないわけだが、逆に、それこそが、もっともコアな部分での藤本美貴の継承なのかもしれない、という気もする。
 もう一点、継承といえるかどうか微妙ではあるが、亀井絵里の5th写真集『MAPLE』には、絵里が椅子の背もたれに手を掛け、顎を乗せ、遠くを眺めている美しいショットが収められている。それは藤本美貴が『リアル226』で見せた、犬と2ショットで写った写真のポーズを彷彿とさせないだろうか。藤本美貴の写真では、彼女はいかにも楽しそうな表情をしているのに対して、絵里は深い切なさを湛えた表情をしているのだが、その極端な対比も含めて、このショットの絵里には藤本美貴が乗り移っているようにさえ感じられるのである。
 思い込みに満ちた最後の例はさておくとしても、絵里は絵里なりのやりかたで、美貴様の破天荒な魅力を受け継ぎ、その風化に抵抗しようとしていると思えるし、まずは形から入ろうとしているように見受けられる点が、いかにも彼女らしいやり方だと思える。
 痛いかめヲタの筆者としては、絵里に《藤本美貴解放戦線》の【名誉副騎士団長】(ただし、ぽけぽけぷぅ担当)の称号を授けようと思う。

 ノノ*^ー^)<ミキヲタの寄生がひどい
 川VvV)<かめヲタの妄想がひどい
 ノノ*^ー^)川VvV)<兼ヲタだからもうワヤなことになってる
 从*・ 。.・)<痛い人がさゆみのファンじゃなくてほんとうによかった
 ノノ*^ー^)<ちょっと待って、さゆもそうとう推されてるからっ
 川VvV)<シゲさんに関しては、体だけが目当てらしいけど
 从*・ 。.・)<それってサイアクですよね

 当サイトの掲示板「えりちゃんねる モ娘(亀)」の《藤本美貴解放戦線》スレッドで、STUKAさんが、ご教示してくれたところによると、GAMの1stツアーのライブDVDでは、ミキティがモーニング娘。「脱退」に関してファンに伝えたコメントが、「これからは藤本美貴として頑張っていく」という発言もろとも、きれいさっぱり抹消されているとのことである。これについて、STUKAさんは、「彼女がやる事をやっていた証を消された、歴史の歪曲に近い感じも否めません。」と、慎重に発言なさっている。
 『10年記念展』における、藤本美貴を省略したモーニング娘。の歴史の要約といい、このDVDの件といい、まさに、事務所による藤本美貴の黒歴史化、風化作戦が着々と進行しているようにさえ思えてくる──11.4のGATAS札幌巡業という嬉しい例外はあったものの──恐ろしい状況の中にあって、メンバー達による、藤本美貴を継承しようとする姿勢、その風化への抗議は、限りなく貴重なものであり、その黒歴史化に抗おうとする気高い姿の中にこそ、モーニング娘。メンバー同士の真の友情や愛が刻印されている。


 (備考。CBC放送のドキみきNightの公式サイトは、ハイパーナイトのTOPページからはリンクが消されて辿れないようになってはいるものの、番組が終了して2ヶ月が経とうという今もなお削除されていない。スタッフたちもまた、削除をしないことで、不作為ながらも、道重さゆみと共に、風化に逆らっているのかもしれない。)

2007.11.23(金)
■モーニング娘。の立たされた絶対的矛盾状況

 1988年生まれのジュンジュン、1991年生まれのリンリンは、まだものごころもつかない幼児のうちに、六四天安門事件(1989.6.4)とその後に続く抑圧的政治状況を、中国人民の一人として経験してきた。そして、おそらくは、娘の将来を気遣う親たちから、権力の執行者には何があっても逆らってはいけないということ、共産党独裁政権を恐れるべきことを叩き込まれるようにして育ってきたであろう。背中を丸めてひっそりと、あるいは面従腹背の作り笑顔で生きる術を身につけつつ、今日まで成長してきたのであろう。その二人は、モーニング娘。に加入して間もない2007年6月1日に、新リーダー藤本美貴の追放劇を目の当たりにして、いったい何を思っただろうか。後期資本主義社会を代表する国、西側先進国の一員、アジアの経済的発展を先導する夢のような国だと思ってきた隣国日本も、外から見て憧れてきたのとは違って、その内実は、祖国中華人民共和国と似たところがある、と感じたのではないだろうか。日本にも、やはり自由などなかったのだ、と。
 藤本美貴がグループを「脱退」してから、今日現在に至るまでの間に、モーニング娘。が、グループとして正式にこのことについて語ったことはあるのだろうか。「現場」の状況が分からないため、確かなことは言えないのだが、おそらく、一度もないのではないか(『2007秋 ボンキュッ・ボンキュッ・BOMB』のツアーでは、藤本美貴の名は語られたのだろうか)。
 道重さゆみが、6月21日の『こんうさピー』で、リスナーのメールに答える形で、個人的な気持ちを伝えたのは、おそらく偉大な例外だろう。
 6代めとなる新リーダー高橋愛は、藤本美貴「脱退」の翌日(6月2日)の、MBS『ヤングタウン土曜日』で、メインパーソナリティ明石屋さんま師匠の質問に答える形で、わずかにそのことに触れただけだった。

さんま「高橋どうなの淋しいもんなの? 藤本は」
高橋「淋しいですね」
さんま「会社に掛け合って、『会長やめてください! 私たちが守りますから!』とか、そういうのはないの?」
高橋「……はい……」
さんま「リーダーになったから気持ち悪い感じやなあ、そんなことでリーダーになるっていうのもな」
高橋「うーん……」
さんま「副リーダーのままってのはどうや」
高橋「リーダーいない、ってことですか?」
さんま「『リーダーは藤本が必ず帰ってきますから!』っていう……かっこええん」
高橋「かっこいいですね」
さんま「帰ってこなくてもね、永久欠番みたいにしてあげたら、かっこええんちゃうか」
高橋「はい」

 高橋愛ばかりではなく、誰一人として、事務所に掛け合うことなど出来なかった。おそらく、掛け合うという選択肢があるということ自体思いもよらなかった、というのが実際のところではないだろうか。突然のスクープ報道のあと、険しい表情で慌ただしく駆け回るスタッフたちを遠巻きに眺め、上層部に呼び出される藤本美貴の姿を固唾を飲んで見守りつつ、「これからどうなるんだろう」という漠とした不安に脅えながら、肩を寄せ合っている他に、メンバーたちに出来ることはなかったであろう。あるいは、藤本美貴の処遇が決まるよりも先に、既に、新しい体制での次の仕事に向けての準備に忙殺されていたのかもしれない。
 メンバーたちは、「わたしたちは藤本美貴を護る」という態度を表明できなかった。4年もの間、共に歌い踊り、汗と涙を流し、喜びと苦労をわかち合ってきた大切な仲間がグループを追われていくことを、ただ呆然と見送ることしか出来なかったのだ。おそらく全員が、もう取り返しがつかない、という思いに苛まれ、心に傷を負い、自分たちの無力さに打ちのめされたはずだ。
 もちろん、現実的な意見としては──わたし自身何度も書いてきたように──実際上、事務所に対する抵抗は無理であり、事務所の決定に異を唱えることは、モーニング娘。そのものを終了させないためにも、出来ることではなかった。仮に、追放劇の主役が藤本美貴以外のメンバーだったとして、「リーダー藤本美貴」になんらかの抵抗が可能だったかといえば、やはり、高橋愛と同じ行動を取ることしか出来なかったはずだ。自分一人の戦いであれば、自分の人生を掛けて戦うことができても、そこに仲間を巻き込むことは出来ない、と判断したに違いないからだ。
 しかし、このような、已むに已まれぬ事情、酌むべき情状をいくら並べ立てたところで、当人たちの背負った罪の意識、心の痛みは、いささかも軽くなるものではないだろう。
 仲間一人救うことのできなかった、無力なわたしたちの歌う、希望の歌、愛の歌、勇気の歌とは何なのか、そこに何の真実があるのか、とモーニング娘。たちは激しく自らに問いかけ続けているはずだ。いまでもまだ、そこには、茶番劇よりましな何かが、積極的に評価することが許される価値が、わずかでも残っているのだろうか、と。
 それでも、モーニング娘。たちは、なおも満面に笑みを浮かべて、希望の歌をファンに伝えなければならない。そのような絶対的な矛盾状況に、いま、モーニング娘。は立たされている。その矛盾を、わたしたちファンはモーニング娘。とともに苦しまなければならないはずだ。モーニング娘。ばかりではなく、わたしたちもまた、藤本美貴一人救うことができないでいる。
 そして、ことは藤本美貴一人の問題にとどまるものではない。わたしたちは、この世界を覆う数々の悲惨、矛盾、世界中で繰り広げられている人間性の徹底的な蹂躙の前で、なす術もなく立ちすくんでおり、抵抗のために立ち上がることも出来ずに、その状況を黙認し、あるいは諦め、あるいはそうすることだけが大人になるということなのだとばかりシニカルな表情を浮かべ、悲惨を心の奥底にしまい込んで忘れてしまおうとするかのように、「アイドル」に声援を送ることにうつつをぬかしている存在なのだ。
 モーニング娘。は、そのような悲惨や矛盾とは無縁な、理想的なユートピアの中で、幸福を享受しているべきだろうか。「モーニング娘。がいるにふさわしい世界」とでも呼ぶべき虚構のパラダイスに舞い遊び、何の悩みも疑いも持たず、心の底から満足に浸りつつ表面的な希望の歌をファンに伝えていればいいのだろうか。
 わたしはそうは思わない。この現実の過酷さから目をそむけ、悲惨など見ないことにして、それを自らに恥じることのないようなモーニング娘。は、少なくとも、わたしの知っているモーニング娘。ではないからだ。

2007.11.27(火)
■『希空』

 ののたんの第一子誕生に、つんく♂さんからも、心のこもったお祝いのメッセージ。

無事出産おめでとぉ〜!

辻希美から、無事出産したという報告がありましたよ!

わぁ〜、なんだか、自分のことのようにうれしいです。

なんでかな、やっぱ、孫感覚なんでしょうか?

ちょっと違うかも知れませんが、
あの小さかった辻がお母さんになっちゃうんだから、
すごくうれしいよ。

生まれたのは女の子だし、
やっぱ、モーニング娘。候補生だよな〜
なんて勝手に思ってます。

しかし、これからが母親本番、
しっかりばっちりかっちょいい&かわいいお母さんになってくださいね!

辻がプロデューサーやね。

早く、赤ちゃんに会わせてや〜、
そして抱っこもさせてや〜!

楽しみです!

応援してるでぇ〜!

つんく♂オフィシャルブログ 「つんブロ♂芸能コース」2007年11月26日(月)「無事」より

 そして、ニュース記事から。

 元モーニング娘。の辻希美(20)が26日、夫の俳優、杉浦太陽(26)との第一子を出産したことがわかった。
 所属事務所が杉浦・辻連名のコメントとともにマスコミ各社にファクスで報告。所属事務所によると、辻は26日の午前0時45分に女の子を出産、母子ともに健康で産後の経過も良好という。
 また、杉浦は女児の名前を「希空(のあ)」と命名したことも明らかにした。

辻ちゃん第一子生まれる!女の子「希空(のあ)」11月26日18時49分配信 産経新聞より

 何はともあれ、無事出産です。
 本当におめでとうございます。
 元気に明るくのびのびと辻ちゃんらしく子育てを頑張ってね!

 ……で、ここからが本論ですよ。

 『萌野』という二つの漢字のつらなりが想起させるイメージは、まことに美しい。だがそれを何と読めばいいのか。モヤと読むのだという。だが、日本語の慣習は、「萌野」をモヤと読むことを許さない。「野」をヤと発音することには何ら抵抗はあるまいが、「もえる」意の「萌」をモと発音させることは不可能である。だから、萌えるような野というイメージの美しさにもかかわらず、「萌野」という文字をモヤと読めというのは、例の日本語の乱れいがいの何ものでもない。(中略)大岡氏の長男夫妻が、新たに誕生しようとする二人の子供のために、名前として「萌野」を用意し、しかもそれをモヤと読ませるのだと知ったとき、(中略)「しかし『萌野』を『もや』とは『湯桶』読みとしても無理である」と断言する。そして、こう続けているのだ。

 戦後の言語改革の結果、漢字を国語一音の表示と見なす傾向が生まれているのを私は知っている。「萌」を「もえる」「もえ出る」の「も」と考える世代に息子夫婦はいるのである。「有見」と書いて「ゆみ」と読ませた例を知っている。しかし親父は古風な改革反対論者なのである。

 (中略)「現代の漢字の読み方の痴呆的変化」の一典型が、初孫の名前として用意されている事実をどうしてもうけいれがたく、酒のいきおいもあって、「萌野なんて低能な名前のついた子は、おれの孫じゃあない」とまで言ってのけた「私」である大岡氏自身が、紀行文の形式を借りたこの小説の題に、その「萌野」の二語を選んで「もや」とルビまでふっている事実の感動的なさまは、改めて強調しておきたい。
蓮實重彦『反=日本語論』(ちくま文庫1986)所収「萌野と空蝉」より

 この文章を書いた蓮實重彦は、大岡昇平の「古風な改革反対論者」としての感慨を共有しているわけではなく、むしろ「生きて」「動いている」日本語を擁護しさえするのだが、それはともかく、この文章が書かれてからでも20年以上を経過した現代に生きる我々もまた、もちろん、この程度では驚いたりはしないのである。なにしろ、「宇宙」と書いてコスモス君、「三音」と書いてドレミちゃん、という日本人がぞくぞくと登場するような時代に我々は生きているのだ。なぜ、ドレミちゃんであって、ドミソちゃんでもシレファちゃんでもイロハちゃんでもないのか、まったく理由が分からないのだが、ともあれこれが、人名漢字はどう読んでもよい、というルールを定めた、優秀な官僚どもが作り上げてきた戦後の国語政策の見事な結実であることは間違いない。
 大岡昇平は「萌」は「モ」とは読まないのだ、と言った。それは、政策的規定云々という愚かな議論とは無関係に、日本語の問題として、今でもまったく正しい。「希美」という名前は、「のぞむ」という動詞の連用形(あるいは名詞形)「のぞみ」に「美=み」を重ねたものとして一応受け入れることの出来る名前である。が、「希」はキとは読めても「ノ」とは読めないし、同じことだが、「空」をアと読ませるというのは、「あく」の「あ」だということだが、そりゃあ、あんまりにもあんまりだ。かといって、「希望の空」という漢字の持つ美しいイメージが、「ノアの方舟」のノアと関連がある訳でもない。それとも、なにか、他の参照元があるのだろうか。もちろん、既に、これを読むであろう人のかなりの割合が、おそらくは、自分の名前を書いても、初見で他人に正しく発音してもらえないであろうような国語的現実のなかで、いつまでもこんなことをボヤき続けても、まったく不毛としか思えない訳だが。

 歴代25人のモーニング娘。の中で唯一、名前に「子」が付く、古きよき時代(?)を想起させる名を持つ裕子を筆頭に、彩、圭、圭織、なつみ、真里(湯桶読み)、紗耶香、明日香、梨華、美貴、ひとみ、真希、愛、あさ美(平仮名+漢字、「朝美」か「あさみ」にしとけよ紺パパ!と思うが、それは趣味の問題)、希美、麻琴(重箱読み)、亜依、純、里沙、絵里(湯桶読み)、さゆみ、れいな(麗奈)、琳、小春(古風だが美しい名前)、愛佳と(以上、生年月日順)、モーニング娘。は「読める名前」に恵まれてきた。これは、偶然なのだろうか。73年生まれの裕ちゃんはさておき、それ以後の世代なら、「これどう読むんだよ?」と頭をかきむしりたくなるような名前がいくつか混じっていても不思議ではないような気がするのだが。

 筆者と同じ68年生まれのつんく♂さん。同級生の名前は、一江だったり、陽子だったり、由美だったり、文枝だったりしたし、佳香や美貴なんて程度でも、どことなく、気取っているか、スカしてるか、蓮っ葉な雰囲気が漂った時代に生まれ育ったつんく♂さんは、『希空』という名前に何を感じただろうか。大岡氏の思いを共有しただろうか。

 ノノ*^ー^)<キソラちゃん? でしたっけ? オメデトー、ワー、パチパチー!
 ( ´D`)<ノアだよ!
 从*・ 。.・)<「空」を「ア」とは、さすが馬鹿女(バカジョ)ですよね!
 ( ´D`)<いいんだよ! ほっとけよ!
 川VvV)<読めねーよ。
 ( ´D`)<読めなくても読ませるんだよ!
 ノノ*^ー^)<ってゆうか、おめでたい出来事のときに書くネタですかね、これは?
 从*・ 。.・)<さすがのKYぶりですよね。

2007.11.30(金)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第33回11.17(土)リーダーたかぁしゃいゲスト【簡略版】を更新
■「のあ」に関する珍学説
■メモ (うたばん、とか)

 ■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第33回11.17(土)リーダーたかぁしゃいゲスト【簡略版】
 今週二つ更新しておくつもりが、1個に(涙)

狼では評判のよかった「のあ」ネタ ←マギー司郎?

「のの」

「の+の」

「の」「+の」

「の」「あ」

「のあ」

 (メモ)
 ・『うたばん』は、薄味だったけど、意外といい雰囲気だったですね。さゆの、キョトンとしたバカ表情のアップが、神がかり的。番組的には「おバカキャラ」ということで、ガキさんを持ち上げる意図がありそうだったけど、さゆがグングン出て来ていた感じ。かめちゃんは、本領発揮ならず。控え目にしていましたね終始。

 ・ガキカメ、来週こそ2週分更新して、借金返済!
 ・ラブハロ!決着つけたい!
 ・小説を進行させたい!
 ・裏で色々準備中。もはや自分がヲタ文章を書いているのか、何を書いているのか分からない状況(笑)

2007.12.01(土)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第34回11.24(土)【簡略版】を更新

 ■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第34回11.24(土)【簡略版】更新しました。
 これで、借金ゼロっ!

 (・e・)<借金とか言ってる時点でやる気が感じられないよねー
 ノノ*^ー^)<しかも今日放送日だから、また借金生活、みたいな?

 今朝は萌え萌えの夢を見たので気分いいわぁ(笑)
 モーニング娘。全員出演の夢とか、珍しいもの。
 (詳しくは掲示板を参照

2007.12.03(月)
■亀井絵里4th写真集『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』について

 今回は、写真集最後のシークエンス。
 またしても、前回更新から、1ヶ月、間が空いてしまいました。
 残すは、「見開き」「背表紙(本体)」「背表紙(カバー)」「総括」です。
 なんとか、絵里の19歳の誕生日までには終わりそうです。
 でも、こんな長い期間、一冊の写真集と向き合っていると、なんだか、終わらせたくないような気もして来ますね。

 ノノ*^ー^)<『MAPLE』はどうするのかと小一時間問(ry

 (メモ)
 ・お誕生日メッセージ企画は今年もはじまっています!
 今年もまた、言付けをお願いしなくちゃ!
 亀井絵里ちゃん誕生日企画(ランドさん)
 亀井絵里さん誕生日企画(にゃむさん)
 みなさんも、かめちゃんの19歳をともにお祝いしましょう。

 ・凱旋コンサート企画というのが、ありました。関わった皆様におかれましては、お疲れ様でした、絵里ちゃんは嬉しかったと思います。ま、いろいろあったようですが、ま、在宅には何もいうことはないので、ま、華麗にスルー。

2007.12.11(火)
■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第35回12.01(土)【簡略版】を更新

 ■Hello! Project Night 【GAKI・KAME】第35回12.01(土)【簡略版】更新しました。今回は、大傑作でした。
 借金1。
 でも、次回も、超傑作なので、すぐ返済!
 できれば、簡略版じゃなく、じっくり更新したいんですけど(涙)

2007.12.12(水)
■だいちょさんの熱い魂

 これからソロアーティストとしてがんばるぞ!ってときにモーニング娘。に入って、それでもあんなに一生懸命がんばって、それで今度はこれからリーダーだぞ!ってときにこんなことになっちゃって、なんだか面白いよね。
だいちょさん
『藤本美貴』としてより引用

 藤本美貴の「脱退」直後に、だいちょさんは「なんだか面白いよね」と言ったのでした。
 そこに反響している、途方もない切なさ。
 虚しさが極まると、もう笑うしかないような。
 モニターに映し出された文字まで、涙で滲んでいるような。
 あるいは、理不尽な運命への憤りを、腹の底へ、押し込めようとしているかのような。
 藤本美貴のファンは、突然のモーニング娘。加入で、ソロ歌手としての美貴ちゃんを奪われ、複雑な思いを抱きつつもモーニング娘。として頑張る美貴ちゃんを応援してきて、再びその活動の場を奪われたようなものだ。美貴帝様は二度死ぬ。いや、死んでないけど。

 だいちょさんは、その更新で、シゲさんのラジオでの言葉を引用。

 シゲさんが美貴帝様のかっこいいと思うところは・・・・
「藤本さんはほんとに自由なのがかっこいいなと思いますね」

(中略)

 自由で、そして力強く、一生懸命に生きる美貴帝様がだいちょもかっこいいと思うし、大好きです!

 ほんとにそのまんまでいてほしいです!

 とは言うものの、結局アイドルとして自由じゃない部分もあって、なんだかんだでゴタゴタしてるわけですが、だいちょとしては、美貴帝様に限らず、もちろんののちゃんや他のメンバーも、本来歌やダンスが好きでモーニング娘。に憧れて、あるいは歌手になりたくてオーディションを受けて、一生懸命に努力して我々に眩しい姿を見せつけてくれているはずなのに、それとは関係のない処女性までも売り物にされて、ストーカーの餌食にされてプライベートまでとやかく言われ、むしろそっちの方が重視されちゃってるようにすら見える彼女たちの置かれた立場に、どうしようもない歪みを感じています。
だいちょさん藤本さんは自由なのがかっこいいですより引用

 例の記事が出た翌日に、すでに、美貴帝様の自由さを全肯定。応援の姿勢が、ブレない。
 そして、やはり、というか、当然というか、だいちょさんもまた、「処女性を売り物にする」「アイドル」というモノに対して、深い疑いを表明しています。
 そして、明るい口調の裏に潜む熱い思いを、だいちょさんは、あくまでも軽やかに表現。明るさを失わないことの、気高さ。

 ところで、以前の教え子がだいちょに放ったひと言。
「先生、フライデー襲撃するなら付き合いますよ。」
 だいちょのヲタ教育も行き届いてきました(照)。

 あの記事が出た直後、僕は、本当に誰かがそれを実行しても何もおかしくはない、と、不安も感じてました。白状すると、狼に、「お前ら、気持ちは分かるが、自分の人生を台無しにするような突撃はするなよ」って、書き込んでいました(本気でorz)。あの時は、それが、全然シャレとは感じられなかった。同時に、ネタとしては、掲示板に、「モーヲタも たけしに続け 討ち入りだ」なんて川柳を書いたりしていた訳ですが(笑)。ネタじゃなかったら逮捕されてますね。話がそれました。

 話し合いが長引いたのは、きっと美貴帝様がちゃんと自分の意見を言ったからだよね。それがどんなことだったのかはわからないけど、美貴帝様らしいよね。

(中略)

 でも美貴帝様、これでやっとアイドルを卒業できたよね。アイドルって何だかわかんないけどさ。

 ほんとはもっと早く大人の歌手になりたかったよね。いろんなことを自分の力にして、みんなに幸せを願ってもらえるような女性になりたかったよね。美貴帝様が22歳でアイドルなんてさ、笑っちゃうよね。

 卒業式はなかったけどさ、それでも今まであんなにもモーニング娘。を支え続けてくれて、そしてこれから新しい道に進む美貴帝様に、あのとき矢口さんに贈ったのと同じ言葉を贈るよ。

 美貴帝様、モーニング娘。卒業おめでとうございます!
だいちょさん『藤本美貴』としてより引用

 「脱退」の発表翌日に、きっと美貴帝様がちゃんと自分の意見を言ったからだよね。と書けるということ。美貴ちゃんの気持ちにずっと寄り添うように応援しつづけた人でなければ、きっと無理。美貴ちゃんのことを深く見つめてきただいちょさんにとっては、きっと美貴ちゃんが言うべきことを言っている毅然とした姿が、ほとんど目に浮かぶようだったのでは。

 「モーニング娘。卒業おめでとうございます!」この言葉を、深い決意と共に言い切るだいちょさんの姿ほど、感動的なものもない。それが、「卒業」などという麗しい出来事ではないことは百も承知で、あえて卒業の祝辞を捧げることは、おそらく、強制的な排除の不当性に対する最大の抗議、完全な拒否、否定なのだ、と思える。

 そして、藤本美貴を失って、偶発的に新体制となったモーニング娘。
 だいちょさんは、シゲさんに、その思いを託す。

 新体制のモーニング娘。のことよりもまず、シゲさんの口から出たのは藤本さんに向けての言葉でした。他の誰でもないシゲさんにだけは、それをスルーして進んでほしくなかったし、それはもうほんとに、ヲタには踏み込むことができないシゲさんの気持ちだったんだと思います。それが言えるのが今のシゲさんだし、それが言える「こんうさピー」はシゲさんの大切な砦ですよね。

(中略)

 メールで教えてもらった情報によると、シゲさんもGAMのコンサートを見に来ていたそうです。

(中略)

 「同じ6期として」というのは、これまで美貴帝様が口にしていた言葉です。さゆえりれなにとっては、その言葉は嬉しかったと思います。それを今度はシゲさんが言ってくれるというのは、とてつもなく嬉しいです。
だいちょさん黒い者同士、仲良くしてほしいなと思います!より引用

 当サイトで、というか、痛井ッ亭。の脳内では、シゲさんは、藤本美貴解放戦線名誉騎士団長に就任されているわけですが、その見立ての正しさは、だいちょさんのシゲさんへの熱い期待によっても、確実に裏書されて、折り紙つき、保証書つきとなっております。

 そして迎えた、「ドキみき」の終了。

上の記事でも触れましたが、昨日のハイパーナイト「ワカサギ」の番組内で、「藤本美貴のドキみきNight」が来週の放送をもって終了することが告知されたそうです。

 これまでの事務所のやり口を見ていれば、こうなるだろうと思っていたし、先日の仙台メロンヲフでもそういう話をしたばっかりだったけど、実際にこうなってしまうと悔しいです。やっぱり「ドキみき」に対する思い入れがあんまりにも強すぎて・・・・

 せめて終了の告知は美貴帝様のお言葉で突きつけてほしたかったな・・・・

 後番組が、地に足の着いた活動とは思えない音楽ガッタスのテコ入れっていう格好もおかしいけど、モーニング娘。のテコ入れためにソロの活動を取り上げられちゃった美貴帝様らしすぎて、なんだか笑えてきます。変な笑い。

 これが高橋愛ちゃんや田中さんや小春ちゃんだったら、美貴帝様が5年間守りぬいたソロラジオが引き継がれる気持ちも少しは持てるだろうけど・・・・

 マイクを通してヲタと向かい合うソロラジオ魂は「藤本さんを見て一人のラジオに憧れてた」というシゲさんに受け継がれたのが救いです。シゲさんには「ちゃんチャミ」の後継者だけではなく「ドキみき」の後継者としてもがんばってほしいです。
だいちょさんどきみきNight フォーエバーより引用

 「ドキみき」の正統なる後継者は、音楽ガッタスではなく、シゲさんなのだ、という、なかなか正面切っては言いづらい思いを、だいちょさんは、きっぱりと書き記す。
 行間から滲み出る思いが、熱い。
 そして、愛する番組が、愛する人の手から取り上げられてしまった悔しさ、寂しさに負けじとばかり、ポジティブに、応援し続けることを宣言するだいちょさん。

 これで美貴帝様ががんばる場も、それを応援する場もなくなってしまったわけですが、それでも言います。

 がんばれ!美貴帝様!

 どんな形になるにしても、美貴帝様が再びソロのライブステージに帰る日を待っています!

 でもいつまでも時間はないでしょう。どんな人でもがんばる場がなければモチベーションは失っていくものです。これで事務所的には本人もヲタも諦めるのを待つ構えは完成しました。

 そもそもよっすぃーのモーニング娘。卒業と美貴帝様のリーダー就任が発表された時点で、美貴帝様のソロ復帰のことなんか考えてなかったことはわかっていたんですが。

 だがしかし!だいちょは美貴帝様が諦めない限り、美貴帝様のソロステージを夢見て応援させていただきます!

 できることならば6年前に北海道の高校を辞めて東京に飛び出してきたときの熱さをもう一度思い出して、ハロプロに縛られずに、もう一度、自分が本当になりたい姿を追い求めてほしいです。

 美貴帝様にはそれが見えているはずだから・・・・

 幸いなことにドキみきのファイルは全回分揃っているし、ハロモニ。も美貴帝様のデビュー以降は全回分揃っているし、ヤンタンは2005年の秋ぐらいからしかないけど、そんなのをプレイバックして美貴帝様の素晴らしさを讃えつつ、美貴帝様が今を取り戻す日を待ちたいと思います。
だいちょさんどきみきNight フォーエバーより引用(強調は引用者)

 だいちょさんのように、不屈の、熱い魂を持ったファンが、「諦め」「絶望」「弱気」などといったヘタレな文字は、辞書から切り抜いて燃えるゴミに出してしまった漢達が、今も大勢、美貴ちゃんの歌手復帰を熱烈に待ち続けています。その思いは、きっと美貴ちゃんの心に届いて、彼女への励ましになっていると信じます。

 美貴ちゃんは、必ずや、再起するでしょう。ガッタス(「音楽ガッタス」ではないらしい)のハワイツアーなるイベントでは、ミニライブも予定されているようなので、そこで、美貴帝様の歌手活動再開もあるかもしれません。海外だけど。ファンクラブイベントだけど。

 ソロシンガー藤本美貴の未来は限りなく明るいはず。
 でも、僕はと言えば、「モーニング娘。藤本美貴」に夢中だったんだ、「みきえり」に魂を奪われていたんだ、それを大人の都合であっさり終了させられてしまったんだ、それはもう二度と戻らないんだ、それは絶望的な鉄板ぶりなんだ、と、不幸自慢、残念な人自慢をここでするのは、あまりにKYDJ(クウキヨメナイドコロジャナイ)な訳ですが。

 そして、二ヶ月ほどの中断を挟んで、だいちょさんのブログは、華麗に復活されました。その復活の勇姿を、痛井ッ亭。は、僭越ながら、力いっぱい賞賛したいと思います。

 宮古サーモンハーフマラソン・・・・っていうか、ブログ再開!

 画伯の名画をあしらったオシャレなお仕置きTシャツで、11月の寒い雨の中を疾走するだいちょさんの、あまりにも漢らしい勇姿は、すべての美貴ヲタに、限りない勇気を与えてくれるはず。

 アドルノは、『道徳哲学講義』(2006作品社:舟戸満之訳)において、「狂った社会において正しい生活はあり得ない」という命題を提示しています。
 これを敷衍すれば、世界が悲惨に満ちているときに個人が幸福であることはあり得ない、と言えるでしょうし、美貴ちゃんが笑顔を見せる場を奪われている今、ヲタが感じる幸福など自己欺瞞以外の何ものでもない、と言えるでしょう。それは、一面の真理を表していると思います。
 しかし、ヲタが元気であれば、美貴ちゃんも元気で未来を思い描くことが出来るはずだ、と信じて笑顔の勇気を保つこともまた、ヲタにとっての倫理的な決断だと言えるでしょう。
 だいちょさんの、明るく、楽しく、笑いと萌えとちょいエロに満ちた更新は、まさにヲタとしての倫理的な実践に他なりません。その裏に、かぎりない怒りを秘めつつ、だいちょさんは、ほがらかに、笑ってみせるのです。
 それは、世界の陰気さに見合った陰気な表情で生きることは、世界のレベルにまで自らを貶める行為なのだ、という、教育者だいちょさんの教えです。誇りを持って笑え、という、限りなく貴重な、気高い教えなのです。


 (謝辞)
 掲示板にて、精力的にだいちょさんの過去ログを紹介し、リンクしてくれた「名無しみきたん」さんに、心から感謝します。

 =掲示板の関連スレッド=

★★藤本美貴解放戦線★★

藤本美貴ドキュメント2007《ミキ受難曲》

藤本美貴様がフライデーにご出演ということで

2007.12.13(木)
■音楽とは性交である 〜新垣さんと二乗さんの場合〜

 音楽とは性交である。このよく知られた比喩は、実に的確に音楽の本質を伝える。音楽は、演奏を通じて演奏者同士が、演奏者と作品が、作品を通じて、演奏者と聴衆が、同時に行う乱交のようなものだ。音楽は麻薬のような快楽で人を虜にする。音楽の目的とはただ一つ、それに触れる者の魂を奪うことなのだから。それは、粘膜と粘膜の摩擦などというレベルの、情けなく味気ない性交ではない。愛する者同士が心と体のすべてを結び合わせるように、わたしたちが音楽を完全に体験するとき、人間の持つ全感覚が押し広げられ、あらゆる知的能力が遺憾なく駆使されて、一種の多形倒錯的な性体験、存在と存在が丸ごと一つに溶けあうような、めくるめくエクスタシーの長い長い持続が体験されうる。
 無論そのような理想的な体験は、常に保証されているわけではなく、一種の僥倖として体験されうるもの──そのためには聴く側が、真剣に、能動的に「聴く」ことが前提となる──だが、モーニング娘。もまた、ファンとともに、パフォーマンスを通じてそのような体験をすることができる存在だ。
 筆者はこれまで、モーニング娘。の音楽について性交の比喩で語ることはあまりしてこなかった訳だが、それは、遠慮からでも、恥じらいからでも、いい年をしたおっさんが娘。たちについて性的な言葉で語ることが痛すぎるからでもなく、ただ単に、腰が引けていただけかもしれず、その弱気を、未成年の娘。たちがもしこれを読んで赤面したらいけない、という擬似親心妄想と取り違えていただけなのかもしれない。

 だからなのか、
二乗さんの久々の熱い更新を読んだときには、「やられた!」と思い、脱帽した。以下、二乗さんが慎ましやかに反転しておいた部分も含めて引用する。

*新垣里沙

エロ担当

あぁあぁあぁ、ついに彼女のこの称号を与える日が来ようとは。
でもエロかった、紛れもなくステージ上の誰よりもエロかった。

(中略)

ガキさんのあの表情、もうあれは完璧にエクスタシー。頬が上気して、アップテンポな曲のクライマックスではうっとりと目を閉じて微笑みながら、イヤイヤをするように頭を少し振る仕草。完全に女の表情。そして完璧にセックスしてる表情ですよ。しかもすげー満たされる幸せなセックス!

ここで言いたいのは別に彼女に恋人ができたとかいう話ではなく、「ついに彼女はパフォーマンスでエクスタシーを感じることが出来る程に演者として登りつめた」ということ。

(中略)

そして、一瞬でも長くモーニング娘。でいたいという愛が・・・。
「モーニング娘。としてステージで、お客さんの前でパフォーマンスをすることに絶頂的な喜びを 感じる」ように、彼女を開発していったのではないでしょうか。
しかもそれは今も進化している!だってツアー中週末土日とも1日2時間×2回も最高のセックスをしてるんですよ。そりゃあ綺麗にもなるし上手くもなるだろうと。しかも相手は毎回数千人単位の、愛情たっぷりのヲタw てか、彼女は本当にステージ上で、目に見えるヲタ全員を抱きしめようとしてますよ!

二乗さん『New WAVE New LOVE』2007/12/08(Sa)より引用

 ステージパフォーマンスにおけるガキさんのエロス表現は、今現在、誰よりも強烈で、濃厚だ、というのは、まったく同感。それに加え/にも関わらず、少年のように無邪気な、弾けるような笑顔も、まったく衰えることなく健在で、その圧倒的な表現の幅広さ、表情の豊かさは、他に類を見ない。(かめ、頑張れ!)
 二乗さんの「セックス」という比喩においては、音楽行為自体のエロスよりも、むしろ表現内容としてのエロスに重心が置かれているわけだが、無論、エロスを表現することもまたモーニング娘。の音楽の主題そのものであり、聴衆は、音楽行為自体の持つエロスと、表現内容としてのエロスを、同時に多重的に体験し、モーニング娘。と同時に豊かなエクスタシーを体験することになる。
 ライブでそのような素晴らしい性交を果たした二乗さんが、正直うらやましくてたまらないわけだが、しかしやはり、いい年をしたおっさんが、それを「うらやましい」などと書くと、どこか浅ましいいやらしさが漂ってしまう気もする。それはやはり、弱気というものなのかもしれないが、筆者としては、それは、筆者が紺野あさ美的臆病さ(性的なものに対する)と、中澤裕子的謙譲の美徳に恵まれているから、恵まれすぎているからだ、ということに、是が非でもしておきたいのだ。
 結論:ヘタレ在宅系の筆者ですが、事情が許せば僕だって、現場で、全力でヲイヲイ叫んで、モーニング娘。と一緒に、トロけちゃいたいんだよー(号泣)

 p.s.
 ちなみに、二乗さんの、かめへの評は、「ガテン系」「ルックスいい」「とにかくガタイが良すぎ」「全身の「肉感」」「そんな立派なボディの上に黒目がちな文系女子顔がのっかってるのがいい」というもので(文系女子顔! 茶道部ですからー!)、この評はおそらく衆目の一致するところなのだが、筆者のように、かめちゃんの、どこか性悪を思わせる魔性の女の部分、なのに何時壊れてもおかしくないような神経の細い部分、精神の脆さ、ヘタレな自我と凶暴なEsのアンバランス、たしかに内に秘めたはずだが心が散らかりすぎているせいで出口が分からず迷子になっている強い意志、理解し難い部分、というあたりに限りない愛を感じる人間は、亀井界隈の中でもどうも少数派らしく、かめちゃんの魅力について、かめヲタ同士意気投合して語り合う、ということがない(!)のが、とてつもなく寂しかったりもする。なんの話やら(笑)

 ノノ*^ー^)<人が反転して隠したものをあえて晒すとは、さすがKYDJですね!
 ノノ*^ー^)<ま、絵里はぁ、AKY(敢えて空気を読まない)ですけどね♪
 ||c| ・e・)|<違うでしょ、A呆れるほどK空気Y読めませんでしょ、かめは
 ノノ*^ー^)<お。エロガキさん、言ってくれますね
 ||c| ・e・)|<さすがにその呼び方は勘弁してほしい

 (作業予定です)
 ・ラブハロ! 終りまで書く。
 ・えりりん誕生日お祝いメッセージを二通書く!
 ・小説は、来年まで持ち越しに(涙)、誕生日までに仕上げるつもりだったのに。
 ・年明けから、小説、そして、亀井絵里論序説。
 ・「リスペクト!」というファイルを作る(他サイト言及のまとめ)。

2007.12.14(金)
■亀井絵里4th写真集『ラブハロ!亀井絵里 in プーケット』について (完結)

 ようやく、なんとか、最終更新にこぎつけました!
 今回は、
 
背扉と見返しの見開き ──プーケットの美しいビーチ、再び──
 背表紙(本体) ──ジャンプ!──
 背表紙(カバー) 白いサマードレス
 で、全写真感想が完結。
 そして、
 写真集を振り返って
 という、感想文のまとめ。
 これで、終りです。
 途中、諸般の事情から、長い中断もありましたが、最後までお付き合いくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

 ノノ*^ー^)<シャレにならないいまさら感が、漂いまくり!
 ||c| ・e・)|<それは、たとえ本当でも言わないの。
 从VvV从<かめちゃんの写真集にも時を越えた価値があると思うよ。
 ノノ*^ー^)<あ、そっちのほうがいいですね。もっと他にないですか?

 (予定)
 ・次は、お誕生日メッセージ。あと9日で、19歳かぁ。
 ・GAKIKAME二週分を。
 ・美貴ドキュ、下書き中。
 ・小説、進行中。
 ・亀井絵里論序説、構想、下書き、泥縄的勉強、着々と進行中。

2007.12.23(日)
■亀井絵里様、19歳のお誕生日おめでとうございます

 われらが女神にして天使、ぽけぽけぷぅこと、亀井絵里ちゃんが、本日めでたく19歳のお誕生日を迎えました!

Happy Birthday to You, Eririn!!
お誕生日おめでとうございます!!


 以下に、去年に引き続き、亀井絵里ちゃん誕生日企画(ランドさん)と、亀井絵里さん誕生日企画(にゃむさん)(受付期間延長中です!)に、託したえりりんへのメッセージを掲載します。

 1通めは、亀井絵里ちゃんお誕生日企画様に言づけたメッセージ。

ノノ*^ー^)<おすましヴァージョン?


Message for Eririn's 19th birthday. 2007.12.23


 絵里ちゃん、19歳のお誕生日おめでとうございます。
 この1年も、絵里ちゃんの活躍は目覚ましかったですね。
 「ハロちゃん」では、美貴様をいたぶってみたり、きゃめイヌになってみたり。やりたい放題な感じが最高で、さすが情報コーナーの女王様でした。4月の番組改編で、コーナーが消滅してしまったのが、本当に恨めしかったです。オレの「みきえり」を返せ! でした。
 そして、絵里ちゃんの18歳の、眩しい姿を収めた2冊の写真集は、人類の至宝です。
 最近、ようやく『ラブハロ!』の感想文を書き上げました。時間掛かりすぎ(笑)
 『MAPLE』のほうも、絵里ちゃんの6th写真集が出るまでには、なんとか。
 『デジタルフォトライフ』の表紙とグラビアも、とても綺麗でした。アイドル雑誌じゃなくて、写真専門誌のモデルに抜擢されたのが、ファンとして、とても誇らしかったです。
 ネット上では、「つんく♂TV」のゲスト出演も楽しかったです。絵里ちゃんの語る何気ないエピソードは、とてつもなく可愛らしいですよね。
 それに、もちろん、本業のライブ。4月15日の札幌夜公演を聞きに行くことが出来ました。人生初でした。もちろん目は絵里ちゃんに釘付けでしたよ。絵里ちゃんのかっこいいダンス、可愛らしい笑顔、凛々しい表情、歌声、どれも胸に焼き付いています。またいつかライブで、現場で、じかに、絵里ちゃんに声援を送りたいです。モーニング娘。のライブは最高です!
 それになんと言っても、今年はガキさんとのラジオがありましたね。楽しくて、可愛らしくて、かめちゃんの魅力満載の、ファンにとって最高の贈り物でした。毎回、長い感想を書くために何度も何度も聞き返すのが、とても幸せな時間でした。

 絵里ちゃんの18歳は、大人っぽい女性らしさを身につけつつも、個性的なキャラクターを存分に発揮できた1年でしたね。
 19歳、十代最後の年を、絵里ちゃんが、どんな風に疾走して、ファンを翻弄してくれるのか、今からワクワクしています。
 2008年、モーニング娘。は、ますますグローバルに活動の場を拡げ、絵里ちゃん個人の芸能活動も、ますます充実していくことと思います。強い意志を持って、与えられた課題を、そして自分自身に課した課題を、ひとつひとつ乗り越えていってください。
 でも、人懐っこい笑顔が可愛い、ぽけぽけぷぅなかめちゃんの魅力も、ますます発揮し続けてくださいね。
 欲張りですか? ファンって、欲張りで、贅沢で、ワガママなんですよ!

 2008年の絵里ちゃんが、アーティストとしても、ひとりの人間としても、充実した体験をして、そして、たくさんの幸せを感じて、楽しく、イキイキと過ごせますように。北海道から精一杯の声援を送ります。

 絵里ちゃんが輝いていることが、ファンの幸せです。

 他には何もいりません。


 絵里ちゃん、お誕生日、おめでとう!
 19歳の亀井絵里は無敵です!
 未来は亀井絵里のものです!
 がぜん強めで行きましょう!


p.s. 今、絵里ちゃん主演の恋愛小説『恋ING』を書いてます。必死です。絵里ちゃんの名に恥じない作品になるよう、全力で頑張ります。


 website『La deconstruction des idoles 』
 url:http://www.nextftp.com/KonnoAsami/
 管理人:痛井ッ亭。






 2通めは、亀井絵里さん誕生日企画様に言づけたメッセージです。

ノノ*^ー^)<お、おちゃらけヴァージョン?


Message for Pokepokepooh's 19th birthday. 2007.12.23


 PPPな、かめちゃん!
 19歳おめでとぉぉぉぉございます!
 この1年も、かめちゃん、大活躍でしたね。
 KYだったり、PPPだったりと、大忙し(?)
 もちろん、最高に美人で、美少女で、キャワキャワだからこそ、あんな、ブッ飛んだキャラも映えるワケで。かめちゃんにしかできない荒業です!
 でも「小春といるとMCにまわります」と、先輩らしいところを見せようとしているかめちゃんも、ま、ぶっちゃけ、あんまし頼もしくはないですけど(笑)、殊勝な感じが可愛らしいので、いい感じだと思います!

 「ハロちゃん」終了、「みきえり」終了は、悲しかったです。
 でも、捨てる神あれば拾う神あり。
 入れ替わりに「ガキカメ」が始まって、毎週毎週、おなかが痛くなるほど爆笑させていただきましたっ!
 しかも、かめちゃんが時々語る、幼い頃のエピソードが、強烈に萌え萌えでした。
 それに、娘。史上最強の名コンビ、ガキさんとの、壮絶なツッコミ合戦!
 手に汗握る放送を、これからも、楽しみにしています!

 かめちゃんは、19歳だし、娘。でも上から3番目だし、しっかりしていかなきゃ、と自分に気合を入れていることと思います。
 でも、まだまだ、フワフワしててくださいよ?
 嫌でも、しっかりしなきゃいけないときが、もうすぐ来ると思うけど、そん時はそん時。
 愛ちゃんだって、「頼れる?リーダー」として、あのキャラのまんまで、立派にリーダーとしてみんなをまとめて行けてるんですから(笑)
 かめちゃんも、いずれリーダーになるときが来るでしょうけど(オニが大爆笑)、そのときになっても、PPPなキャラを手放さず、むしろ暴走しつづけてほしいぐらいです。
 「周囲から支えられるリーダー」どころか、「後輩からツッコミ倒されるリーダー」って、すごいと思いません?
 かめちゃんになら、それが出来る! (笑)
 と、遠い将来のことはさておき。
 とりあえず、暴走キャラでジュンジュンに引けをとるようなことがないように、前のめりで突っ走ってください!
 19歳でも、KYキャラで、AKY(あえて空気を読まない!)で、PPPで、暴走しまくってください。
 MAX最強絵里で!
 俄然強めで!

 そして、2008年も、史上最凶(!)の萌えと、笑いと、元気と勇気を、そして、夢のように素晴らしいモーニング娘。のパフォーマンスを、ステキな歌を、ファンめがけて、お見舞いしちゃってください!

 19歳は、十代最後の年。
 もしかすると、大人になっちゃうのが、ちょっと寂しいな、とか思ってる?
 大丈夫。
 三つ子の魂百まで、って言うし。
 ぽけぽけぷぅは、いくつになっても、ぽけぽけぷぅだから! (笑)


 かめちゃん、お誕生日、おめでとう!
 19歳のかめちゃんは無敵!
 未来はかめちゃんのためにある!


 website『La deconstruction des idoles 』
 url:http://www.nextftp.com/KonnoAsami/
 管理人:痛井ッ亭。












2007.12.24(月)
■セクシーかめサンタ

 19歳になったばかりだというのに、かめちゃんは一息つく間もなく、大忙しで世界中を飛び回る。
 空飛ぶ橇に乗って。
 なにしろ、約束してしまったのだ。
 メリークリスマス
 今年のプレゼントは絵里....だよ(ハート)Eri

 そう言った手前、世界中のファンに、絵里を届けて回らなければ。
 チビッコたちの夢を壊すことは出来ないんだ。
 モーニング娘。は、約束は守るのさ!
 あわてんぼうのガキサンタどころか、ぽけぽけぷぅなかめサンタだよ。
 自分を贈り物に指定するなどという、ぽけぽけぷぅな所業ゆえに、宅配業者に代行を頼むこともままならず、このえりりん様おんみずから、直々に、今回は、荒川区から、お届けー! なのだ。
 こないだ放送していたアテナちんサンタ(ガキサンタ二次元バージョン)のファッションを参考に(もちろん見ていないけど)、
セクシーサンタに大変身。
 颯爽と橇に乗り込むものの、トナカイの手配が間に合わず、無理に代役に頼んだ猫と兎がぶつくさ文句を言いながら引っ張る橇の上、かめサンタはすでに大後悔。
 「なんで、よりによって、絵里をプレゼントなんて言っちゃったの」と涙目に。
 昔読んだ少女マンガの、リアリティ度外視、妄想炸裂ノリで、勢いで書いてしまっただけなのに。
 そりゃあ、たしかに頭の中がお花畑だったかもしれないけどさ、やれ娼婦だ、やれ小悪魔だ、やれ「おいたが過ぎる」だ、さんざん言われてさー、まぁ、ぶっ飛びキャラに箔が着いたからいいけど。
 絵里ももう19だし、年相応の大人の女性らしいセクシーな魅力でファンを翻弄しちゃったりしちゃったりして。
 そのとき、空飛ぶ橇のうえで、突然かめサンタは思い出す。
 そういえば、ハロちゃんで、美貴様がリボンを掛けた大きな箱から出てきて、「私からみんなへプレゼントです。藤本美貴でーす!」なんて言ってたのは、美貴様の誕生日の前の週だったっけ。でも、誕生日前日のハロちゃんでは、美貴様、ロープで手足を縛られて、スタジオに放置されてた。とんだセクシープレゼントだぜ。ってか、なんで自分の誕生日に、自分がプレゼントなワケ?
 そうこうするうちに、橇は最初の目的地に近づく。
 「一軒目は、痛井ッ亭。かー、おっつ」
 かめサンタは、手元の「ブラックリスト」を捲ってみる。
 もちろん、痛井ッ亭。のページは、一面、×印で一杯だ。
 むろん、悪い子の家には、かめサンタも、絵里をプレゼントしてはくれない。
 というわけで、かめサンタは、次の目的地に向けて、颯爽と去っていくのだった。
 絵里をお届けするために。

Top!
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